YouTubeは勉強になるのでよく見ます。本当に面白いですね〜
前々回も書いたのですが、今回のウイルスも単なるウイルス騒動だけではなく、何か裏がある
ような気がするのです。
何故か解らないが歴史は100年周期で繰り返されているように感じるのです。
私はテレビはほとんど見ないのですが、勉強になるYouTubeはよく見るのです。
今回は私の好きな先生2人を紹介します。時々最新のをアップされたかな?と気にして更新を
楽しみに見ている先生を紹介します。
まず一人目は宇野正美先生です。元、高校教師で主に国際時事問題と「ユダヤ問題」を専門と
した講演を定期的に行っている人なのですが、話し方が面白い。ついつい引き込まれるような
話術と、聖書を元に未来を予想して、ファンも沢山いるようです。
宇野さんの本も何冊か読みましたがとても面白いですよ。
今回紹介するのは新型インフルエンザからの挑戦 ↓ 12年前の映像ですが現在の問題に通じます。
https://www.youtube.com/watch?v=_ylggVHFRf8&t=4070s
1時間55分と長いですが、テレビ見るより面白いですから、是非見て欲しいです。(お願いします)
私は数回見ました。本当に面白くて感心しますよ。(私はほとんどの映像は見ました)
もう一度言います。2008年ですよ、12年前の講演映像が現在の事になりました。
株式会社リバティ情報研究所及び中東問題研究センターの代表で毎年講演会を開いています。
「エノク」という月刊誌も発行しています。私は2年間ほど定期購読しました。
エノクとは聖書ではアダムの孫で、「従う者」の意味。神を喜ばせた男365歳まで生きたそうです。
5000年前の聖書の教えが現在も脈々と引き継がれ、いつでも神に従って神を喜ばせたエノク。
日本神道の「かんながら〜:神ながら」の心と似ていますね。(私の生き方です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一人、私が気に入ってよく見る人がいます。石井貴士さんです。
若いですが、元アナウンサーだけあって話もうまいし、的確に計算された説明になるほど
と、頭の良さにうならされる。最近アップされた第三次世界大戦 2020年11月3日開戦!
私も世界第三次大戦も臭うと思っていましたが、やはり彼も同じ事を考えていたようです。
https://www.youtube.com/watch?v=9WQu7cvPsKk
11月3日開戦!ズバリ言いましたね〜・・・凄い!
インフルエンザと地震と戦争はワンセットである!確かにそうかも知れない。
5月11日には気を付けましょう、一応ね(笑)
石井貴士氏もYouTubeに沢山出ています。全てに説得力がありますね〜・・
くだらんテレビ番組を見るより、皆に見てもらいたい番組ですね。
話の組立が素晴らしい。
新型ウイルスは強敵と言うより、魔界よりの次のステップのメッセージのようにも思います。
それは魔界なのか?それとも神なのか?人間への警告なのかも知れないのです。
今回は、私の好きな先生2名を紹介させて頂きました。
私のブログではなかったのですが、今は神社巡りをすることさえ罪悪感を感じます。
出来るだけ外出しないように、連休もひっそりと家でYouTubeを見て楽しむ事にします。
皆さんも、連休は栄養と適度な運動と休養をして身体を大切にしましょう。
身体を万全な状態に保っていれば、少しはウイルスに対しても抵抗力は有ると思います。
最後に・・・かんながら〜かんながら〜神ながら〜
ブログをはじめた日
2010/02/02(10年と83日)いままでに書いた記事331件。
今回の記事が最後になると思います。
では皆さんお元気で、長い間ご愛読ありがとうございました・・・・管理人。
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世界中の生物学者が我先に特効薬をと、寝る間を惜しんで研究に研究を重ねていることでしょうね。
全くやっかいなウイルスが出来たものですね〜(笑)失礼だが笑うしかない。
私は、薬なんか、まして特効薬なんか出来るはずがないと思っています。
風邪(ウイルス)の歴史は、紀元前からある。
少なくとも紀元前16世紀頃のエジプトにも有ったのだからそれ以前にも有ったのだと思う。
風邪の薬すら3000年以上前から研究しているのに開発されてない。
しかも、ウイルスが生物か、無生物なのかさえ科学者間では決定されてないそうです。
ウイルス単独では生きてないのだが、ふわふわと飛んで人間の細胞にくっつくと侵入して
体内で繁殖してワイワイと賑やかに暴れる(炎症を起こす)それが肺で起こるのが今回の
新型ウイルスのようです。
例えばタンポポが風にふわふわと飛んで、地面に落ちたらそこに根を張って又タンポポの花を
咲かすように、コロナは目に見えない花粉の30分の1のタンポポのようなものなのかな?
感染した人が出すくしゃみや、口から出す咳はタンポポの花粉のようなものかな?
(例えが間違っているのかも知れませんが・・・タンポポが嫌いになった?笑)
私はタンポポが大好きなのですが花言葉は「恋の宣託・神のお告げ・新しい場所への旅立ち」
国際ウイルス分類委員会の分類では、全部で3万種くらいのウイルスが見出されているとのこと。
アメリカ人は一生の間に200回くらいウイルスに感染しているそうです。
http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/kansensho/virus17/virus.html
ウイルスが凄く小さな生物だとしたら、生きている次元が違うのです。
人間の1日がウイルスにとっては100年かも知れない。
必ず収束が来るのです。
人間もそうなのですが、生物には栄枯盛衰という・・
全ての生物には滅亡のサイクルという宿命があるのだと思います。
勃興 - 興隆 - 繁栄 - 最盛 - 衰退 - 滅亡と歴史は繰り返す宿命なのではと思うのです。
歴史を振り返ると、全ての組織体はこのサイクルを繰り返しているのです。
当然ウイルスもそうなのですが・・・・
会社であろうが、国であろうが、人間であろうが、滅亡のサイクルがあると思うのです。
私達人類も、人類という次元の中で生きているのだから、1年掛かって新型ウイルスの
特効薬を開発したとしても、その頃には新型ウイルスは絶滅して居るのかも知れないし
又別の、新型ウイルスが直ぐそこに来て出番を待っているのかも知れない。
(キツネと狸の追いかけっこ??・・ことわざ間違ったかな?笑)
私のような爺が言えることは「人生、全て要領なり!」楽しく生きるのも、悲しく生きるのも
自由です。心の持ちようで、幸せにも不幸にもなります。
新型ウイルス等に感染されないように、気を付けて要領よく人生を楽しみましょう。
全ての結果には原因があるのです。生き甲斐を見つければ楽しいですよ。
まず、健康でなければ何も始まらない。
アニマル浜口のようにワッハッハ・ワッハッハと陽の呼吸をすること。
とても良いことだと思いますよ。
では又・・・監理人。
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確かに、世界的に感染者は急激に増え死者も増えている。
何が原因なのか??
5年前に2015年8月20日に「近々神さまと魔界の王と対決かも?」と言う題でブログを書いた
事があります。
当時、何処の神社の神様も異様な雰囲気で神様も何処に行ったのかとても少なく、神社に
残っている神様やお付きの者も、とても緊張気味でした。(事もなく終わったのですが)
今回は、神様にそのような緊張感は見られません。
今、各国がパンデミック宣言をしたので、世界中がコロナパニックに陥っています。
何故か?なんか不思議に思いませんか?
例えば神さまの目線で、地球の人類全体の行方を大局観で眺めてみれば、ウイルスの台風のように
も見えますけどね〜。ウイルスの台風は地球で住む限り時々来る自然災害かも知れませんね。
現在世界のコロナ感染者数は、約120万人でアメリカが最も多く4分の1で40万人を終える感染者が
死者も1万人を超えて、人工呼吸器も不足、医療用マスクも不足でコロナパニックになっていますね。
地球人全てが、コロナ恐怖症になっているのですが何か不思議ですね〜・・確かに危機なのですが
現在この世で生存している人間で、100年前のスペイン風邪を記憶している人はいないと思います。
過去の歴史を振り返ると、信じられない被害に遭っていたのですが、現在のコロナウイルスも経験
したことのない被害だと思います。
4月10日の朝日新聞では、コロナの死者は世界で9.5万人に、感染者は160万人と云われています。
今、手元にあるスマホで現在の日本の感染者数は前日より641名増えて6187人で、その内死者は
120名です。連日マスコミでコロナのニュースを取り上げ恐怖心をあおっているようにも感じます。
まだまだ感染者も死者も倍以上に増えると想像します。
でも不思議な事にパニックになっているのは経験のない人間だけで、神さまは至って平然として
いるのは何故かな?と思うのです。
100年に一度周期的にやって来るウイルスの台風なのかな?とも思うのです。
確かに何処かの誰かが作った殺人生物兵器なのかも知れませんが、目線を変えて現在のパニックを
大局観的に地球を眺めるとウイルスが通りすぎるのを、じっと息を潜めて静かにしているのが一番
賢明な方法かも知れませんね。
現在世界のコロナウイルスでの死者数は9.5万人・感染者は160万人です。
でも100年前のスペイン風邪の死者数は4千万人・感染者は5億人とも云われています。
当時の世界人口の約3分の1が感染者になりました。
100年前より現在人口が増え約76億人います。その3分の1と云えば現在なら25億人が感染する
ことなのです。(これが本当のパンデミックだと思うのです)
明治時代のコレラの死者数も37万人も居て、日清戦争・日露戦争の死者数よりも多かったのですが
パンデミックにはならなかった。(現在でもコレラで亡くなる人は年間3万〜13万人居るそうです)
島国日本では上下水道法が明治33年に制定されてからコレラ菌はほぼ無くなったのですが土地の
広い外国では上下水道を巡らせるのは困難でしょうね〜。
2009年11月に豚インフルが流行し(オバマ政権時)アメリカでは5000万人が感染し1万人が死亡
したのですがパンデミックにもパニックにもならなかった。
日本でも毎年3000人以上がインフルエンザで死んでいるのに、新型コロナというだけで何故こんなに
パニックになるのだろう?・・・と、思いませんか?
確かに被害者も沢山いるのですが、それ以上にマスコミが騒ぐように思いますけどね〜
何か企みがあるような・・・
誰かの隠謀か?生物兵器もあるかも知れないが、もっと他の企みがあるような気がします。
これが隠謀なら、誰が得をする?
(漁夫の利を得るのは誰なのか?)
※漁夫の利とは、大きな貝が口を開いて呼吸をしている時に鳥が来てくちばしで身を食べようと
突っ込んだ時に、貝は怒って力一杯口を閉じた。くちばしを挟まれた鳥はバタバタと暴れている
時に、漁師(漁夫)が来て苦も無く両方を捕まえるという意味。
私が想像するのは、新型コロナウイルスを(人工としても)マスコミをあおり、パニックにして、
恐怖心を抱かせ、学校閉鎖、外出禁止、店舗閉鎖、企業縮小、総理の緊急事態宣言、国債を発行し
予算の大盤振る舞いで、安倍総理の支持率を上げて年内に解散総選挙を行い、自分の地位を不動の
ものにする予定かも知れないが、心配なのはトランプとの打ち合わせで、各国が国民の為だと云っ
て金をばらまいた場合です。最低賃金の繰り上げ消費税をカットし、金をどんどん印刷をして
世界的な超ハイパーインフレになるかも知れない。
過去ハイパーインフレが起きた国はジンバブエ、ベネズエラ、ドイツ、アルゼンチン、ハンガリー
ユーゴスラビアがありますけど、特に酷いのはジンバブエとベネズエラですね。
(ジンバブエの100兆ジンバブエドル)
発行された当初(2009年)は約3万円程度だったそうですが、 最終的には100兆ジンバブエドルで、
0.3円ほどの価値しかなくなったそうです。
現在は紙切れとなって、使用されてないそうですが・・・(笑)
政府の信用がなく、拾う価値もない紙切れ。
ベネズエラではハイパーインフレが起き、物価上昇率が年率169万8488%を記録した。
日本は一気にここまでならないと思いますけど、可能性も考えられますね。
ハイパーインフレになる一番の原因は、国民から税金が取れなくなったら、新札を印刷する
しかないのです。
今の政府の大盤振る舞いは、ハイパーインフレに近づいているのでは?
もし、コロナウイルスが人工兵器だととすれば、世界的なハイパーインフレも計算したはず。
漁夫の利を得ようとしたのは誰なのか?
日本の1万円札もお金ではないのです。1万円札に書いているように日本銀行券なのです。
お金とは、読んで字の如く(金)なのです。
ハイパーインフレになると、銀行券などは値打ちが下がりお金とは言えなくなるでしょうね。
物が高くなり、銀行券の値打ちが下がる。
もしかしたらそれが狙いで、生物兵器のウイルスを作ったのかも知れないと思っています。
その裏で、第三次世界大戦の影もチラチラ見えるのですが、これが隠謀だとすれば
誰かが漁夫の利を狙っているような気もするのですが・・・怖いですね〜
ここまでは、神さまも読んでないかも知れません。
今は静かに、貝の口を閉じて嵐の通り過ぎるのをじっと待つのが賢明かも知れませんね〜
100年に一度のウイルスの台風なのですから・・・
ただ、全ての結果には原因があるのです。
ウイルスの発生にも、コロナ感染するのも、パンデミックになるのも、危機を感じるにも、
ハイパーインフレになるのも、世界大戦になるのも、原因のない結果はないのです。
如何に冷静に、的確な判断をするのか?責任重大な指導者の腕の見せ所なのです。
又、私達もウイルスに感染しないように、パニックにならないように、要領が必要だと思います。
後悔しないように重大な決断をしなければならない危機が来ているのは間違いないでしょう。
私達の先祖は100年前のパンデミックに生き延びて、元気にしているのが私達なのですからね。
書き出すと止まらなくなるので、今日はここまでにします。
では又・・・・管理人。
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日本ではオリンピックの延期・選抜高校野球も中止等。アメリカでは入国制限、イタリア
では映画、劇場、レストランなどの営業禁止。店舗の閉鎖。株の大暴落。WHOのパンデミック宣言。
これは誰かの策略隠謀か?等と考えたり、神は何を思い、何してるんだろう?
私も一瞬、とうとう来たか人類絶滅の危機が・・・・と、思いました(笑)
今回も目線の角度を変えて、もし神さまが離れた上空から我々のあたふたと走り回っている姿を見たら、
何と思うのかな?人間達の知恵のお手並み拝見と、笑って観望しているのかも知れませんね。
新型コロナは自然に偶然に出来たものなのか?それとも人間が生物兵器として作ったのか?それとも
魔界の者か、神が作ったものなのか?それ以外は?思いつかないですね〜・・・
新型コロナウイルスが何故出来たのか?と考えられる全てを想像して見ると・・・
?人間が生物兵器として研究していたものが研究所から漏れた。
中国武漢に「中国科学院武漢病毒研究所」がありそこの研究所から漏れたという噂。
アメリカ軍が生物兵器を武漢に持ち込んだと言う説。
?神か魔界の怒りで人類絶滅か、ノアの箱船のように一部のものだけを残し人類を一掃する目的。
(もしそうならこんな生やさしいものではなく天地がひっくり返るような事だと思う)
?フリーメイソンイルミナティの仕業、世界の人口を10分の1にしようと企みがあるという噂。
以前もフリーメイソンの事を何度か書いたのですが、不気味な存在は現在も脈々と生きている。
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=305
?自然による偶然に出来たもの(これが一番可能性が高いと思う)
このような時は先人の知恵を拝借して(温故知新)から、見えない敵(ウイルス)と戦う策略を練る
べきでではないでしょうか?
(敵を知り己を知れば百戦殆うからず)
と言う孫子の有名な言葉があります。https://tactical-media.net/%e5%ad%ab%e5%ad%90%e3%81%ae%e5%85%b5%e6%b3%95%e3%81%a8%e3%81%af/
コロナウイルスと戦うにも、敵(コロナ)をよく調べ、人間の体力と防御方法をよく知ること
により、敵は恐れる事もなく、勝つことができるのだと思います。(陽の呼吸が大事)
歴史は繰り返す・・・・誰が何と言おうと、間違いなく歴史は繰り返していると確信してます。
100年毎の周期でウイルスが拡散しているのではと思います。
1720年 ペスト
1820年 コレラ
1920年 スペイン風邪
2020年 新型コロナウイルス
昔、このようなウイルスが世界中に流行しました。そうですスペイン風邪ですね。
世界中で5,000万人の死者が出て、日本でも39万人が死んだ事があったのです。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/590625/
ちょうど100年前のパンデミック事件です。この頃は今ほどの科学の進歩もなかった。
当時の世界人口は18〜20億くらいで、スペイン風邪の感染者は約5億人。人類滅亡の恐怖を
感じたことでしょうね。それでも自然に、何の治療方法もなく約2年半ほどで収束しています。
現在は科学も発展し、ウイルスがなんたるかを知ってます。
(ウイルスの大きさは、花粉の30分の1)
このように、花粉とかPM2.5位迄の太さならマスクで防げるでしょうけど、花粉の30分の1と云わ
れる小さなウイルスは普通のマスクでは防げないのでは?と思っています。
細菌は生物なので、独自で生きて繁殖する事は出来るのですが、ウイルスは非生物なので、独自
で生きる事は出来ず、感染者の咳やくしゃみで2〜3m飛びタンパク質にくっついてエネルギーを
もらい凄い勢いで繁殖し、又人から人に飛びかい感染者を増やし増殖していくのです。
又感染者の触れた者に触ると、その触った人のタンパク質から体内に進入し繁殖を繰り返す。
人のタンパク質に触れなかったら、数時間で消滅するらしいですね。早ければ4時間、遅くても
36時間位で消滅するらしいです。
粒子が花粉の30分の1と小さいので、普通のマスクなら10~30%防げたら良い方とのことです。
付けないよりはましなくらいかな?
マスクをしたから安全とは言い切れないと思います。(マスクを付けると陰の呼吸になるし)
気休めのような気もするのですけどね〜・・・それよりもビタミンCとかタンパク質を多く取り
栄養を取って体力を温存し、抵抗力を高めた方が予防に良いのではと思っています。
私は普段マスクを着用していません。それよりもビタミンCを多く取るように心がけています。
ビタミンCを破壊するタバコもよくないでしょうね。
でも、間違いなく歴史は繰り返していると感じるのです。
ワクチン?あまり期待してないです。何もしなくても2年で収束するのでは??と思っています。
O157、サルモネラ、赤痢、腸炎ビブリオ等は細菌なので独自で繁殖できるのですが・・・
鳥インフル、サーズ、マーズ、ノロ、スペイン風邪等はウイルスであって、細菌ではない。
過去の全てのウイルスにも未だこれといったワクチンが出来てないのだから、コロナウイルスも
世界中の研究者が血まなこになって研究しているでしょうけど、あまり期待は出来ないと思います。
もし出来たとしても、万人に効くものであって、一人でも副作用みられたら販売は出来ないので
動物実験から始まり、何百人もの患者から副作用がないかを確認しないと新薬の販売は出来ない
からとても、難しいと思います。
そのような他力本願を頼るより、過去の歴史からウイルスの習性を知り自主防衛する方が賢明では
と思うのです。
100年前のスペイン風邪(1918年1月〜1920年12月)
(日本の人口)5千6百万人 死者数45万人 死亡率0.8%
「世界の人口)約20億人 感染者5億人 死者数5千万〜1億人とも 死亡率2.5%〜5%
新型コロナウイルス(2020年〜)
(日本の人口)1億2千万人 感染者1883人(3月29日)死者数 49名(3月28日)
(世界の人口)約78万人 感染者64万770人(3月29日) 死者数約3万人
スペイン風邪は3回ピークがありました。
100年前と同じ事を繰り返しているように思いませんか?
昔と違い、現在は情報も早いし、知恵もあるから被害が少ないと思います。
テレビのニュースでも毎日、毎日、朝から晩までうんざりするほどコロナのニュースばかり。
テレビニュースの影響で100年前とは全然違うほど、衛生や消毒に気を付けているので感染者
も少ないと思います。それでも言う事を聞かない人は仕方ないですね〜・・・
ビスマルクの言葉を思い出します。
「愚か者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ」
敵を知り己を知れば百戦危うからず
温故知新・・・
先人は沢山良い言葉を残してくれましたね〜・・・・
こんなことを書く予定ではなかったのですが、あまりにもコロナばかりのニュースなので
一市民のジジイの目線から感じるまま、気ままに書いてみただけのことです。
では又・・・・管理人
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何を書いたら喜ばれるのかな?題名によく悩むのです。(笑)
書いて欲しいテーマがあれば、何でも書くよ!とある人に言ったら「運命と宿命」について書いて
みて!と云われたので、私の観点で書いてみますね。
あくまでも、私個人のひねくれた観点から書くので、間違っていることもあるかも知れません。
多分間違ってるでしょう。私そんな偉い人でもないし、バカだし、年寄りの人生観だけです。
「運命と宿命」の事を書けば、少なくとも「天命と知命」のことを書かないと終わらないので追加します。
昔、運命と宿命と天命と知命このことについて、悩み考えたことがありました。
運命とは何だろう?と昔、よく考えたことがあるのです。
この人との出会いも運命なのかな?結婚するのも、離婚するのも・・
すべて運命だ!という運命論者がよくいます。
確かにそのような運命はあるでしょう。学校を転校したから、職場を変えたから、住所を変えたから
この人に出会ったと言う運命論が・・・・そのような運命は確かにありますね。
このようになる運命だったから仕方ない。とか、どうせ私はこのような運命なんだと諦める人。
でも運命を変えようとすれば、いつでも簡単に変えられるのです。
先ほど言ったように、学校を転校したり、職場を変えたり、住所を変えたり環境を変えれば、出会わ
なかったはずの人との出会いもあり、人生が変わるきっかけにもなりますよね。
私の好きな言葉に・・・・・
心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる
このように、運命は自分でいつでも変えられるのです、運命が変われば運勢も変わるのです。
つまり、心が変われば運命が変わり人生が変わるのです。
しかし、「宿命」は変えられません。
貴方が男や女に生まれたことや、日本で生まれ日本人であること、その土地で生まれたこと、
親も選べられないし、長男には長男の宿命が有り、長女には長女の宿命があるのです。
絶対に変えられないのが宿命なのです。
その絶対変えられない宿命の範囲内で、運命や運勢を変えて生きて行く事が出来るのです。
ちなみに、貴方は次生まれ変わるとしたら、男が良いですか?それとも女?
統計学的に言えば、男は男に、女は女に生まれたいのが約80%だとか。
実際に生まれ変わるのは男は男に、女は女に生まれ変わるのが90%以上のようです。
ちなみに、必ず人間は人間に生まれ変わります。よく言われる他の動物、蛇や、犬、馬、魚等
には絶対生まれ変わりません。ご心配なく(笑)
そして「天命」について・・・
天から授かった運命。(素質、センスです)
医者には医者の素質が有り、スポーツマンにはスポーツマンの、教師には教師の歌手には歌手の
素質、センスがあるのを天(神)から授かった天命であり、そのために与えられた命なのです。
それはその親や先祖のDNAを引き継ぐ事が多いようです。
皆それぞれ、天命があるはずです。天命に外れた事をすれば苦労をします。
例えば子供が嫌いなのに、先生や保育士になったり、医者が嫌いなのに親に勧められて医者に
なったりすると、間違いを起こすのです。
世の中には色んな川があり、色んな川の流れがあるのです。
その川に入って、川の流れに沿って泳いで行くのはとてもたやすいのですが、川の流れに逆らって
泳ぐのは、とても辛いのです。一生懸命泳いで少し進んでも、疲れて直ぐ戻されるように・・・
自分の職業や生き方が川の流れに逆らってないのか?を、知るべきなのです。
人それぞれ、天命の適職があるはずなのですが、それを知ろうともしないのは不思議ですね〜。
人にはそれぞれ天命があります。天命を知り、悟り、それを学ぶのを立命学と言います。
立命館大学はその天命を知り、それを学び躍進さすのが本来の目的である学校名だと思います。
「立命」という言葉は中国の孟子(もうし)の教えで、人間の本分を全うするという意味です。
40にして惑わず、50にして天命を知るという有名な言葉がありますね。
未だ平均寿命が短かった頃の言葉です。(私は40にして天命を知る:笑)神さまのおかげです)
そして「知命」について・・・・
平均寿命が短かった頃50歳のことを知命と言ったそうですが、「論語」の一節で人が年齢と共に
成長する事について述べた言葉です。
それは・・・・
「わたしは15歳にして学問を志し、30歳にして独立した立場を持ち、40歳にして迷わず、50歳に
して天命を知り、60歳にして人の言葉を素直に聞くことができ、 70歳にして心に従って振舞って
も道を外すことがなくなった」というものです。そこから・・・
15歳は「志学(しがく)
30歳は「而立(じりつ)
40歳は「不惑(ふわく)
50歳は「知命(ちめい)
60歳は「耳順(じじゅん)
70歳は「従心(じゅうしん)とよばれるようになりました。(ネットで調べました:笑)
私は従心なので、80歳になった何と呼ぶのだろう?
この頃の70歳は現在の100歳くらいでしょうかね〜・・・
私の思っていた知命と感覚は全く違いますね〜・・・
私の想像する「知命」とは読んで字の如く、「知る命」
運命、宿命、天命、立命も全てを知る、命を知る「己を知る」事だと信じています。
私は「己を知る」とは=「知る命」=「知命」だと思うのです。
釈迦が一番教えたかったのは「己を知ること」なのです。
貴方は本当の自分を知ってますか?
自分のことは誰よりも自分が一番知っとるわい!と言う声が聞こえそうですが、案外自分を
知ることは難しいのです。私ですか?自分のことは、未だあまりよく知りません。
本当の自分を知っているのは1万人に1人居るか居ないかくらいでしょうね。
智者と聞いてどんな人を想像しますか?
頭が良く、知識が豊富で、弁が立つ人?では弁護士みたいな人かな?
いいえ違いますよ!
老子によれば、智者とは他人を理解できる人。
人の能力や適性を含めて見極めることができ、なおかつ他人を思いやることができる人を「智者」
だとされています。
老子の思想には、「智者」のさらに上をいく存在があります。
それが、「明智の人」。
どういう人を意味するかと言うと、簡単に言うと、「己=自分」のことをよく知っている人のことです。
老子によれば、他人のことを知るだけではせいぜい「智」にとどまるのであって、
己を知る者こそが「明智の人」だというわけです。
ここで言う“明智”とは、明らかに智る(さとる)ことで、人を知ること以上に難しいことなのです。
戦国時代の武士道に「士は己を知る者の為に死す」という言葉あります。
つまり、自分の真価をよく知ってくれて、認めてくれた人のためなら死んでもよいと思うのです。
私は「知命」とは運命・宿命・天命等、全てを熟知して、他人を知り、己を知ることにより命の
必然性を知ることで、他人を理解できるのだと解釈しています。
ネットで調べると「知命は50歳」のこと?・・・・
(私の解釈とだいぶ違ってますね、私の解釈が間違って居るのかも知れません)
ま〜いいや!・・今日はここまでにしますね。
では又・・・・管理人。
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そもそも次元とは何だろう?
次元とは数学的に、空間の広がりを示す為の指標なのです。
一次元は直線・二次元は面・三次元は立体・四次元はそれに時間を加えた指標なのです。
つまり、三次元迄は普段私たちが常に見ているもの、それが動く時間と空間が四次元。
だから飛んだり跳ねたりしたりするのも、飛行機で移動するのも四次元の世界なのです。
そしてその空間・時間のずれが幾つかあり、何十次元もあるのでしょうね。
私、頭が悪いので専門家みたいな説明が出来なくてすみません。m(_ _)m
例えば、我々人間の寿命が100年とすると、セミの寿命は土の中で数年、成虫になって
地上に出てからは10日〜2週間ほどの命と言われています。
その2週間ほどの間に、恋をして卵を産み子孫を残して死んでゆく。
100年寿命のある人間の一日と、2週間の寿命のセミの一日と、同じ24時間でも感じる
時間の長さ(ずれ)があると思います。(それが次元が違うと言う意味かな)
そして私たち人間の細胞も当然生きています。その細胞は37兆あるそうです。
その細胞も一日約3千億個が死に、同じ数だけの細胞が毎日生まれているのです。
私たちはその37兆の細胞が集まり一人の人間として生きている。
毎日3千億個の細胞が生まれ変わっている。その個々の細胞も意識があるのです。
悪玉菌にやられまいと、コロナウイルスにやられまいと意識して働いているのです。
その1つの細胞の中で生きているミトコンドリア達・・・・・
人間の体もミトコンドリアの事まで追求して考えると宇宙と似ていませんか??
人間の体は小さな宇宙なのです。
人間は地球と言う小さな星の表面で、85億人が生存しています。
・・・・・・・・・・・・
又、本題からそれてしまいましたがもう少し付き合って下さいね。(笑)
その地球は、時速約1700?の速さで自転しながら、太陽を中心に1年に1回、正確に凄いスピードで
太陽を廻る惑星の一つです。その地球から見える無数の星座達・・・
例えば私の一番好きなオリオン座
オリオンの右肩になるペテルギウスがとても大きな星で、太陽の1400倍あるのです。
地球から640億光年も離れているが、爆発寸前の星なのです。
もし今日爆発して、その欠片が光の速さで地球に向かって来たとしても届くのは、
640億年も先の事なのです。もう爆発して向かっているのかも知れません。
オリオンが神だとすれば、我々地球人はミトコンドリア以下の小さな微生物かも知れませんね。
我々人間の寿命100年としても、オリオンから見れば一瞬でしょうね。
そのように考えると、人間の寿命なんて短くはかないものなのです。我々はその私たちの
次元の中でひしめき合い、悩み、楽しみ、喜び、悲しみ生きているのですミトコンドリアのように。
・・・・・・・・・・・・・・・
天地創造の神が地球を造ったのは46億年前(地球誕生から46億年経ってることから)
その神は現在どこにいるのか知りませんが、地球上に沢山の神様がいらっしゃいます。
そうでないと85億人の人間を管理できませんよね〜・・・
昔は神様も少なかったと思います。
天照大神の5世孫、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)が初代天皇
?武天皇として日本を建国し即位したのが紀元前660年だから2680年前(最近ですね:笑)
日本が「倭国」から正式に「日本」となったのは600年後半なので、1350年ほど前なのかな?
ずーっと遡り、縄文時代(日本列島が大陸から分離した頃)が1万年位前なので、地球の歴史
46億年間の間に、何度も生物が誕生しては絶滅の繰り返しをてきたと想像しても不思議では
ないと思います。恐竜が現れたのが約2億年前で絶滅したのが6550年前なのです。
人類が現れて、1万年位で文明は現在のようにまでに発達してます。
もし仮に、過去に人類の歴史が5万年あったと仮定すれば、どのような文明だったのでしょうね。
もっと頭の良い生物が居たのかも知れませんよ。
地球の歴史は、過去に生物が生まれては、絶滅をしての繰り返しを4回しているそうです。
現在がその4回目ということらしいです(もっとあったのかも知れませんが現在解る範囲内で)
46億年の歴史の中で、現在の歴史が1万年あるとしても、一瞬の事だから今まで何度も色んな生物
の世界があって、何度も絶滅を繰り返してきたと想像しても全然不思議ではないでしょう。
現在の世界が、地球誕生から4回目の世界だとすれば、前回3回目の世界があった頃の神さま
を祀ってる世界最古の神さまを祀ってる神宮が日本にあるのです。
それは九州阿蘇の弊立神宮です。↓
(この写真からも神霊の輪が幾つか見えますね。わかるでしょうか?)
以前行った時に、ブログに書いてますので未だ見てない方は見て下さいね。
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=473
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)を祀っているのです。凄いパワーのある神社でした。
以前に書きましたので、ここでは省きます。
現在この世に神様は何人(幾柱)いるのでしょう?考えたことありますか?
多分数千万〜1億以上は居るかも知れませんね〜。
「神様は何処から来たのだろう?」やっと本題です(笑)
私の、個人的な発想なのですが・・・・
スケールの大きさから、元はとても大きな宇宙の神で、次元の違う所から来たのだと思います。
そして自分の代理の神を創り、神が神を生み、沢山の神が増えたのだと思います。
そして神は分身の術を使います。
同じ名前の神が、全国至る所に鎮座されています。
分身の神でも、常時そこに居るとは限りません。時々外出する時もあるようです。
その時は、自分のお付きの者(神の弟子又は巫女)に留守番をさせる時もあるようです。
神の使いとして、龍、鳥、狐、蛇、等もそうかも知れませんね。
又、・・・例えば大国様やスサノオが祭神となっている立派な神社でも、時々女性の神様が
感じられるときも(巫女かな?)あります。
男女の神が逆の場合もあります。
又、神社によっては神さまが留守で全く神気が感じられない神社もあります。
又逆に、神を祀る神社なのに神様は居らず、怪しき魔界に乗っ取られている神社も出会った
事があります。(私は無視して、さっさと立ち去りますけどね・笑)
魔界の者?邪悪な魂?魑魅魍魎?悪魔?死神?疫病神?幽霊?地縛霊?霊道?怨念?
聞くだけで怖そうな言葉なのですが、別に取り合わなければ悪さはしませんよ。
我々の現界で共存している次元の違う者達なのですが、波長を合わせなければ恐怖もありません。
波長を合わせるとは、テレビのチャンネル合わせるみたいなものです。
嫌なら、見なかったら良いのです。
体質的に、見えたり感じたりする才能?のある人には向こうから波長を合わせてきますが
その時は意識して、チャンネルを変えるだけで良いのです。
魔界の者達が共通して嫌いなチャンネルがあります。
それは賑やかな音、笑い声、明るい光、暑い、強い風、気合い等です。
神社のお祭りは、賑やかな音、笑い声、ガランガランと鈴の音、それと暑い所も苦手のようです
色んな所で霊を感じたことがありますが、サウナではないですね。そして台風などの風の強いときに
幽霊は外をちょろちょろしないし、火玉が飛んでいるのを見たことないです(笑)
呼吸も陰の呼吸と陽のの呼吸があります。
陰の呼吸とは吸う呼吸で、陽の呼吸とは吐く呼吸の事です。
笑ったり、歌ったり、力を込めて太鼓を叩いたり、エィっと気合いを出すときは吐く呼吸が強い
ので陽の呼吸と云います。神社で手を合わしてお参りするときも息を吐きますよね。
陰の呼吸とは、吸う力が強いときを陰の呼吸と云います。
肩をすぼめて泣くとき、暗い夜道やお化けが出そうな気持ち悪いときは吸う力が強くなっています。
いつでも「キャ〜」と悲鳴を出せれるように準備しているときは陰の呼吸になっているのです。
そんな状態の時に限って魔界の方から波長を合わせに来るのです。
魔界や霊界のもの達は波長を合わせてくれて気づいてくれたら嬉しいのでしょうね〜・・・
チャンネルを合わすも、合わさないも自由ですから好きにして下さい。
私は昔、良くチャンネルを合わし楽しんでいましたが、とても疲れるので辞めました。
出来るだけ合わさない方が良いと思いますよ。いつもチャンネルを合わしていると、チャンネルが
戻らなくなります。霊界の方からチャンネルを合わしに来るのです。
・・・・・・・・・・・・・・
「神さまは何処から来たのだろう?」この題に書くことをいっぱい考えていたのに忘れました(笑)
いや、面白いことをいっぱい書いてたのですが、パソコンが固まって全部消えてしまいました。
思い出して書くのは疲れるので、今日はここまでにしますね。
要するに私が書きたかったのは、次元をずらして考えて見れば、人間の100年の一生なんて一瞬なの
です。一瞬の刹那刹那の積み重ねを楽しく、面白く、後悔しないように生きることが大事なのです。
幸せは、求めるものではなく、気づくものなのです。不満なんか吹っ飛びますよ。
続きは又、いつか書きたくなったら書きますね。
では又・・・・管理人。
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神様は沢山いらっしゃいます。八百万の神と書いて(ヤオヨロズノカミ)と読みますが
神様の数は800万どこどではなく、もっと数え切れないほど居るのです。
神様の中には、良い神ばかりではないのです。悪い神もいます。
貧乏神・疫病神・死神などが居ます。
貧乏神、疫病神は居るかも知れないですが、実際見たことないので解りませんが、死神はいます。
実際に見たことがあるのです。病院で・・・・
以前も少し書いたことがあるのですが・・・http://kimama.komatsu-j.info/?eid=427
このような黒い服を着て、鎌を持っていました、これほどは大きな鎌ではなかったのですが
はっきり覚えています。
2回見かけました。ある病院で・・・
以前このことをブログに書いた時、私も見ましたと言うコメントが幾つか来たのでこのような
死に神を見たことのある人は沢山いると思います。
死神と言えないのかも知れませんが、魔界よりの使いが死神かも知れませんね。
さすがの私でも、ゾクッとして目が合ったらどうしょうかと思いました。(笑)
そして神様と呼ばれる有り難い神様でも、人間と同じくそれぞれ個性があるのです。
「触らぬ神に祟りなし」という名句があるように、浅はかな心で神様に接するのは失礼に当たる
ので、それなら神様には感謝の心と、ご挨拶だけの方が良いかもしれませんね。
うっかり神様に期待をされて、期待に応えなれれば叱られる事になります。私は何度も神様に
叱られました。(笑)それでも神様が好きだからしょうがない。
何度も助けてもらいました。現在もしょうがない奴だなと、助けてもらっています。(笑)
そして神様は意外と近いところにいるのですよ。
そうです、神様は貴方の心の中に住んでいるのです。
三種の神器の中に「鏡」があります。
鏡とは、反射するもの、映すもの、光るもの、太陽のイメージなのです。
一般的な神棚にも、中央に鏡を置きますよね。
(我が家の神棚はこんな立派な神鏡ではなく、100均の手鏡なのです)
毎日のご挨拶に手を合わした時に、自分の顔が映るようにしています。
何故神棚に鏡を置くのか?
まず、日本書紀の中に記されている三大神勅(さんだいちょくゆ)というものがあります。
それは、天照大神が孫のニニギに天から地上に降りる時に命じた神の命令書みたいなものです。
天照大神の三大神勅「神の命令書」
一、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
葦原の中津国(日本)に行ってそこを治めよ。そして子孫が代々治める地としなさい。
そうして(ニニギノミコト)の子孫が天皇家といわれています。
二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅
この鏡を見ることは私を見るのと同じことだと考えて鏡をお前が住む宮殿内に一緒にお祀りしなさい。
と渡されたのが、三種の神器の一つ「八咫鏡」なのです。
しかし、時代を経て「やっぱり自分と一緒のところに祀るのは恐れ多い」としてその鏡を祀る場所を
探した結果伊勢が良いということになり、伊勢神宮建立のきっかけとなったのです。
三、齋庭の稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅
高天原にある稲穂をおまえに任せるぞみたいな内容。
反射する鏡を太陽と考えた?
天照大神は太陽神と考え「八咫鏡」を天照大神の御神体としてお祀りしたのでしょう。
こうして鏡は神社や神棚に置かれるようになったんだと思われます。
神棚の鏡も自分の姿や心を映し、自分を見つめ直し反省させるアイテムだと解釈しています。
だから神棚に向かって神様にお祈りする時も、自分の心に曇りはないのか?間違って無いのか?
昨日は良いことをしたのか?今日も良い事が出来るのか?必要とされるように努力しますと誓うのです。
その誓いは私の身体の中に住む神様も聞いているのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神様の世界はとても難しいです。
私は何十年も前から古事記を紐解きながら、各神社を廻って此処にこの神様が何でいるのだろう?
とか、色々想像しながら巡るのもロマンがあって楽しいものです。
おそらく一生掛かっても古事記すら完全に紐解けないかも知れません。
日本書紀や竹内文書もあり、聖書やギリシア神話も繋がるところもあり、あ、ここ繋がった!
と思った時はとても面白いのです。私は暇さえ有ればそんなことを調べる事が大好きなのです。
神界、霊界、幽界、不思議なものには魅力を感じるのです。
何でも不思議なものには魅力を感じますね〜・・・・
人間も不思議な人に魅力を感じますね〜・・・解ってしまえば魅力を感じませんけど(笑)
そもそも神様とは何ぞや??
簡単に政治家に置き換えると、解りやすいかも知れませんね〜叱られるを承知で説明すると・・
天照大神=天皇陛下
大国様、スサノオ、弁財天、恵比寿様、等々の有名な神様=総理大臣や各大臣
その他大勢の神様=衆議院・参議院
と置き換えてみると、色々と性格の違う大臣や議員もいるように、神様も性格の違う神様がいるのです。
どんな議員でも、皆先生と呼ばれ側近のブレーンが居て、秘書がいるのです。
そんな立派な先生方でも、自分に合う人と会わない人がいるのです。
こんなことを言ったら神様にあんなレベルの低い政治家と一緒にするな!と叱られそう(笑)
でも火の神と水の神が、風神と雷神が同じ性格ならおかしいでしょうねぇ。
もっと書くことはいっぱいあるのですが、話がそれてとても長くなりそうなので
今日はここまでにしますね。
では又・・・・管理人。
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神様を暴くようなことは普通、神道派の人は誰も書きません。
そうなんです、私は普通じゃないのです。狂っているのかも(笑)
私のブログは10年ほどになるのですが、昔から見てくれてる方は私のことを知っているのですが
最近訪問してくれた方が見ると、不動産の親父が仕事と何の関係もないくだらんことを書いているのか?
と、思われるかも知れないので、簡単に自己紹介しますね。(簡単にできるかな〜)
私、あるきっかけから神様の虜になり、神道派まっしぐらの生活でブログを書いているのですが・・
何も知らない昔は仏教徒だったのです。
未だ15〜16の頃、自分を守る為にも、人を守る為にも、強くなければ守ることも出来ない。
それをつくづく実感したことがあったのです。
自分は強いと云う裏付けがあって初めて、強い者に対しても対等に言いたいことが言えるのです。
そう思って、強くなりたい一心で少林寺拳法の門を叩いたのです。
入門して初めて解ったのが、少林寺拳法は武術だけではなく宗教だったのです。正式な名前は・・・
「宗教法人金剛禅総本山少林寺」という団体であり、少林寺拳法はその中で心身を錬磨し体技を
身につけ精神面と体力と技術を学ぶ教えだったのです(心・技・体)を学ぶ道場なのです。
毎日座禅を組むことから始めます。
寒い冬でも薄い胴衣一枚で板の間に座禅を組み、しばらくしてから拳法の教訓を唱え、それから
気合いを入れて練習に取りかかるのです。
(香川県多度津町にある立派な少林寺拳法の本部です)
私が入門した頃は、本部と言っても木造の学校のような建物でしたが、私たち会員の寄付によって
建立されたのだと思います。
一級までは各支部でもらえるのですが、各昇段試験は本部でないと受けられません。
当時館長の「宗道臣」先生も健在で、簡単に投げつけられた経験もあります。そもそも少林寺拳法
は、だるま大師の教えで、釈迦の28代目の弟子とされています。
立派な釈迦の教えを若い者に教えるには健全な肉体を同時に鍛えるのが必要ではないかと8年間、
座禅を組んで編み出したのが2つの流派で一つは、スピードに重点を置いた直線の(少林拳)
もうひとつは破壊力と呼吸法に重点を置いた円の動きの(太極拳)
中国少林寺で少林拳を会得した宗道臣は日本に帰って少林寺拳法と名を改め世界に広めたのです。
(つまり宗道臣はだるま大師の何代目かの弟子になりますね)
私は8年間少林寺に席を置いていてその間、沢山の良いことを学びました。
(私の人生で一番楽しかった思い出です)
少林寺を習って私の大好きだった言葉は・・・
『己こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。
自ら悪をなさば自ら汚れ
自ら悪をなさざれば自らが清し。
清きも清からざるも自らのことなり。
他のものに寄りて清むることを得ず。』
70歳になった今も、この言葉は頭に焼き付いています。本当に拳法をやって良かったと思っています。
そして23歳の頃、素晴らしい先生に出会いました。ある宗教法人の教会長さんなのですが、私の
母が凄い人に出会った、何もしゃべらないのに全てお見通しで、自分の考えていることも全部
みぬかれた。一度行ってみたら良いよ・・・と言われて即、会いたくなって行ってきました。
只、白い紙に生年月日と名前を書くだけ。そしてその教会長は(お婆さんでもう亡くなりました)
神殿に何やらブツブツとご挨拶し後ろで正座している私に向きを変え、手を合わしている私と
対峙して息を下にしゅ〜〜っと吐きながら両手を下に広げると、座ってる畳の上を白い雲のような
ものが(厚さ5?ほど)サ〜っと広がり空気が一瞬に変わるのが見えた。
(何じゃこれは?凄い!)そして先生が何か歌い出す、意味が分からんけど私のことや?お墓の
こと?先祖のことを歌ってるみたい・・・・可愛いや○○○(私の名前)可愛いや○○○等と
色々と歌う(15分ほど)そして終わると、綺麗な鎧を着た高貴な武士が出てきた。あなたの先祖
は武士でしょう。そしてその後ろにとても偉い神様が出てきてあなたを可愛いと守っている。
(へぇ〜どんな神様ですか?)名前は分かりませんが、今まで出会った事のない凄く偉い神様です。
あなたは人に道を教え、多くの人を救う事を神様は期待しています。
(先生に貴方も修行しなさいと言われ、あ、そう?)と人事のように笑いながら聞き流していました。
でも凄い力のある先生だと感じました。それから数年何度か相談に行ってましたが、そのうち私も
結婚して、その嫁が又、私に似て霊感が強いのです。
こんな先生がいたよと話をすると、是非先生に会いたいと言うので連れて行くと嫁は虜になり、
入会して会員になろうよと2人で、その宗教団体に入会したことでした。
そこで悩み相談に来る人達に、的確に対応する先生の神通力に感激したり、何度も不思議な体験を
経験したり、勉強をさせて貰ってるうちに数年後には、いつの間にか青年部長とか言う肩書きに
になっていました。
そして、確かオウム真理教が有名になる数年前だったと思います。
その後オウム真理教が事件を起こし、悪どく危険なオウムの勧誘のやり方がテレビで全国に報道され、
宗教自体が悪者のように思われて全国、全ての宗教団体の会員が激少したのです。
そして、全国宗教連合会(全宗連)が、(現在の公益財団法人新日本宗教団体連合会)が発足し
「信仰心を広め、世界の平和に貢献しよう」をスローガンと掲げて若い世代の獲得に力をいれようと
私も微力ながら、その一員として活動してたのです。
各宗派から、幹部数名が出席し我が教会はこのようなことを教え、特徴は○○のようなこと
をします。そして各宗派が集まり、お茶菓子で親睦会を始め色々と雑談をしたりしていると、
各宗派の体験談や、失敗談、目標等、色々と面白い話も聞けて楽しいのです。
色々な話を聞けて楽しいのですが、・・・何処の宗派の幹部も同じ事に悩まされています。
それは幹部の派閥争いです。何処の宗派も間違いなくそれで悩んでいます。
下の一般会員は全くそんな悩みに気づかないでしょうけど、あるんですよね〜それが・・
実は私の教会もそうでした。
私はそれが嫌で、又尊敬していた協会長様が亡くなられたこともあり、退会したのです。
何処の宗教団体も教えはとても良いのですが、上層部のもめ事には関わりたくないのです。
何処の宗教でも押し上げられて幹部になる人は皆、いい人ばかりです。
しかし、派閥争いとなれば意見が分かれ、態度も変わり小さな宗教戦争ですね〜(笑)
それが嫌で、私は何処の宗派にも属せず一人で神社仏閣に神様と繋がりたく、参拝してたのです。
ところがあるきっかけで、徳島の○○先生を紹介して貰いました。
神道一筋の男の先生です。(この先生も亡くなりました)
この先生のやり方は、部屋中に沢山の神札をお奉りしており、来て欲しい神様に降臨してもらい
その神様と会話して解決方法を聞くというやり方なのです。・・・・
最初神殿に向かって神道大祓の祝詞を上げるのですが、これが上手い!上手すぎる。今まで沢山
の神主さんや神主の祝詞のCDも買って持っているのですが、全く別格でした。
祝詞の途中で吹く石笛もとても素晴らしく、魂に響くようでした。(神様降臨するはず)
そこは仏教のような教会でもなく、一度入会して会費を払い登録すれば永久に後は要りません。
同好会みたいな所で、先生を慕って来る弟子達も神がかりな凄い力を皆持っている。
周に一度、夜勉強会があり高知から徳島の穴吹まで毎週通いました。
この先生のおかげで、私のモヤモヤ感が全て払拭され、私を守護している神様も誰なのか解り
ました。この先生の影響を受け私は何の迷いもなく、神道派一筋に生きるようになったのです。
私は仏教が悪いとは思いません。
仏教には仏教の良いところが、宗教宗派にもそれぞれ素晴らしいものがあります。
人それぞれ、向き不向きがあり、合う合わないがあって当然だと思うのです。
私の場合は、仏教よりも神道の方がしっくり合ってたと言うだけなのです。
只、何の信仰にしろ目的は同じで、神仏に教えを請い、間違ったことを改め、自分に正直に
人を困らせず、神仏の力を借りて、病気や悪霊、魔界を払い清め神仏に感謝して生きること。
そして、神仏に愛されるように努め、世間に必要とされるように生きるのが信仰する者の勤め
だと思うのです。
ただ、私としてはどうしても納得の出来ない宗派もあります。
宗教団体も信者が増えれば、色々と経費も掛かり台所事情も良く解るのですが・・・
この宗教に入らなければ、不幸になりますよとか、会費を納めないと神さまと縁が切れますよとか、
金儲け主義の宗派、祈祷師や占い師もそうですね、除霊をするとかでウン十万円も請求する人。
私は偽物だと断言します。
たとえ本物で凄い神通力があろうとも邪悪な心で接する人は本物だとは認めません。
そんな高いお金を無理して払わなくとも、本物は人助けのために(自分の修行のために)身を粉に
して働く人は沢山いますよ。・・・※私ではありませんけど(笑)
やっと自己紹介が終わりました・・・(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて本題です。
神とは何ぞや?・・・・・
神さまを一言で説明するのはとても難しいのですが・・・
日本の場合は、至る所に神様がいらっしゃいます。
火の神、水の神、土地の神、井戸の神、山の神、海の神、石や木等にも神様は宿っています。
勘違いするのは、神様と魂です。
人の魂や念は何でも宿ります。例えば精魂込めて描いた絵画や、美術工芸品にも念が宿るし
何かの物に魂を念じて入れようと思えば何にでも魂は宿るのです。
例えば以前、私が描いた神社の画を先生に見せて、先生この神社の中に神様を入れることは
出来ませんか?とお願いすると、先生は簡単に良しやってみようと、その画にお祈りをして
神社の中に神様を入れてもらいました。(私を守ってくれる私の神様です)
昔、画の好きな人が私の絵を何枚か見て、神社の画をみてこれは凄いと手かざしをして
何かビンビンと伝わってくると言いました。何も説明してないのに、その方は感じる方だった
のでしょうね。・・・・
又、昔お世話になった教会長先生のところに、相談に来た人が娘が体調が悪いとずっと寝込んで
います、ここへ連れてきて見て貰いたいのですけど、ベットから起き上がれないので、どうした
ら良いですか?・・の相談に先生は何か普段着ている服を持ってきて下さい、それで見ましょう。
翌日、お父さんは娘の普段着ているピンクのパジャマを持ってきました。
先生は、少し触れただけでこれは可哀想!未だ若いのに・・綺麗な子じゃないですか・・・
(父:ハイ来年成人式です)
先生:喉の手術をしていますね、癌が沢山転移していますね。可哀想だけど、ここまで酷いと
手の打ちようがありません。もう少し早ければ何とか出来たかも知れないけどね。
(父:やはりそうですか・・そうではないかと思ったけど何も言ってくれないと)
このように、解る人は見ただけ、触れただけで全て解るのです。
人は肉体が死んでも魂は残ります。(絶対的な裏付けもあります)
では魂は死なないのか?
(死にます。成仏します。人によって違いますが、何百年もかかる人もいれば数年で成仏する人も)
死後、魂は神となるのか?
(いいえ、神には中々なれません。現世でも、死後も沢山の修行をして、やっと1年生の神かな)
死んだら魂はどうなるのか?
「仏教の教えでは、49日の間は自由に何処でも行きたいところに行けます。でも7日に一度帰って
来て審議(裁判)を受けなければなりません(自分のして来たこと)それを7回で49日です。7回
の審議を受けた後、裁判の判決が出るのです。天国へ行く人、地獄に行く人、地縛霊となる人、浮遊霊
となる人に分けられるのです。天国は階級が4つ、地獄は階級が3つ有るそうです」
神道の死後の教えは仏教と少し違うのですが、仏教ほど階級は多くありません。死後誰かの守護霊と
なる魂があります。後は似たようなものです。
未だ書きたい事はいっぱいあるのですが、だらだらと長くなったので、今回はここまでにします。
次回続きを書く予定にします。
では又・・・・管理人。
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一万円札の肖像画にもなっていた聖徳太子。現在の50歳代以上の年代にとっては懐かしく
親しみのある顔ですよね〜・・・とにかく我々世代はとても偉い人としか習ってなかった。
小学校か中学で習ったのは、とても頭が良く10人の話を同時に聞いて全てを理解できたとか・・・
中国の文化や制度を学び冠位十二階や憲法17条を定めた人と伝えられていますけど・・・
世界中、何処もそうなのですが日本も劣らず、学校で習う歴史にはでたらめが多いですね。
勝てば官軍、負ければ賊軍、死人に口なし、歴史など勝った者が自由に変えられるのです。
何をした人かと一言で言えば「日本に仏教を広めた人」でしょうね。
もう少し率直に言えば「日本に仏教を広める為に利用された人」だと思います。
聖徳太子の右手側に居るのが弟の殖栗皇子(エグリノミコ:用明天皇第5皇子)で左手側にいるのが
聖徳太子の長男で山背大兄王(やましろのおおえのおう)(女の子が2人かと思ってました:笑)
この頃は聖徳太子とは云わす、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていたのです。
聖徳太子と云う立派な名前で呼ばれるようになったのは、死後129年も経ってからのことです。
厩戸(うまやど)とは馬小屋のことで、そこで生まれたから厩戸の皇子とからかわれていたのだと
思います。何故??
臨月の天皇の正室(皇后様)が、馬小屋で出産すると思いますか?用明天皇と后の間の子ではなく
出産したのは用明天皇お手つきの女官が出産したので側室とされたのですが、その子は
できが悪いと云うか、かなりの知恵遅れだったと想像できます。歴史とは全く真逆なのです。
歴史上の母親は欽明天皇の第三皇女だと伝えられていますが、疑わしく思います。
長くなるので、ここではその説明を省きます・・・・・・
天皇のルーツをたどれば、初代神武天皇になるのですが、神武天皇の先祖をたどれば
有名な神の名前がずらずらと出てきて、その上が天照大神になるので、天皇一族は
れっきとした神の血を引く一族なのです。(いや、そのはずだったのです)
初代神武天皇から31代目天皇が用明天皇で、その第2子が聖徳太子となるのですが・・・・
聖徳太子と呼ばれるようになったのは、死後129年も経ってからのことでそれまでは
厩戸皇子(うまやどのおうじ・うまやどのみこ)と呼ばれていたようです。
普通に考えて、天皇の子をそんな呼び方をしないでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この頃、日本では宗教戦争が起こっていました約80年ほど続く豪族対豪族の戦いです。
それが「神道派の物部氏VS仏教派の蘇我氏」の戦いなのです。
神道派の物部氏は、神話の時代から天皇に仕える、神道を司る由緒正しい家系。
仏教派の蘇我氏は大臣に並ぶ地位の大連(おおわらじ)として政治に携わる豪族。
仏教派は日本には神だけではなく、宗教は自由だ隣国中国から偉い仏教を呼び日本に広める
べきだ。神道には拝む対象の像がない!仏教には沢山の像があり、手を合わし拝む対象像がある。
確かに神道には、拝む対象物(像)がなく、鏡か紙を切った御幣、もしくは丸にチョン、御幣
鏡、太陽などが神のシンボルとされ拝まれています。
仏教には、数え切れないほどの沢山の像があるのですが、神道にはそのような物がないのです。
(神道では拝む像と云うものがないのです。)
それを不服とした仏教推進派の蘇我一族は、信仰は自由だ他国にも素晴らしい神は居る
日本にも入れるべきだと云う意見。
それに対し、神道派の物部一族(天皇を守る精鋭部隊を連れている)は、日本は神国だ
日本に他国の神を入れるのは、日本古来の神に失礼だ。絶対入れるべきではない。
と、云う意見がぶつかり、何十年も蘇我VS物部の戦いが続いていたのです。
つまり神道派と仏教派の戦いで沢山の犠牲者が出たのです。
その頃、ほうそう(天然痘)がはやり、沢山の病人や死者が出たのです。
当時の用明天皇も病にかかり、病床に伏せるようになったのです。
天然痘に悩む31代用明天皇。手に持っているのは鏡かな?
用明天皇はそのため在位2年たらずで崩御されたのです。
后の推古天皇の母親は蘇我稲目の娘。蘇我一族の圧力が掛かり始めて仏教を公認した天皇
なのです。
病になり秒床に伏した時、物部一族の筆頭頭(物部守屋)が用明天皇に向かって
そらみたことか!仏教を公認するから神の怒りでこのようになったのじゃ!
(と言ったかどうか知らないけど:笑)
神の怒りを静める為に、寺と寺院を焼き払っても宜しいか?
病に伏した用明天皇は、即座にオッケ−えぇよぉ〜とは云わなかったと思うけど・・(笑)
とにかく容認したのです。
天皇に公認してもらった守屋一族は、お寺と寺院を焼き払ったのです。
それを知った蘇我一族は神社を焼き払い、又蘇我一族対物部一族の戦いが再燃するのです。
そのうちに、用明天皇は崩御されたのです。
蘇我一族の筆頭(蘇我馬子)は、寺を焼き払っても天然痘は治らない。
日本に仏教を広めるべきだ。と、物部守屋の軍勢に対して沢山の兵士を動員し対決するも
物部一族は、普段から天皇を守る為に教育された傭兵部隊。戦慣れした手練れが沢山いる。
数で勝っても、兵力では圧倒的に物部一族の方が強かったのです。
そこで、馬子は息子の入鹿(いるか)と供託して天皇の子厩戸皇子(うまやどのおうじ)
を神輿に担ぐのです。
(※馬子の娘は厩戸皇子(後の聖徳太子)の乳母だったので、厩戸皇子を生涯、死後も
歴史に残る英雄にしてあげるからと説得したのです)
軽蔑されていた厩戸皇子は、蘇我入鹿の云われるままに仏教推進派の広告塔となったのです。
長年続いた物部VS蘇我の戦いは、天皇の子厩戸皇子を見方にすることによって蘇我一族の
圧倒的な有利になるのです。
物部一族は神話の時代から天皇に仕える、神道を司る由緒正しい家系。天皇家は天子さま
に当たるので、天子に向かって弓を引くことは絶対出来ません。
反撃できず防戦一方で、後退し物部守屋は討ち取られ、負けを認めるしかなかったのです。
厩戸皇子(後の聖徳太子)は大馬鹿者だとは思いませんか?
天皇の家系で、天皇になられるかも知れない人なのですよ。
現代(昭和天皇の頃)でいえば、厩戸皇子は秋篠宮さまの地位におられた方ですよ。
自分の先祖は神であると子供の頃から教育されているはず。
その先祖神をないがしろにして、仏教推進派の広告塔になり、自分の葬式も仏式で行ったのです。
救いようのない「あほ」だったのかも知れません。
もし秋篠宮さまが、ご先祖様は神様だけど葬儀は神式より仏式の方が良い。
私は葬儀は仏式で行うと言ったら、どのように思いますか?
聖徳太子はそれをやってのけた人なのですよね。
昔から天皇は先祖神の血縁を守る為に、皇室同士の結婚をするのがしきたりとなっていたのですが
血縁者同士の血が濃ゆくなると、偶に変なのが生まれたりするんですよね〜・・・
大正天皇もそうでしたよね。
今は学校で教えないでしょうけど、私達世代は学校で大正天皇のことを先生から習った
ことがあります。
少し知的障害が有り(少しではなく、かなり)詔勅を(しょうちょく:みことのり)
言い渡す時に字が読めなく、面倒くさくなって文書をクルクルと丸め、それで議員席の皆の顔を
覗いたと云われています。
小学生でもあり得ませんよね〜・・・・
大正天皇在位15年と短く崩御されたのですが、死因は心筋梗塞とされていますが
本当の病名は解りません。当時一切の民間報道は無く、女官達も皇室で見た些細な
ことでも、親兄弟にもいってはならないとされていたのです。
今上天皇の詔勅です。
天皇継承の晴れの舞台でそんなことをすれば、歴史に残りますよね〜・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天皇は、現人神である。天子様である。とされたのは昭和天皇までですね。
(※天子とは、天命を受けて天下を治める者の意)
昭和天皇は、これからは天皇は現人神でもなく、天子でもない、普通の人間ですと
言ったことがありましたね〜・・・・
それから後皇后には、一般人の美智子様が選ばれ、美智子皇后様が宮内庁のしきたり
を全て変えていったと言われています。
そして今上天皇の皇后にも、一般人の雅子様が皇后となられ、天子の血も徐々に
薄くなりはじめたのでしょうね。
良かったのか?悪かったのか?解りませんね〜・・・
神のみぞ知るのではと思います。
神に祝福され、愛されるような、頭の良いソロモン王のような皇太子が生まれる事を
期待しますけどね〜・・・・(笑)
ついでに、2024年から紙幣が変わります。
上記の写真を見て誰だか解りますか?
一万円札(福沢諭吉)→から(渋沢栄一)に
5千円札(樋口一葉)→から(津田梅子)に
千円札は(野口英世)→から(北里柴三郎)に
恥ずかしながら、私は誰一人知りませんでした。(笑)
名前は聞き覚えのある名前なのですが、顔までは全然知りませんでしたね。
決定は誰が決めるのだろう?最後の決定権は財務大臣(麻生太郎)のようですけど。
もっと知名度のある人の方が良いと思うけどな〜・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回はここまでにします。
では又・・・・管理人。
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この子が健康に健やかに成長しますようにと、その土地の氏神様にご挨拶に行くのが
日本の伝統行事のお宮参りです。
親の願いは皆、子供が病気をせずに健やかに育ちますようにと、願いを込めて神さまに報告に行く
のです。
その土地の氏神様(産土の神とも言う)は、喜んでその子の一生を担当して管理してくれるのです。
大人になって他の何処の土地にへ行こうとも、神さまはネットワークで繋がってるから、うちの
○○○○がそちらに行くから宜しく頼むと、お願いしてくれているのです。
一生死ぬまで、産土神は貴方を管理して見守ってくれるのです。(※とても有り難い貴方の神様です)
下の写真の絵は違いますよ(笑)
神様の声は聞こえても顔は見せません。私も色んな経験をしましたが神様の顔は未だ見たことないです。
そして生まれた子供の心にも神さまは宿ります。ほぼ全ての人間の体の中に神様は宿っています。
たとえ仏教徒でも、キリスト教でも、ヒンドゥー教でも同じです。自分の体の中に神が宿るのです。
日本の神様は沢山います。八百万の神と言うけど、八百万どころじゃないでしょうね〜・・・
出来ることなら、全ての神様に愛されたいのですがまず不可能です。
神様にも、好き嫌いがあるのです。
私は嫌いな神様はいないけど、とても身近で大好きな神様と、それほどでもない神さまもいます。
威厳がありすぎて、近寄りがたい神様もいらっしゃいます。
私を見守ってくれてる産土の神様は優しくて、とても器の大きな神様で、あまり私を叱りません。
助けてもらったことも何度もあります。でも、叱られたことはないです。
試練を与えられたことはありますけどね〜・・・
私は自分の神様とウケヒ(契約)をしています。
それは「世の中の道具となり、人を助け、必要とされるように努力する」というウケヒなのです。
少々馬鹿な事をしても・・世の中の道具となり、人を助け、必要とされるように努力しています。
これ悪いことですか?と開き直ると、それもそうじゃの〜と言ったか、どうか知らないけど(笑)
私が神様なら、叱りません。人としてのルールを守れよ!くらいは言うかも知れませんが・・・
そして自然を愛し、全てのものに感謝して楽しんでいると人生はバラ色に感じます。
生きていると云う実感が湧くのです。
バラの花一つにしても、絵の具や、写真では表せません。深紅の色、香り、立体感等・・・
自然の風に揺られ、香りを放つ生命力のある生き生きとした姿は絶対表現できないのです。
暑ければ暑いと冷房を付け、寒ければ暖房を付け、家の中に閉じこもって快適だぁ〜と、テレビゲーム
をしている子供達を見ると可哀想に見えます。(年寄りだな〜:笑)
テレビを見るほど馬鹿になるって聞いたことないですか?
統計なのですが、頭のいい人ほどテレビの視聴時間が短いそうですよ。
頭の悪い人ほど余計な情報で頭がいっぱいだとか・・この俳優のお父さんが誰々で、離婚して誰々と結婚
したけど、浮気して・・このお父さん嫌いだからこのドラマ見ないとか(関係ないじゃんと思うけどね)
私の知り合いの頭の良い人は、ラジオは聞くけどテレビはほとんど見ませんね。
テレビ見る時間がもったいないと・・・分かる気がします。
書きたいことはあるのですが、これ以上は話題がそれるので此処までにしますね。
・・・・・・・・・・・・・・・
神様は沢山います。気性の荒い神も、おとなしい神も、女性の神も、山の神、海の神、川の神、田の神、
先祖神、竜神等、七福神も皆、それぞれ性格が違います。
全ての神に好かれることは不可能かも知れませんが、要するに身近な神様(産土の神:氏神様)
に、可愛い奴だと好かれることが大事なのです。愛されるように努力することです。
神様に好かれる方法ですか?・・・・
簡単なことです。
貴方が神様の気持ちになれば直ぐ分かります。
貴方の近くの神社がその付近一体を任せられている国つ神(土地の神様)氏神様なのです。
氏神様は貴方の産土の神でなくとも、産土の神から貴方のことを頼まれているのです。
だから時々で良いから、ご挨拶に行くべきでしょうね。(貴方が氏神でも来てくれた方が嬉しいでしょう)
私は自分がが死んだら、私は神になると信じています。
偉い神様になるには、数十年か数百年掛かるかも知れませんが、神様になる予定です(笑)
そして誰かの守護霊となり、神となっても修行するでしょう。
でも多分、人の好き嫌いもあると思います。たとえ神でもそれぞれ個性はあるはずです。
私を頼って信心し、一生懸命尽くしてくれるのなら、可愛いやっちゃと思い、何とか力になってやろう
助けてやろうと思うでしょうね〜・・・そっぽ向かれたら?私もそっぽ向きますよ。
それが神様の気持ちだと思います。
※神様のルールは、天界の偉い神様(多分天照大神よりもっと偉い神)から中つ国(日本)を制定せよ!
と仰せつかり、日本の国を全て制定し一つにまとめたのが、神の血を引く初代神武天皇で以降、天皇は
現在まで126代目と継がれて来ているのですが、明治4年に明治天皇が氏神制度を作り、日本国を小さな
碁盤の目の様に区切り、各地区に神を配置し地区の氏神として守れと制定されているのです。
(そして氏神様が配置される前からその地区を守ってる神様を鎮守様と云います)
そして各県に地区の氏神様を管理、指導している県代表の神様を一宮又は二宮(いちのみや・にのみや)
神社と言います。そしてその各県代表の神の頂点に居る神が日本全土の総氏神様「伊勢神宮」に鎮座
されている天照大神なのです。
神様にお願いするには順序というルールがあります。
何でもかんでも一番偉い伊勢神宮へ行って天照大神さまにお願いするのは失礼に当たります。
まず、自宅に祀ってる神様に、そして氏神様に、それでも願いが叶わない時は一宮神社へと・・・
例えば、私は○○町の○○と言います、近くの氏神様に何度もお願いしてるのにちっとも働いてくれま
せん、何とか働いてくれるようにお願いできませんか?・・でも良いと思います。
伊勢神宮は基本的にお願いやおねだりをする所ではありません。
但し神宮内には14の別宮と摂社、末社を合わせれば125社あるので、そちらの神様なら願い事をしても
良いと思います。(※最初に感謝の言葉を忘れないように)
物事には順序があり、例えば家の前の排水溝が詰まり悪臭がする場合、まず地区長に、そして市町村に
それでも対応してくれない場合は、議員さんにお願いに行くと云うのが順序であって・・・
伊勢神宮へお願いしに行くのは、いきなり天皇陛下にお願いをしに行くようなものなのです。
もし貴方が神様で神社に鎮座しているとしたら、あまり知らない人が来て小銭を賽銭箱の入れて、
パチパチと手を叩いて、○○になれますように、宝くじが当たりますように、試験に合格しますように
とお願いされたらどう思いますか?
それで、願い事が叶わなかったら、ちっともお願いを聞いてくれない、どうせ私なんか嫌われて
いるんだろ〜と嘆かれたら、神様の貴方はどのように思いますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私達も、お得意様やお客様に電話するときは、○○です、まずご無沙汰していますお元気ですか?とか、
お世話になりますとか、まずご挨拶しますよね。
神社参りも同じです。まず神様の名前を言って(云わなくて良い場合もある)ご挨拶して、感謝の
気持ちを伝えて、自分の近況を報告してからお願いするのがエチケットなのです。
神様の気持ちになれば分かると思います。(まず感謝の言葉が大事なのです)
基本的に神様は声に出さなくとも、考えてる気持ちは伝わります。
神社の入り口には狛犬がいますよね。普通は右側が阿(あ)像で口を開けて、左側が吽(うん)像
で口を閉じています。阿吽の呼吸とも云いますよね。
狛犬、神社の阿像と吽像
阿吽とは何も言わなくとも分かっている。お前の考えはお見通しだよと云う意味なのです。
寺や仏閣の阿像と吽像で、神社以外では阿像が左で、吽像が右のようです。
邪気や魔界のものを追い払う役目もしているようです。
阿吽とはサンスクリット語なので仏教から伝わったようですが、神社の狛犬のルーツは
エジプトのスフィンクスなのですが、いつの頃か阿像と吽像に変わったようです。
書き出すと、話がドンドンそれて長くなるので、今日はこの辺にしますね(笑)
では又・・・・管理人。
貴方のワンクリックが私のブログを書く原動力になります。
毎日、今日は何人押してくれたのか楽しみに見ているのですよ。
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又その他国税では、固定資産税、都市計画税、自動車重量税、酒税、たばこ税、住民税、事業税、
法人税、地方税では、県の証紙や、バイク等の自動車税、自動車取得税、産廃税や、自動車リサ
イクル税等と、税金、税金とお金の要ることばっかりですね〜・・・
そもそも「税金とは何ぞや!」
それは国民の三大義務のひとつなのです。
「勤労」と「教育」と「納税」が国民の三大義務で、すべての国民は働く義務と、教育を受ける義務
と、税金を納める義務があるのです。(それが日本国で生活する国民のルールなのです)
では、お金を支払うと言う定義は?
全てのお金は物を買うための銀行券なのです。(※銀行券とは紙幣のみ)
だからお金を支払うと言う事は全て、何かを買っている。と、認識するべきなのです。
売買の定義において、買う方と売る方ではどちらが上座か?と云うと、買ってお金を支払う方が上座
となり、商品を渡しお金を戴く方が下座になります。(全ての売買において)
たしか以前書いたことがあります(http://komatsu-staff.jugem.jp/?eid=30)
お金を支払うと言うことは物的な「物」でなくとも、(罰金・反則金)=ルール違反をした罪をお金で買って、
罪を免除してもらったり、国へお金を支払って(罪を買って)軽減してもらったりしているのです。
(各種保険)=万一の時の保証を買っている。(教育費・相談料)=その知恵や方法を買っている。
(不動産仲介料)=売買取引の安心と取引後のトラブル防止と、専門的な知識を買っているのです。
では税金とは何を買っているのか?=税金は国税・地方税・間接税・所得税・法人税・事業税など、
いわば日本国で生活する為の会費みたいなものです。
日本国で生活するには定められた会費を払いなさいと云うルールなのです。会費(会員権)を買う
ことによって権利が生まれます。
義務教育が受けられ、外国からも軍事力で防衛された国内で悠々自適に安全な生活ができて、道路は
全て整備されて、信号があり、救急車やパトカーも直ぐ来るし、法に守られた生活ができるのです。
飲み水や食べ物も衛生的に管理され、外国からのウイルスも安全にシャットダウンされて、日本国と
云う組織に守られて安心した生活が出来るのです。
だから会費を払わないでいると、払って下さい。と追徴金が来るのです。
日本国も我々の会費で成り立っているのだから、会費(税)を払う時は、毎度ありがとうございますと
頭を下げるべきだと思いますけどね〜我々が上座だから。
不動産業者も、弁護士も、税理士、会計士も皆、お金をもらう時はありがとうございましたと言うのに
公務員は言いませんよね〜出納室で払って下さいと。
お金を支払ってもありがとうございましたとも言わないし、はいこれが領収です(ど〜も)位ですね。
(大体公務員は頭が高い!)
(税や罰金を支払ったらポイントが付けば良いのにね。笑)前回も書いたのですが、税金(会費)は
もっと所得に応じて区別化すれば良いと思うけどな〜・・・どう思いますか?
例えば市民税、県民税はあるが国民税はないので、国民税とかを作って優良所得者(A組年収5000万
以上:B組年収1億以上:C組年収10億以上:D組年収100億以上)とかクラス分けをしたら?
又、貯蓄10億円以上は名誉会員として登録し、貯蓄の20%を福祉と、健康スポーツ施設を造る。
その方達からは、名誉会員としてドカンと会費をもらう様にすれば、低所得者は随分と楽になるし
国を挙げてスポーツや健康福祉に力を入れれば、国民の病人が減り、医療費負担もぐっと下がるし、
良いと思いますけどね〜・・・
そして安楽死を認めること。只意味の無い延命治療は老人虐待ではないでしょうか?
病院施設が儲けるだけで、それで日本が世界一の長寿国だと言われて喜ぶのは疑問ですね。
税金は広く薄く平等にと云うけど、ちっとも平等じゃないと思いますけどね〜・・・
外国から見たら、日本人は働き過ぎと思うらしいです。物を持ちすぎて、その物欲の為に
セカセカと働いて・・・自由を犠牲にして年老いていく、それで幸せと思うのかな〜?・・・
思いつくままに、ダラダラと書いてみましたが、一国民の声が全国に届いて欲しいですね〜・・
では今回は此処までにします。(管理人)
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同じ意味で日本では28(にはち)の法則の方が有名ですけどね。
パレートの法則とは、組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人
が間引かれると、残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになるというものである。
例えば保険会社の契約は、20%の営業社員が全体の80%の契約を取り、残りの20%の契約を80%の
営業社員が取ると云うものである。
各業種でも例えば、飲食店、理美容店、電気屋、不動産屋、建築屋、食料品店、等々も・・・・
ほぼ全ての業界では、やって良かった。独立営業が当たって成功した。と云える人はどの業種でも
約20%位はいるが、後の80%は何とかやっている、勤めに行くよりましかな?位。もしくは失敗。
そろそろ辞めたいと思っている人も含めて80%位なのです。私もその80%の類いかな?(笑)
20%の成功者がいれば、自分も成功するだろうと始めるのが80%位居るのです。
その成功者の20%の内、誰かが辞めれば80%の中から誰かが仲間入りをするのです。
どの業種でも、どんな会社でも成績の良いのが20%位居て、そうでもないのが80%位居るのが人間の
集団生活の法則なのです。
これがパレートの法則というもので、2.8の法則とも言います。何故でしょう?
多分、人間は集団で生活する習性があるので、もっと、利益を上げようと頑張る人と、利益が上がると
もうこれくらいでいいや!と、思う人もいるのです。
ようするに、資本主義的な考え方の人もいれば、社会主義的な考え方の人もいるように、考え方が違う
人が沢山いるからかも知れませんね。
その証拠に世界中の大富豪の中に、社会主義の人は一人も居ないように思います。
何千年も昔から・・・・王様は宮殿に住み、金銀の財宝を宝箱に入れ、地下室に沢山の宝箱を保管し
美味しい物を何不自由なく食べ、美味い酒を飲み、高価な物を身に付け何不自由なく生活するのですが
国民は、少しのパンとスープを家族で分けて食べるのみ、生かされているだけの奴隷もいました。
まともな生活できるのは、王様に仕える戦士や、宮殿に仕える者、その他役人くらいでしょうかね〜
日本もありましたね、殿様は何不自由なく生活出来て、家臣の侍は働かずとも給金をもらえるのですが、
百姓は自分の作った米は年貢に治め、自分たちはアワやヒエを喰い、暖かい布団も無く、口減らしに
娘を売ったり、馬と交換する時代もあったのです。百姓一揆もありましたよね〜・・・
この時代は2・8の法則?いや1・9の法則が当てはまるかも知れませんね・・・
このパレートの法則(2・8の法則)は全世界のお金にも当てはまります。
例えば各国の流通しているお金。
国の80%のお金は20%の富豪が持ち、流通しているのは20%のお金のみなのです。80%は金庫で
眠っています。
(世界の億万長者ランキング)
41位になってやっと日本人ユニクロの柳井氏と43位の孫正義氏(ソフトバンク)の名前が出てきます。
なんでも世界の富豪26人で150兆円持ってるそうですよ(日本円で計算)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Q:日本で流通しているお札は全部でどれくらいありますか?
A:2019年(令和元年)の大晦日、一般家庭や企業、金融機関などで年越しした銀行券(お札)の
残高は、合計で112.7兆円(枚数では173.1億枚)でした。これを積み重ねると、約1,731km
(富士山の約458倍の高さ)に達します。また、横に並べた場合には、約269万km
(地球の約67周分、月までの距離の約7倍に相当)となります。
そして日本は外貨を1兆2918万ドル持っているのです。円に直すと142兆980億円あるのです。
(日本円より外貨の方が多いです:日本円の1.26倍)合計254兆7980億円あります。
つまり1万円札を積み上げると富士山の高さの577倍の高さになるんです。(銀行預金のみで)
凄いですね〜・・・そんなお金、想像できますか?
現在銀行で眠って、流通してないお金が254.798兆円ですよ。タンス預金や、隠している大金を合わすと
幾らくらいになるでしょうね〜未だ未だ増えますよ。
現在日本の人口は、1億2千6百18万643人。 ※2019(令和元)年5月1日資料です。
(今日おぎゃーと生まれた子から、死にかかりのお爺、お婆も含めてです)
この内の20%の国民がこの80%のお金を持っているのです。
20%しか流通してないお金を、80%の国民がしのぎ合って生活しているのです。
多分銀行で眠っているお金が254.798兆円なら、流通しているお金が20%とすると50.96兆円くらいです。
お金は体を巡る血液みたいなものです。現在の日本人は貧血気味になっている人が多いのでは?
私が言いたいのは・・・・
政府は、全ての国民に薄く、広く、平等に税金を、と云ってますが・・・平等でしょうか?疑問です。
豪邸に住み高級外車を何台も現金で買える人と、中古車にローンを組んでやっと買える人と同じ消費税ですか?
皆平等にと云うのなら、所得や資産に応じて平等に公平に、差別ではなく区別をしてもいいから、収入
や資産に応じて保険料、重量税、教育費、医療費等も、平等にしたら良いのにと思いますけどね〜。
日本の血液の80%はどこかにたまって、腐ろうとしているのですよ。
そのお金の半分を使えば、医療費、教育費、健康スポーツクラブ、低所得者の為の綺麗なマンションも全て
無料にすれば、共稼ぎをしなくとも良いし、自由な時間が増え、老人も安心して余生を楽しく過ごせるのに。
無理でしょうね〜(笑)
でも消費税は20%でも良いと思うのです。デンマークのように国が、全ての国民の老後まで保障してくれるなら。
医療、介護、墓地、等、安心して歳をとれるのなら。現在は死んでも入る墓地もない人は沢山いるのです。
福祉国家として有名な北欧の国、デンマーク。消費税率25%、国民負担率約70%(日本は約40%)
と、かなりの高納税国である。
その一方で、医療費無料、出産費無料、教育費無料、充実した高齢者サービスなど、社会福祉がとても
充実している。まさに、「ゆりかごから墓地まで」国が面倒を見てくれるのだ。
思えば、僕たち日本人は「この試験に受からなかったらどうしよう」「あの会社に入れなかったら、
入ってもクビになったらどうしよう」「将来のために貯金をしておこう」と考える時間は少なくない
だろう。その点、デンマークではそんな心配はほとんどいらない。今日は明日のためではなく、今日の
ためにある国なのだ。(ネットより転載)
私の尊敬する元ウルグアイの大統領、世界一貧しい大統領と云われたムヒカ前大統領です。
私達は発展する為でなく幸せになる為地球にやってきた。
人生は短いしすぐ目の前を過ぎる。
命よりも高価なものは存在しない。
発展は人類の本当の幸福を目指さなければならない。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限の物を持つこと!
政治家が求めるべきは、お金ではなく名誉。人々に愛されること。
貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。(ムヒカ大統領)
・・・・・・・・・・・・・
お金はいっぱいあるのに心が貧乏な人も沢山いますね〜・・・可哀想にさえ思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
( 消費主義に支配されるな)
現代の消費主義に支配されてはいけません。でもこれは、言うのは簡単です。消費主義は、蜘蛛の
巣に引っかかるようなものです。
企業はこれを買え、あれを買えとあなたにお金を使うように仕向けてきます。
それに甘んじてモノを買い続ければ、あなたはもっとお金を稼ぐために、もっと長い時間を、お金を
稼ぐために費やすことになるでしょう。そうなると、あなたの自由な時間はどんどん減ってしまいます。
本当に必要なものだけを買うようにしてください。そうすれば、あなたの自由な時間はもっと増えます。
貧乏とは、多くのものを必要だと思ってしまう心のことです。
無限にモノをほしがってしまう欲こそが「貧しい」ということなのです。
(私、本当にその通りだと思います)
ムヒカ大統領は、心にしみる沢山の良い言葉を残しています。
現在の世知辛い世の中で生きている日本人の、忘れている本当の幸せの意味を教える言葉なのです。
勝ち負けを競う競争社会の日本ではなく、本当の幸せは何かと言う教育もあっても良いんじゃないかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パレートの法則? 2.8の法則? 私には全く関係ないですね〜・・・
前回も云ったのですが、百人百様・千差万別それぞれの考えがあり、私の考えが間違っているのかも
知れません。
でもこんな私のように考える国民が居ることも事実なのです。
私は、人生を楽しむ為に生まれて来たと思っています。
幸せとは楽しいことなのですか?・・・確かにそうかも知れません。でも・・
では幸せとは、何ですか?・・・それこそ千差万別で、人それぞれ幸せが違うと思います。
でも不幸せの定義は世界共通ではないでしょうか?・・・地球の全人類に共通した不幸せがあるのです。
それは・・・「自分が人に必要とされないこと」だと思うのです。
家族や、友人、仲間、恋人、会社で、学校で、近所で、社会に・・・必要とされなくなったら?
悲しくないですか?寂しくないですか?嫌われても幸せですか?妬まれても幸せですか?
人の善悪を計るとき、それが神様の物差しでもあり、閻魔大王の物差しでもあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
年取ると、自分より先に死んでゆく親友や親戚、家族、仲間や、芸能人達もそうです。
自分の人生に満足して死ねる人は、ほんの一握りのように思います。
亡くなった後いつも思うのは、この人の人生幸せだったのだろうか?悔いは無かったのだろうか?
思い残すことは無かったのかな?楽しい人生だったのかな?などと思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・
私はいつ死んでも後悔をしない人生だったと思って死ねます。確かに失敗は沢山してますし、後悔
がないと言えば嘘になるかも知れませんが、失敗して良かったと思っています。
色んな喜怒哀楽を楽しみましたので、我が人生に後悔はなしです。
失敗して悔しい想いもあります、でも寂しくはなかった。辛いときに、励ましてくれたり、叱って
くれる仲間や友人がいたからこそ、友人や家族の本当の有り難さが分かるのです。
私の子供の頃から今までの人生を振り返って思い出してみると、随分と悪さもしたし、罰当たりの
こともしました。
でも私が神様で、私の人生を上からずーっと観察していたなら「合格!」と云いますね(^_^)
神様は人を計る物差しが違うのです。
パレートの法則から、話がだいぶそれましたが、今日はこの辺で終わりますね。
私の悪い癖で、書き出したら止まらないんですよ(笑)
では又・・・・・管理人。
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なのですが・・・・・
宇宙に法則があるように、生物を含む世の中全ての物にも法則があるようです。
勿論、人間の運命にも法則があるのです。
サイコロを振ったように突如不幸になったり、幸福になったりと不確定な要素はないのです。
生まれた瞬間に、その星の下に生まれた性格と運命を持ち、大方の人はその法則に従って動いているのです。
手相や、人相、姓名判断、占星術、四柱推命等々、易も案外当たるものです。全く当たらなければ
人も集まらないし、商売にはなりませんよね。当たるから口コミで人が集まって来るのです。
皆、その自分の法則を知りたくて占いに行くのでしょうね。
実は私も、自分の運命を知りたくて見てもらいに行くこともあります。神社のおみくじもそうですよね(笑)
このニコラ・テスラはエジソンも一目置いた天才発明家で、アインシュタインと違い神秘家であった
そうです。ニコラが導き出した宇宙の秘密と3.6.9の法則は有名です。
ここですべてを説明するには、長くなるので省きますが↓を見てください。
「あなたが3.6.9という数字の素晴らしさを知れば宇宙への鍵を手にすることになる」
https://yoshi-mu.com/369-tesla/
369の法則と、9は3と6を支配している。
宇宙の法則の数字「3.6.9」は素晴らしく、テスラは初めてビルに入るときは周りを3周回ってから
入るとか・・・私はそこまでしませんが、数字を選ぶときは3で割れる数字を選ぶようにしています。
ロッカーの番号を選ぶとか、数字を選んだりする場合は3で割れる数字を選びます。
たまたま3で割れる数字を戴いたときはラッキー番号だ!と喜びます。
別にラッキー番号を選んだからと云って、特に良くなったことは無いのですが・・・(笑)
私の1つのこだわりです。そのこだわりが、いつか役に立つときがあると信じています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不思議なことに、多角形の内角の和の合計は9となるのです。
このように、多角形の内角度の和は全て9となるのです。(赤数字)
そして天才ニコラ・テスラは宇宙の生命の法則を発見したのです。凄いですね〜
https://threefrog.com/tesla-number-369/
『9』という数字に1〜8の、どの数字を足しても、1ケタになるまで計算すると
『9』に足した数になると・・・
それはつまり、『9』とは【無】でもある。というコトになり、また、1〜8を
つかさどる【全て】でもあるのです。
釈迦は科学者では無いですが、物の本性は空、無であるが、それがそのままこの世の
宇宙一切すべてであると、云っています。
仏教の色即是空、空即是色と云うのもこういうことでは無いでしょうか?
私には未だ良く解りませんが、宇宙に法則があり、その数字にも法則があるのであれば
その法則を、活用しないという選択肢はないので、ちゃっかりと利用させてもらっています。
私は数字を選ぶ時は、3で割れる数字を、1つなら、9を選びます。
宇宙の法則=幸せの法則なら、それを学ぶべきではないでしょうか?
(be do Haveは宇宙の法則)
全ては法則を知って、そのルールを守り行動をして、幸せと云う結果になれるのです。
例えばBe(生きるあり方)→ Do(行動)→ Have→(結果)のように・・・
ルールを守り(Be:あり方)楽しく行動すれば(Do:行動)幸せと云う結果になる( Have:結果)
この3っの言葉が宇宙の法則とすれば、それを活用した方が賢い生き方でしょうね。
何でもルールを守り、楽しく行動すれば、幸せを感じる結果→I am happyとなるのです。
でも、多くの人はその逆でHave Do Be となっているのでは無いでしょうかね〜?・・・
例えば・・・・
結婚すれば(Have:結果)→愛のある安定した生活が出来て(Do:行動)→幸せになれる(Be:あり方)
宝くじが当たれば(Have:結果)→好きな物が沢山買えて(Do:行動)→幸せになれる(Be:あり方)
のように○○さえあればと言うHave(結果目的)を優先する考え方が不満や苦しみを生み出しているのです。
いつもI am happyと幸せを感じて生きている人って側にいても気持ち良いけど、いつもUnhappy不幸を
感じていて、愚痴や不平不満ばかり云う人って側にいてほしくないですよね。(負のオーラを出すから)
有名な成功者の名前を思い出して下さい皆、Be Do Have なのです。(あり方→行動→結果)なのでは?
私は働きます(何のために?)報酬を得て家族を養って生活するために、でもお金のためには働きません
プライドがあるから、お金は楽しく生活するために欲しいですがお金の主人は私なのです。
主人は決してお金ではないと思っています。
「金を使っても金に使われるな!酒を飲んでも酒に飲まれるな」が私のモットーの一つなのです。
モットーは後3つあります。「失敗を恐れずチャレンジすること」「ピンチは自分を大きくするチャンス」
そして最後は、一番大事にしている「神さまと契りをした、人に必要とされること」なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年から私のブログは自分の感じたことや、考え方を多く書くようにします。
〜へ行った時に○○を食べたとか、〜へ行った時に○○ホテルに泊まってバイキングが美味しかったとか
そんなことを書いてもつまらないし、書いてる本人もつまらないのです。
決して自分の考え方が正しいとは思っていませんよ。正しいかどうかは神さまでも賛否両論だと思います。
一つの個性だと思っています。全ての人が私のような考えだったらつまらないし、色んな考え方があって
世の中楽しいのです。百人百様、千差万別、色々な考え方や、見方があるから世の中面白いのです。
意見があったらどんどん言って下さい、コメントとても楽しく読ませて頂いてます。(返事も書きます)
ブログランキングを気にして、上げようとすると、良い物が書けないので気にしないことにします。
コマツ住宅の社長ってこんな人なんだ・・・・面白い!と思って頂ければそれでいいのです。
皆がそれぞれ、自分の個性を堂々と表に出したら良いのにと思います。
政治もそうですよね、自民党だけではダメなのです。色んな違う考えがあって、それが正しいと思うなら
色んな政党が生まれて当然なのです。
私は自民党派なのですが、選挙の時はわざと別の党の人を選びます。
当然自民党に勝って欲しいのですが、自民党が大差の圧勝ではダメなのです。
もっと野党にも頑張って貰って、自民党を揺るがすような人物が出てこないかと期待しているのですがね〜
たまには野党も応援してあげましょう。(ガンバレ〜と)
今日はここまでにします。
では又・・・・管理人。
]]>
何故なら、我々人間界には法が有り、法を守らなければならないと言うルールと罰則が有るのですが・・
神界や霊界や幽界や天界には法も、秩序も、ルールも何も、罰則も無いからだと思うのです。
長年神さま一筋に信心してきた神道派の私が言うのは、罰当たりかも知れませんが・・・
神さま達のルールなんて、いい加減なものです。
例えば、人間界では殺人はもっとも罪の重たい重罪なのですが、神界では罪の無い子供や善人を殺しても
罪にはならないのです。
何故なら、人間以外の生物には法というルールが無く全ての動物、魚、鳥類も強者が弱者を生きる為に殺して食う。
人間も家畜を殺して食う。家畜の卵も食うではありませんか。
神さまはそれを良しと、しているのです。
動物は弱い物を殺して食う為の牙とか爪等を持っているのですが、人間は武器を作って持っているから
地球上で一番強い。
そして神さまもそれぞれ武器を持っているのです。
日本には沢山の神さまがいます。神さまもそれぞれ性格や考え方も違うように思います。
私にもとても相性の良い神様と、そうでもない神様がいます。
我々人間も、正しいことをしていると思っていても、それが気に入らない人も沢山いますよね。
本当に善と悪の区別が難しいのです。神さまも同じじゃないでしょうかね〜?・・・
例えば、神さまのノアの箱船事件。(事件でしょう?)
神さまが、乱れきった人間社会に嫌気をさしてノアの家族と動物を一つがいずつ箱船に乗せて人間を
一掃する事件でしたね。
確かに乱れきった人間達、悪い心を持った人間も沢山いたのかも知れません。
でも、それ以上に罪の無い子や、良い心を持った親思いの子や、愛情と幸せにに満ちあふれた家族も
いたと思うのです。
神さまはそれらを皆、殺してしまったのです。地球上の全ての人間と動物を・・・
核兵器どころの騒ぎじゃ〜無いですよね、地球上全てだから・・・
それしか方法は無かったのでしょうか?
神さまの取った決断は、善なのでしょうか?悪なのでしょうか?
「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」という言葉もあります。
勝てば官軍、負ければ賊軍と言う言葉もあり、強い方が正義となるのです。
今回のアメリカとイランのもめ事も、力の強い方が正義となり、負けた方が悪者となるでしょうね。
神さまのすることは何でも善で、すべて正義なのです。(強いから)
もし、神様と魔王が対決して魔王が勝ったなら、魔王が正義で神が悪になるかも知れませんね。
私は神社ではいつも最後に、かんながら〜かんながら〜と唱えるのですが・・・
神ながらの意味は、簡単に説明すると人間は神さまから魂を戴いて神に生かされている。
だから私をいつでも神さまの意のままにして下さい。私の命はいつでも捧げますと言う意味です。
神道の教えは、肉体は両親から戴き、魂は神様から戴いている。生ある限りこの肉体と魂を使い
思う存分自然を感じ、楽しみ、勉強して、人を助け、妬まれぬように、寿命を全うするまで、
人に必要とされるように、人生を勉強しながら楽しく生きよと教えられているのです。
そして死後は、神界に登り自分の得た体験と、知識と、経験を生かし、神となるのです。
落第しなければ・・・・・(笑)
以前書いたブログなのですがhttp://kimama.komatsu-j.info/?eid=404「世界一偉い神様は」
神さまも敵を殺す武器を持ち、弘法大さえも武器を持ち座っている。
弘法大師のどの画像を見ても右手に五鈷杵(ごこしょ)と云う武器を持っています。
五鈷杵には色んな形があるのですが、全て鋭い刃で出来ており魔を祓い身守る為の武器なのです。
五鈷杵はサンスクリット語で(ヴァジェラ)と呼び古代インドの神様達が持つ武器には間違いないようです。
凶暴な魔神と戦う際に使ったと言われる武器なのですが、どのように使うのかは密教の秘技とされ
明らかにされていません。(色々な説がありますがどれも信憑性がありません)
ルーツはインド神話のインドラ(帝釈天)の持つ武器で、ネパールの中央通りにも置かれている。
(インド神話)
インドラ(帝釈天)は、ヴリトラ(蛇の形をした悪魔の首領)を倒すため、ブラフマー(梵天)
に相談した。ブラフマー(梵天)は、「ダディーチャという偉大な聖仙に骨を下さいと頼めば、
彼(ダディーチャ)は身を捨てて、自分の骨をくれるから、その骨でヴァジュラ(金剛杵)を
造れ。速やかに実行せよ。」と述べた。インドラは、ダディーチャの隠棲処でそのように頼んだ
ところ、太陽のごとく輝くダディーチャは、「分かりました。お役に立ちましょう。身を捨てます。」
と述べて息をひきとった。インドラたち神々はダディーチャの骨を取り出し、トゥヴァシュトリ
(工巧神)を呼んで目的を告げた。トゥヴァシュトリ(工巧神)は一心不乱に仕事に励みヴァジュラ
(金剛杵)を造り上げた。
インドラはそのヴァジュラ(金剛杵)をつかんでヴリトラ(蛇の形をした悪魔の首領)を粉砕した。
・・・・・・・・・・・・・・・
五鈷杵(ごこしょ)を持つインドラ(帝釈天)
朝ドラのスカーレットに出てくる「深先生」の生き方好きですね〜・・・
何でも、ええよぉ〜に癒やされる。(笑)
では又・・・・管理人。
]]>2020年は、令和になって初めての正月、そして子年は12支の一番最初から始まる年なので、
私も心機一転して、真面目にブログを書くことにします。(笑)
ブログ書き始めてもうすぐ10年になります。そして、今回が317回目となります。
2ヶ月半も更新してなかったのですが、それでも毎日400〜500人の方が見てくれて感謝して
おります。<(_ _)> 読者から、更新は未だですか? 何処か悪いのですか?とメールや
電話を戴いていたのですが、多忙の性と、書く気力が無くなってしばらく休んでいました。
過去のブログを読み返し、つまらないブログだな〜と、反省していました。
病気とか、辞めるとかでは無く、書くことは沢山あるのですが、現在ホームページもリニューアル
する予定ですので、HPはしばらくお待ち下さい。
初心に返り、不思議な出来事や私の感じたことを、そのまま情報発信して、こんな見方や考え方も
あるのだな〜と変なジジイのブログを楽しんで戴けたら幸いです。
文章には私の性格や考え方、生き方が書き込まれますので、私の人と成を感じて頂ければ幸いです。
これから周一回くらいの予定で更新しますね。
新年の前置きはこのくらいにして・・・・
昨年は色々と事件や、災害がありましたね〜・・・・昨年も言ったのですが・・
亥年は、12年に1回必ず来るのですが、亥年は大災害や、大きな事件が必ず起こります。
ちなみに昨年の2019年は・・・
1月3日の震度6弱の熊本地震
2月26日の震度6弱の北海道地震
5月10日のマグニチュード6.3の日向灘地震
5月25日のマグニチュード6.3の千葉県南部地震
6月18日のマグニチュード6.7の山形県沖の地震
8月4日のマグニチュード6.4の福島県沖の地震
8月26日〜28日に降った台風15号による九州豪雨(レベル5は佐賀県・福岡県・長崎県)
9月5日〜9日頃の台風15号による静岡、千葉の最大瞬間風速57.5mにより934,900戸の停電と断水
10月29日台風19号による死者99名も出した伊豆、箱根地方の異例の災害、そして千曲川、阿武隅川
の氾濫による重大な被害は記憶に新しいところです。
10月31日の沖縄の首里城が焼失
海外では、パリのノートルダム大聖堂の大火災もありましたね。
その他世界中の統計を調べても、亥年は自然災害の多い年になっています。
簡単に過去の亥年災害をピックアップしてみると・・・
このように、統計を調べてみると亥年の大災害は宇宙の運命なのかも知れませんね〜
と言うことは、これから11年間は大災害が無いのかも、そして忘れた頃に災害はやって来るのです。
子年は、新たに始まりの年。
年始に計画を立て、心身共にリフレッシュして前向きに一歩ずつ前進しましょう。
跳躍の年なのです。
私も相変わらず、除夜の鐘が鳴る頃氏神社に行き新年のご挨拶をして、元旦から氏神様、鎮守様
本宮神社、大国様、高知県の総氏神様と、ご挨拶参りをしてきました。
今年から私のブログは、あまり私的な事は書かず神様事を感じるままに、そし神様を通じ感じ
悟った事を気ままに書いていこうかと思います。
1月3日に徳島の藍住町に行ってきました。
娘夫婦が家を買いたいので見てほしいと連絡があり、行ってきました。
近くに墓地も見えるので、近くに悪い気や霊道が通って無いのか見てほしいと頼まれ、
行ってきたのですがそのような物はなく、方角的にも問題なく日当たりも良く、周囲の
環境や空気もよく何の問題もありませんでした。
近くには住吉神社があり、初めて行ったのですが、住吉さんだけあって素晴らしい神社でした。
狛犬さんにとても強い印象が残っています。何か話しかけてくるような・・・
そして感動したのが、このご神木です。
凄く強い神気がビンビンと伝わり、沢山の神様が感じ取れます。
買おうとしている家から近くにある神社なのですが、私もこの場所が気に入りました。
不思議な事に、神さまに縁のある人は不思議に何処に行っても近くに神社があるのです。
私も生まれた時から神社の近くで、今まで何処に引っ越ししても近くに神様が居ます。
娘もそのような運命のようですね〜・・・つくづくそう感じました。
元日は子供達が我が家に集まり、毎年私が料理を作るのが日課となっています。
来年の元旦は、伊勢参りをして伊勢神宮の鳥居から日の出を見る予定なのですが・・
「予定は未定であって、決定ではない!」何処かで聞いたことがあるような〜・・
料理は元プロなのですが、身内だけなのでたいした料理は作りませんが、皆、美味しいと
沢山の料理をペロリと食べてくれました。
今年は土佐の皿鉢料理を数枚作ったのですが、一枚だけアップしますね。
鯛の姿造りです。もっと立体的な活け作りにする予定でしたが、面倒くさくなって姿造りになりました。
その他、にぎり寿司の盛り合わせ、魚介類と揚げ物の盛り合わせ等々、六枚ほど作りました。
こんなことする不動産屋はいないだろうな〜・・・(笑)
では今回はこの辺で・・・・
では又来週・・・・多分(笑)
管理人
車で約1時間ちょっとくらいだったかな・・・
移動中に話すことは、神様のことばかり・・・三人でどうだった?どんなことを感じた?
何かを感じたか?感激したことは?等といつも話しながら移動するのですが・・・
私の感じたことは、天気が良く気分が良かった、守護霊が喜んでいた、狛犬さんも歓迎してくれた。
神様の神気のシャワーを浴びたみたいで心地よい。お寺に無い神社特有の空気だね〜。
私たち家族は神社派で、寺院や仏閣は数年に1回行くかな〜?・・・
お寺や寺院は何故か空気が重たく感じるのです。沢山の人がお経を唱えて成仏させているのでしょう
けど、人間の妬みや苦悩、不満、悩み、恨み等が渦巻き、餓鬼、疫病神、貧乏神がたむろしている
ようで怖いのです。
優しい母親や、おばあちゃんのような、包み込んでくれるような優しい愛は感じるのですが・・・
静かなフワッとした空気を感じます。賑やかに騒ぐのは御法度で、お坊さんも酒や肴は御法度です。
座禅の修行時も目を閉じ、心静かに座禅を組み、余計なことを考えたり姿勢が崩れると警策(けいさく)
と呼ばれる棒で肩を後ろからピシッとたたかれます。
その点、神社(神様)は父のような凜とした空気(神気)があるのですが・・・
お祭りとなれば神様は賑やかなことが大好き、笛を吹き、太鼓を叩き、御神輿を大声でワッショイ、
ワッショイと男衆がフンドシ姿で担ぎ、酒を飲み水をかぶり笑顔で楽しく賑やかに盛り上げます。
花火を揚げ、神社の境内には土俵があり相撲を取り、食べて飲んで歌えの大はしゃぎをして神様に
も楽しく喜んでもらいます。
それが神際と呼ばれるもので、普段の厳かな凜とした空気とギャップがあるのが楽しいですね。
人間もギャップのある人の方が楽しいと思いますね。
いつもムスッと苦虫を噛みつぶしたような顔でいるよりも、テレビのチャンネルを切り替える
ように、酒を飲んで楽しく騒ぎ歌う時や、身を乗り出してスポーツ観戦したり、歯を食いしばって
筋トレしたり、座禅を組んだり、笑い転げたり、テレビで涙したり、海辺で寝転がって波の音を
聞きながら雲の流れをじっと観察したり、潮の匂い、川の匂い、花の匂い、木の匂い、土の匂い
嗅覚、視覚、触覚、聴覚、味覚の五感を楽しんでこそ健康に生きていると言う実感が湧くのです。
その五感を楽しんでいると、それらを超越した感に出会えます。それが第六感なのです。
そして、信じてもらえないかも知れませんが、私たち家族は神の声を聞いたことがあります。
それもしょっちゅうです。(私の場合はたまにですが、家内や長女は良く聞こえるみたい)
神社では神の声がこっちじゃ、こっちじゃと・・・・
そちらの方角に行くと摂社や末社があるときも、神様がよう来たの!
○○様ご無沙汰です。私に何か伝えることがあるのでしょうか?・・・・・無言
只それだけ??の時も・・・
私が神様に言われたことは「時空を超えよ」と何度か言われました。(市杵島姫さまに)
が、・・・未だに時空を超えることが出来ません。(^^ゞ
家内が車の中で今日神様の声を聞いた!と言う。
何を聞いた?と聞くと・・・・
「神と一体になれ!」と言われたそうです。私に神になれと言うこと?(笑)
すごいこと言われたな〜そんなことできるんか?できんやろ?と言うと・・・
でもほんとに言われたもん。・・・神と一体なんて無理よね〜。
そんな神様の話で盛り上がり、1時間過ぎくらいで那智の大滝についた。
飛瀧(ひろう)神社というんですね。駐車場付近から滝のドドーンというしぶきの音が聞こえる。
此処も何度目かな〜 何度来ても瀧のすごい音でワクワクする。
何百年という年月で石段さえも割砕き生えてくる生命力の強さ、これもご神木なのでしょうね
迫力ある〜しばらくいると、水しぶきで体がびしょびしょになりそう(笑)
左側の白いシートは社務所の工事です。四六時中水しぶきを浴びるから湿気も凄いでしょうね〜
滝をしばらく凝視していると、滝の中に色々なものが見えてくるのです。
先日の大雨が降ったせいで、今日は水量も多いです。
神様や神殿は写さないようにしているので、此処ではあまり写真を撮っていません。
家内の前世は此処で修行したみたいです。此処に家内がおばばと呼ぶ前世で世話になった偉い
ばあさんが(失礼)いるそうで、今でも時々時空を超えて家内に伝えに来るそうです。
そして、私が今一度会いたかったのは、このお堂の中にいる役行者(えんのぎょうじゃ)さま
前々回来たときに、話しかけられて耳を疑ったのですが、もう一度しっかり話を聞きたいと来た
のですが、工事中で進入禁止になっていました。(残念)
入り口は立ち入り禁止の札が・・・せっかくここまで来たのに入場料取るなよと言いたい(笑)
あぁ〜残念!この役行者に会いたかったなー・・・・もう一度話を聞きたかった。
今回は呼ばれたわけでもなく、私が一方的に会いたいと思って来たから仕方無いか・・
又いつか会えるでしょう・・・
此処を後にして・・・今日はもうホテルに直行します。疲れた・・・・
泊まったホテルは浦島ホテル。
このホテルは2度目ですが、温泉と夕食のバイキングが気に入ってます。
前回泊まった時の写真ですが、島全体が浦島ホテルで、長いエスカレーターで頂上まで行けます。
頂上に浦島稲荷があって、前回もこのお稲荷さんにご挨拶をして、今回も此処のお稲荷さんに
ご挨拶と、健康で又来られますようにとお願いする。
家内が此処でおみくじを引くと、なんと又そのおみくじには「神と一体になれ」と書いているじゃ
ありませんか・・・不思議な事もあるのですね〜
現在改装中で、温泉も三っしかありませんが、前回は確か八つあったと思います。
海岸沿いの波しぶきを味わえる温泉で、今回は朝の日の出を見ながら入れたのでとても良かったです。
カメラを持ってなかったので、ネットより拝借です。
この温泉は最高!とても気持ちよく入れました。
朝風呂に入ったとき運よく日の出を見ることができました。実際はもっときれいだった。
バイキングはマグロの解体コーナーもあって、新鮮な大トロもたらふく食べました。(笑)
バイキングはいかんなー必要以上に食べるから・・・・
私の大好きなウナギ蒲焼きもたらふく食べましたね〜(笑)
気持ち悪いほど食べて、飲んで、温泉に入り余は満足という気分で熟睡する。
明日は大阪の石切神社へ向かいます。
今日はこの辺で終わりにします。では又・・・・・管理人。
]]>熊野本宮大社に到着です。多分2時位だったと思います。
此処への参拝は3度目ですが、家内が神様に呼ばれているから、熊野本宮へどうしても行きたい。
と言っていたのが春だったのですが、9月になってやっと来ました。
よ!久しぶり。と声をかけたくなるような懐かしさです。
こちらの阿像も、天気も晴れて気分良さそう。久しぶりとポンポンと体をたたき、ウインクして
俺を覚えて居るか?と聞くと、相変わらずシブイ奴だな〜・・とは言わなかった(笑)
ありゃ? 八咫烏が緑になっとる。前は黒だったのに何故かな〜?気分転換か?血迷ったか?
本宮の八咫烏のモチーフ。3本足は伝説の神の使いで、Jリーグのエンブレムにもなっている。
天皇家の16菊紋の「のれん?ではなく(笑)御幕(おんまく)と言います」が立派ですね〜・・・
※○○宮と「宮」の名が付くのは、天皇系(皇室)の先祖神を祀っているか、どうかなのです。
ここから先の撮影は遠慮しておきます。神様に失礼になりますので・・・
何故かとても気分が良い。気分が良いと感じたときは神様が歓迎してくれているのです。
来て良かった!ほっとする空間で参拝する間、何もかも全てが気持ち良い。
きっと私の守護霊も喜んでくれているのでしょう。
ルンルン気分で大斎原(おおゆのはら)の大鳥居へ徒歩で行く。
全ての参拝が終わり、駐車場から徒歩10分くらいの所に日本一の大鳥居があります。
遠くからでも聖地の入り口がすぐ分かり、大鳥居が両手を広げて結界を張っているみたいです。
熊野はよみがえりの聖地(再生)と言われます。(命や魂をクリーニングやリセットをする)
私は神社で参拝する度に魂のクリーニングや、再起動をしているような気がします。
高さ34m幅42mは日本一の高さを誇ります。ビルの高さで言えば10階建てくらいですね〜・・・・
遠くからだと、あまり高さが分かりませんが、真下に来て見上げると迫力ありますね〜・・・
この場所は、かつての本宮のあった場所で、明治22年の大水害で被害を受け現在の場所に遷座した
のだそうです。
奥に続く参道も神聖で凜とした空気がこの付近一帯にあり、大鳥居からこちらが神の結界を感じさせ
られます。
広々とした聖地に凜とした空気が、かつての本殿の神聖な空気を漂わせています。
(ネットより)毎年9月か10月頃、行われる八咫の火祭りです。
一般の人も申し込みにより、この行列に参加できるそうですよ。https://yatanohimatsuri.site/
次は・・・飛龍神社と那智の大滝に向かいます。
続きは次回にしますね。・・・では管理人。
]]>
帰ってきて一週間、旅行疲れも大分回復しました。90%位かな?(笑)
若いときから武道を少々やってたので、回復力には自信があったのですが、若いつもりでも
年相応の回復力になりますね。(笑)
次に向かったのは、以前から気になっていた「紀州宝来宝来神社」(きしゅうほぎほぎ神社)
変わった名前で、宝来る、宝来る、神社なのです(笑)
この看板も台風の性で倒れていました。山頂だから風も強かったのでしょうね〜。
とても良い天気になって、気持ちよく参拝できることを神さまに感謝します。
細い山道を、くねくねと30分くらい登りやっとたどり着きました。
近くで御神体を撮るのは失礼なので、遠くから撮った写真と、ネットよりの写真しかアップできません。
グーグルマップによると、標高519Mとありましたが、もっと高く感じますね〜
天気もすっかり良くなり、清々しく綺麗な空気で気持ち良く参拝できました。
この地は伊勢と高野山のライン上に位置し、陰陽四魂の力をバランスよく受けています。
ホームページhttp://www.kishu-hogihogi.org/
これよりネットよりの写真投稿となります。
宝来宝来神社は熊本県南阿蘇村が本社で、ここ紀州宝来宝来神社は分身として建立されたそうです。
こちらが熊本の本社です。未だ行った事がないのですが、機会があれば行ってみたい神社ですね。
この神社の言い伝えは・・・・
平成16年春、リストラされた重機の運転手がこの土地の造成工事を行っていたところ、大きな岩に当た
りました。運転手はその岩を取り壊そうとしましたが、突然重機が動かなくなりました。
修理してまた取り壊そうとしましたが、再び故障し原因も不明です。
その夜、夢に岩が出てきて「どうして私を壊そうとするのか?」と言うので運転手は「生活のために
金が必要だ」と答えると、岩は「それなら宝くじを買いなさい。そして当たったお金の一部で私を掘り出し
て祀ってくれないか?」と言いました。
運転手は半信半疑で宝くじを買うと生活に困らない程度の額が当選したので岩を掘り出しました。
その話を聞いた友人が、この岩を拝み宝くじを買ったところ、途方もない額が当たりました。
その噂が広まり、誰ともなくこの岩を『当銭岩』と呼ぶようになり、願掛けする人々が訪れるようになりました。
その後、当選された方々のご寄付により、当地を宝来宝来神社として建立いたしました。
(宝来宝来神社公式HPより引用)
これがその取り壊されなかった岩で、この岩の写真を枕の下に入れて眠ると、「宝くじを購入するタイ
ミング」と「ロト6等の数字」などを教えてくれるそうですよ。試してみては?私はやらないけど(笑)
https://www.itamiwake.com/hogihogi-shrine/
良い言葉を発見しました。・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
確かにその通りだと思いますね。
そして私はここの紀州宝来宝来神社で、不思議な体験をしたのです。
このご神体の石も、ネットより拝借の画像です。写真を撮ること自体が失礼な気がして遠慮しました。
台風の性で社が倒れたりしてましたが、自分一人の力では起こせそうになく、男数人の手助けが要ります。
手を合わせて、直せないお詫びをしました。
御神体である当選岩に触れたくなって、両手で抱き目を閉じてしばらく何かを感じるようにしていると
一瞬ですが、岩の縁が青白く光ったのです。
そして試しに左右にゆすってみると、このびくともしない岩がぐらぐらと動いたような気がしたのです。
え?まさか気のせいかな?と、もう一度ゆするとびくともしない。
やっぱり気のせいだったかも知れない。(笑)
とりあえず宝くじは買ってみよう(^▽^)。当たるかも知れない。
もし当たったら・・・此処で約束します。
私の大好きな言葉があります。
「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」
と云う言葉です。
今までもこのように実践してきたし、これからも私の心は変わらないと思います。
四十年位前から我が家のアトリエに飾っている教訓です。
このような生き方が、たとえ幸せになったとしても、他人に妬まれない方法でしょうね。
もし、宝くじが高額当選したら、半分は自己のために、半分は他人のために使うことを約束します。
まず当たらないでしょうけどね〜・・・・(^▽^)
宝くじ当選だけの神社ではないからね。色々と御利益もありそうです。
清々しい山頂の空気を胸いっぱい吸って、次の熊野本宮神社へ向かいます。
五時にはホテルに着きたいので、時間を気にしながらの参拝となります。
今日はここまでにします。
では又・・・・管理人。
]]>
只、高知市を出発したのは9月22日の24:00です。
夜明けと共に、神社参りをするのが目的で出発したのですが・・・
あいにく、台風17号の性で転向が悪く雨風が強く心配していました。
案の定明石大橋が、台風のため通行止めの情報が入り、瀬戸大橋は?と電話で問うと、
現在は通行できますが、制限速度50kです。後1時間後は通行止めになる可能性もあるとのこと
ホテルも予約しているし・・・まず瀬戸大橋まで行ってみよう。と、車を走らす。
神様が来なさいと云うことで行くのだから、何とかなるだろうとゆっくり走る。
途中すごい横風で、走る車がふらつく。
サービスエリアや、パーキングエリアでは待機中の車をよく見かける。
走っているのは、自分だけかな〜と思うくらい走行中の車はいない。
約1時間過ぎた頃、瀬戸大橋に付く。
風雨も弱まり、瀬戸大橋は何気なく安心して渡れました。神様のおかげかな(笑)
和歌山市の日前神宮に着いたのは、午前8時前だった。此処まででも意外と疲れた。
日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)の二つの神宮を同じ敷地内に
祀られる珍しい神宮です。(宮と付くのだから天皇系の神様には間違いないのです)
※日前神宮の主祭神は日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とする。
※國懸神宮の主祭神は國懸大神(くにかかすのおおかみ)は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とする。
夜明け前に着く予定が、8時になりました(笑)でもとても気持ちが良い。
台風も過ぎ去り、とても良い天気になりました。木々も気持ちよさそう。
さすが神宮とあって風格がありますね。此処に来て良かったと思います私の守護霊も喜んでいるみたい。
(日前神宮)本殿は撮影禁止となっていますので、ネットよりの写真投稿となります。
1585年に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、
江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。しかし現在は最盛期の5分の1の広さに
なっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばないと云われています。
創建2600年を遡る日前神宮と國懸神宮の二社は同一境内に鎮座されているのです。
(國懸神宮)撮影禁止のためネットよりの写真投稿です。
日前神宮の御神体・日像鏡(ひがたの鏡)と國懸神宮の御神体・日矛鏡(ひぼこの鏡)は八咫鏡より
前に作られた鏡で、八咫鏡と同等のものとされ、天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も
副えられていた。
※日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名とも言われています。
天皇継承の義の際も三種の神器を納める鏡は、八咫鏡とこちらの御神体である2つの鏡も同時に納めらて
いたようですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沢山の神社を廻ってきて、書くことが沢山あるのですが、帰ってくると仕事が山積みに残っており
落ち着いて書く暇がありません(笑)
続きは、又後日書きます。
3日で1700キロ位走ったのでとても疲れました。今も未だ疲れています(笑)
歳を感じますね〜前はこれほど疲れることは無かったのに・・・
では又・・・・管理人。
]]>
と腹立たしさを感じまます。
神のことは宗教の匂いがするので特に教えなくとも良いですが、日本国の象徴である天皇陛下の
ことは、義務教育で教えるべきだと思いますね。
天皇陛下は日本国の象徴であり、国民の代表である総理大臣を任命し、日本国憲法の103条を含め、
六つの主要な法律を制定しているのです。
(憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法)※六法全書
法律は全部で2,000以上あります。民法だけでも1,044条まであるから、全部で何条あるのでしょうね。
私たち国民はその国家の定める法律に守られているのです。
ちなみに・・・法律とは弱い者を守る為にあるのです。幾つかを抜粋すると・・
憲法第1条は・・
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意
に基く。
憲法第14条
すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、
経済的又は社会的関係において、差別されない。華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来
これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
(※全ての国民は平等なので、裁判所の判決も平等で無ければならない。よって判例を優先するのです)
貴族や華族制度は廃止され法の下に皆、平等なのです。
憲法第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
(※総理大臣や裁判官は勿論、天皇陛下といえども制定された憲法に従わなければならないのです)
その他、食品安全基本法や食品衛生法などにより食べ物は何を食べても安全ですし、日本国は自衛隊により
国を守られ、アメリカとの安全保障条約を交わしているし、他国から攻められることはまずありません。
その他色々と素晴らしい法律があるから、武器も無く、安全で自由に暮らせるのですが、私が言いたい
のは私たち日本人は、日本国籍があると言うだけで、このような素晴らしい法律に保護されているのです。
その日本国の象徴である天皇陛下のことをもっと自信を持って義務教育で教えるべきだと思いますね。
現在の若者に天皇の名前は?今上天皇は何代目?初代天皇は誰?と聞いて即答できる人がどれくらい
いるでしょうね。
そもそも、義務教育なのに国旗を揚げない。先生が国歌を歌わない。君が代のピアノ伴奏をするように
求め職務命令を拒否した音楽教師が処罰を受け、裁判所に訴訟した事件もありました。
子供達に天皇廃止論を教える教師もいるとか・・・
日本教育職員組合(日教組)が軽佻浮薄な子供達を作っているような気がします。
私たちが子供の頃は、天皇誕生日や祝日は何処も軒先に国旗を掲げていたのですが・・
何処の家にも軒先に旗を掲げる金具が付いていて、国旗を揚げるのを忘れてる家は非国民のように
言われてましたね(笑)
私たちは国民が祝日に感謝して国旗を掲げるのが当たり前だと思っていました。
天皇の歴史は初代天皇(神武天皇)から第126代(今上天皇:徳仁陛下)までの歴史があるのですが、
初代天皇は半神半人で代々神の血を受け継がれていることはあまり知られてない。
初代の神武天皇を祀る奈良市の壮大な橿原神宮。
橿原神宮のお正月。初詣では凄い人出です。
神武天皇?山幸彦の孫?浦島太郎物語?そんな神話物語は信じられない!神話は実在しない人物だ!
とおっしゃる輩の多いこと(笑)現地へ行ってこの壮大な神宮を見て何千年も前からある歴史を否定
できるのでしょうか?
本来天皇家は、歴代神の血を引く血統のはずですが、幾度も一般人と結婚され126代ともなれば、神の
血筋もかなり薄くなり現在は、一般人とほぼ変わらないと思います。
しかし、天皇のご先祖様は神さまに間違いないのです。
血は薄くなろうとも、天皇継承時に行われる、三種の神器継承儀式は変わってないのです。
日本が世界に誇れるのは、世界平和を願う天皇陛下と、日本の伝統文化と素晴らしい法律です。
神さまの血筋は薄くなろうとも、天皇としての魂筋は脈々と受け継がれているのです。
約2600年前に神武天皇がこの地、奈良県橿原市で即位の礼を受けたと伝えられる橿原神宮。
49,000?といわれる壮大な敷地に建立されている。
神武天皇が神話とか逸話だけの人物ならここまでの敷地と立派な建物はあり得ないと思います。
日本人を健全な神国の国民にするには、義務教育を徹底的に改革をしなければならないと思い
ませんか?私如きジジイが叫んでもどうにもならないでしょうけど、単なるボヤキですよ。(笑)
難しいことは我々の選んだ政治家に託して、私は神社廻りをして神さまにお願いするだけです。
大分涼しくなってきたので、9月は和歌山の本宮神社と、那智の大滝、大阪の石切劔箭神社へ
行く予定です。
本宮神社は、かみさんが呼ばれているようで、数ヶ月前から頼まれています。
そして那智の御滝でしばらくの間、瀧を眺めてみたいと思います(何かを感じとるまで)
いくら見ても飽きない、神気を感じる瀧です。
そしてここで修行したといわれる役行者に会いたいのです。(この堂の中に居ます)
前回は話が出来そうで出来なかった。(残念です)
多分今月中にいけると思いますが、行ったら又報告しますね。
では又・・・管理人。
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お盆休みは、何処にも行かず冷房の効いた部屋で本を読んだり、ビデオを見たり骨休みをして
いました。年に一度はこのような休暇があっても良いかな?(^_^)
夏の全国高校甲子園大会を見ていて、感じたことを少し書いてみます。
全国から勝ち上がってきた各県の優勝校である49高が県代表として、日本一を決める選手権大会です。
小学校から、いや中には幼少の頃から野球に没頭し、甲子園を目指し勝ち上がってきた子供達ばかりです。
高校の野球部員と言えば、100人超す野球部は13チームもいるとか・・
高知の明徳義塾の場合は野球部員数は約150名ほど居るそうです・・・
その中でレギュラーになれるのはたったの9人。
県の予選はトーナメント制だから、勿論一回でも負ければそれで終わりです。
高知県は人口が少ないから、31校の頂点に立てれば甲子園に出られるのですが、一番多いのは
神奈川県の189校が最高で、100校を越す県(地区)の参加高校は49校の内13校もあります。
連勝を重ね、その県の頂点に立って初めて、念願の甲子園に出場できるのです。
その選りすぐりの選手の中からプロになれるのは、ほんの一握りの選手だけなのです。
単純計算すると、49校×9名(レギュラー)として441名。その中から数名だけプロで活躍できるのです。
選手達にとっては最後の一生一代の晴れ舞台。
監督も選手の将来が掛かっているので責任重大です。
・・・・・・・・・・
ここで運命となるのが、「運と不運」がつきまとうのです。
私は野球はやりませんがテレビで見ていて、とても勉強になります。
名監督と言うのは、迷いがありません。各選手の性格を知り、心の奥深い気持ちまで読み取り、
的確な状況判断で、サインを送ったりピッチャー交代を命じたりします。
正に森を見て木を見ずなのです。
迷監督は、一瞬の迷いがあるのです。もう1球見てからピッチャー交代しようとか・・・
その1球が大失敗となることもあるのです。
野球オンチの私が言うべきではないですが、遠く離れているから冷静に森を見る如く大局観で見える
のですが、実際側で窮地に立っている監督は、木や葉っぱばかりが目に付くのかも知れませんね。
「運と不運はその人の手の中にある」・・・
この言葉を思い出したときに、いつも連想するのは松下幸之助さんです。
松下電器「パナソニック」を一代で築いた松下幸之助さんは、面接の際に必ず聞く質問があったそうです。
それは「あなたは運がいいですか?」
その問いに「私は運が悪い方です」と答えた人は、東大卒でどんなに成績が良くとも有能な人材でも
感じの良い好青年であろうとも採用しなかった。
それは、自分はとても努力しているのに、運が悪いから成功しないという「恨み」をかかえているから。
自分はもっと評価されてしかるべきだと言う、自己の過大評価に陥っている。
自分は運が悪い方だから仕方ないと諦める。
成功者を妬み、失敗者を「努力不足だ」と責める。
成功したときに「自分は人並み以上に努力をしたので実った」と考え、お前にもできると強要する。
「自分はたまたま周囲の人やタイミングに恵まれて、成功した」とは考えない
逆に「私は運が良い方です」と答えた人は、すぐ採用したそうです。
それは「失敗や成功はしょせん運である」ということを知っているので、過度に落ち込まない。
そして「自分は自分の努力によって、ここまで成り上がった」と思い込まない。
謙虚なため、自分の力に酔いしれることがない。
「他人に与えた好意は、巡りめぐって自分に返ってくる」ことを知っているので、積極的に他者を助ける。
松下氏は「人生の90%は運やな。」と言っていたそうです。
自分の人生はいっぱい失敗したが、運が良かったから成功したとも言ってました。
本田技研の創始者本田宗一郎氏も、成功は99%の失敗に支えられた1%だとも言ってましたね。
運とは不思議なもので、運の良い人が集まれば会社も運気が上がるのでしょうね。
(牛は牛連れ馬は馬連れ)と言う言葉があります。
類は友を呼ぶと言う意味なのですが、運の悪い人は運の悪い人と集まり、運の良い人は運の良い人と
集まるのです。
学校でも勉強のできる者はできる者で集まり、悪は悪で集まり、スポーツ好きはスポーツ好きで集まる。
私も時々居酒屋に行くのですが、運の悪そうな人達が、人の悪口や不平不満を言い出すとすぐ帰ります。
私も仕事柄色々な人に出会い、話す機会があるのですが幸せ薄い人には何か法則があるような気が
するのです。
その法則とは・・・・
?すぐに自分は悪くないと正当化する。?○○にだまされた。?相手を責める事が解決策だと考える。
?運の悪さに腐り投げやりになる。?お前が悪いと怒り謝らそうとする。?相手を恨み妬む。
運の良い人の法則とは・・・
?不平不満を言わず解決策を相談する。?悪い結果になろうとも、いい勉強になったと笑い飛ばす。
?常に感謝の心を持っているので、相手に好印象を与える。?失敗の無い成功は無いことを知っている。
?常に自分は幸せだ!運がいい、強運だ!と思っている。?運は巡ってくることを知っている。
以前、鏡の法則と言う事を題に書いたことがあります。
私の机の上には、パソコンと2台のジュアルモニターがあり、その横に10インチ位の鏡を置いています。
常に何度も自分の顔が見られるように、鏡を見る度にお前は幸せ者だ!強運の相をしている!自由だ!
沢山の人に好かれている!いい顔してるじゃないか!等と言い聞かせているのです。(^o^)
反対に、鏡を見る度にお前は運が悪い!不幸者だ仕方ない!何をやってもダメな奴だ!嫌われ者だ!
悪い運命だから仕方ない諦めろ!情けない顔してるな〜!死ね!等と毎日思っていたらどうでしょう。
鏡の法則は怖いですよ(^o^)
こちらが好きと思えば好きになってくれるし、嫌いと思えば嫌われるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
松下幸之助氏も、想像が創造する!人生とは自分が考えている通りになっていく!と言ってます。
常日頃、自分のことを「運がいい!強運だ」と考えていると、その通りになって行くという。
運の強い社員が集まり、強運のエネルギーが集結して具体化してカタチとなっていくと言うのです。
私はこの言葉が大好きです。
仕事でも、障害物や大きな壁に遮られたり、乗り越えることが出来ない時は、「不運」とは考えず
自分に与えられた試練だと受け入れ、いったん距離を置き乗り越える方法を考え再チャレンジします。
それでもダメな場合は、いい勉強をさせてもらったと感謝をするようにしています。
幸運は不運のあとにやって来るのだと期待するのです。
仕事柄、いろんな職種の方や、いろんな性格の方とも話す機会があるのですが、私も人間ですので
好き嫌いや、性格の合う合わないもいます。
毛色の違う人や、運の悪そうな人は、あまり関わりたくないのですが、仕事なのでそういう訳にも
いかず一応、できる範囲内でお相手はします。
運、不運は人との出会いによって作られる。と言っても過言では無いと思います。
この人との出会いは「幸運なのか不運なのか」を見極める必要があります。
「運も不運もその人の手の中にある」は、良い言葉なのですが・・・・
私は「運も不運もその人の要領の中にある」と言いたいですね。
幸せな人生の90%は「運」がもたらすのです。私との出会いはチャンスかも知れませんよ〜(笑)
お互い「強運」で幸せになりますように、幸せ薄い人の法則は排除しましょう。(^o^)
では又・・・・管理人。
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些細な討論をしました。
私が幡多郡大月町だといったら、家内は大月町は幡多郡ではない。単なる高知県大月町だと
言うのです。スマホで神社の住所を調べても高知県大月町とのみ書いていると言う。
私は、じゃ〜旧中村市、今の四万十市は幡多郡ではないのか?
家内は四万十市は、市だから郡では無いという。
確かに、四万十市は郡とは言わないけど、昔は幡多の中村と言ってたよな〜
高知県は・・と言うより日本全国、沢山の郡があります。
私は、高知県の場合6つの郡があり、その中に後から「市」が出来たので、この辺りは○○郡
だと言う事は分かるのですが、市も時々合併したりして名前が変わるので頭が混乱します。
私も古いですね〜・・・・(笑)
高知県には6つの郡があり、市町村は後から出来たのです。
(※現在、香美郡は廃止され香美市と香南市になっています)
群区町村編制法は明治11年に制定されたのですが、「地方自治法」の施行により廃止され
昭和22年5月3日( 憲法記念日)に全部改正されたのです。
よって、市町村にはそれぞれ長と名の付く者がいる(自治体だから)のですが、郡長はいないのです。
高知県は6つの群から市は独立して現在の群は上図のように・・・
安芸郡は・・東洋町・馬路村・北川村・奈半利町・田野町・安田町・芸西村・の7つ
長岡郡は・・大豊町の1つ
土佐郡は・・大川村・本山町・土佐町の3つ
吾川郡は・・いの町・仁淀川町・日高村・越知町・佐川町の5つ
高岡郡は・・都農町・檮原町・中土佐町・四万十町の4つ
幡多郡は・・黒潮町・三原村・大月町の3つ
香美郡は・・香美市と香南市の二つに分かれ郡は廃止になりました。
数十年後は、郡や郷は無くなるかも知れませんね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それと、町の呼び方ですが、(○○マチと言う呼び方と○○チョウと言う呼び方があります)
同じ町の字なのですが、呼び方に決まりがあるようですね。
その呼び名のルーツは、江戸時代に遡るようです。
お城の付近に町造りができて、お城の近くには家老や重臣などが居住区として配置され、
家臣の武士達がその次、そして職人達の町が出来ます。
それが、主に町(まち)と呼ばれたようです。
武士達の居住区に多いのは、中町・南町・東町・西町・新町・上町・本町・南新町・中新町
北新町・元町・鷹匠町・京町・堺町・北本町等はマチであり・・・
職人達の住む町も、大工町・鉄砲町・鍛治町・紺屋町・御徒町・帯屋町・通町・宝町
旭町のように(まち)と呼ぶのです。
そして、町人達の町を(チョウ)と呼んでいたみたいです。
町人達の住む町の名に多いのは・・・伊勢崎町・稲荷町・本宮町・竹島町・百石町
高見町・八反町・福井町・宝永町・知寄町・稲荷町・若松町・青柳町・丸池町・小倉町等は
(チョウ)と呼ぶのです。(お城に遠くなるからだと思います)
昔の人はお城下に行くと言ってました。お城下付近には職人や商人等の店舗が建ち並び綺麗な
着物や日用品、魚、野菜、花、金魚、菓子などが売られ、賑わっていたのだと思います。
現在の高知市の日曜市や帯屋町がその名残でしょうね〜・・・・
そんな昔を想像しながら歩くのも楽しいものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
同じ字でも(チョウとマチ)の呼び方があります。調べると面白いですね。
今回はここまでにしましょう。
では又・・・管理人。
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遠くと言っても高知県内ですので、近いのですがそれでも高知市から高速を使っても3時間半は
掛かります。高知県は横に長いので東の端から西の端まで車で行くとすれば、8時間くらいは
掛かります。
今回は高知市から西に向かって高速を使って1時間、一般道に降りて3時間ほど掛かりました。
(途中で休憩もしたから・・・)
近くの神社は、時々行っているのですが、ブログに書くほどのこともなく久し振りに足を伸ばして
何処か初めての所へ行こうと、探していたのです。
次に行きたい所は決めているのですが、涼しくなってから行こうと決めている神社があります。
それは、もう数回行った神社なのですが和歌山県の熊野本宮大社なのです。
熊野本宮大社の八咫烏さんと、そして那智の大滝へ行くのが目的です。
那智の大滝付近にいるオババに会いに行くのと、飛瀧神社に居る役行者(えんのぎょうじゃ)に
会うのが目的です。
(※本当の名前を知らないオババさんは、家内の前世の師匠らしく今でも時々忠告をしてくれる
らしい。そして私はもう一度、役行者に会いたい)
〔役行者の紹介〕えんのぎょうじゃ又の名を、役小角( えんのおづぬ)とも言う。
以前私が那智の飛瀧神社で撮った写真なのですが、仏教の臭いがするので、なんとなく嫌だな〜
と何気なく眺めていたのですが、その時右足と杖をカツカツと鳴らして私に何か言おうとした
ことをはっきり覚えています。あのとき社務所に行ってお堂の中に奉られている杖を持った人は
誰ですか?と聞き、初めて役行者さんであることを知りました。
この時まで、役行者という名前すら初耳でした。
四国では役行者さんに会えることはなく、祀っている神社もないですね。お寺はあるかも?
役行者とは・・・・簡単に説明します。
650年頃活躍した行者で、那智の飛龍神社神社付近で修行し、仙人や修験道の開祖とされる。
陰陽道や呪術を使いこなし鬼を家来にし、空も飛べる。
大国主の子である一言主と言う神も役行者に縛られ、現在も縛られたままだという。
(※一言主=味鋤高彦根尊=事代主は同一神とされています。父は大国主、母はたぎり姫とされる)
四国の剣山も役行者が開山したと伝えられ、その後空海が剣山を中心に八八ヶ所を封印している
のも、かごめ唄の秘密に関係あるのかもと思っています。
実在した人物では、安倍晴明や空海よりも呪術的には一枚上なのかも知れないですよ。
ちなみに安倍晴明は1000年頃、空海は800年頃、安徳天応は1180年です。
実在する人間が神格化した人たちです。その他キリスト、ほてい様、菅原道真、等がいます。
・・・・・・・・・・・・・・
又、前置きが長くなりました、すみません。
先日7月15日に高知県大月町にある月山神社に行ってきました。
行きたかった理由は、月山神社は役行者又の名を役小角( えんのおづぬ)が月形の石を発見し
開山したと伝えられていたからです。
7月15日は曇りの予想だったので、この日を逃せば又連続の雨なので熟慮断行この日しかないと
行ってきました。
出発したときは、空は明るく晴れるかな?と思って行ったのですが、途中から大雨(笑)
車のライトを付け、ワイパーのスピードを上げ、何これ?
ま〜普段の行いが良いからそのうちに止むだろうと行きましたよ。
やはり、着く頃には止みました。
久し振りの海岸、気持ち良いですね、空は明るくなり始め良い天気になりました。
やはり、普段の行いが良いから晴れたのかな〜・・・・(笑)
晴れたら、高知の綺麗な青い海と空を紹介できましたのに残念です。
道中の写真を3枚アップしていましたが、変な良くない物が映っていましたので削除しました。
月山神社に着きました。(高知ではつきやまと呼び・がっさんとも呼ぶみたい)
役行者(又の名)役小角( えんのおづぬ)がここで月形の霊石を発見したと書かれていますね。
不思議な事に、神社と月形の霊石の写真を何枚か撮ったはずなのですが残っていない。
これは月形の石ですが、霊石ではありません。月形の霊石はこの神社の裏手20m上がったところに
あると記されている。
この神社の裏山を20mほど上がった所に役行者が発見した月形の霊石があります。
急な角度の石垣をよじ登って行くと月形の石がありました。
石が濡れて滑るので、家内と娘は10m位上がったところでもう上がれないと手を合わし拝んで
いました。私は当然上まで登り写真を何枚か撮りましたが、不思議なことに映ってないのです。
こんな足下が滑り危険な坂道は高齢者は登れないですね。私も高齢者なのですが(笑)
この石です。ネットより拝借しました。
確かにこの付近は、神気が漂っています。手を合わせ拝んでいると何か分からないけど感じるものが
ありました。家内曰く役行者と思う、この神社でも色々と感じたみたい。
神社は、寂れたような小さな神社でしたが、私たちには充分に見応えがありました。
又、帰る頃には雨が降り出して、私たちの為に雨を止ましてくれたみたいでした。
昨夜撮った写真なのですが、(7月18日20:30)大雨は止んだのですが、真っ暗な空にやけに
西が明るく、何だろうとよく見えるところまで車で行きました。
月明かりや、街の灯りでもなく、何だろう?見たことの無いほどの明るさでした。???
では又・・・・管理人。
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私の両親や、兄弟、友人、お世話になった先生、皆、歳と共に亡くなってしまいました。
眠るように穏やかな顔で死ぬ人もいれば、長い闘病生活の末、苦しんで死ぬ人や、癌の末期症状で
痛くて、痛くて、早く殺してくれ〜と嘆く人や、ボケてしまって家族の顔も解らなくなり、誰が見舞い
に来ても解らず、何年も酸素マスクを付けたまま、栄養は管を通して生かされているだけの人も。
見舞いに行って、そんな人を眺めていると生き地獄を見ているようで可哀想でとても心が痛いのです。
私もいつかそのように成るのかも知れない。そのようになったら早く安楽死をさせてほしいと思いますね。
あなたは生き地獄と、安楽死どちらを選びますか?
と聞いたら、ほとんどの方が安楽死を希望するのではないでしょうか?
でも日本の法律、刑法202条では、「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ,又は人をその嘱託を受け
若しくはその承諾を得て殺した者は,6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する」とあります。
つまり、自殺幇助や積極的安楽死は法的に認められておらず、殺人罪となるのです。
では、尊厳死と安楽死の違いは何でしょうか?
日本では、消極的安楽死を「尊厳死」と呼び、積極的安楽死を「安楽死」と呼ぶようです。
つまり端的にいえば、「死なせること」が「積極的安楽死」であり、「死ぬにまかせること」
が「消極的安楽死」なのです。医師が家族の希望等を聞き了解を得て、薬の投与を辞め「死ぬに
まかせる」ことが尊厳死となり、罪に問われないようです(グレーゾーンですが)
このように、日本では安楽死は認められてないのです。
日本では生きる権利はあるが、死ぬ権利はないのか?という問題が出てきます。
オランダ・ベルギー・スイスなどは安楽死や、自殺幇助を法律で容認しています。
福祉大国であるデンマークやスウェーデンには寝たきり老人が一人もいないそうです。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、
胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているから
です。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
それは、日本との宗派の違いだと思うのです。
日本は、神道系46.5%・仏教系48.1%・キリスト教系1.1%で合計95.7%が生まれ変わりがあると
教えられているから信じているのです。その他の4.1%の中にも生まれ変わりを信じる人もいるはずです。
少なくとも神道と仏教は神さまから魂を授けてもらい、両親から肉体を授かり前世から生まれ変わって
来ている。そして死んだらあの世に帰り、又この世に修行のために生まれ変わってくる。
輪廻転生を信じているからなのです。
だから、自殺は一番の御法度で現世で肉体を持ち魂の修行に行ってこいと命令されながら、勝手に自殺
して逃げ帰る事は脱走行為なのです。
神さまに言わせれば辛いことも、苦しいことも修行じゃ!辛いことは前世や現世の罪の償いじゃ!
と言っているのかも知れません。
天国に帰れない罪を犯した魂は、地縛霊や浮遊霊となって何百年もさまようしかないのです。
地縛霊や浮遊霊を見たことや感じたことのある人は、数え切れないほど沢山いるので事実だと思います。
鏡の法則とは、自分の犯した罪は自分に跳ね返って来るのです。
現世で沢山人を泣かした人は、来征で沢山の人に泣かされるように、又、折檻やむごい殺し方を
した人は、生まれ変わったときに折檻やむごい殺され方をするでしょう。
それが鏡の不思議な反映の法則なのです。
日本の宗派では(神道・仏教)輪廻転生を認めていますので、日本人の95.7%は信じています。
(※各宗派の全ての人が認めていると仮定して)
だからそのような法律になっているのだと思いますが・・・
消極的な延命と言うより、積極的な延命治療をしているので、国の医療費も膨れ上がっています。
これから高齢者は急増する見込みなので、ますます医療費負担は増えることは想像出来ますよね。
※(平成30年度は+2.3%上がっています。平成31年度は未だ発表されていません)
延命治療を本人が望むならそれで良いでしょうが、多くの国民は安楽死を希望するのではないでしょうか?
本人と家族が望むなら、安楽死を認めてあげても良いと思いますけどね。
私は、安楽死を法律で見直しても良いのでは?と思いますけどね〜・・・条件付きで。
(回復の見込みがないこと、本人の希望と家族の承諾。)
ヨーロッパの方達が言うように、延命治療は老人虐待かも知れませんね。
確かに息をしている親や、家族の命を安楽死させて下さいとは言えないでしょうが、自分ならどうする?
生き地獄と、安楽死のどちらを選びますか?と言うことです。
医療技術の発達した今、日本は世界一の長寿大国なので生かそうと思えばいくらでも心臓を動かすことも
出来るでしょう。それで100歳以上が○○人いるから世界一だと言われてもね〜・・・
延命治療をすることにより、家族に負担もかけるし、私なら迷わず安楽死を希望します。
延命治療の発達した今、神様も与えた寿命を全うしなさいとは言わないと思いますけどね。
国が安楽死を肯定すれば、困る病院もあるでしょうけど、国も随分医療負担が軽減されると思います。
その分を減税するとか、教育費を無料にするとかにすれば良いと思いますけどね〜・・・
ちなみに世界の教育レベルのトップ20は・・・下記のようになっています。
1. フィンランド
2. 韓国
3. 香港
4. 日本
5. シンガポール
6. イギリス
7. オランダ
8. ニュージーランド
9. スイス
10. カナダ
11. アイルランド
12. デンマーク
13. オーストラリア
14. ポーランド
15. ドイツ
16. ベルギー
17. アメリカ
18. ハンガリー
19. スロバキア
20. ロシア
・・・・・・・・・・・・・・・・・
せめて、アジアでは1位になってほしいですね〜・・・・
しかしアメリカやロシアがこんなに低いとは想定外でした。(笑)
ちなみに自分の国のために戦う心づもりがあると答えた日本人は11%だった。
?パキスタン:89%
?インド:75%
?トルコ:73%
?中国:71%
?ロシア:59%
?米国:44%
?英国:27%
?日本:11%
このような愛国心の全くなくなった数字を見たら、戦争経験者は嘆くでしょうね。
※私は尊厳死と言う言葉には、もっと別の含みがあるように思います。
例えば、武士としての責任を取って詰め腹(切腹)をするとか、国や家族の幸せを願って
死んでいった若き神風特攻隊なども尊厳死に値するのではと思います。
今だからこそ、安楽死の問題を再確認して国会で論議するべきだと思います。
今回も年寄りのぼやきでした。
では又・・・・管理人。
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※今回は本業の不動産のブログなのですが、趣味の気ままにブログ(神社仏閣)の方にも見て
貰いたく両方から見られるように書いてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マンションと戸建住宅、将来的にどちらを勧めますか?と時々聞かれるときがあります。
高額な買い物を、30年〜40年の長期ローンを組んで人生の大部分をローンの支払いに悩まされ
ながら生活するので、衝動買いで後悔したくないから相談するのだと思います。
マンションと戸建ては、どちらが良いか?何十年も前から論議されてきた問題なのですが、
一口にこちらが良いですとは言えないのです。
何故なら、「良い」と言う意味には幾つもの含みがあるからです。
良い=高く売れる?=将来性?
良い=今現在快適に住めるか?子や孫のことまで考えると?
「マンション派」のメリット10ヶ条
?交通の便利な立地条件の良いところに建っている。
だから、通勤や買い物、通院等が便利
?セキュリティーがしっかりしているので、知らない人の訪問や、空き巣被害が少ない。
?マンション管理がしっかりしているので、管理会社の清掃や定期的な改装で、一生快適に暮らせる。
?一戸建てと違い、風水害や地震にも強くその心配が無い。
?一戸建てと違い、鍵一つで安心して旅行に行ける。
?高層階は特に、ハエ、蟻、蚊、などの虫や害虫がなくシロアリの心配も当然無い。
?室内を模様替えするだけで、いつでも新築気分になれる。
?バルコニーからは自分だけのプライベートな景色が見られる。
?ペット可のマンションもあり、鍵一つで好きなペットと暮らせるので一人でもさみしくない。
?隣近所との関わりや付き合いもしなくて良いし、誰にも干渉されないから気楽だ。
?万一の給排水のトラブルは、管理会社がすぐに対処してくれるし電気や、電波障害の心配も無いので
老人の一人暮らしも煩わしくない。
「戸建て派」のメリット10ヶ条
?広い敷地に広い家、ぜーんぶ自分のもの。車も自分、家族、来客用と数台気兼ねなく置ける。
?社会的地位、身分もあり、自分だけのお城のようなステータス気分が大事だ。
?マンションも悪くはないが、毎月の管理費、修繕積立金、駐車場代、マンション組合費等
一生家賃を払い続けるような感覚だから嫌だ。
?庭に花や好きな木を植え、犬を飼い、敷地内で洗車も出来、全て自由だ。
?友人や仲間を呼んで、ホームパーティが出来る。庭でバーベキューも出来る。
?中心地の騒々しいところで住むより、空気の綺麗な郊外の方が落ち着いて帰ってきた気分になる。
?土地は自分のものだから、立て替えも増築も自由だ。
?住所も○○番地の○○さんと呼ばれるのが良い。○○マンション○○号室などは嫌だ。
?マンションは、土地もバルコニーも、玄関ドアも、通路も、間仕切りの壁も、全部共有部分
になるが、戸建てはぜーんぶ全てが自分のもので、何をしようと自由だ。
?高所恐怖症だからマンションの高い所は苦手だ、家は木の香りのするどっしりした家が落ち着く
マンションには2世帯住居もないし、4LDKより広いのはほぼない。自分は8LDKがほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大体のメリットとデメリットを書いてみましたが・・・
それでも貴方は○○を選びますか?
戸建て派とマンション派の両方のこだわり意見を聞いてみましたが・・・
大体、戸建て派の方は、我が家としてのステータス主義の方が多く、マンション派の方は、
合理主義者の方が多いように思います。
では賢い選択は?と聞かれた場合・・・・
まず土地について・・
戸建て派の方は、30年後、40年後の土地価格が気になると思います。
マンション派の方は土地を所有していると言う意識はなく(15万分の1650とか言ってもピンと来ません)
30年後、40年後の建物価格は気になっても、土地価格を気にする人はいないでしょう。
土地の価格は何かと比例して、高くなったり安くなったりするのです。
その何かとは・・・人口密度なのです。
今、日本の人口は確実に減少しています。
日本の人口は2004年の12,784万人をピークに長期的に急減するでしょう。
100年後は3,770万人と予想され、それ以降も未だ減少しそうな統計があります。
長期的には2019年の現在は天井から少し落ちたところにあり、これからジェットコースターのように
真っ逆さまに急落する可能性があります。
急落と言っても100年掛かるので、現在生きている人間は全て、今日オギャーと生まれた子も100年後
は白骨になっているでしょうけど(笑)
土地価格は長期のスパンで考えると、上がったり下がったりしながら徐々に下がっていくと思います。
でも人口が減ると、人間の集団本能として人のたくさん集まる所に人は、皆集まってくるのです。
地方はますます過疎化され、首都園の一極集中が予想されます。
土地価格は、人口密度に比例され地方は徐々に下がるでしょうが、首都園は人口密度が上がり
現在より高くなる可能性も想像できます。
現在は地方に至っても、銀行が安い金利でお金を貸してくれるので現在建築ブームです。
新築住宅の着工数の推移も、高水準を保っています。
しかし残念ながら、長期新築住宅着工件数は減少の予想です。
原因は当然人口の減少と高耐久建築戸数よりも、世帯数が圧倒的に少なくなるからです。
現在の日本の世帯数は約4,997万世帯でそれに対し戸数は6,555万戸です(現在建築中を含め)
差し引くと1,558万戸も空き家があることになります。
これから先、人口減に伴いますます空家が増えると見込まれます。
・・・・・・・・・・・・・
しかし、造成業者はどんどん宅地を増やし続けます。何故なら造成業者が仕事を止めれば会社
は潰れるからです。
使わない農地や山林をどんどん宅地に造成して、人口減に対して宅地は増加する見込み。
当然宅地価格は下がると予想できます。(※人口密度の増加する首都園は例外)
マンション業者同じで、マンション建築を止めれば即、会社は潰れるからです。
建築業者も同じで建築を止めれば、生活できなくなります。
解体業者もしかり、銀行も借主がいる限り今のうちにどんどん貸しておこう。
建築関係業者は皆、将来的に仕事が減少することを知っているはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土地は長期スパンで想像すると、値下がりすると予想できるのですが、建築費はどうでしょうか?
現在建築費は、人件費や材料の値上がり、強度の強い高耐久建築が進み建築費用は増加中です。
土地価格は値下がりしても建築費は上昇すると予想できます。
昔の木造建築の耐用年数は20〜25年でしたが、現在は耐震や高耐久が進み50年以上〜100年ほど迄
耐用年数が延びています。
古い家は消滅するかも知れませんが、最近の建築物は長期にわたって使用できます。
マンションにおいては少なくとも100年以上は大丈夫でしょう。
戦後の日本は、焼け野原から立ち上がったので、マンションや鉄筋コンクリートの建造物も70年
以上はなく証明出来ないのですが、アメリカなどは築200年のマンションとかいっぱいあるようですね。
(日本には世界最古の木造建築物があります。※法隆寺1,300年)
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以上のことを全部納得した上で、決断をするのならマンションでも戸建てでも良いと思います。
人それぞれ好みですから・・・・
ただ一言忠告するとすれば、物件を買うな!環境を買いなさい!と言いたいです。
動かない不動産ですから、物件が安いからとか、学校が近い、○○さんが近くだからではなく・・・
後悔しない買い方は、物件を買うより環境を重視して買った人が後悔してないようです。
私は何かを決断しようとするときは、「天・地・人」を重視します。
「天の時」
時期を考える・・いまその時期なのか?その時期は間違ってないのか?後悔はしないのか?
「地の利」
場所を考える・・その場所に「利」があるのか?その場所が最適か?後悔はしないのか?
「人の和」
人を考える・・仲間や家族や近隣住民等が「和」の心で迎えてくれるのか?そこに和があるのか?
このように考えて、決断した結果には何があろうと後悔はないと思うのです。
後は、人に必要とされるように努力するだけで、自然と幸せが舞い込んでくると思いますよ(笑)
では又・・・・管理人。
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又、皇位継承の儀式には三種の神器の一つとして八咫鏡があります。
三種の神器の説については各専門家と称する学者達が色々と説を揚げていますが、今だどの説が
有力かは明らかにされていません。
私は、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人※古代イスラエル人は同じ先祖)であるを信じていますので、
三種の神器は古代イスラエルと同一ではないのか?と言う疑問を常に持っています。
古代イスラエルの三種の神器とは(?マナの壺?十戒を記した光る石版?アロンの杖)なのです。
三種の神器について、少し説明します。
〔勾玉〕
勾玉は、胎児の形、陰陽の形とも言われますが、タロットカードにも使われる。ヘブライ語の10番目
の文字でありヨッドと読みます。形が勾玉とよく似ていますよね。
ヨッドの意味は、ヘブライ語(古代ユダヤ語・イスラエル語)で
恩寵と云う意味なのです。
恩寵(おんちょう)とは、めぐみいつくしむこと、神の手、神の恵み
と言う意味です。
※勾玉には色々な説がありますが、私はこちらの説の方が好き
ですね。勾玉は、浦島太郎伝説に出てくる、玉手箱の中に入って
いる物なのです。源平合戦の折、三種の神器もろとも海に沈下し
たそうですが、玉手箱は桐箱だったので、後でプカプカと浮かび
上がって来たので、源氏武者が手に入れて事なきを得た。
が、箱を開いた武者は血ヘドを吐いて悶絶したという記録が残っ
ています。
玉手箱に入っている本物の勾玉は宮内庁にあるそうで、以前
冷泉天皇が中を覗こうと紫の紐を外し開けようとしたところ、
白い煙が出てきたので怖くなって、慌ててすぐ閉めたと言う
記録も残っています。
乙姫様は浦島太郎に、この玉手箱は絶対に開けないでください。と云って渡したそうですが、
何故開けてはならないものを手みやげに渡したのでしょうね?
以前から疑問に思っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本と、イスラエル三種の神器がよく似ていると思いませんか?
勾玉=マナの壺・・・恩寵(おんちょう)神の恵み。
八咫鏡=契約の石版・・・同じく光る=神の宿る御神体(神は光)
草薙の剣=アロンの杖・・・剣?杖?両者とも木の枝のようにも見えます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
草薙の剣=天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)天や雷を起こす不思議な剣。
アロンの杖=モーゼの兄アロンが使っていた不思議な杖で、モーゼがエジプトからユダヤ人
脱出の際に杖を掲げると海が割れ道を開き、追ってきたエジプトの軍隊を海に飲み込んだ杖
と同じものとされる。
マナの壺と大阪初の世界遺産となった仁?天皇陵。よく似ていますよね・・・・
そして映画十戒にも出てきた神から十戒を授かった光る石版。
イスラエルから、アブラハムの子孫12支族の内10支族が、神の使者モーゼと一緒に東へ
東へと意味もなく大移動している時に仲間割れをし、モーゼがシナイ山に登って神の指示
と十戒の石版を貰い山から下りてくると、仲間割れをしておりモーゼが怒りその石版を投
げつけるのでしたね・・・このシーンはビデオで何度も見ました(笑)
その光る石版を光が漏れないように、布で包み木の箱に入れて数人で担ぎ、神の指示に
従い東へ東へと移動するのです。その東の果てが日本なのです。(御神輿のルーツ)
御神輿を担ぐと言う風習は中央アジアルートしかなく、他の場所にはないと思います。
だから世界中で一番ユダヤ人※古代イスラエル人が多く集まっているのが日本なのです。
(日ユ同祖論)
ラッパを吹き、賑やかに楽しく「ワッショイ、ワッショイ」とかけ声を掛けながら・・・
「ワッショイ」とはユダヤ語※ヘブライ語で神様が来たぞ〜・・・
このようにイスラエルからはるばる日本までやって来たのです。
神の光る石版が日本に来た?光る石版とは鏡?八咫鏡は石版のレプリカではでないのかな?
八咫鏡は神の光る石版をモチーフにしたレプリカだと思うのです。
出エジプト記では、モーセが神に主のお名前は?と聞いたとき「エフイェ・アシェル・エフイェ」
と言ったそうです。意味は・・「私は、(わたしはある)という者である」
伊勢神宮に天照大神の御神体として祀られている八咫鏡の裏にはヘブライ文字で
「エイエ・エシェル・エイエ」と「我は在て在るものなり」という字が刻まれている。
(全く同じですよね)
(八咫鏡の裏にはヘブライ語で「エフイェ・アシェル・エフイェ」と書かれている。
本物の光る石版は、徳島県の剣山(鶴亀山)に隠されてるような気がするのですが・・・
剣山は人工の山として有名です。四国の八十八ヶ所封印巡りの中心でも有るし、かごめ唄
にも鶴と亀がすべ〜った、うしろの正面だ〜れ?
剣山山頂には、大きな宝蔵石がドカンと乗っかっており、その石の上にはスサノオが乗っかって
出てこないように封印しているようにも思える。
ヘブライ語で八(ヤ−)は神の意味、八八は神に神を重ねる意味なのです。
弘法大師は剣山(鶴亀山)の周り八八カ所を封印した。そして自分の死後も永遠に信者が封印して
廻るように図ったもの。(かごめ唄も、かごめ踊りも弘法大師が教えたもの)
近い将来その封印も解けるでしょう。弘法大師もその日を知っているはずです。
その日の出来事を唄と、踊りにして伝えているのが「かごめ、かごめ」の唄なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かごめ唄については、以前も少し書きましたので、良かったら見て下さい↓
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=408
話がだいぶそれましたので、そろそろ本題に入ります。
鏡の不思議な力を知ってますか?
何処の家にも鏡があり、誰もが日に何回も自分の顔を見たり、女性には鏡がなくてはならない
必需品で、又、至る所に鏡があります。神棚や、車のバックミラー、姿見等、沢山ありますね。
又、鏡は映すだけではなく、光を跳ね返す力も持っており、沢山の鏡で太陽の光を一点に集め
れば、高温で発火するのです。
童話白雪姫では、女王が魔法の鏡に「鏡よ鏡世界で一番美しいものは誰?」鏡はいつもならそれは
女王様ですと答えるのだが、その日に限って「それは白雪姫です」と答えた。
それを聞いた女王は、白雪姫を殺そうと決意するお話でしたね。
昔から鏡には不思議な力があると言われ卑弥呼や、楊貴妃、クレオパトラも鏡の魔力に虜になった
と言われてます。
昔から拾った鏡は使うなとか、手鏡はうつむけて置きなさい、姿見は使わないときは布を掛ける
合わせ鏡は不吉でダメ(深夜2時ちょうどに合わせ鏡を覗くと、無数に映る鏡の中の何処かに
未来の自分の姿が映るとか、合わせ鏡をすると悪魔がやってくるとか)
鏡は黄泉の国と通じやすく、暗闇で姿を映すと黄泉に引き込まれると言い伝えがあったりも・・
そして、自分が鏡に映る状態で眠ると、大変疲れるそうです。
鏡に向かって「お前は誰だ」と問い続けると、徐々に頭がおかしくなり、最後は発狂するとか・・。
鏡には、科学では解明できない不思議な念力パワーと、そしてその使い方にルールがあるようです。
浄玻璃鏡(じょうはりきょう)とは、閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する
地獄に存在するとされる鏡である。
閻魔王庁に置かれており、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が映し出されるため、いかなる
隠し事もできない。おもに亡者が生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出される。
もしこれで嘘をついていることが判明した場合、舌を抜かれてしまうという。
また、これで映し出されるのは亡者自身の人生のみならず、その人生が他人にどんな影響を及ぼ
したか、またその者のことを他人がどんな風に考えていたか、といったことまでがわかるともいう。
また、浄玻璃鏡は水晶製であるとも言われている。
一説によればこの鏡は亡者を罰するためではなく、亡者に自分の罪を見せることで反省を促す
ためのものともいわれている。
風水では鏡の持つ不思議なパワーを利用して、置き場所を指定したり、絶対置いてはいけない
場所を特定したり、鏡をアイテムとして上手に活用しています。
新年のお正月には鏡餅をお供えしますよね。
何故「カガミ」餅と言うのか?と、昔調べたことがあります。
意味はやはり、三種の神器のイメージで、八咫鏡と上のだいだいは勾玉のようです。
では草薙の剣は?
串柿=干し柿を刀と見立てて飾るそうです。高知では見たことが無いですが他県ではあるようです。
このような形ですね。
串柿は10個とされているようです。
何故お餅を2段重ねにするのか?・・・・
普通は2段重ねなのですが、地域によっては3段重ねもあるようです。
そもそも、鏡餅とは神様に捧げるものであり、神様と人間とつなぐものなのです。
幸せを重ねる、歳を重ねる。と、したものらしいです。
私は、お正月に縁起の良い白蛇がドクロを巻いているように感じていたのですが・・
そして鏡餅は、包丁で切ってはだめで、割る(運を開く)として、割ってお雑煮や
ぜんざいに使ったら良いと習いました。
鏡を使う文字では、眼鏡、望遠鏡というのもありますね。ここで何故「鏡」の字を使う?
私これも不思議でした。(笑)
カガミは、最初金属を用いて作ったので(かねへん)になり映った姿を立って見たこと
から「鏡」の文字になり、「かがみ」を「鏡」「鑑」の文字で表したが、「鑑」には
「よく見る」意が派生した。(現在でも「鑑定」「鑑識」などと使いますよね。)
そして鏡は映すもの、反映することから・・・お手本の意味でも使われます。
武士の鑑・・医者の鏡・・先生の鏡・・等と、お手本になる人を○○の鏡と言いますね。
私は不動産屋の鏡とよく言われます(約1名ですが:笑)
冗談はさておき、鏡とは映す、反射する、光る、輝く、魂が宿る、不思議な法則が
あるように思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に、以前も紹介しましたが・・・・
野口嘉則氏の出版した「鏡の法則」と言う本がありますので紹介します。
私もこの本を読んで、鏡にはこんな不思議なこともあるんだな〜と感動しました。
素晴らしい本です。原文全てをコピーして貼り付けましたが、5分くらいで読める
本ですので未だ見てない方は、是非読んでほしいです。実話の話です。
〔鏡の法則〕野口嘉則著
(この話は実話にもとづいていますが、登場人物の名前や職業などを変えています)
今年41 歳になる、主婦の秋山A子(えいこ)には悩みがあった。
小学校5年生になる息子のU太(ゆうた)が、学校でいじめられるのだ。
いじめられると言っても、暴力まではふるわれないらしい。
友達から仲間はずれにされたり、
何かあると悪者扱いされたりすることが多いようだ。
「いじめられているわけじゃない」と言い張っているが、
U太を見ていると寂しそうなので、A子は胸が痛むのだ。
U太は野球が好きなのだが、友達から野球に誘ってもらえないので、
学校から帰って来たらひとりで公園に行って、壁とキャッチボールをしている。
2年くらい前には、U太が友達といっしょに野球をしていた時期もあった。
当時のことだが、A子が買い物の帰りに小学校の横を通りかかったときに、
グランドでU太が友達と野球をしていた。
U太がエラーをしたらしく、周りからひどく責められていた。
チームメイト達は、容赦なく大きな声でU太を責めた。
「お前、運動神経がにぶ過ぎだぞ!」
「お前のせいで3点も取られたじゃないか!」
「負けたらお前のせいだぞ!」
A子は思った。
たしかにU太の運動能力は高くない。
でも、U太にはU太のいいところがある。
とても心が優しい子なのに……。
A子は、U太のいいところが認められていないことが悔しかった。
そして、ひどいことを言うチームメイト達に対して、
自分の息子が笑顔で謝っているのを見るのがつらかった。
その後まもなく、U太は野球に誘われなくなった。
「お前はチームの足を引っぱるから誘わん」と言われたらしい。
U太にとっては、野球に誘ってもらえないことが一番つらいようだ。
A子へのやつ当たりが目立って増えたことからも、それがわかる。
しかしU太は、つらさや寂しさを、決して話してはくれなかった。
A子にとって一番つらいのは、U太が心を開いてくれないことだった。
「僕は平気だ」と言い張るばかりなのだ。
友達との上手な関わり方をA子が教えようと試みても、
「うるさいな! ほっといてよ」と言う。
「転校しようか?」と持ちかけたときは、
「そんなことをしたら、一生うらむよ!」と言い返してきた。
A子は息子の状況に対して、自分が何もしてやれないことが情けなく、
無力感に陥っていた。
ある日、学校から帰宅して公園に行ったばかりのU太が、
不機嫌な顔で帰ってきた。
「何があったの?」と聞いても、
「何もない」と言って教えてくれない。
真相は一本の電話で明らかになった。
その夜、親しくしている近所の奥さんから電話がかかってきたのだ。
「A子さん、U太君から何か聞いてる?」
「えっ? いいえ」
「今日、公園でうちの下の子どもをブランコに乗せていたのよ。
U太君は、いつものように壁にボールを投げて遊び始めたわ。
するとね、U太君のクラスメイトらしい子達が7、8人くらいやって来てね、
『ドッジボールするからじゃまだ!』ってU太君に言うのよ。
しかも、その中のひとりがボールをU太君にぶつけたのよ。
U太君、すぐに帰っていったわ。
私としては、その場で何もできなくて申し訳なかったと思ってね」
A子は愕然とした。
「そんなことを私に黙っていたなんて……」
そんなつらい思いをしていながら、
自分に何も言ってくれないことが悲しかった。
その日は、あらためてU太から聞き出そうという気力も、
湧いてこなかった。
翌日、A子はある人に電話をかけることを決意した。
その人とは、夫の先輩に当たるY氏だ。
A子は、Y氏とは話したこともないのだが、
1週間前に夫からY氏の名刺を渡された。
Y氏は、夫が高校時代に通っていた剣道道場の先輩である。
夫も20 年くらい会っていなかったらしいが、
夫が最近街を歩いていたら、
たまたまばったりと出会ったということだった。
久々の再会に盛り上がって喫茶店に入り、2時間も話したらしい。
Y氏は、今は経営コンサルタントを仕事にしているそうだ。
夫の話では、Y氏は心理学にもくわしく、
企業や個人の問題解決を得意としているとのこと。
そこで夫がU太のことを少し話したら、
「もしかしたらお役に立てるかもしれないよ」と言って
名刺を渡してくれたそうだ。
その日、夫は、
「お前のほうから直接電話してみろよ。話を通しておいてやったから」と、
その名刺を渡してきた。
「どうして私が、そんな知らない人にまで相談しなきゃいけないの。
あなたが直接相談したらいいじゃない」
「俺が心配なのは、お前のほうだ。
U太のことで、ずっと悩み続けてるじゃないか。
だから、そのことをYさんに話したんだ」
「私に問題があるっていうの? 私が悩むのは当然よ、親なんだから!
あなたは一日中トラックに乗ってりゃいいんだから気楽よね。
実際にU太を育ててるのは私なんだからね。
あなたはいっしょに悩んでもくれない。
私はその人になんか相談しないわ。
どうせその人も、子育てのことは何もわからないに決まってるわ」
そう言ってA子は、その名刺をテーブルの上に投げた。
それから1週間が経ち、A子はすっかり落ち込み、
わらにもすがるような気持ちになっていた。
近所の奥さんから昨日聞いた話のためである。
こんなつらい思いをするのはイヤ、誰でもいいから助けてほしい。
そう思ったときに、Y氏のことを思い出したのだ。
幸い名刺はすぐに見つかった。
U太が学校に行って1時間くらい経ったころ、
意を決してY氏に電話をかけた。
そのときA子は、その日に起きる驚くべき出来事を、
想像だにしていなかった。
受付の女性が出て、Y氏に取り次いでくれた。
A子は自分の名前を告げたものの、
電話に出てきたY氏の声が明るかったので、
こんな悩み事を相談してもいいのだろうかという気持ちになった。
次の言葉がなかなか見つからなかったのだが、
Y氏のほうから声をかけてきてくれた。
「もしかして秋山君の奥さんですか?」
「はい、そうなんです」
「あー、そうでしたか。はじめまして」
「あのー、主人から何か聞かれていますか?」
「はい。少し聞きました。
なんでも息子さんのことで悩んでいらっしゃるとか」
「相談に乗っていただいていいのでしょうか?」
「今1時間くらいなら時間がありますので、
よかったらこの電話で話を聞かせてください」
A子は、U太がいじめられたり、仲間はずれにされていることを簡単に話した。
そして、前日にあった出来事も。
ひととおり聞いて、Y氏は口を開いた。
「それはつらい思いをされていますね。
親として、こんなにつらいことはないですよね」
その一言を聞いて、A子の目から涙があふれてきた。
A子が泣き始めたのに気づいたY氏は、
A子が落ち着くのを待ってから続けた。
「この問題をなんとかしたいですよね。
いくつか質問させてくださいね。
なんとかするための糸口が見つかるかもしれません」
「なんとかするための糸口が見つかるかもしれない」という言葉が
A子は信じられなかった。
自分が何年も悩んで解決できないことだったからだ。
しかし、その言葉が本当であってほしいと願う気持ちもあった。
「どんなことでも質問してください。
もしもなんとかできるなら、どんなことでも話します」
「では、いきなり不躾な質問で申し訳ないのですが、
もしかしたらあなたは、誰か身近な人を責めていませんか?」
「えっ? どういうことですか?」
「話が飛躍しすぎていますよね。
まず理論的なことをじっくり説明してから話せばいいんでしょうけど、
それをすると何時間もかかってしまうし、
あいにく私もそこまでは時間がないのです。
ですので、とりあえず私の仮説をお話ししますね。
あなたが大事なお子さんを人から責められて悩んでいらっしゃるのは、
あなたが、誰か感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めているからではないか
と思ったのです」
「子どもがいじめられるということと、私の個人的なことが、
なぜ関係があるのですか?
何か宗教じみた話にも聞こえますけど……」
「そう思われるのも、無理もないです。
私の仮説のベースにある法則は昔から言われてきたことでもあるのですが、
学校で教わったりはしないですからね」
「その話をもっと教えてください」
「『現実に起きる出来事は一つの結果であり、その原因は心の中にある』
という考え方があるんです。
『私たちの人生の現実は、私たちの心を映し出す鏡である』と考えてもらうと
いいと思います。
私たちの心のあり様が、人生という鏡に映し出されるのです。
そして私たちは、鏡を見ることで、
『あっ、髪型がくずれている』とか『今日は私、顔色が悪いな』って
気づいたりするわけです。
逆に鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。
人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、
自分を変えるきっかけをつかむことができるわけです」
「私の悩みが、私の心を映し出したものだとしたら、
私の心の何が映し出されているのでしょうか?」
「単純に『これだ』と特定することは難しいのですが、
あなたの人生に起きているのは、
『自分の大切な子どもが人から責められ、そのことで自分が悩んでいる』
ということですよね。
これが結果だとしたら、考えられる原因の一つとして、
もしかしたらあなたが、大切にする必要がある人を、
責めてしまっているのではないかと思ったのです。
感謝する必要がある人、それも身近な人をあなたが心の中で責めていて、
それが人生という鏡に映し出された結果、
あなたは大切な子どもを責められて悩むことになったのではないか。
こんな仮説を立ててみたのです。
見当はずれだったら申し訳ありません。
いかがでしょうか?
たとえば、一番身近なご主人に対してはどうですか?」
「主人には感謝しています。
トラックの運転手として働いてくれているおかげで、
家族が食べていけているのですから」
「それは何よりです。では、ご主人を尊敬しておられますか?」
A子は、「尊敬」という言葉を聞いたときに、ギクッとした。
A子は、日ごろから夫のことを、
どこか軽蔑しているところがあったからだ。
A子から見て、楽観的な性格の夫は、「思慮の浅い人」に見えた。
また、「教養のない人」にも見えた。
A子は四年制の大学を卒業しているが、夫は高卒である。
また、それだけではなく、夫は言葉ががさつで、
本も週刊誌くらいしか読まない。
読書が趣味のA子としては、
U太に、「夫のようになってほしくない」という思いがあったのだ。
A子は、そのこともY氏に話した。
「『人間の価値は、教養や知識や思慮深さで決まる』という考えを
お持ちですか?」
「いえ、決してそんなふうには思いません。
人それぞれ強みや持ち味があると思います」
「では、なぜご主人に対して、『教養がない』ことを理由に
軽蔑してしまうのでしょうね」
「私の中に矛盾がありますね」
「ご主人との関係は、どうなんですか?」
「主人の言動には、よく腹が立ちます。喧嘩になることもあります」
「U太君の件で、ご主人とはどうですか?」
「私はU太がいじめられていることについて、
いつもグチっぽく主人に言っています。
ただ、主人の意見やアドバイスは受け入れられないので、
主人にちゃんと相談したことはありません。
おそらく、私にとって主人は、
一番受け入れられないタイプなんだと思います」
「なるほど。もうひとつ根本的な原因があるのかもしれません。
だとしたら、ご主人を受け入れるより先に、
そっちに取り組む必要があります」
「根本的な原因ですか?」
「はい、あなたがご主人を受け入れることができない根本的な原因を
探ってみたいと思います。
ちょっと伺いますが、ご自分のお父様に感謝しておられますか?」
「えっ? 父ですか? そりゃもちろん感謝してますが……」
「もしかして、お父様に対して『ゆるせない』という思いを、
心のどこかに持っていませんか?」
A子は、この「ゆるせない」という言葉にひっかかった。
たしかに、自分は父をゆるしていないかもしれない。そう思った。
親として育ててくれたことに感謝しているつもりであったが、
父のことは好きになれなかった。
結婚して以降も、毎年の盆・正月は、実家に顔を見せに家族で帰っている。
しかし、父とは、ほとんどあいさつ程度の会話しかしていない。
思えば、高校生のころから、
父とは他人行儀な付き合いしかしてこなかった。
「父をゆるしていないと思います。父をゆるすことはできないです」
「お父様をゆるすことはできないのですね。
きっといろいろあったのでしょうね。
ところで、お父様に関してやってみていただきたいことがあるのです。
やってみますか?」
「父のことや主人のことが、本当に私の悩みと関係があるのですか?」
「今は仮説の段階ですから何とも言えませんが、
その仮説を検証するうえで、
よかったらやってみていただきたいことがあるのです」
「わかりました。何をやったらいいか教えてください」
「では、今から教えることをまずやってみてください。
お父様に対する『ゆるせない』という気持ちを存分に紙に書きなぐってください。
怒りをぶつけるような文章でもけっこうです。
『バカヤロー』とか『コノヤロー』とか『大嫌い!』とか、
そんな言葉もOKです。
恨みつらみもすべて言葉にして、容赦なく紙にぶつけてください。
具体的な出来事を思い出したら、その出来事も書いて、
『そのとき、私はこんな気持ちだったんだ』ってことも書いてみてください。
気がすむまでやることです。
やり終えたら、また電話をください」
A子にとって、そのことが、
U太の問題の解決に役立つのかどうかは疑問だった。
しかし、それを疑って何もしないよりも、
可能性があるならやってみようと思った。
A子は、
「今の悩みをなんとかできるなら、どんなことでもしよう」
と思っていた。
それに、Y氏の話には、
根拠はわからないが、不思議な説得力を感じた。
A子は電話をきると、レポート用紙を持ってきて、
父に対する思いを、思いつくままに書き始めた。
自分が子どものころは、なにかと口やかましい父だった。
夕食が説教の時間になることも多かった。
また、子ども達が自分の思い通りにならないと、すぐに大声で怒鳴りつける、
そんな父だった。
お父さんは私の気持ちなんか全然興味ないんだ、
と思うことも少なくなかった。
お酒を飲んだときに、仕事のグチを言うところもイヤだった。
また、建設会社で現場監督をしていた父は、
砂や土で汚れた仕事着で帰って来て、そのまま食事をすることが多かったが、
それもイヤだった。
A子は、父に対しての気持ちを文章にしていった。
気がついたら、父に対して
「人でなし!」とか「あんたに親の資格なんかない!」など、
かなり過激な言葉もたくさん書いていた。
ある出来事も思い出した。
自分が高校生のころ、
クラスメイトの男の子と日曜日にデートをしたことがあったが、
その男の子と歩いているところを、たまたま父に目撃され、
後で問いただされて説教された。
両親には、「女の子の友達と遊ぶ」と嘘をついていたのだが、
父はその嘘がゆるせないようだった。
そのときの父の言葉は、今も覚えている。
「親に嘘をつくくらい後ろめたい付き合い方をしているのか!
お前は、ろくな女にはならん!」
思い出していると怒りがさらに込み上げてきた。それも文章にした。
「お父さんがそんな性格だから、嘘もつきたくなるんでしょ!
自分に原因があることがわからないの?
それに『ろくな女にならない』って、なんてひどい言葉なの。
私がどのくらい傷ついたか知らないんでしょう!
あんたこそ、ろくな親じゃない!
あれから私は、お父さんに心を開かなくなったのよ。
自業自得よ!」
やがて悲しさやつらさがA子の心を占めるようになった。
それらの気持ちを書き出している間、涙が止まらなかった。
気がついたら、正午を回っていた。
書き始めて2時間近く経っていた。
十数枚のレポート用紙に、父に対する感情を吐き出した。
容赦なく書いたせいか、それとも、思いきり泣いたせいか、
気持ちがずいぶん軽くなっていた。
A子は、午後1時を回ったところで、Y氏に電話をした。
「ご自分の気持ちを書き出しましたか?」
「はい、気持ちを出しきりました。たくさん泣いてスッキリしました」
「なかなか大変だったでしょう。
次のステップは、お父様をゆるすための作業です。
お父様をゆるすことはできないとおっしゃっていたので、
無理にされない方がいいかもしれませんが、いかがですか?」
「やってみたいです。
もしも父のことをゆるせるものなら、ゆるして楽になりたいです」
「では、やってみましょう。
お父様をゆるすのは、他でもない、あなた自身の自由のためにゆるすんです。
紙を用意してください。
そして、上の方に『父に感謝できること』というタイトルを書いてください。
さて、お父様に対して感謝できることは、どんなことがありますか?」
「それは、まず、働いて養ってくれたことですね。
父が働いて稼いでくれたおかげで、家族も食べていけたわけですし、
私も育ててもらえたわけですから」
「それを紙に書き留めてください。他にもありますか?」
「そうですね……、
私が小学生のころ、よく公園に連れていって遊んでくれましたね」
「それも書き留めておいてください。他には?」
「それくらいでしょうか」
「では、別の紙を用意して
『父に謝りたいこと』というタイトルを書いてください。
さて、お父様に謝りたいことは、何かありますか?」
「特に浮かびませんが、あえて言えば、
心の中で反発し続けたことでしょうか。
ただ、それを心から謝りたいという気持ちにはなれません」
「実感がともなわなくても大丈夫です。
とりあえず、今おっしゃったことを書き留めてください」
「書き留めました」
「今からあなたにある提案をしようと思っています。
普通なら、この段階でそんな提案をすることはあまりないのですが、
あなたの場合、それをやってみてもいいと思ったのです。
ですが、抵抗を強く感じられるなら無理をせず、他の方法を考えましょう。
もしも実行されるなら、あなたの人生で、
一番勇気を使うことになるかもしれません」
「勇気ですか? 何をすればいいのでしょうか?」
「私の提案は、今からお父様に電話をかけて、
感謝の言葉と謝る言葉を伝えるというものです。
実感が湧いてこなかったら、用意した言葉を伝えるだけでもOKです。
『父に感謝できること』と『父に謝りたいこと』の2つの紙に書き留めたことを、
読んで伝えるだけです。
伝えたら、すぐに電話をきってもらってかまいません。
やってみますか?」
「うーん……たしかに、今までの人生で使ったことがないくらい、
勇気を使わないとできませんね。
でも、これが私の悩みの解決に役立つかもしれないなら、
それだけの勇気を使う価値はあるんだと思います。
だけど、難しいですね……」
「ご自分の気持ちと相談して、もしもできそうでしたらやってみてください。
そして実行された場合は、その時点で一度ご連絡ください。
それでは私は次の予定がありますので、このあたりで失礼します」
A子にとって救いなのは、
「用意した文章を読むだけでもいい」ということだった。
「謝る」ということについては、気持ちがともなわない。
「悪いのは父親のほうだ」という思いがあるから、
自分が謝るのは筋違いだと思う。
だけど、書き留めた文章を棒読みするくらいならできそうだ。
それならば、やってみたほうがいいに決まっていると思えた。
A子は「電話をかけよう」という気になってきた。
そして、電話をかけようとしている自分が不思議だった。
こんなきっかけでもなかったら、
A子が父親と電話で話すということは、一生なかったかもしれない。
結婚して間もないころは、実家に電話をして父が電話に出たときは、
すぐさま「私だけど、お母さんにかわって」と言っていた。
しかし今は、「私だけど」と言っただけで、
父の「おーい、A子から電話だぞ」と母を呼ぶ声がする。
父も、A子から自分に用事があるはずがないということをわかっているのだ。
しかし、今日は電話で父と話すのだ。
躊躇していたらますます電話をかけにくくなる、と思ったA子は、
意を決して電話をかけた。
電話に出たのは、母だった。
「私だけど」
「あら、A子じゃない。元気にしてる?」
「うん、まあね。……ねえ、お母さん、お父さんいる?」
「えっ? お父さん? あなたお父さんに用なの?」
「う、うん。ちょっとね」
「まあ、それは珍しいことね。ねえ、お父さんに何の用なの?」
「えっ? えーと、ちょっと変な話なんだけど、
説明するとややこしいから、お父さんにかわってくれる?」
「わかった、ちょっと待ってね」
父が出てくるまでの数秒間、A子の緊張は極度に高まった。
ずっと父のことを嫌ってきた。父に心を開くことを拒んできた。
その父に感謝の言葉を伝えて謝るなんて、普通に考えてできっこない。
しかし、U太のことで悩みぬいたA子にとって、
その悩みが深刻であるがゆえに、
普通だったらできそうにない行動を取っているのだった。
もしも、その悩みを何とかできる可能性があるなら、
わらにもすがりたいし、どんなことでもする。
その思いが、A子を今回の行動に向かわせたのだ。
父が電話に出た。
「な、なんだ? わしに用事か?」
A子は、自分では何を言っているかわからないくらい、
パニック状態になりながら話し始めた。
「あっ、あのー、私、今まで言わなかったんだけど、
言っといたほうがいいかなーと思って電話したんだけど、
……えーと、お父さん、現場の仕事けっこう大変だったと思うのよ。
お父さんが頑張って働いてくれて、私も育ててもらったわけだし。
あのー、私が子どものころ、公園とかも連れて行ってくれたじゃない。
なんて言うか、ありがたいって言うか、
感謝みたいなこと言ったことないと思うのよ。
それで、一度ちゃんと言っておきたいなと思って……。
それから私、心の中で、けっこうお父さんに反発してたし、
それも謝りたいなと思ったの」
ちゃんと「ありがとう」とは言えなかったし、
「ごめんなさい」とも言えなかった。
だけど、言うべきことは一応伝えた。
父の言葉を聞いたら、早く電話をきろう。そう思った。
しかし、父から言葉が返ってこない。
何か一言でも言ってくれないと電話がきれないじゃない、
と思ったときに、受話器から聞こえてきたのは、母の声だった。
「A子! あなた、お父さんに何を言ったの?」
「えっ?」
「何かひどいこと言ったんでしょ!
お父さん、泣き崩れているじゃないの!」
受話器から、父が嗚咽する声が聞こえてきた。
A子はショックで呆然とした。
生まれて以来、父が泣く声を一度も聞いたことはなかった。
父はそんな強い存在だった。
その父のむせび泣く声が聞こえてくる。
自分が形ばかりの感謝を伝えたことで、
あの強かった父が嗚咽しているのだ。
父が泣く声を聞いていて、A子の目からも涙があふれてきた。
父は私のことをもっともっと愛したかったんだ。
親子らしい会話もたくさんしたかったに違いない。
だけど、私はずっと、父の愛を拒否してきた。
父は寂しかったんだ。
仕事でどんなにつらいことがあっても耐えていた強い父が、
今、泣き崩れている。
娘に愛が伝わらなかったことが、
そんなにもつらいことだったんだ。
A子の涙も嗚咽へと変わっていった。
しばらくして、また母の声。
「A子! もう落ち着いた? 説明してくれる?」
「お母さん、もう一度お父さんにかわってほしいの」
父が電話に出た。涙で声が震えているようだ。
「A子、すまなかった。わしは、いい父親じゃなかった。
お前にはずいぶんイヤな思いをさせた。ううっ……」
ふたたび嗚咽が聞こえてきた。
「お父さん。ごめんなさい。
私こそ悪い娘でごめんなさい。
そして、私を育ててくれてありがとう。うっ、うっ……」
A子の声も嗚咽によってかき消された。
少し間をおいて、再び母の声。
「何が起きたの? また、落ち着いたら説明してね。一旦、電話きるよ」
A子は、電話をきってからも、しばらく呆然としていた。
20 年以上もの間、父を嫌ってきた。ずっと父をゆるせなかった。
自分だけが被害者だと思っていた。
自分は父の一面だけにとらわれて、
別の面に目を向けようとはしなかった。
父の愛、父の弱さ、父の不器用さ、
これらが見えていなかった。
父はどれだけつらい思いをしてきたんだろう。
自分は父に、どれだけつらい思いをさせてきたんだろう。
いろいろな思いがかけ巡った。
父に対する感謝の気持ちも湧いてきた。
勇気を出して電話してよかったと、しみじみ思った。
「あと1時間くらいで、U太が帰ってくるな」
そう思ったときに、電話が鳴った。
電話に出てみると、Y氏であった。
「どーも、Yです。少し時間ができたので電話しました。
さっきは、次の予定が入っていたので、
お話の途中で電話をきったような気がしまして」
「じつは私、父に電話したんです。
電話して本当によかったです。ありがとうございました」
A子は、父とどんな話をしたかを簡単に説明した。
「そうでしたか。勇気を持って行動されて、よかったですね」
「私にとって、U太がいじめられていることが、
最大の問題だと思っていましたが、
長年父をゆるしていなかったことのほうが、
よほど大きな問題だったという気がします。
U太の問題のおかげで父をゆるすことができたんだと思うと、
U太の問題があってよかったのかなという気すらします」
「U太君についてのお悩みを、
そこまで前向きに捉えることができるようになったのですね。
『必然の法則』というのがありましてね、
それを学ぶと次のようなことがわかるんです。
じつは、人生で起こるどんな問題も、
何か大切なことを気づかせてくれるために起こるんです。
つまり偶然起こるのではなくて、起こるべくして必然的に起こるんです。
ということは、自分に解決できない問題は決して起こらないのです。
起きる問題は、すべて自分が解決できるから起きるのであり、
前向きに取り組みさえすれば、
後で必ず『あの問題が起きてよかった。そのおかげで……』と言えるような
恩恵をもたらすのです」
「そうなんですね。
ただ、U太の問題自体は何も解決していないので、
それを思うと不安になります」
「そうですよね。
今の時点では、あなたの母親としての悩みは未解決ですよね。
ですがもしかしたら、今回お父様をゆるせたことで、
あなたの悩みは、水面下で何らかの変化をし始めているかもしれませんよ。
心の世界はつながっていますからね」
「心の世界がつながっている……、あまりピンときませんが」
「それもそうですよね。
私の言っていることは、ある意味で突拍子もないことですからね。
さて、ここで少し整理してみましょうか。
あなたにとって、U太君のことで一番つらいのは、
U太君が心を開いてくれないことでしたね。
親として、何もしてやれないことが、情けなくてつらいとおっしゃいましたね。
そのつらさをこれ以上味わいたくないと」
「はい、そうです。
いじめられていることを相談もしてくれない。
私は力になりたいのに、『ほっといて!』って拒否されてしまう。
無力感を感じます。
子どもの寂しさがわかるだけに、
親として、何もしてやれないほどつらいことはありません」
「本当につらいことでしょうね。
ところで、そのつらさは、誰が味わっていたつらさなのか、
もうおわかりですよね」
「えっ? 誰がって……」
そのとき、A子の脳裏に父の顔が浮かんだ。
そうか! この耐えがたいつらさは、長年父が味わい続けたつらさなんだ。
娘が心を開いてくれないつらさ。
娘から拒否されるつらさ。
親として何もしてやれないつらさ……。
私のつらさと一緒だ。
このつらさを、父は20 年以上も味わい続けたのか。
A子のほほを涙が伝った。
「今わかりました。
私は、私の父と同じつらさを味わっていたんですね。
父はこんなにつらかったんですね。
父が嗚咽したのもわかります」
「人生で起こる問題は、
私たちに大事なことを気づかせるべく起こるんです」
「あらためて父のつらさがわかりました。
U太が私に心を開いてくれなかったおかげで、
わかることができたんだと思います」
「息子さんもお父様もあなたも、心の底ではつながっています。
お父様に対するあなたのスタンスを、
あなたに対してU太君が演じてくれていたのではないでしょうか。
そしてそのおかげで、あなたは気づくことができた」
「U太にも感謝したいです。
『大事なことに気づかせてくれて、ありがとう』って気持ちです。
今まで、『どうしてお母さんに話してくれないの?』って
心の中でU太を責めていました」
「今なら、U太君の気持ちも理解できますか?」
「そうか!
私が子どものころ、口うるさい父がイヤでした。
いろいろ口出ししてきたりするのがイヤでした。
今考えてみれば、それも父の愛情からだったんでしょうけど、
当時は負担でした。
U太も同じ思いなんだと思います。
私の押し付けがましい愛情が負担なんだと思います」
「あなたは子どものころ、本当はお父様に、
どんな親でいてほしかったんでしょうね?」
「私を信頼してほしかった。
『A子なら大丈夫!』って信頼してほしかったです。
きっとU太もそうしてほしいんですね。
私、U太を信頼していなかったと思います。
私が手助けしないとこの子は問題を解決できない、そう思っていました。
それで、あれこれ問いただしたり、説教したり……。
もっとU太を信頼してあげたいです」
「あなたは、お父様のつらさも理解し、
U太君のつらさも理解されましたね。
では次に、ご主人とのことに移りましょう。
朝お電話をいただいたときに、
『あなたの大切なU太君が人から責められ、
そのことであなたが悩んでいるということは、
あなたが身近な誰かを責めてしまっていることに関係があるのではないか』
とお話したのを覚えていますか?」
「はい覚えています。
私は、主人を尊敬できないという話をしました」
「ではもう一度、ご主人に対してどんなふうに感じておられるか、
話してもらえますか?」
「どうしても、主人に対して、
『教養のない人』とか『思慮の浅い人』というふうに見てしまうんです。
U太のことにしても、私がこれだけ悩んでるのに、根拠なく楽観的なんです。
それで主人に対しては、グチこそはぶつけますが、
ちゃんと相談したりすることはありません。
主人の意見も受け付けられないんです」
ここまで話しながらA子は、
自分の夫に対するスタンスが、
父親に対して取ってきたスタンスに似ていることに気がついた。
「私が、父に対して取ってきたスタンスと似てますね」
「女性の場合、父親に対して取ってきたスタンスが、
夫に対してのスタンスに投影されることが多いんです。
ところで、お聞きしていると、
ご主人はU太君のことを信頼されているようですね」
「あっ、そうですね!
そうか、主人のそういうところを見習うべきだったんですね。
U太は主人に対しては、けっこう本音を言っているみたいなんです。
U太は信頼されてると思うから、主人には心を開くんですね。
私は、主人のよいところをまったく見ていませんでした」
「なるほど、そんなことを感じられたんですね。
さて、では宿題を差し上げます。
やるかどうかはご自分で決めてくださいね。
今日の午後、『父に感謝できること』と『父に謝りたいこと』という
2種類の紙を作ってもらいましたよね。
その紙に、さらに、お父様に感謝できることと謝りたいことを、
書き足せるだけ書き足してください。
紙は何枚使ってもけっこうです。
それが終わったら、もう一枚紙を用意してください。
その紙のタイトルは、
『父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?』です。
これは過去のお父様との関係を後悔するために書くのではありません。
これからのご主人との接し方のヒントが見つかるはずです。
そしてもうひとつ、U太君が夜眠ったら、U太君の寝顔を見ながら、
心の中でU太君に『ありがとう』と何度もささやきかけてください。
どうですか、やってみますか?」
「はい、必ずやってみます」
電話をきって間もなく、U太が帰ってきた。
U太はランドセルを玄関に投げると、
いつものようにグローブとボールを持って、公園に行った。
昨日友達に追い出されたというのに、この子はまた公園に行くのだろうか、
とA子の心は心配な気持ちでいっぱいになった。
しかし、A子は、その心配な気持ちをまぎらわすように宿題に取りかかった。
父に対して感謝できることがたくさん思い浮かんだ。
・・・・・・・・・・・・・・
「父に感謝できること」
・現場監督のきつい仕事を続けて、家族を養ってくれた。
・私が子どものころ、夜中に高熱を出したことが何度かあったが、その都度、車で救急病
院まで連れて行ってくれた(肉体労働をしていた父にとって、夜中はしんどかったはず)。
・私が子どものころ、よく海や川に連れて行ってくれて、泳ぎを教えてくれた。
・子どものころ私はメロンが好きだったが、毎年の私の誕生日には、メロンを買って帰っ
て来てくれた。
・子どものころ近所のいじめっ子にいじめられていたことがあったが、その子の家に抗議
しに行ってくれた。
・私は私立大学に入ったが、文句を言わず学費を出してくれた(当時のわが家にとって、
大きな負担だったはず)。
・私の就職先が決まったときに、寿司を出前で取ってくれた。とても豪華な寿司だった。
そのとき私は「寿司は好きじゃない」と言って食べなかった。父はしょんぼりしていた)。
・「自分にもしものことがあったときのために」と、私たち兄弟の口座をつくり、
月々わずかの金額であるが、貯金をしてくれていた(そのお金を父は、結婚式の
前日に私に渡そうとしたが、私は「持ち歩けないので、振り込んでもらうほうが
いい」と言って、その場では受け取らなかった)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「感謝したいこと」に連鎖して「謝りたいこと」も浮かんできた。
それらを書き出しながら、涙が浮かんできた。
「私は、こんなにも愛されていた。
反発する私を、愛し続けてくれていたんだ。
私は、ゆるせないという思いにとらわれていたから、
その愛に気づかなかったんだ。
そして、こんなにも愛してもらいながら、
私は父に何もしてあげてない。
親孝行らしいこともほとんどしていない」
自分が父親の仕事を尊敬していなかったことにも気づいた。
父親の現場監督の仕事に対して、
「品がない」とか「知的でない」とか思っていた。
父親が仕事を頑張り続けてくれたおかげで、
自分は大学まで行かせてもらえたというのに。
そのことに初めて気づいた。
父親の仕事に対して、尊敬心と感謝を感じた。
そして今、自分は夫の仕事に対して、
「知的でない」というイメージを持っている。
夫に対する「教養がない」という嫌悪感をともなうイメージは、
父に対して持っていたイメージとそっくりである。
父への見方が変わって、父に感謝することができたのだから、
夫に対しても感謝できることがたくさんあるのではないだろうか。
そんなことを考えながら、続いて、
「父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?」
というタイトルの紙を用意した。
これについては、すぐに文章が浮かんできた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「父に対して、どのような考え方で接したらよかったのか?」
・自分が不完全な人間であるように、父も不完全で不器用な人間であることを理解する
こと。
・父の言動の奥にある愛情に気づくこと。
・してもらっていることに感謝すること。
・感謝の気持ちを言葉にして伝えること。
・そしてその上で、イヤなことはイヤだと伝えて、おたがいにとって居心地のいい関係
を築くこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これはまさに、これから夫に対してするべき考え方だと思った。
働いてくれている夫。
自分の人生のパートナーでい続けてくれている夫。
自分は夫に対して感謝することを忘れていた。
夫に対して、こんなに素直な考え方ができるのは初めてかもしれない。
これは父に感謝できたことと関係があるのかもしれない。
今日は夫に感謝の言葉を伝えよう。
そんなことを考えているうちに、
外が薄暗くなりかけていることにA子は気づいた。
思えば、今日は家事らしきことをほとんどしていない。
朝の9時ごろY氏に電話してから、1日中自分と向き合っていた。
「晩ご飯の用意、どうしよう?」
そう思ったときに、U太が帰ってきた。
「ねえ、お母さん聞いてよ!」
「どうしたの? 何かいいことあったの?」
「大樹君知ってるでしょ。
じつは昨日、大樹君に公園でボールをぶつけられたんだ」
「そっ、そうなの? 大樹君って、あなたを一番いじめる子だよね」
「さっき公園から帰ろうとしたら大樹君が公園に来てさー。
で、『いつもいじめててごめんな』って言ってくれたんだ」
「そうだったの!」と言いながら、
まるで奇跡でも体験しているような気持ちになった。
このことは、自分が父親と心で和解できたことに関係あるに違いない。
そんな気がしてきた。
A子は、夕食の準備をするより、U太と話そうと思い、出前を取った。
出前が届くまでの間、A子はU太に次のようなことを伝えた。
「今まで、あなたのことに口出しをし過ぎてごめんね。
これからは、なるべく口やかましくしないように気をつけるからね。
そして、お母さんの助けが必要なときは、いつでも遠慮なく相談してね。
あなたのことを信頼してるからね」
U太は本当にうれしそうな顔をして、
「わかった、ありがとう」と答えた。
やはりU太は、母親に信頼してもらいたかったのだ。
「今日は、なんか変だなー。いいことが続くなー」とU太が言った。
A子も幸せな気持ちになった。
間もなく出前が届いた。
「お母さんは、お父さんが帰ってくるのを待つから、先に食べてね」
「えっ? どうしたの? いつもは先に食べるのに」
「今日は、お父さんといっしょに食べたい気分なのよ。
お父さん、お仕事頑張ってくれて、疲れて帰って来るからね。
一人で冷めた親子丼食べるの、寂しいでしょ」
「じゃー、僕もお父さんといっしょに食べる!
三人で食べるほうが楽しいでしょ」
「ほんとうにあなたは優しい子ね。お父さんに似たのね」
「なんか変だなー。
いつもお父さんのことを、『デリカシーがない』とか言ってるのに」
「そうよね。お母さんが間違ってたのよ。
お父さんは、優しくて男らしくてたくましくて、男の中の男よ」
「勉強しないと、
お父さんのような仕事くらいしかできなくなっちゃうんでしょ?」
「ごめんね、それもお母さんが間違ってたのよ。
お父さんの仕事は、お客さんのところに大切な荷物を届ける立派な仕事よ。
それに、お父さんが働いてくれてるおかげで、
こうやってご飯食べたりできるんだからね。
お父さんの仕事に感謝しようね」
「お母さん、本当にそう思う?」
「うん、思うよ」
A子がそう言ったときのU太の笑顔は、
その日で一番うれしそうな笑顔だった。
子どもは本来、親を尊敬し、親をモデルにして成長する。
A子の言葉は、U太に対して、
「お父さんを尊敬してもいいよ」という許可を与えたことになる。
U太はそのことが何よりもうれしかったのだ。
しばらくして夫が帰って来て、三人で冷めた親子丼を食べた。
自分の帰りを待っていてくれたことがうれしかったのか、
夫も上機嫌だった。
冷めた親子丼を「うまい、うまい」と言いながら食べていた。
夫が風呂に入っている間に、U太が眠りについた。
A子はU太の寝顔を見ながら、心の中で「ありがとう」を唱え始めた。
この言葉の影響なのか、心の底から感謝の気持ちが湧いてきた。
「この子のせいで私は悩まされてると思ってきたけど、
この子のおかげで大切なことに気づけた。
本当は、この子に導かれたのかもしれない」
そう思っていると、U太が天使のように見えた。
いつの間にか、涙があふれてきた。
本当に今日は、よく泣く日だ。
間もなく電話が鳴った。出てみるとFAXだった。
母の字で次のように書いてあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A子へ
今日のことお父さんから聞きました。
お父さん、話しながら泣いていました。
お母さんもうれしくて涙が出ました。
「70 年間生きてきて、今日が一番うれしい日だ」と
お父さんは言っています。
晩ご飯のときに、いつもお酒を飲むお父さんが、
「酒に酔ってしまって、このうれしい気持ちを味わえんかったら
もったいない」と言って、今日はお酒を飲みませんでした。
次は、いつ帰ってきますか。
楽しみにしています。
母より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
晩酌を欠かしたことのない父が、お酒を飲まなかったなんて……。
自分が伝えた言葉が、
父の心をどんなにか幸せな気持ちで満たしたのであろう。
そして、今まで父が、
身体の調子がよくないときもお酒をやめられなかったのは、
寂しさゆえだったのだろう。
A子の目からは、再び涙があふれていた。
「どうした? 泣いてるのか?」。
風呂から出てきた夫が聞いてきた。
A子は、その日起きたことをすべて話した。
朝、Y氏に電話をかけたこと。
午前中は、父への恨み・つらみを紙に書きなぐったこと。
午後、父に電話して和解したこと……。
「そうか、お父さんも泣いてはったか」。
夫も、目に涙を浮かべながら聞いてくれた。
そして、U太がいじめっ子から謝られたことを話した。
「ふーん、不思議なこともあるもんやな。
Yさんのやり方は、俺にはよくわからんけど、
おまえも楽になったみたいでよかったな」
続けてA子は、泣きながら夫に謝った。
「いつもありがとう。あなたには本当に感謝しています。
今日、あらためて、あなたのことを尊敬しました。
今まで、あなたの素晴らしさに気づかなくてごめんなさい」
A子の言葉を聞く夫の目からも、大粒の涙が流れた。
次の日、A子はY氏に報告して、心からのお礼を伝えた。
朝一番で夫も電話を入れていたようだ。
「ご主人からも電話をもらいました。お役に立てて何よりです。
あなたの勇気と行動力を尊敬します。
さて、これからが大切です。
できれば毎日、お父様とご主人とU太君に対して、
心の中で『ありがとう』という言葉を唱える時間を持ってみてください。
きっと、ますますいい関係が築けると思いますよ」
その日の夕方のことである。
「ただいま!」元気な声でU太が帰って来た。
「お母さん、聞いて! 今日ね、友達から野球に誘われたんだ!
今から行って来るから!」
U太はグローブを持って飛び出して行った。
A子の目には、またもや涙がにじんでいた。
声が詰まって、「行ってらっしゃい」の一言が言えなかった。
(THE END)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この作品どうでしたか?私も何度も読み返しては涙ぐんでいるのですが、不思議な鏡の
法則だと思います。
鏡の法則の意味もよく分かるのですが、偉いのは心理学を勉強して経営コンサルタント
をしているY氏ですね。
私は哲学の本は好きでよく読んだのですが、心理学も良いですね〜こんな仕事が出来るの
なら、娘は大学の心理学科を出たのですが、心理学科を出たなら親の心理をもっと解れ!
と言ったこともありますが(笑)
このような心理学で、人助けが出来るのなら良いですね〜
私もY氏のように心理学を勉強して、人助けが出来たら良いと思います。
神様に「世の中の道具となれ!」と教えられていますので・・・
少しでも多くの人に必要とされるように生きて、死ぬときは少しでも多くに人に涙して
いただければ、この上ない人生の本望です。
では又・・・・管理人。
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高知市から車で約1時間走ると横倉山入り口に着きます。
入り口から車で横倉山を登り約20分くらいで(織田公園)展望台に着きます。
何度かブログで紹介しましたが、ここは私にとって何十回もこの場所を夢に見て、やっと見つけた場所
なのです。初めてこの山を見つけて車で上がっていると、悲しくも無いのに涙がポロポロと出てこの
景色を見たときは夢と同じだったので感激しました。
ただ夢では、この付近はただっ広い大地で草が沢山生えていましたが、夢でも肌寒く空気の綺麗な場所
でした。(又ここへ来たといつも思うのでした。現実的にはこの場所は知らなかったのですが)
この横倉山は、標高800mで頂上には横倉宮があり、ここから未だ車で7〜8分上ります。
しばらく上がると第2駐車場があり、もう少し上に上ると第3駐車場と広い駐車場があります。
車を止めて、30分ほど上ると頂上の横倉宮に着くのです。
登山口にマムシ注意の看板を見る。
すると早速、黒いマムシが前を横切った。一瞬だったので撮影できなかったのですが、娘に気をつけろと
言うと、頭が三角の黒マムシがシュルシュルと横切ったのです。
早速、蛇が迎えに来てくれた、縁起が良いかも・・・・
このようなマムシですね・・・(ネットより拝借)
そしてこのような赤マムシの赤ちゃんのようなマムシも道中何度か見かけました。
10分ほど上ると杉原神社に着きます。
大杉が生い茂る杉原神社です。
天然記念物に指定されている大杉2本。幹周7.4mと6.6m・樹高35mと圧倒される太さです。
ここが平家の宮の鳥居です。
(杉原神社)
この場所に安徳天皇を護衛して来た従臣80余名の墓祠があり、横倉宮の摂社、末社として祭祀
されている。
小松少将有盛(平重森の四男)小松新三位中将資盛・・・多分このあたりが私の先祖のように思います。
(平家の宮)
ここから安徳天皇陵墓参考地まで1kmです。
やっと横倉宮の鳥居です。もう一息でここまで来ると汗びっしょりで、私は下着のシャツ一枚に
なり、いつもこの鳥居を抜けると急に空気が変わり神様近いと感じるのです。
神様お久しぶりです、ご無沙汰してました。今日は天気も良く気持ちよく来られました。こんな格好で
申し訳ないですが、礼和元年になりましたおめでとうございます、・・・等とご挨拶する。
初めて神様の声を聞いた私にとっては、忘れられない大切な神社なのです。
神様にお断りして、中を撮影する。夢でもこの広い階段は全く同じで覚えています。
夢ではこの2階から馬鹿試しの景色は見えたのですが、現在は見えそうにも無いです。
頂上の馬鹿試しからの景色です。
足場の悪い岩の先に立って景色を見るから馬鹿試しでしょうね。一歩踏み間違えば転落して即死です
よ。(やっぱり私は馬鹿でした)(^_^)
ここが2階の屋根だから、夢では2階からいつもこの景色が見えたのですが、現在の2階からでは
景色は見えません。昔はもう少し高い場所にあったのではと思いますけどね〜・・・・
私が何度も夢に見た2階の場所は、とても見晴らしが良かったので、多分立て替えられたのだと
思います。
横倉宮から10分ほど行くと、安徳天皇陵墓地にたどり着きます。
この石段を登ると陵墓地で、この付近から厳かな空気が漂います。・・・・
安徳天皇陵墓地です。ここへは何度も来ますが不思議にここでは誰とも出会わないのです。
来る道中や帰る道中では、すれ違う人も居るのですが、私がここに来たときは誰もいないのです。
柵内は立ち入り禁止なのですが、誰も居ないので神さまにお断りして入らせて頂きました。
お酒をお供えするためにです。
安徳天皇が乗馬練習された「御馬場跡」だそうです。
壇ノ浦の戦いの後、平家一門に守護されながら山伝いに源氏から逃れ、1数ヶ月、やっとこの
地に着きて、ここを終焉(しゅうえん)の地とされたが、正治二年(1200年)に御年23歳で
崩御しこの地に埋葬される。天皇が従臣らと蹴鞠をされた所と伝えられている。
高知県内では唯一の宮内庁所轄地として陵墓守を配置している。
私が何度もこの地を夢に見、とても懐かしく感じるのは私のご先祖様の記憶が遺伝したのかも
知れない。又、道すがらの景色も懐かしく感じ、何も悲しくないのに涙したのも、私の守護霊の
感激の涙ではなかったのかと、色々と思いを馳せるのです。
安徳天皇様に「二礼二拍手一拝」をし、安らかにお眠り下さいと手を合わせ、ご先祖様におかげ
様で、子孫は沢山増えて平穏に暮らせていますので、ご安心下さいと・・・
又、益々の子孫の繁栄をお守り下さいとお願いする。
今日は天気も良く、気持ちよくお参りが出来ました。
ここに来ると疲れるのですが、帰りは清々しい気持ちになり、来て良かったといつも思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
では又・・・・管理人。
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今上陛下様お疲れ様でした。85歳というご高齢でありながら、毎朝5時に起床して5時半
には、先祖神の祈りから始まり、国の平和、国民の幸せを願ってくれてるそうです。
8時から朝食が始まり、9時半から5時まで山のような公務を分刻みでこなしているそう
ですが、85歳という高齢でありながら、頭が下がります。
美智子様は、皇室の仕事は国民全てが幸せであるように願い、祈る。のが勤めだとおっしゃ
ってましたね。どれだけの国民が天皇陛下の有り難さを知っているのやら・・・
天皇陛下の仕事内容や、有り難さを学校教育でもっと教えるべきだと思いますけどね。
天皇陛下も75歳とかの定年制にしないと可哀想にさえ思います。
本来天皇と言えば神の子、半神半人だったので古代天皇の寿命も長かったからでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、天皇はずらりと100歳超えが多いのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、アダムは930歳、アダムとイブの子セツは912歳、ノアは950歳、と半神半人は長寿なのです。
現在は天皇も125代にもなるので、もう半神半人ではなく、普通の人間なのです。
だから定年制にするべきだと思いますけどね〜・・・一般国民の私の声(^^)
何故、半神半人から普通の人間になったのか?という疑問が残ります。
それはズバリ日本の歴史上、最大で、最悪の大悪党「源義経」のせいではないでしょうか?
(源義経像)(幼名:牛若丸)
初代神武天皇は「浦島太郎伝記」に現れます。
浦島太郎とは、アマテラスの孫ニニギの息子で「山幸彦」のことであり、竜宮城へ行った時に
出会った乙姫様とは「豊玉姫」のことです。
豊玉姫は、海神の神(わたつみのかみ)の娘で実は龍の化身なのです。
二人は結ばれて、子供を産むのですが、子供を産むときに正体を見破られ豊玉姫は姿を恥じて
竜宮に帰ってしまう。その赤子の名前はウガヤフキアエズと言う。(農業と漁業の神となる)
豊玉姫の妹「玉依姫」(たまよりひめ)はその赤子がふびんに思い、竜宮から乳を飲ましに通う。
子供はやがて大きくなり、その玉依姫と結ばれて姫は4人の子供を産む。その一人が神武天皇に
なるのです。だから、初代神武天皇はニニギの、ひ孫で母は龍神と言う事になりますね。
山幸彦が竜宮城から貰ってきた「玉手箱」の中に入っていたのが三種の神器の一つ「勾玉」
なのです。その本物が皇居にあるのです。「歴代天皇も箱の中を見たことがないそう」です。
かつて見ようとした天皇と神官がいたそうですが、開けようとすると中から煙が出てきて
怖くなって蓋を閉めたと言う記述があります。神官の方は病気になったとか・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三種の神器の二つめは八咫鏡です。現在伊勢神宮に奉ってるそうですが、レプリカかも
知れません。誰も見たことがないそうですが昔、戦時中に将校が見たことがあるとか、写真を
撮ったとか噂がありますが、どれが真実か分かりません。
私の想像するには多分、八角形の方が本当のように思います。
何故なら、八咫鏡、八咫烏、八尺瓊勾玉、のように「ヤ」と発音するのは「神様」という含みを持ってます。
古代ユダヤ語(ヘブライ語)でヤッホーもヤーレンソーランも、八八箇所巡り、八重(神を重ねる意味)
ヤハウェ等、「ヤ」の発音には神を連想させる含みがあります。八咫鏡(やあたのかがみ)の「咫」あたは
長さを測る単位と角度を測る単位に使われます。咫とは人差し指と中指を開いた角度で45°です。
それが八つで八角形になりますよね。風水でも縁起の良い鏡として八角鏡を吉としています。
だから、八咫鏡は八角形の方が正しいと思うのです。
余談ですが・・・・
昔は身体を基準にして、単位を決めていました。例えば一間(イッケン)一寸、一尺、一尋(ひとひろ)等と・・
建築業者や不動産業者は、現在でも大体この尺貫法を使います。一間=柱と柱の間。
一間は約、両手を広げた長さ(182センチ)畳の長い方ですね。短い方が半間となり(91センチ)
大体ドアが半間で、窓が一間ですね。1間×1間=畳2枚分で一坪となります。
一尋は一間と同じ測り方なのですが、海の深さを測ったり、釣りの時浮下を一尋とか一尋半とか言いますね。
一寸が指2本(約です、人により違う)一尺は肘から拳固まで、のように昔は大体、体の一部を使って
長さや、広さ、角度を決めていたようです。ピースサインが45°(昔は咫と呼ぶ)45°が8つで八咫、だから
八角形の八咫鏡となるのです。又、咫の単位は長さにも使われていたようです。
風水でも、八角形の鏡が縁起が良いとされています。(自宅には八角形の掛け時計があります)
(※長さを計る時は八寸を1咫(18センチ)と呼び、八咫烏は144センチとなる。咫は中国の単位とのこと)
又一握りを半咫、二握りで1咫、と握って長さを測ったようです。
マグロの解体魚を買うときは、指4本を当てて(1タキ:ヒトタキ、フタタキ、ミタキ)と数えて切ります。
土佐の皿鉢の刺身の場合は普通3タキを使い、握りの長さが1タキです。
神話に登場する十握剣(とづかのつるぎ)は十握の長さがあったので、そう呼ばれたのですが五咫ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三種の神器の最後は、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)又は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)ともいう。
スサノオが八岐大蛇を退治したときに、尻尾から出てきた剣で、後に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
が譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いた
とき帯刀していたことから予定調和の剣とされる。静岡県「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことによる
地名なのです。このことから草薙剣と呼ばれたとあります。
勿論全部レプリカ(偽物)です。
剣璽等承継の儀 昭和六十四年一月七日
天皇皇位継承の一番最初の大事なことは、三種の神器を一カ所に集め天皇としての皇位を受け継ぐ
ことを天照大神に報告し、認可して貰って天皇となるのです。
今年の5月1日に即位の礼がこのように行われます。(天皇即位の日として祝日となる)
今上天皇の皇位を継承したと言う「おことば」があり、即位を内外に宣明し、日本国民総合の
象徴としての勤めを果たすことを誓う・・・・等と読み上げ、日本との交流国195カ国の代表を
招待し接待されると思います。その諸々の費用は80億円とか・・・
そして、10月22日に(即位礼正殿の儀)があり、今年に限り祝日となります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の思う問題は、天皇継承は初代から今度126代目を継承されるのですが、天皇継承の儀には
必ず三種の神器を揃えるのですが、81代安徳天皇以降から本物の三種の神器は揃わず、一部
レプリカとなっています。
それは、全て源義経の性なのです。
源平合戦で平家が敗れたのは、義経にしてやられたのです。
源氏の総大将、源頼朝は平家討伐を弟の義経に任せ、武士による鎌倉幕府を開いた人物ですが
弟の義経は、勝つためなら手段を選ばずと言う考えだったので、卑劣な戦法を取った。
当時武将が戦うときは、「我は○○の何ベエである」と姓名を明らかにして、正々堂々と戦う
のが武士の戦いのルールであり、礼儀作法であったのだが、夜襲をかけたり敵陣の後ろの山に回り込
み山から馬で駆け下り、不意を突いた戦法であった。「将を射るなら馬を射よ」と弓で馬を射って
落馬させてから将を槍で突いたり、平氏にすれば信じられない戦法で負けたのです。
最後に壇ノ浦で、平家は船の先に日の丸扇子を掲げ、この扇に見事射る者が源氏にいるのなら
平家は負けを認めようと宣言したのですが、見事に源氏の那須与一に射たれるのです。
そして、平家は武士らしく約束を守り、負けを認め退却するのです。
(那須与一に日の丸の扇を射たれる。その扇が小松家の家紋です。)
その際に、安徳天皇を守っていた平家の家臣と女官の付き人数名が、安徳様この海の底には綺麗な都が
あります、そこへ行きましょうと安徳天皇を抱きかかえて海に飛び込むのです。
その時に、三種の神器共々かかえて海に入水したので、三種の神器は行方不明になったのです。
後から桐の箱に入った勾玉は浮かび上がって来たので、確保したようですが、八咫鏡と草薙の剣は
見つからず行方不明なのです。
数ヶ月か数年後、海の底から錆びた八咫鏡を拾い上げ、伊勢神宮に祀って居るとのことですが、本物
か偽物かは分かりません。(現在は本物として扱っていますが)
後から分かったことなのですが、安徳天皇は生きていました。入水したのは安徳天皇の身代わりと
なった家臣の6歳の女の子だったとあります。
安徳天皇は、草薙剣と共に平家の家臣に守られ山伝いに逃げて、高知県越知町の横倉山で23歳まで
生存していたことが分かっています。
でも、草薙剣は見つかっておりません。何処に隠したのか?外国からも沢山の学者達が来たようです
が、四国の何処かにあるように思うんですけどね〜・・・
敵を騙すには味方から、平家は多くの味方をも欺き、身代わりとなった安徳天皇に、海の底には美しい
都があるとさとし、抱きかかえて入水する。それを見た多くの家臣と女官も次々と後を追う。
海の底には都があったのだろうか?
その後、壇ノ浦付近ではカニの甲羅が人面となったカニが沢山発見された、それを平家蟹と言う。
今でもその付近では平家蟹が沢山生息しているようです。
可哀想に、私達平家の先祖は蟹になってしまった。国は謝罪と補償はしてくれないのか〜・・(笑)
美味いかも知れないが、誰も食うな〜!と言いたい。
平家に勝った義経達はやりたい放題。武士が中心となった政治を始めたのです。「鎌倉幕府」です。
1192年は、いい国作ろう鎌倉幕府と覚えさせられたのですが、本当にいい国になったのでしょうか?
疑問に思います。「勝てば官軍、負ければ賊軍」死人に口なし、義経は英雄となったのです。
勝った方が正義で、何でも勝った方に従うのが政治なのです。(選挙もそうですよね)
平清盛の弟、「平時忠」の有名な言葉がありますね。「平家にあらずんば人にあらず」と・・
人にあらずとは・・(人でなしのこと)
平家は礼儀と、武士道精神を重んじ厳しかったようですが、頼朝はそれが嫌いだったようです。
しかし、頼朝は戦に勝ったとはいえ、弟の義経の卑劣なやり方が気に入らなかったのです。
まして、安徳天皇を奪うことが出来ず、追い詰めて殺してしまった。
そして何よりも大事な三種の神器を行方不明にしたことにより、激怒し義経を追放したのです。
そして義経は行方不明です、墓は二つあるのですが骨は入ってないのです。
モンゴルへ行ったとかの説もある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安徳天皇以降、82代後鳥羽天皇から神器なき天皇継承となったのです。又源氏が勝ったことにより
天皇の血筋が二つに分かれて、殺されたりややこしいことになりますね。(この辺りは分からない)
三種の神器の内、2つは無くしてしまいましたが、(八咫鏡は本物かも知れない)取り返しの
つかないことを悔いても仕方ないので、現在はレプリカを作成して鏡は伊勢神宮に、草薙の剣は
熱田神宮にレプリカともいえど、本物扱いをして誰の目にも触れないように保管しているのです。
「剣璽等承継の儀」の際にはその二つを皇居に運び、皇居に保存の勾玉(玉手箱)を揃えて
天照大神様に、日本国天皇としての皇位継承を承認して貰うのです。
神の血筋も、一般人と結婚することにより段々と薄くなり、今では一般人と同じでしょう。
でも、血筋は継がなくとも、神の魂の「魂筋」は皇室の誰かが受け継いでいると思います。
いや一般人にいるかも知れませんよ。私はそのように感じています。
長くなりましたが、後4日で元号が代わり令和となります。
天皇家、皇室は血筋は薄くなろうとも、神道の教育は徹底してると思います。
先祖は神様だから、神に仕え日夜、国民の平和と幸せを祈っておられるのです。
感謝しなければ・・・・そのような感謝をする教育をして欲しいですね〜・・
只、歴代天皇、皇室の中に一人だけ仏式で葬儀を行った愚かな天皇の子がいましたね。
それは英雄となり誰もが知っている人「聖徳太子」なのです。歴史の英雄はあてにならない。
何度もブログに取り上げたので、もう書くのはやめます。
もし宜しかったら、グーグル・ヤフー等で(コマツ住宅の聖徳太子)と検索してみて下さい。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」勝ちさえすれば歴史なんでどうにでも変えられたのです。
では又・・・管理人。
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暑いサウナ室に入っていると、すぐ汗が出始めしばらく辛抱していると汗がだらだらと出て・・・
最初は気持ちが良いのですがそれを我慢していると、今度はストレスとなり辛抱できなくなる。
飛び出て冷水に入る。(開いていた毛穴がキュッと締まり身体の芯まで冷える。これが気持ち良い!)
これを数回繰り返すと気分も爽快になりストレスや疲れも、身体に張り付いていた魑魅魍魎もこれは
たまらんと退散するような気がしますね〜(笑)
短時間の間に真夏と真冬のストレスを数回繰り返すからか、サウナ好きの人は肌の綺麗な人が多い
ように思います。
サウナが好きな人は、ストレスを楽しめる人なのかも(笑)サウナ以外にもストレスを楽しむ方法は
いっぱいありますけどね。(ストレス発散とは汗をかくことで、気分転換ではありませんよ)
発散を辞書で調べると、内部にたまったものが外部へ散らばって出ること。・・とあります。
旅行に行ったり、腹一杯食べたり飲んだりしてもストレス発散にはなりませんよ(^▽^)
カラオケで歌うは、声を腹から外へ出すから発散に当てはまるでしょうかね〜・・・
ストレスは多少あった方が良いのかも知れませんね〜・・発散が楽しいから。
金魚鉢に、金魚を入れて快適な温度環境で餌を与えていても、病気になったりすることがあります。
ストレスがないからなのです。そんなときは金魚の敵を一匹入れると、金魚は緊張のストレスで病気
にならないと聞いたことがあります。(食べられてしまうこともあるから)
ある程度のストレスはあった方が、健康的にも良いのかも知れませんね。
学校教師等、公務員が定年退職すると、ストレス続きの生活から解放されて、何もすることがなく
なるから急にボケる人がいると聞いたことがあります。
今までやってきた職業により、それぞれボケ方も違うようです。
退職してもストレス発散の仕方を知っている人は、それなりに楽しんでるでしょうけど、知らない人は
可哀想にさえ思います。
今の日本は平和だからある意味、平和病になっているのかも知れませんね〜・・・
例えば、花粉症・アトピー・うつ病・アレルギーなどです。
緊張した戦時中はそんな病気なかったと思います。
私は戦後生まれですが子供の頃は、そんな病気は聞いたこともなかったですね。
ある程度の緊張や、ストレスもあった方が良いかも知れませんね〜・・・・
今の若者を見ていると、素晴らしい能力があるはずなのに生かしてない。
一生懸命努力すれば、それなりの能力があるのに、頭で楽な方を選んでしまう。
楽なことをして、お金を稼ぐのがエリートの美徳だと勘違いしている。
犬や馬に一生走らなくとも良い。走るな!走ったら殺すぞと言ったら?
自分の持っている能力を使うなと制限されたら、地獄ではないでしょうかね〜・・。
だから私は自分の持っている能力は出し惜しみせず、全て出し切ることにしているのです。
たとえ疲れても、その方が楽しくて、ストレス解消になるからなのですよ。
今の若者は長時間働いて金を稼ぐよりも、給料が少なくても良いから休みがほしい。
休みが多くて、楽な仕事をすることが美徳で、要領の良い考え方だと勘違いしている。
自分で自分の素質を認めず適した能力も探さず、頭で教師が良いとか公務員が良いとか医者が
良いとか頭で考えて仕事を選ぶから間違いなのですよ。
仕事選びは自分の性格と、目標を持って選ぶべきなのです。
仕事には皆それぞれ適職と言うのがある。子供が嫌いなのに保育士や教師になったりするから
ストレスがたまって、犯罪が起きたりするのです。
まして人の命を預かる医師、看護師、警察、教師、等は成績が良いから雇うのではなく、適性
検査をするべきだと思いますけどね〜・・・
各企業も、学歴ではなく専門心理士による業務適正検査を重視するべきだと思いますけどね〜
学歴がなくとも優秀な人材は沢山いるはずです。
私が子供の頃は、大人達に大きくなったら何になりたい?とよく聞かれました。
野球選手になりたい。パイロットになりたい。機関車の運転手になりたい・・等と、皆それ
ぞれ夢や希望を持ってましたね〜・・・(私は力道山のようなプロレスラーになりたかった)
以前、小学校の先生に聞いた話ですが・・・
今の子供は、大人になったら何になりたい?と聞いたら・・・
何処の教室にも2〜3人は必ず居るそうです。
大人になったら、生活保護を受けたいと言う子供が・・・信じられませんね。
教育が悪いんじゃないですか?
私は趣味で神社巡りをしているうちに、神様と心の繋がりを持つことが出来ました。
人としての生き方、楽しみ方を教えて貰いました。(何が幸せで、何が不孝なのかも)
昔は、神様におねだりをしていたのですが、今は生かされている感謝の心を伝え自分の人生を
後悔しないようにと、人様に必要とされる喜びを感じるように生きているだけです。
「幸せとは求めるものではなく、気づくものなのです」
例えば、不自由なく歩ける幸せ、目の見える幸せ、匂いを感じる幸せ、しゃべれる幸せ・・
何でもない当たり前のことなのですが、病気になって初めて気づくことなのです。
・・・・・・ビスマルクの有名な名言ですが、「愚か者は経験から学び賢者は歴史に学ぶ」
病気になってから初めて気づくようでは、愚か者なのです。
病気になる前に、自分の健康は自分で管理をするのが、要領よく生きると言うことなのです。
多少のストレスはあった方が良いのです。発散する楽しみがあるから・・・
ストレスがなかったら、発散すること自体がストレスになるのかも知れない。
昔、何の映画だったか忘れましたが、極悪殺人犯が死刑で地獄へ行った話なのですがそこは
何でも思い通りになる所でしたが、実はストレスを全く感じさせない地獄だったのです。
ストレスのない苦悩をかいた映画だったのですが・・・やっぱり人間は喜怒哀楽を感じた方が
幸せなのかも知れませんね。生きていると言う実感を味わえるから。
貴方は今日生きていると言う実感を味わいましたか?感動しましたか?ときめきましたか?
犬や馬に走るな!魚に泳ぐな!とその能力を取り上げられたら地獄でしょうね〜
人間も、歩くな、動くな、考えるな、と人間の能力を取り上げられたらストレスがないとしても
生き地獄ですよ。
そんな可哀想な人は、病院にいっぱい居ますよね〜・・・・生き地獄かも・・・
人は皆、今でしか出来ないことがあります。そのチャンスを逃せば後悔するように思います。
但し、決断は「我ことにおいて後悔せず」という決心が必要でしょうけど。
健康で生きているのだからストレスも楽しみ、発散も楽しみましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
だらだらと書いたら果てがないので、今日はここまでにしますね。
では又・・・・管理人。
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あります。
又、お祓いに関しては素人ですが、神様ごとに関してはそこそこの知識と、霊感もあると
思っています。
(我家では私が自分で幣棒を振り祝詞をあげ、祓い清めの家祈祷を年に一度はしています)
(本文と画像は関係ありません)
よく見かける地鎮祭を行っている風景です。
地鎮祭は何のためにするのでしょうか?・・・・
?この土地に家を建てて、住む事をお許しくださいと、土地の神様にお願いする意味。
(神様にお供え物等をして、ここに住み生活することを承諾して貰う儀式)
?建築が完了するまで安全に工事が進みますようにと、祈願する意味。
(工事中に怪我や死人が発生した場合は事故物件となるので、安全を祈願する意味)
?この土地に見知らぬ魂が残っていた場合の魂抜き。又、霊道が通っていた場合の方位除け。
(この土地に残っている因縁や災い事を成仏させ、何もなかったように穢れを祓い清める
儀式)大体、この三つの土地を鎮めるお祭りを「地鎮祭」と呼ぶのです。
主に戸建住宅や、会社や工場を建てるときにその都度、このような地鎮祭を行うのですが・・・
最近は、建設会社が造成地を何区画も購入して地鎮祭を一括して済ましているとのことです。
(本文と写真は関係ありません)
業者がこんなこと書くと、他業者に叱られるかも知れませんが、ちゃんとした地鎮祭が出来て
いるのか疑問です。
業者はローンを組んで買ってもらえれば、後で何があろうとそれで「さようなら」なのです。
?と?は割と簡単なのですが(神様に報告のみ)問題は?番なのです。
?に関しては、余程の力を持った神職でないと難しいと思います。
その力とは、年齢とか経験や修行によって得るものではなく、持って生まれた天性、素質が
必要なのです。
(修行によってある程度は上達しますが、限界があります。やはり天性の才能や感じ取る素質
センスが必要だと思います)
私の想像では、それだけの力を持った神職は100人に一人いれば良い方です。
だから・・・・
日本の法律では「霊障」「除霊」「悪霊」「生霊」「地縛霊」「動物霊」「怨霊」等を肯定する
法律はないのです。
でも多くの方は、少なからず気にしています。
我々不動産業者も契約日、引渡日、地鎮祭日、引越し日等は、大安吉日やその他良い日をお勧め
しています。
間取りに関して相談があれば最低でも、鬼門・裏鬼門にトイレや台所、又ゴミや不潔な物を
置かないような設計をお勧めすしています(設計士は皆、当然知っています)でも、
風水等あまり神経質になって間取りを造ると、不便な使い勝手の悪い間取りになるので、
鬼門裏鬼門くらいで良いのではないでしょうか?
後は風水、奇門遁甲等で開運を図ればいいと思います。
少し話がぶれましたが・・・・・
地鎮祭の神主さんの料金は法で定められていませんので、お気持ちだけでと言われます。
地域により大体の相場があるようですが、神職の方から○○円でないと出来ませんと言うなら
問題ですね。
神職も忙しいので、日程が合わない場合はアルバイトの神職(有資格者)に依頼する場合も
あります。
問題は・・・・・
?のその土地に地縛霊等の除霊をしなければならない場合に、ちゃんと出来るのか?
と言うことです。
業界的に言うと・・・
?と?は神さまへの届出で済みますが、?に関してはそこに住み着いている魂の許可が必要です。
(?と?も無届けで建築すると土地神さまも機嫌悪いでしょうね)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
県外の実例ですが、Aさんが新しい分譲地を買ってそこにマイホームを建築する前に地鎮祭を
行った。
1週間ほどして、祈祷師と称する人が訪ねてきて、あそこの土地は以前処刑場だったので地縛霊
が沢山います。
私の見たところではお宅の土地も隣の土地もこの付近一帯に何百と言う地縛霊が沢山
渦巻いて居る。
最近、地鎮祭をしたようですが、全然成仏できてない霊がうようよ居ますよ。
このまま家を建てると、必ず災いが起きます。それでも良いですか?・・・
私は除霊専門の祈祷師です。
あなたの土地を隅から隅まで綺麗にご祈祷して霊を成仏さすことが出来ますよ。
あそこの団地でも幾つか依頼されて済ませました。
Aさん・・・幾らで出来ますか?
祈祷師・・・30万円でやりましょう。
Aさん・・・1回こっきりの祈祷で、後々はしなくていいですか?
祈祷師・・・勿論です。何の災いもなく一生安心して暮らせますよ。私はその専門ですから。
Aさん・・・じゃーお願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話を聞いたときに、これは間違いなく祈祷師と称するサギ師です。
こんな話にだまされてはいけませんよ。
本物の祈祷師は、金銭のぼったくりはしません。持主を調べて訪問に来るとは、尚更怪しい。
毎日神仏に感謝して生きている人なら、金額は言いません。
それを商売として利益を上げると力が落ちるからです。
テレビに出ても落ちます(神に感謝して生きている人なら、世のために働くのは当然です)
私は祈祷師と称する人の99%は偽物だと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では一番良いのは?・・・・・
※事故物件などの問題ありの土地は避けること。
※事故物件でなくとも、元墓地、元病院、元学校、元沼地、元戦争の死体置場等もそうです。
(元沼地については、何百年もの間に動物の骨が流されて埋まっているので動物霊や魑魅魍魎
が集まっている可能性があります)
どうしてもそこに家を建てたいのなら・・・・
※力のある神社の神主に地鎮祭をして貰うこと。
(その見極め方は高額を求めないこと、その地区で評判の良い神社でり、眼を見て話す人)
仏式による地鎮祭は信じられませんけど、神主による地鎮祭が終わった後に、力のあるお坊さん
に除霊して貰うのもありかも知れませんね。
魂の除霊や成仏さすには、仏教の方が優しく霊鎮め出来るかも知れませんね〜・・・
※神道では魂鎮(たましずめ)と言いますが、仏教では鎮魂(ちんこん)と言います。
神道では「霊障」「除霊」「悪霊」「生霊」「地縛霊」「動物霊」「怨霊」のような穢れは、主に祓い清める方法
を取ります。又、巫女が鈴を鳴らして舞う御霊鎮(みたましずめ)の儀というのもあります。
仏教では「霊障」「除霊」「悪霊」「生霊」「地縛霊」「動物霊」「怨霊」のような成仏しない霊は、穢れとして
は、祓わず語りかけ、さとして成仏さす方法をとるようです。
偉い坊さんは霊界まで迷わず連れて行ってあげる力も持っているようです。
日本の法律では上記の霊障や地縛霊等の幽霊が出たと言っても認められません。
最近やっと「事故物件」の定義として「心理的瑕疵物件」という告知義務がありますが、それも
殺人、自殺、不自然死、火事のみで、動物霊や怨霊、悪霊、地縛霊等は認められておりません。
※業者に定められた告知義務は「物件瑕疵」と「心理的瑕疵」があり事実を伝える義務があります。
しかし、証明できない幽霊が出るとか、地縛霊を感じます等と言うと、売主に叱られ法で罰せられ
ます。
若い人は、場所さえ気に入れば買いたい意欲を見せるのですが、お爺ちゃんお婆ちゃんが出て
来ると人生経験から孫を気遣って、年回りや方角、時期、風水、鬼門、等を調べ慎重になる方も
居ます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから2年前亡くなった私の兄を例にあげると・・・40年ほど前に何故か視野が段々と
狭くなり、有名な眼科や、大学病院で見て貰いましたが、原因不明の病気で大学病院の先生の言う
にはここ数週間の間に徐々に視野が狭くなっているので、原因は分かりませんがこのままでは
失明します。と言われたのです。
兄はすごいショックで、仕事どころではありません。生きて行くのも嫌になったと言う。
そこで、私は霊症かも知れないので一度神主さんに見て貰ったら?と南国市の、とある神社の
神主に見て貰いに行きました。(私も数回行ったことがある、とても力のある神主さんです)
そこで神主さんが祈祷して言われたことは貴方、去年墓地を買いましたね。
5月に買ったはずです。
兄は確かに去年墓地を買ったが、5月ではなかった暑い夏だったと思うと言うと、神主はいいえ
5月○○日に買っているはずです、ときっぱり言う。帰って調べて見なさいと、その墓地には目の
不自由なお坊さんの魂が2〜3体残っているはず、その魂を成仏させてあげないと必ず失明します。
墓地を買った貴方に成仏させて欲しくてすがっているのです。
助けてあげなさいと言われたのです。
私は兄が墓地を買ったことは聞いてましたが、何処に買ったのか知りませんでした。
兄の言うには、墓地は更地で昔から誰も埋まってないと聞いて買ったらしいのですが・・・
帰ってよく調べてみると、買ったのは去年の5月○○日で神主の言う通りだったと言ってました。
そして翌日神主に墓地に来て貰って、何と言う供養か知りませんが、墓地で練炭に火をおこし鍋
に水をはり、その上に空桶を乗せて祝詞をあげながら、蒸気で桶を温めます。
そしてその温まった空の桶を墓地の隅から隅までジグザグに運んでいると、なぜか(ウォ〜ン)
という音が鳴るのです。
神主はよしここじゃと、土地に✖印を付ける。そしてまだあるはずですと桶を運んでいると、又
(ウォ〜ン)という音が鳴る。そこにまた✖印を付ける。
そして又探していると、又鳴りました。✖印を付け、結局3か所に浮かばれない魂が残っていたの
です。
神主は近くの大きな石を拾ってきて、墓地の隅に置き此処に三つの魂を一緒にして供養します。
と祝詞をあげ、御幣を立て三つの魂をその石に集め供養したのです。
神主は、これは応急処置なのでこの石を小さなお地蔵さんに変えてあげてください。
そしたら、目の不自由なお坊さんに感謝されて目も治り、すべてが順調になります。
と言われました。
お地蔵さんが出来たらもう一度来ますので、連絡ください。
と別れて、小さなお地蔵さんを祀りました。
それから、徐々に目も回復して3か月ほどで完全に視力も回復しました。
そんな大感謝するほどの仕事をしてもらっても、大金は要求しませんでした。
本当にこれで良いんですか?と思うくらいしか受け取らないのです。
(だから本物なのですよ)
その墓地には、今もお地蔵さんが立っているはずです。
兄はその墓地には触らず、別のところに墓地を買い、納骨堂を立てそこで眠っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このように、墓地を買うにもよく調べ気を付けるべきで、地鎮祭もおろそかにしてはいけませんよ。
最近は、地鎮祭は単なる形式の行事だと思って、すべてを工務店や不動産業者に任しているのを
見かけますが、その土地の氏神様か、産土の神様か、自分の信頼できる神主さんが良いと思います。
日本の法律では霊障は肯定していませんので、誰にも責任がないのです。
では、今日はこの辺で終わりとします。 (管理人)
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私は無いです。一度見てみたいですね〜、これは北極ギツネといいます。(ネットから拝借しました)
でも、とても大きな白狐は見たことがあります。とてつもなく大きい白狐です。
全体像は見れませんでしたが、尻尾はふさふさとして、信じられないほどの大きさです。
我が家にも、事務所にも何度か現れたことがあり、居間のドアに顔がいっぱいで入りきれないほど
の大きさです。
だから全体は巨像くらい大きいかも知れない。(もちろん幻のような白狐なのですが)
これほどは大きくはないですが (^▽^)・・・相当大きい白狐さんですよ。多分この半分強くらいかな。
実像ではなく、幻のような存在です。
なぜ我が家に来たのか知りませんが、何度か現れたことがありました。
家でソファーに座って家内と何気ない話をしていると、お父さん後ろに白狐さんが居るよ。
すごく大きな白狐の顔が私の後ろに見えると言われたことが何度かあります。
あまり近すぎて私からは何も見えなかったのですが、その幻の白狐さんの顔の中に私がいると言う。
私が目を閉じ、心眼で感じていると、大きなふわふわした尻尾を持つ白い毛の狐さんで、全くの無表情
ですが品格の高いとても美人の貴婦人のような感じでした。
このような体験した人いませんか?又は、このような大きな白狐さんを見たことある人。
私だけではなく、多分他にもいると思いますけど、もし居られたらコメントください。
待っています・・・・
(以前アップした奈良の源九郎稲荷神社です。http://kimama.komatsu-j.info/?eid=476)
ここのお稲荷様もとても気品の高いお稲荷様で、単なる観光気分で来るところではないです。
今思えば、ここの美人のお稲荷様とダブルのですが・・・源九郎名の由来は源義経から貰った名で
義経の兄、頼朝の討手から逃れて吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠信(義経の家臣)に
化けて、妾の静御前(しずかごぜん)を送り届け、義経と静を守り通すのだった。義経に狐で
あることを見破られるが、この白狐は静が持つ「初音の鼓」が両親で出来ていたことから、それを
慕って佐藤忠信に化けていたことを話すと、義経は親を慕う白狐に同情し、又自分たちを狐の神通力
で守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎義経:みなもとくろうよしつね」の
源九郎をこの狐に与えた。それがこの神社名の由来となっているそうです。
私が、ここで感じた白狐さんはとても気品の高い美人を感じたのです・・・
でも個人的に私は、義経が嫌いです。(^^)(義経の卑劣な戦法で平家が負けたからです。)
でも、ここの白狐さんは美しい。一目で惚れました。私も化かされたのかな?(*^_^*)
鳥居を見る限り、男神を祀って居るはず。主祭?はウカノミタマ神なのですが、男神の気配は感じず
綺麗な品のある女白狐さんを感じました。
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白狐といえば全国に3万2千社あると言われる稲荷神社を想像しますが、稲荷神社は何故お狐さん?
どうして?と聞かれて、即答できる人はどれだけ居るでしょうかね〜?・・・
あるところの稲荷神社の宮司さんも返答に困っていました。(笑)
全国3万2千社の総本宮「伏見稲荷大社」も数万匹の狐象が眷属として狛犬ならぬ狛狐として奉ら
れているが、全国では狛狐象は数百万以上いるかも知れないですね。
稲荷神社の由来は、稲の成る神、稲成から稲を荷なう神像の姿から「稲荷」の字が当てられたと
される。そして農耕の神、植物の神として「ウカノミタマ神」を主祭神として奉られている。
が・・・後から取って付けたような説明で疑問に思っています。(又神様に叱られるかも知れない)
稲を担ぐウカノミタマ(宇迦之御魂神)食物の神として祀られ、スサノオと神大市比売の子とされている。
そして佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神の四柱が加わり稲荷5社大明神と称している。
(それぞれの神の説明は長くなるので省きます)
もう一つの説は・・・
奈良時代の和銅4年(711)年2月に、
裕福な豪族「秦氏(はたし)」の棟梁だった秦伊呂具(はたのいろぐ)が、お餅を弓矢の的にし、
矢を射ようとしたところ、お餅が白い鳥となり、稲荷山に飛び去っていきました。
白い鳥が舞い降りた峰には、稲が豊かに実ったことから、神様が鎮まれたとされ、そこに社を建てた
のがはじまりと伝えられています。
稲荷の狐説は・・・・
狐は農耕にとって害獣となる野ネズミやモグラが好物で捕って食べるので、田植えを見守る農耕神の
使いと考えられたと言う説。
又、狐は油で揚げたネズミが好物だったのでお供えしていたが、それが出来なくなったのでネズミの油
でキツネ色に揚げた油揚げに、ご飯を詰めてネズミの天ぷらとしてお供えしたのがイナリ寿司の由来と
する説や、ネズミの天ぷらを見せたら化けてた狐が正体を現して飛びついたくらい好きだった。
と言う説もある。
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私はどうもこのような後から取って付けたような説は信用できません。
揚げ物は全て、キツネ色に揚がった時が一番美味しそうに見えるからそのように揚げているだけで、
お寺にも稲荷神社を祀る所があり、そのお寺でネズミの天ぷらをお供えする?あり得ないと思います。
また、狐や狸は全国に沢山居るので、稲荷山に限ったことでもないし、稲荷だけが狐信仰と言うのも
解せないし、別の意味があるように思います。
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私の独断と偏見で感じたままに、言いたい放題言うと・・・・
これから先は単なる爺ぃの三流ブログだと思って読み流してください。
単刀直入に言うと、「白狐の正体は・瀬織津姫」だと思っています。
確かに伏見稲荷神社のご祭神は、宇迦之御魂神を主祭神として五柱の神を奉っているのですが、
その上に、大きな白狐に変身した瀬織津姫がいるのです。
※瀬織津姫は古事記に登場しないのですが、大祓の祝詞に一番最初に出てくる神の名前です。
祓戸の四柱の大神の一人(川の神)として登場しますが瀬織津姫は謎が多く、ベールに包まれたとても
不思議で魅力的な神なのです。
瀬織津姫は、謎多き奥深い神で調べていると、どんどんと広がっていく・・・だから魅力的。
調べると、大山津見神の娘「神大市比売:かむおおいちひめ)の事ではないかと想像する。
系図によると、スサノオと結婚し、宇迦之御魂神(稲荷の主祭神)と大年神(大歳神:吉方位の神)
の二人の子供をもうけている。
つまり神大市比賣=瀬織津姫
神大市比売の神社といえば、京都の女神様のみをお祀りしている市比賣神社(いちひめ神社)がある。
ご祭神は・・・
さすが宗像三女神や女神ばかりの神社で、女性の全ての願いを叶えるパワースポトらしいですよ。
以前紹介した徳島の上一宮大粟神社です↓(気になる徳島の神社の秘密)
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=438
以前も書きましたが主祭神の大宜都比売命(おおげつひめのみこと)は瀬織津姫と同一神だと思います。
油揚の入ったうどんは、関西では「キツネうどん」ではなく「ケツネうどん」と呼びます。
オオゲツヒメ=大きなケツネ=大きなキツネ=「大きな油揚の入ったキツネうどん」ではないかと思います。
よってオオゲツヒメ=瀬織津姫 であると推測します。
前回書いた「狐の嫁入り」も発祥地は四国、中国地方であり・・・・
徳島に卑弥呼の墓もあるのです。
邪馬台国は四国にあったと言う学者が多くいる。邪馬台国=阿波説が一番有望のようである。
徳島の史跡公園です
数年前に行きましたが、行く価値のあるところですね。
徳島市国府町にある八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)で祭神の八倉比売は天照大神の別名とされる。
その裏には五角形の卑弥呼の墓があり、鶴と亀の石が祀られている。
※徳島の剣山も昔は鶴亀山と書かれていた。(鶴と亀の石があることにより)
ここにも、かごめ歌を連想するヒントがあった。
卑弥呼=瀬織津姫ではないのか?という想像も出来る・・・・
大祓の祝詞もよく読むと滋賀県の伊吹山から琵琶湖を通り阿波の鳴門大渦が出てきますね、そして
ヒミコ=巫女=瀬織津姫・・・・
巫女の本来の役目は、人間に聞こえない神の言葉を口寄せで伝え、神に奉仕する役目なのです。
「天照大神」とは「天皇陛下」と言う皇位を皇太子が継ぐと「天皇陛下」と呼ぶのと同じで、別の
神が「天照大神」の皇位を継げば同じく「天照大神」と呼ぶのかもしれない。
つまり現在の天照大神は女性なのだが、その前は天照と言う男神だったという説も考えられる。
そのように想定して考えてみると、全てがつじつまが合うのです。
天照大神は本来男神で、ニニギの兄のニギハヤヒであった、そしてその妻が瀬織津姫だった。
とすれば、ニギハヤヒの後の天照大神の襲名を別の巫女が継いだとすれば、妻はいらない。
妻だった瀬織津姫=大宜都比売命(オオゲツヒメ)はケツネに変身させられて追いやられたと。
四国から淡路島を渡り伏見の稲荷山まで・・・それが涙のケツネの嫁入りと呼ばれたのでは?と。
そして伏見の白狐として奉られ、子供のウカノミタマが主祭神として支えている。
そして沢山の家来やお供が同じく狐と化身してお世話していると考えてみるとつじつまが合う。
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証明
?大阪市の御霊神社(ごりょう神社)の本殿には天照大神荒魂として瀬織津姫が祀られている。
?山口大神宮 (山口県)
?朝宮神社(徳島県)
天照皇大神荒御魂として、瀬織津姫を祀る神社です。
瀬織津姫は水の神だけあって、川の中でのだんじり合戦。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最後に私の感じたままを書かせて貰うと・・・・・
宇迦之御魂神(ウカノミタマ)は↓のような感じでは全くなく・・・
何故か男神のような荒々しい気配ではなく、どちらかと言えば女神かおとなしい蛇の姿を
感じるのです。
例えばこのような人蛇神のような・・・決して嫌な感じはしませんよ。
いつも機嫌良くて、おねだりをすれば何か貰えそうな気がする(笑)
弁財天の聖地とされる琵琶湖の竹生島にある宝厳寺
そして、弁財天様(竹生島)の写真ですが・・・私は恐れ多くて撮れなかったです。
すごいパワーを放ていて、中に入るのもためらうほどの強力な神気が渦を巻いている。
写真なんて、とても撮らしてもらえる空気ではなく、私は追い出されるように出ました。
三女神の次女、市杵島姫と弁財天は同一神とさえていますが、全く別人だと確信しました。
大国主を筆頭に、神さまは幾つもの名前を持っているので、間違えて同一神だと思いがちですが
弁財天と、市杵島姫は全くの別人です。そして大国様と大黒天も全くの別人なのです。
市杵島姫はそよ風のような静かな話し方をするのですが・・・弁財天は怖かった。
ここの弁財天はこのような、おどろおどろした不気味な雰囲気が漂っていました。
私にだけだったのかも知れないが・・・
体が萎縮しました。(笑)私にはやはり仏教は合わないのかも知れない。
仏教も神道もそうだけれど、やはり神仏と蛇は強いつながりがあるようね気がしますね。
以前書いたブログ「人と神と蛇と」見てなかったら見てください。
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=406
世界的に人類誕生の時から神と蛇とは縁があり、何処の神社へ行っても蛇を感じさせられます。
では今日はこの辺で終わります・・・・管理人
※今回のブログで300回目となりました。
私と同じような体験をした人が居ましたらコメント下さい。待っています。
]]>たいていの人は三つ思い浮かべると思いますけど・・・・
?天気雨?(高知では日和雨ヒヨリアメと呼びます)
空が晴れて天気が良いのに何故か小雨が降る時がありますよね。これを狐の嫁入りと言います。
?狐の鬼火(又は口から吐く青白い火)が山を行列となって駆け上って行く様を狐の嫁入りと言います。
これは火が大きいから人だとすぐ分かるのですが、遠くの山をこのような火が行列となって
走って行くのを子供の時に父親と一緒に見たことがあります。
父はあれは狐の火玉で、狐さんが嫁入りしている行列であれが狐の嫁入りなんだと教えてくれました。
狐の鬼火(小さな火玉)が行列になって人よりも早いスピードで山を登っていく。
子供の頃へぇ〜そうなんだと、不思議な気持ちでしばらく眺めていたことを思い出しました。
狐の嫁入り発祥地は?と調べると、日本の本州、四国、九州に伝わる怪奇で昭和中期頃迄嫁入り行列の
提灯の群れを思わせる夜間の無数の怪火であると百科事典に書かれています。
この現象には思い当たる節があるので、後ほど説明します。
?狐の面をかぶり結婚する本物の結婚式です。
写真はネットから拝借したものですが、狐の格好をして嫁入り行列する姿です。
狐の嫁入りと聞けば大体この三つを思い浮かべるのではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネットより幾つか写真を拝借してアップしますね。
私の特に親しい友人の子供夫婦の結婚式も、神社でこのような狐の嫁入り結婚を行いました。
大国様の神前結婚で行いましたね。もうかれこれ20年以上なるかも知れませんが・・・
新鮮な空気で、とても良かったですよ。
彼ら夫婦はとても仲良く、子供も出来て幸せに暮らしています。
そうそう先日の日曜日(24日)にその大国様の大祭だったので行ってきました。
冬の花火もきれいでしたね。夜店もいつになく沢山出ていて、大変な賑わいでした。
神社のお祭りはいつ来ても良いですね〜神さまとは会えない時が多いのですが、空気が良いのです
皆の顔を見るのが楽しい。皆笑顔で心ウキウキ、沢山の人がお参りに来て神さまも上機嫌。
お寺には無い、この明るい陽気な空気が良いのです。
・・・・・・・・・・・・・
話を戻します。
「狐の嫁入り」とは愛する夫のために我が身を犠牲にした美しい狐(おこん)の純愛物語なのです。
むかし、むかし、ある村でのお話です。
日照りに悩むその村では、村の外れにある池の龍神さまに雨乞いをすることになりました。そして
龍神さまに捧げる生贄(いけにえ)として狐をだまして捕まえることにします。
村一番に頭の切れる五郎兵衛は、人に化ける狐たちが住んでいる村の村長と話し合い、色白で美しい
狐の娘・お紺(おこん)を働き者の青年として評判の竹蔵に嫁入りさせることにしました。
実はその嫁入りは、お紺をだまして捕まえるための五郎兵衛の算段でした。
竹蔵とお紺の祝言の席で、五郎兵衛はお紺を捕まえるつもりでいたのです。
そして迎えた竹蔵とお紺の祝言の日。
祝言の最中にお紺を捕まえる準備を五郎兵衛が進める中、祝言の席で意外なことが起こりました。
五郎兵衛の魂胆を知った竹蔵が、お紺を逃がそうとしたのです。
「逃げろお紺!この祝言はお前をつかまえるための罠だ!」
しかしお紺は逃げませんでした。お紺は以前から、働き者の竹蔵のことが好きでした。
そして愛する竹蔵と、竹蔵が愛する村のために我が身を犠牲にすることを選んだのです。
「竹蔵さん、あなたが好きでした。いつも村に来てあなたのことを眺めていました。
あなたと少しの間だけでも夫婦になれた私は幸せ者です」
お紺の強い願いにより祝言は最後まで執り行われました。
祝言が終わり、お紺は竹蔵に別れを告げると、生贄として龍神さまに連れ去られてしまいました。
そして神主が雨乞いの祝詞を奏上します。
するとほどなくして空は晴れ渡っているにもかかわらず、大粒の雨が降り出しました。
それはまるでお紺の涙のようでした。と言う悲しい物語です。
(これが狐の嫁入りの雨なのです)
何とこの話は、イギリス、イタリア、ブラジル、ポルトガル、フィンランドにもあり、このような
日和雨のことを(キツネの嫁入り)と呼んでいるそうです。言葉は違うでしょうけど意味は同じみたい。
これが言い伝えられて、神前で好きなこの人のためならどんな苦労も、殺されても良いと言う一途な
気持ちで結婚するのが、命をかけた狐の嫁入りとなったのだと思います。
神前で狐の嫁入り結婚をすると、幸せになれると言う言い伝えもあり、離婚も無いようです。
このような一途な女は良いですよね〜・・・うらやましい。
私の嫁ですか?・・・・ハァ〜⤵(ため息)・・・古女房になると言いたいこと言いやがって!
私がポツリと一言注意でもしようなら、何十倍もベラベラベラと返ってきて・・・・
機関銃でバリバリバリと撃たれて、即死した気分になる。(^^ゞ
では又・・・管理人。
追伸・・・私の書こうとしたことが書けてなかったので、次回に書きますね。
又、最近忙しくなり始めました。少々お待ち下さいませ。
順位が落ちたから控えめに言います。もし気が向いたら下をクリックして下さい。
]]>
勿論、それら全てを満たして居れば、社会的にも信用され、成功者と見なされるかも知れませんが、
それだけで人として、人間として、優秀と言えるのでしょうか?私は疑問に思っています。
そんな一見成功したような人でも、悩んで自殺したり、いい大人になってから馬鹿なことをしたり
する人もいます。そのような事件もいっぱいありましたね〜・・・
他人が羨ましがるから?自分はレールの上をまっすぐ走ってきたから私は成功者だ!と自分に言い
聞かせている人は「おめでたい人」です。本人はそれで満足なのでしょうかね〜?・・・
私は仕事柄長年、色んな職種の人と出会い触れてきました、社長と言われる人も沢山知っています。
コツコツと下積みから努力と苦労を重ねて、人の痛みや、辛さも分かる、花も実もある社長もいれば、
人に恨まれて、のし上がった人も、悪いことして大儲けした人も、単なる学歴や、仕事の結果だけで
上司となり、自分より年上の先輩を上から目線で叱りつけ、嫌われている人も、酒場で自慢話ばかり
して、空気の読めない人も、性格や意地の悪い人も沢山知っています。
又最近、先生と呼ばれる政治家の不祥事や事件も目に付きますね〜・・・・
明石市長がパワハラ暴言を録音されて辞任するとか、麻生副総理の失言問題だとか、東大法学部在学中
に司法試験合格し、法務省刑事局、東京地検特捜部に務めた超エリートの山下貴司法務相の「裁判官も
俺たちの言いなり発言」でテレビを賑わせてくれましたが、皆さん本当に頭が良いのか?悪いのか?
昨年でしたけど、橋下徹氏の講演を聞きに行ってきましたが・・・
テレビでは歯に衣着せぬ口調で、言いたい放題言うので面白いな、どんな話が聞けるのかな?と
期待して神戸まで行ってきたのですが、全くの期待外れでした。
90分の間、自分の自慢話ばかりで、スクリーンを見せては、これが(ドン)こんなになったとか、
誰もが気がつかなかったこれが(ドン)こんなになったとか・・・永延と続く自慢話・・・
知事の時には、上に立つ者は部下を信頼して仕事をさせねばならん、そのためには全てを任し責任を持た
せて、結果をしっかり出せ!と命令をすれば、部下は一生懸命するものだとか・・・
結果が良ければ自分の手柄で、悪ければ部下の責任のような考え方だ。
もっと沢山の苦労話を、このような困難をこのように解決してきたとか、いい話が聞けるのかなと期待
してたのですが90分の間、永遠と自慢話ばかりでうんざりでした。
あの講演から橋下徹と言う人間が嫌いになりましたね〜・・・・(笑)
人間として、人を計るのに・・・・・
結果を見て判断するのが人間のものさし
人の生きざまを見るのが神様のものさし ではないでしょうか?
人は皆、誰もが平等に生まれてくるはずです。
でも、子は親を選べないし、親も子を選べない。しかし人は間違いなく生まれ変わってきているのです。
但し、前世で修行を積んだ人は、それなりの環境の良いところに生まれ変わり、女性は美人に、男は美男
子に、そして恵まれた環境で、その星の下に生まれた運命を背負い育つのです。
生まれ変わってくる、と言うことは現世に修行に、もしくは罪の償う為に生まれ変わってきているのです。
生まれ変わりは、試練を与えられて、辛い体験する為に生まれ変わる場合もあります。
生まれつき障害を持っている場合もあれば、貧困家庭に生まれる場合もあり、体が弱く病気がちに生ま
れる場合もあります。
神様は前世の罪を償うために、試練の生まれ変わりを与えて、その生きざまを見ているのです。
もし、自分がふびんに感じるのなら、前世の償いをする為に生まれて来ているのだ。
そして今、その償いをしているのです。
ミケランジェロ作:システィーナ礼拝堂の「最後の審判」
(中央がキリスト、天国と地獄を描いたもので、輪廻転生を描いている)
強い心で、試練に耐えて生きるのか、愚痴を言いながら投げやりな心で、ひねくれて生きるのか、
神様はその生きざまを、神様のものさしで見ているのです。
試練に耐えて、一生懸命力強く人生を全うする事が出来れば、来世は幸せな生まれ変わりが出来るでしょう。
反対に、人道に反する生き方や、恨まれたり大罪を犯したものは、地獄で数十年〜数百年修行してから、
現世に生まれ変わって来ます。
神様は生まれ変わって生きる人の、生きざまを見ているのです。
(輪廻転生はあると断言する科学者もいます)
ニコラ・テスラです。エジソンとの電流戦争にも勝った天才発明家です。(1856年生まれ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前このニコラ・テスラの発明の地震兵器(HAARPハープ)のことを何度か書いたのですが
今では各国がこの地震兵器を研究中です。
現在やっと地震兵器のことが国会で取り上げられています。3.11の東日本大震災はアメリカの
人工地震兵器ではないかとの疑いもあります。↓地震兵器は世界の常識。11分頃からが見頃です。
https://www.youtube.com/watch?v=dyJfcqLCe6c
話を戻します・・・・
(こちらの画は仏教の六道輪廻図)
六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界のこと。六趣、六界ともいう。
六道には6つの世界があります。
(天道)
天人が住む世界で、苦しみの無い天界。自由に空を飛ぶことも、何でも出来る天国界と言われます。
(人間道)
現在の私たちの住む世界で、四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかり
ではなく楽しみもあるとされる。
(修羅道)
阿修羅の住む世界で、終始戦い争う世界と言われる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所では
なく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
(畜生道)
読んで字の如く畜生の世界です。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは
自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。すなわち畜生である。
(餓鬼道)
餓鬼の世界で、餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに
悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。
(地獄道)
地獄道は罪を償わせるための世界である。犯した罪により地獄で何百年と言う辛い修行をする。
※自殺は間違いなく、この地獄道に入ります。神様に修行をして来なさいと魂と肉体を戴いて生まれ
変わって来ているのに、辛いから自殺するというのは、現界の脱走行為になりますから当然です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、可哀想な事件が起きましたね・・・・・
小学校4年の女の子が、自分の父親に折檻されて可哀想な死に方をしました、母親も助けてくれなかった。
多くの方は、可哀想で腹立たしい事件だと、思ったことでしょうね。
(普通なら信じられません、小学校4年の幼い我が子を死ぬほど折檻するとは・・可哀想な事件です)
だがこの女の子は、現世に修行する為に生まれ変わって来ていたのです。
前世の償いをする為に生まれ変わってきていたのです。
父親に謝り、母親に謝り、それでも殺されてしまった。
(可哀想ですが、生まれ変わってきて充分に償いをしたので、今度は素晴らしい生まれ変わりがあります)
この父や、母親は来世は苦労する惨めな生まれ変わりをすると思います。
神様は生きざまを、ものさしで見ているのです。
神様は何処で見ている?・・・神様は人間の身体の中にも居ますよ。
以前このブログで、説明したことありますけど・・・・
私も家内も輪廻転生を確信しています。
もう30年以上前になるのかな?富士山を見に行こうと小さな子供を連れて富士山の五合目まで
車で上がり、そこで二人とも間近で初めて見る富士に圧倒され乍らしばらく黙って見上げていました。
多分10分ほどの沈黙の時間が過ぎた頃・・・・
突如、二人が声を合わせたように、発した言葉が ここ来たことある!と言ったのです。
確かに、以前この風景を見たことがあるのです。二人とも・・・・
人が行列で登っている・・・この見上げる富士山を登った記憶が確かにあるのです。
(その時は子供が未だ小さいので登らなかったのですが、確かに登った記憶が見覚えがあるのです)
夫婦二人とも前世で登ったことがあるのでしょう。夫婦の縁とは不思議なものですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・
私は温泉やサウナによく行くのですが、裸になれば社長も乞食も対等で、同じ裸の人間なのです。
ベンツで来ていようが、ボロ自転車で来ていようが、裸になれば知らない只のはだかの男なのです。
人の値打ちを計るものさしとは、肩書きとか、収入とかではなく・・・
世間の荒波や風雪を乗り越えてきた人柄、人間臭さ、又はその生きざまを見るものさしが必要では?
私も未だ未だ、前世の償いをしなければ、死ねないような気がします(笑)
こんなに苦労するとは、私の先祖は何をしたんだろう??(笑)
では又・・・・・管理人。
下をクリックして頂けたら嬉しいな〜・・・
ブログランキングが上がれば、多くの方が見てくれます。
]]>
(ちぎり)がルーツであると、少し宗教的に書きましたので、その説明は不動産ブログではなく、
こちらの「コマツ住宅の気ままにブログ」にて説明します。
契約の「約」については先日不動産ブログで説明しましたので、今度は「契:けい」について説明します。
少し目線を変えて説明しますので、宗教的な説明になるかも知れませんけど・・・
確たる証拠書類はないので、信じる信じないは自由です。
・・・・・・・・・・・・・
ではまず、バンザ〜イの時、手をどのようにしますか?
皆、両手を開いて上げますよね〜・・・
何故、バンザイの時、皆さんはどうして手を上にあげるの?
バンザイの時は皆、手を上に揚げるよね〜・・・何故?
何故手を横に伸ばしたり、下に伸ばしたりしないの?
世界共通みたいだけど・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなことも知らね〜で・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」
これ面白い!気持ちいい(笑)このシリーズやろうかな〜(^o^)
・・・・・・・・・・・・
これ何のポーズ?バンザイは勝利者のポーズですよね〜・・・・
勝利者のポーズ、このバンザイの形、どこかで見覚えありませんか?
そうです兜ですよ・・・バンザイをしている勝利のポーズに見えませんか?
・・・・・・・・・・
この二本の角は単なる、防具(ヘルメット)ではなく、この兜の意味は神様に武士らしく
正々堂々と戦うので、我に勝利を与えたまえと祈願してかぶるのです。
そして勝ったとしても、直ぐに外すのではなく、「勝って兜の緒を締める」と云いますよね。
武将は戦に勝ってもバンザイをしません。しなくても良いように兜の緒をぎゅっと引き締め、
皆の者大儀であった!と、誇らしく勝利の象徴の兜をかぶり、威風堂々と立つのです。
家来たちは、その姿を見て「エイ・エイ・オー」と片手を高く上げて、万歳三唱するのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
兜の形が・・・・そして日本には、まだ兜に似たようなものを見かけます。
それは神社にある千木(ちぎ)です。
兜によく似てませんか?・・・・
神社の千木を見れば、男神様か女神様か分かります。(但し例外もたまにあります)
千木はアンテナのようにも見えますが、バンザイしているようにも見えますよね。
ここは(神社は)神様と約束(契:ちぎり)を交わす場所なのです。
このアンテナのような物は(私はアンテナの役目をしていると思っています)
千木(ちぎ)と言いますが、神様との契約(契:ちぎりを交わす場所なのです)
皆さんは神様と契(ちぎり)を交わしていますか?
契とはお願い(おねだり)じゃ〜ダメなのです。
参拝者の全員が神様、宝くじで10億円当たりますようにと皆がお願いしたらどうしますか?
神様はそんな願いは聞いてくれませんよ(^o^)
神様と契約をするには、例えば○○の願いを叶えて下さい。その代わり私はそれまで大好きな魚は
食べませんとか、毎朝神様の方角にお茶を捧げますでも良いし、心の底から私と約束して下さい
と、心を込めて固く誓うのが神様との契約であり、契(ちぎり)なのです。
そして願いが叶ったら、神様に感謝のお礼を報告しに行って、少なくとも2週間はお茶を神様の方角
にお供えした方が良いと思います。
(私はそのように習いましたが、2週間もしてないかも知れません。(^^ゞ)
でも普段から行いが悪かったり、神様を大事にしてなかったら、神様はそんな契約は出来ないよ、
とそっぽを向かれるかも知れませんね〜(笑)
契(千木切り)とは千木(神)天地神明に誓って約束を切る事なのです。
約束を切るとは・・・・
契(ちぎり)とはこの千木(神)に誓って、固く約束を交わす指切りのことなのです。
その契を破ると罰則がありますよね〜・・・知っての通り・・・・
指切りげんまん(拳万)嘘ついたら針千本飲ま〜す。指切った!
約束を破ったら、1万回殴って、針を千本飲ます。指を切って誓ったよ!の意味なのです。
これが指切りです。
昔は、刀で親指を切って血判を押していたのです。
現在赤い朱肉で印鑑を押すのは血判を簡素化したものなのです。
これが血判です。
契約書に署名押印する意味は、天地神明に誓って契(ちぎり:千木切)を交わしますと、双方が
血判(指を切って)押印する意味なのです。
これで契約の「契」の説明を終わります・・・・
では又・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで以外とスラスラと書けたのでなんか物足りないな〜(笑)
未だ眠たくないので、もう少し行きましょうか?
何故これを千木(ちぎ)って、言うのでしょうね〜?
漢字で書いてもなんか意味分からないよね〜・・・木が千本ある訳でもないし??
千木のルーツを今まで何度も調べたことがありますけど、分かりませんでした。
日本語だと思いますか?
では・・・私の想像で書きます。
千木は日本語ではない!と、思います。
何故なら、日本語ではない言葉がいっぱいあるから〜・・・です。
日本語ではない言葉が、500以上通常使われていると言われています。
・・・・・・・・・
例えば、高い山の頂上に登った時、貴方はなんて言いますか?
ヤッホ〜〜〜
皆、ヤッホーって言うよね〜
なんでヤッホーってみんな言うの??
只のかけ声?・・・みんなが言うからなんとなく??その意味は?・・・
そんなことも分からねーで・・・・
ボーっと生きてんじゃねーよ!
又、やっちまいました。(笑)多分ワインの性です。
ヤッホーは、ヘブライ語(古代ユダヤ語)で、かみさま〜・・・と言う意味なのです。
ヘブライ語(古代ユダヤ語)は日本に数え切れないほどあります。
例えば・・・・
ハッケヨイ・ノコッタ・エッサホイサ・さー行こうの(サー)・エンヤコラショ・ヤーレンソーラン
ワッショイ・ダメ・ヤケド・オワリ・トリイ・書けば切りがないほど沢山ありますよ。
普通に日本語で使う漢字も当て字が多いですね。
食べる(食:たとは読まない)
困る(困・こまとは読まない)
火傷(火:や、とも傷:けどとも読まない)
このような意味不明な漢字が沢山ありますが、全てヘブライ語なのです。ネットで調べて見て下さい。
日本の国技である相撲も本来日本独自の物では無く、イスラエルから伝わって来たものなのです。
だから(イスラエル語・古代ユダヤ語・併せてヘブライ語)が多いのです。
相撲のルーツは、ヤコブと神と相撲を取ってヤコブが勝ったので、神にお前は勝利者と名乗れと言われ
ヤコブの名前が「イスラエル」となったのです。(イスラエルの意味は勝利者なのです)
(ヤコブは神と相撲を取って勝ったからイスラエルと名乗るようになった)
※ヤコブはイスラエルの国王の祖先であり、古代ユダヤ人の祖先なのです。
日本の神前相撲は、このことから伝わり、神社に土俵がある所が多いですよね。
日ユ道祖論と言うのがあります。(日本人とユダヤ人は同じ先祖であると言う意味)
私は何十年も前から日本人のルーツ、神様のルーツをいまだに熱中して調べているのです。
古事記もギリシア神話も所々かぶるので面白いですね〜・・・
勿論紀元前の話になりますが、ヤコブの祖父がアブラハムなのです。
詳しいことは、人類史の系図を参照して下さい。↓
http://www.chojin.com/keizu/kaisetsu.htm
詳しく書くと、とてつも長くなり分厚い本数冊になりそうです。
単なる三流ブログなので、気楽に楽しめるように手短に書きますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「エデンの園」はやはり実在したようです。場所はエルサレムなのですが、現在のエルサレムとは
少し違う場所のようです。(そんな説明はどうでもよい)
エデンの園から追い出されたアダムとイブ(エバ)に子孫が沢山出来て・・・・
10代目に(ノア)が登場します。
ここで一端人類が掃除されますよね。
そしてノアの10代目に、やっとアブラハムが登場してきます。
アブラハムは神の預言通り神の子として生まれて、一世風靡しますよね。
初めての有色人種で、多分ユダヤ人の先祖になると思います。
その孫が、ヤコブで神と相撲を取って勝ったので、イスラエルと名前を付けて貰い、
イスラエルの国王となります。(勿論神の子です)
その10代目にダビデが登場しますね。
神の声を聞いた羊飼いのダビデが暴れ者の大男(ゴリアテ)と戦い勝ったので、イスラエル国
の国王となり、12支族を一つにまとめ、確たるイスラエル王国を築き上げます。
イスラエルの国旗・この紋章はDAVIDのDとDを組み合わせたものです。
何故かこの紋章が、伊勢神宮にもあり、三種の神器の八咫鏡の裏にヘブライ語で書かれているのです。
(八咫鏡の裏の文字です)
その文字は「エヘイェ・アシェル・エヘイェ(我在りて有る者)」
確か、モーゼが神に主のお名前は何と言いますか?
の答えに「エヘイェ・アシェル・インマク(我貴方と共にいる)」と言ったそうで、似たような答えですね。
ダビデに子供が授かり、ソロモン王子が生まれたとき神はたいそう喜ばれたと記されています。
その後、神から知恵を授かったソロモンはソロモン大王として一世風靡します。
ソロモンの死後、イスラエルは乱れて、12支族にまとまっていた支族の内、10支族が突如
いなくなります。消えた10支族の話は有名ですよね〜・・・
先頭に立ったのは神の力を授かったモーゼ。10支族にこの地は危ないと10支族を引き連れて
イスラエル国を去って行きます。残った2支族は敵に滅ぼされ全滅します。
モーゼは神に問います。何処へ行けば良いのですか?神=東へ東へ行け・・・
当てもなく東へ東へ行くうちに、仲間割れやモーゼを信じなくなるものや現れて段々少なくなります。
モーゼが途方に暮れて途中シナイ山に登って神に会いに行きます、その時に十戒を書いた光る石盤を
神から頂くのです。
それを光が漏れぬように、布でくるみ箱の中に入れて東へ運ぶのです。
これが、日本の御神輿のルーツです。ヨーロッパやアフリカ・オーストラリアなどにはありません。
笛を吹いたり、踊ったり賑やかに神様が通るぞ・・・ワッショイ・ワッショイと・・・
これが御神輿のルーツなのです。
(※ワッショイ・ワッショイはヘブライ語で神が来た・神が来た。)
現在のイスラエルやカナンの地(パレスチナ地方)には古代イスラエル人やユダヤ人は一人も
いなく、世界中で一番古代ユダヤ人・古代イスラエル人が集まっているのは日本だといわれいます。
イスラエルから東の果てまで来ると日本なのです。
イスラエル地方にあった聖地エデンの園(エルサレム)・・・・エデンの東とは日本の事なのです。
光は東方よりと、言う言葉がありましたが、・・・何だったかな〜?聖書だったかな〜?
日ユ道祖論・・・分かりますよね〜日本の豪族、平家も源氏も皆、古代ユダヤ人だと思います。
そのソロモン大王の26代目にやっとイエス・キリストが生まれます。
(ここから西暦元年が始まり、キリスト誕生以前が紀元前となります)
だから西暦元年よりずっと以前から日本には、古代ユダヤ系イスラエル人(有色)が来ていた
事になります。(古代イスラエル系ユダヤ人は中国人よりも日本人に似ているそうですよ)
583歳まで生きたと言われるモーゼの墓は石川県宝達志水 ( ほうだつしみず ) 町にあるそうです。
古代天皇もそうですが、半神半人と言われたヤコブやノア、アブラハム、アダムなど何百歳とか
迄生きてますよね〜
最後に日本語と共通のあるヘブライ語のほんの一部分をピックアップしますね。
未だ未だ沢山ありますよ。(しかし千木は無かった)でもチギとかチゴとかありそうですよね〜
私たちが知らず知らずに使っている(古代ユダヤ語)は沢山ありますよ。
だから日ユ道祖論と言われるのです。
私はイスラエルの国旗である六芒星が大好きで、そのマークを携帯や手帳、パソコンにも貼っています。
日本の国旗も悪くは無いですけど、国旗を貼ると間違われますからね(笑)
せめて平家の小松の家紋(日の丸扇・このブログマークもそうです)くらいですね(^o^)
私も元をたどれば、ユダヤ人かも知れない。ナチスが怖い(^^)
もう遅くなりましたので、この辺りにします。
では又・・・管理人。
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そこで今まで書いたブログの整理をしていました。
2010年3月14日から書き始めて、8年10ヶ月になるんですね〜・・・・・
書いたブログ件数はこの回で312回目になります。
最初は不動産屋のホームページで何をどのように書いて良いやら分からず、取りあえず自分の
趣味のことを書こうと決めたのです。
書く動機と、目的は・・・・
1.私の人となりを知ってもらうには、仕事のことより趣味のことを書こう。
「仕事の事より、私生活のブログを書くことにより私自身の性格、生き方をアピール出来る」
2.自分の日記となって、長期保存できる。
「ブログはファイルに長期保存出来るので、死後も私の生きざま、考え方を子や孫に伝えたい」
3.自分の不思議な体験を情報発信して、多くの人に共感を求めたい。
「自分の体験より神界や霊界のこと、感じたことを発信して共感される人との輪を作りたい」
4.文章のスキルアップに役立つ。
「文章力がアップするので仕事柄、契約書の特約、覚え書き、示談書を書く場合に役立つ」
5.ブログを書くことにより、仲間や友達が増えることを期待したい。
「愛想がなくて口下手、文章なら冗談交じりの言葉も次々と出るので実際に友達も増えている」
6.真実を伝えるために、歴史やその根拠を調べたりするので自分の勉強にもなる。
「ブログを書く度にネットで調べたり、他の意見も参考にするので、確かに勉強になっている」
7.自分の経験や、勉強した専門知識を情報発信して少しでも人様の役に立てば嬉しい。
(※二年前から要望に応え不動産関係の知識やトラブルの体験を書き込んで役立ってると思う)
(※2017年7月より不動産ブログも始めています★マークが不動産ブログです)
(※私の情報発信が少しでも世の役に立つのであれば、と願って書いています)
(※考え方や毛色の違う人達と仲良く共存するには、感謝の心と言うルールが必要だと思う)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・
と、このような動機でブログを書き始めたのですが、もう9年近くになりますね。
最初は誰も見てくれなくて、1日に10人見てくれたら喜んでいました。
ブログの感想やコメントが来たら、オォーッと喜んでいました。
今ではありがたいことに、少なくとも一日に500人から多いときは1,500人超す時も
あります。(今月は多分2万人越す勢いで見てくれてます)
実際本業のコマツ住宅より、気ままにブログの方が知名度がありますね〜(^^)
日本全国の方が見てくれてますからね〜(笑)反響があるからこそ楽しいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し整理をしましたので、コマツ住宅hpよりhttps://www.komatsu-j.com/
過去のブログが全て見られます。(昔の古いものは写真が消えているのもあります)
※コマツ住宅のトップページより↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あっと言う間の9年間でしたが色々ありました。後、何年書くことが出来るのでしょうかね〜
出来るだけ続けたいと思います。皆様の応援のおかげで、長く続ける事が出来ているのです。
もし、皆様の応援がなかったら、とっくに辞めてると思います。
皆様、これからも宜しくお願いします(コメント感謝感激・大歓迎です)
ブログランキング?あまり気にはしてないのですが、多少は気になります(^^)
私のモットーは「自分は何のために生きているのか?」を常に考えることです。
死ぬまでこの考え方は変わらないと思います。
親から健全な体を貰い、神様から魂を授けて貰い、この世に修行と体験をするために生きている
のだと思っています。
幼年期→少年期→青年期→壮年期→中年期→高年期と迎え、後は老年期の前半後半が待っている
のみなのですが、過去を振り返れば波瀾万丈の人生でしたが、それも良い人生勉強になりました。
偉そうに言う私も、長老から見れば未だ、「はなたれ小僧」なのです。
だから未だ未だ修行中の身ですから、もっともっと勉強して体験して素晴らしい長老になりたいと
思っています。
人生の卒業式は「卆寿」なので九十歳になれば、一応人生の卒業生となるので、しっかりと勉強して
人生の大先輩として尊敬されるような素敵な長老にならなくてはと思っています。
そのためには、ぼけないように健康に気を付け、脳を働かし、威厳のある長老を目指しています。
その修行の糧を、まだまだハナタレ小僧の悪戦苦闘をブログにて情報発信する予定です。
目指すは、このようなお茶目で・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして威厳のある長老!です。(笑)
ブログは情報発信して、コメントがあるからこそ書き甲斐があって楽しいのです。
人それぞれ、百人百様色んな個性の人達が共存しているからこそ面白いのであって、これが正しいと
言う考え方、生き方は特定出来ないと思います。が、出来るだけ後悔をしない人生を歩みたいですよね。
只、私の情報発信が良きにしろ悪きにしろ、面白いと思って見てくれる方がいる限り、続けたいと
思っています。
これからも宜しくお願いいたします。 管理人より・・・・
ブログランキングはさほど気にしてないのですが、ランキングが上がると嬉しいですね。
ワンクリックお願いします。↓ m(_ _)m
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考えながら見てみましょう。
皆さんもよく知っている古い歌なのですが・・・
先日初めてカラオケでこの歌を歌った時、この詩の意味を考えながら歌ったのですが意味
分からんのです。
歌の内容から 昴と云う星座(プレアデス星団)の歌ようですが、谷村氏が何故このような詩
を作ったのか調べてみると面白い記事が見つかりました。
谷村は、「昴」はプレアデス星団からのメッセージをキャッチして書いた詞だというのだ。
「昴は宇宙人からのメッセージだ」と言うのです。
https://lite-ra.com/2014/08/post-414.html ←見て下さい面白いですよ。
私の興味を引く「日ユ道祖論や伊勢神宮の籠目紋」が書かれていた内容だった。
メッセージは・・・
「目に見えるモノだけに縛られる物質的な生き方に別れを告げ、目に見えないモノを大事にする
精神的に豊かな生活を選ぼう」というもの。
普段私がいつも言っていることだったからビックリしました。(^o^)
私も星が大好きで、年に1回はプラネタリウムをみて星の説明を聞きながら勉強するのですが
牡牛座の一部ですよね。
(星の話はロマンがあって大好きです。ハイ!私はロマンチストです)
「昴:プレアデス星団」を探すには、見つかりやすい「オリオン座」のベルト(3星)を見つければ
直ぐに分かります。
その線上の右側をたどると牡牛座のプレアデス星団(スバル)が見えます。
https://www.youtube.com/watch?v=4Ct20AWeEh0 ← 星座の話
https://www.youtube.com/watch?v=wHdq-Z6_Q-8 ← 宇宙は壮大
占いなどに使う28宿(27宿とも)と言うものがあります、
昔から人は、そういう星の下に生まれた性格と運命をたどる言われます。
家康があまり当たりすぎるので使用禁止令を出したのが28宿です。
28宿については勉強不足で説明は出来ませんが、その28宿の中に「昴宿」というのがあります。
それがどういうものなのか興味のある方は調べて下さい。
私は星が好きなので、ギリシャ神話や占星術はとても興味があり、なるほどと自分の性格と運命
に納得しています。
私の星座ですか?勿論、見ての通りの花も恥じらう乙女座です(^o^)
冗談はさておき・・・
気になるのは、オリオン座の右肩になるペテルギウスという星、現在爆発寸前と言われる大きな星
(太陽の1000倍)はあると言われるので、爆発して粉々になれば地球にとてつもない影響がある
かもと言われます。
太陽は地球の109倍と言われるので、その1000倍となると地球の109,000倍の大きさ、それが爆発
して粉々になれば、いくら地球と離れているといえども想定外の影響はあると思いますね。
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005410021_00000
ペテルギウスの大きさはこの↑太陽の1000倍もあるのです。
爆発する時の明るさは太陽の1億倍以上に達するとのことなので、爆発すると地球からは太陽が
2つ〜5つ程に見えると予想される。
そこで、とても気になるのが日月(ひふみ)神示の予言。
「天にお日様ひとつでないぞ、二つ三つ四つ出てきたら、この世の終わりと思へ」が思い出されます。
(富士の巻 第16帖より抜粋 )
※日月神示とは岡本天明が「国常立尊」による自動書記によって記述した文書として有名です。
(日月神示第05帖)より
岩戸開きみほぎの神宝たてまつらまし
月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ
空は「ち」血の色となるぞ、流れもじゃ
人民四つん這ばいやら、逆立ちやら
ノタウチに一時はなるのであるぞ
大地震、ヒの雨降らせての大洗濯であるから
一人逃れようとて、神でも逃れる事は出来んぞ
天地混まぜ混ぜ交ぜ交ぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・恐ろしい予言を思い出します・・・・
あるかないか分からないものを心配してもどうしようもないので、話題を変えましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スバルと言えば富士重工業の「スバル」と言う車を想像しますが、富士重工も2017年4月1日
から株式会社SUBARUに社名変更しました。
(2017年4月1日より新しい社名SUBARUになりロゴマークも変わりました)
谷村新司の「昴」は、1980年4月1日に発売されたとあります。
37年後の4月1日に社名変更したのも何かの因縁なのでしょうかね〜?
富士重工業のベースは航空機メーカーで、戦時中は飛行機を作っている会社で中島飛行機が元なのです。
富士重工業に変わったのは1953年ですから戦後、航空機メーカーから自動車製造メーカー富士重工
業に、5社の資本出資によって設立されたそうです。
二年後、出資した五社を吸収合併する形で、富士重工業株式会社の形となったそうで・・・
つまり、一つの星(会社)が五つの星(会社)を吸収したから、上記のロゴマークとなったのでしょうね。
SUBARUのロゴマークは日本では古代から六連星(むつらぼし)と呼ばれていた星をデザインしたもの
だそうです。
意味は 1つの星が、6つの星を「統べる」=「統合する」=「王者の象徴」という意味がスバルの名称に
込められているようです。ロマンがあって意味深な社名ですよね。
SUBARUさんの、益々の活躍を期待します。
では又・・・・管理人
]]>元旦はまず氏神様に新年のご挨拶を(24:00)にして、夜が明けると家族で新年を祝います。
朝風呂に入り、家の神様と事務所の神様にご挨拶をして御神酒を頂き、ご馳走を食べる。
(これが我が家のお正月をする習慣です)
午後から高知県の総氏神様の土佐神社にご挨拶です。今年は?年ですね。
新年のご挨拶をするのですが、沢山の人出でこんな時は神様の声は勿論、神様の気配も感じ取れ
ません。
亥年は荒れると云うジングスがあります。
今年はどうなるのでしょうか?(神のみぞ知る)
過去の亥年は・・・・
12年前・・・宮崎県知事にタレントのタレントの東国原英夫(そのまんま東)が当選。
平成19年 安倍晋三首相が辞任、福田康夫内閣発足。
日本郵政公社が解散。日本郵政株式会社が発足。
中部地方で能登半島地震・新潟県中越沖地震が発生。
24年前・・・阪神淡路大震災で死者6,500人家屋の倒壊、焼失が20万棟以上
平成7年 オウム真理教による地下鉄サリン事件
青島幸男が東京都知事・横山ノックが大阪府の知事に
全日空857便ハイジャック事件・
ウインドウズ95を発売・メジャーリーグで野茂英雄が日本人初の新人王
円高、1ドル79.75円・大卒初任給194,200円
36年前・・・大韓航空機撃墜事件。ソ連の領空を侵犯し、乗員・乗客269人全員死亡の惨事
昭和58年 日本海中部地震が発生(マグニチュード7.7日本海側で最大級の地震)
田中角栄元首相に実刑判決
東京ディズニーランド開園・任天堂「ファミコン」発売
中国自動車道が全線開通。
その他・・・大正12年の関東大地震、死者10万5千人、避難者190万人以上。
1,707年の亥年には富士山大噴火(宝永大噴火)
過去の歴史から云えば、亥年は何かが起きると云われていますが、正月早々不吉なことは考えず
気楽に過ごしても良いと思います。
1〜2年前は神界がザワザワと緊張気味でしたので、私も何か重大な事があるのかと心配していま
したが今は落ち着いているようです。
私は20年ほど前に株式投資をピタッと辞めたのですが、株投資をしている方は毎年今年は上がる
かな?と株の行方がとても気になるものです。
株式相場の格言で「亥固まる」と云う言葉があります。
意味は高値で推移し、暴落は無いという格言なのです。(昔からある言葉)
来年のオリンピックに向けて、オリンピック相場が始まるような気がします。
一般的に、オリンピック開催国の景気は、オリンピックが近づくにつれて良くなる傾向にある
といわれています。
オリンピック開催国のGDPは開催後の方が良いのです。
オリンピック景気に期待しましょう。
私は株を全くやってないので、責任は持てませんけど(^^)
商売繁盛の大国様(榎本神社:ご祭神は大国主命・スサノオ・奇稲田姫の三柱です)
(㊟大?様や大黒天ではありません。大黒天はインドから来たマハーカーラで仏教になります)
私の自宅の氏神様です、元日の昼頃凄い混みようで、並んでこの鳥居付近に来るまで20分以上
掛かりました。これほど並んだのは初めて、沢山の人が神様にご挨拶する光景を見ると私も嬉しく
なります。(いくら並んで時間が掛かろうとも苦にならない)人の表情を見るのが楽しいです。
商売繁盛の笹に俵の付いた福を授かると言われる「福笹」を買ってきました。
笹(竹)は真冬でも青々とした葉を付けまっすぐに伸びることから、商売をする上で
訪れる苦難や、逆境に耐える事が出来る象徴とされ商売繁盛の縁起物となっています。
その笹に小判や鯛、米俵、神札などを付けて家に飾ると福を授かると云われています。
榎本神社に附設している資料館に展示されている一部を紹介します。
殿様や姫様など偉い人が乗るかごです。が中は意外と狭く・・・
畳半畳も無いですね、私なら乗れない。小学生の子供か小柄の女性なら乗れるくらいでしょうか?
何故かランボルギーニがここにあり、聞くところによると所有者は神社の息子らしいです。
人それぞれ自由な趣味があっても良いでしょう。
でも、遠くから沢山の参拝者が新年のご挨拶を兼ね、商売繁盛や今年こそ良い年になるようにと願い
を込めて神様に願掛けに来ているのに、神社の息子が高級車を見せびらかすようなことは疑問ですね。
ま〜正月早々目の保養になっても良いのかも知れませんけど・・・・
賛否両論かも知れませんね〜・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年の正月は何処にも行かず、市内の神社を数社ご挨拶に行っただけです。
毎日飲んで、食べて、寝るの繰り返しで、この1週間で4kも太りました。(^^)
7日からダイエットしています。(^^)
十分な骨休みをしたので、又頑張って仕事とブログ更新しますね。
では又・・・管理人。
下をクリックして下さい。ブログランキングが上がると書く意欲が湧いてきます。
]]>(伊勢神宮の日の出、ネットから拝借ですけど実際に見てみたいです)
もうすぐ今年も終わるのですが、1年はあっという間に終わりますね。
私の青春時代はつい最近のような気もするのですが、いつの間にか老人の仲間入りとなりました(笑)
本当に月日の経つのは早いですね〜・・・
私のブログ更新も最近忙しくておろそかになっています、書かなくてはと書き始めると仕事に追われ
書いては消しての連続でした。
神社巡りも行けずに、最近は近くの氏神様と鎮守様だけですね。
今度の正月には伊勢神宮で初日の出を見る計画をしていたのですが仕事が入り、あれよあれという間に
ホテルの予約が取れなくなり諦めました。
お正月は、地元の神社にご挨拶して、元旦の日の出だけはどこかへ見に行こうかと思っています多分、
県外の神社巡りは来年の春までお預けでしょうね。
ブログを書き始めて9年程になるのですが、年末に過去のブログやコメントを確認していると、下手な
文章にあきれますね〜(笑)あの頃はこんなことを書いていたんだと笑ってしまいます。
主に、古事記を紐解きながら神社巡りをして、神様のルーツや神様のネットワークに触れて何故ここに
この神様が鎮座されていのか?を想像しながら紐解き感じたこと等をブログに書いているのです。
私たちが神様にお願い事をするように、神様も私たちにこのようにあって欲しいと願っているのかも
知れませんね。
天皇陛下が国民に幸せであって欲しいと願うように・・・
その神様の御心に感謝を込めてお礼参りするのが国民の勤めだと思っています。
神様は有り難いことに、願いを聞いて叶えてくれます。
正に「信じるものは救われる」のです。
その証拠に神社には沢山の願い事の絵馬があり、それを見ていると願いが叶いました。ありがとう
ございますの感謝の言葉をよく見かけます。
又伏見稲荷では願いが叶ったり、会社発展のお願いをするときは鳥居を献上したりします、1万基以上
の沢山の鳥居があると言われています。
それだけ願いが叶ったと言う事でしょうね。
又、氏神様や鎮守様では願いが叶うと鈴の紐(正確には鈴緒スズオ)を献上したりしますね
(地方により違うかも知れない)
※鈴緒の「緒」と言う言葉は赤ちゃんと母親との魂を繋ぐ「へその緒」の意味です。
神様に命の魂を繋いで下さい。そしてありがとうございましたと、お礼に鈴緒を献上する風習も残っています。
普段お世話になっている神様に、感謝の心が湧かない人は可哀想な人かも知れませんね。
(絵馬に願い事を書いたり、願いが叶ったお礼を書いたりは、沢山見受けられます)
そして、神様のルーツを紐解きながら神社巡りをしていると、歴史の間違いに感づく事もあります。
そんなことも取り上げたり、人の正しい生き方や、神様の願いもこうではないかな?と
自分の独断と偏見で書いてしまう時もありますね。(私の悪い癖かも、スミマセン)
このブログで何度か「人生とは何ぞや」・・のような題で一番大事なことは要領だと言った事があります。
人生全て、要領が大事なようなことを書いた記憶がありますが、それは間違いです訂正します。
(人生全て!ではなく、強いて言うなら一応です)確かに要領は大事だと思います。
テストで良い点を取るなら、勉強の仕方の要領が大事だし、仕事で成績を上げるのも要領、人付き合いも
要領、教育も、健康も、ダイエットも、遊びも、金の使い方も、出世も、早く走るにも、スポーツで人に
勝つのも、自分に勝つのも、練習の要領が大事かも知れない。
しかしその要領が全てではないと思うのです。
何故なら「要領」と云う言葉に引っかかるのです。
それはその要領と云う言葉の裏に「打算的」という言葉が見え隠れするからなのです。
かつて、私の会社に一流大学出身の営業マンが入社しました。
その彼は頭が良いので要領も良いのです、仕事も出来るし成績も良い、でも間を見つけては勤務中に
パチンコや競馬をこっそりと楽しんでいる。
ちゃんとした数字を上げるので、文句の付けようがないのです。でも何故か好きになれなかった。
性格も良いし、マナーも良い。(多分私の前では)何が気に入らなかったのだろうか?
いや!仕事が出来るから気に入っては居たのですが、心から信頼が出来なかったのです。
それは、全て計算づくめの打算的な考えだったからです。
もう一人要領の悪い営業マンも居ました、人良し過ぎて押しが甘いのです、だから成績が悪いので
給料も少ないのです。でも一生懸命真面目にコツコツとマイペースで働く営業マンでした。
でも人間的には要領が悪くてもこちらの方が信頼感があり安心できました。
私も要領の悪い人間です。でも自分なりのやり方を通し今までやってきましたが、要領の良い人を横目で
見ながらうらやましくも思っていました。
現在でも要領よく仕事をして会社を大きくした同業者も沢山います。
私はそのような事が出来なく35年も細々と不動産業をしている。うだつの上がらない
不動産屋なのです。
でも真心が第一だと思うから、強引な営業は出来ないのです。言い訳がましくなりましたけど(笑)
「軍人は要領を本分とする」 はそれでいいのかも知れませんが、「武士は忠義を本分とする」でしょう。
武士は、忠義、恩義、約束、面目、絆を大事にします。
武士は打算的な心を持ちませんから「要領よく」と言う言葉に何か引っかかるのです。
武士商いとも云いますが、武士は愛想も悪いし商売が下手なのですよね〜・・・
でも今は、そんなことは言っても通用しません。現代では人付き合いや要領はとても大事なことです。
でも打算的に割り切って考えるのは嫌いなのです。
武士でも、軍人でも、商売人でもない私の本分とは何でしょうね〜(^^)
私の本分とは・・・自分らしく、多くの人に愛されて、生ある限り健康で長生きして人生を
楽しく、要領よく・・・・やはり要領か・・(^^)
打算的と云う臭いがしない要領に変わる言葉は無いものでしょうかね〜(笑)
頭の悪い私には、日本語は難しいです。(笑)もうすぐ今年も終わりますね。
仕事が落ち着いたら、又真面目にブログ更新しますね、要領よく。(笑)
では良いお年を・・・管理人。来年もよろしくお願いします。
特別な用事のない限りは毎年、11月23日は行くようにしています。
小松のご先祖様をお祀りしている、子孫の小松姓を名乗る私たちにとっては大事な行事なのです。
若い時は、それほどにも思わなかったのですが、私の尊敬する先生から、小松さんは小松神社が
大元なので、小松神社を大事にするようにと云われ、何か困ったことや相談するなら小松神社
が良いでしょうと教えられました。
お願いしたり、甘えたりできるのは大元の先祖神が一番よいと教えられたので、お願い事等
をする時は、小松神社まで足を運びます。
最近は、幸せなことに大祭の時だけお礼に来るのですが、以前は毎月ように来ていた時もありました。
高知市内から車で1時間半位で、ここに着きます。
そして駐車場が狭いので、大祭の時は車を停めに少し下まで降りて行き、そこから狭い階段を降りて
神社に着くのが10分位なので、家から神社まで1時間45分でした。
この狭い階段を降りていくと、ひっそりと小松神社があるのです。
373段(みなさんしんどい段)です。
降りるのは案外楽なのですが、帰りの上がってくる時の辛いこと、心臓が飛び出そうなほどの
息切れがします。だから良いのかも知れませんが、秘境の神社なのです。
平家一族は、源氏の追っ手から隠れるように、ひっそりとした山奥で平家一族の根が絶えないように
密かに息を殺して生活したことでしょうね。
壇ノ浦の戦いで破れた平家は、安徳天皇を守護しながら四国の山伝いに逃げ、偶然この地域で先祖神と
出会いここに落ち着き、一部の部族はこの付近にて生活をし、子孫の繁栄を願い暮らしたことでしょう。
下る途中から、垣間見える景色なのですが、この付近一帯は昔から色んな神さまが沢山おられて
様々な伝説があります。(イザナギ流伝説)
この辺りは香美郡物部村(旧)呼ばれるところで、香美郡は(神群であり)物部村は(物部一族)が
沢山住んでいたから物部村と云い、その側を流れる清流を物部川と云います。
話を少し戻しますが・・・・
高天原からアマテラスとタカミムスビの命で中津国を(日本を)制定せよと使わされたのがニニギで・・
・・・・・・・・・
長くなるので、ごく簡単にまとめて説明すると・・・・・
ニニギの家来イワレヒコ(後の神武天皇)が日本を統制するべく進出していると、強敵が現れた。
ナガスネヒコと云う大将だった。あまりに強いのでお前は誰だと問うと神の使いだと言う。
お互いが神の使いだと云うので、その証拠を見せろと云うとお互いが神の使いである証拠の品を見せた。
ナガスネヒコの神は、ニニギの兄で、ニギハヤヒだったのです。
ナガスネヒコとイワレヒコは、同じ神の使いなので戦は辞めようと話している時に、ナガスネヒコの家来
が今まで戦ってきて身内も殺され、このままでは気が収まらぬと、敵に向けて矢を放ったのです。
ナガスネヒコは神に向かって矢を放つとはけしからんと、その将を斬り殺した。
その将とは、ナガスネヒコの妻の兄、つまり義理の兄であったのですが即、斬り殺したのです。
ナガスネヒコはその無礼を詫び、イワレヒコに仕える約束をする。
そして、イワレヒコが初代天皇(神武天皇)となり、ナガスネヒコの一族は物部氏(もののべ氏)を
名乗り天皇を支え、重臣として使えたと言う歴史があります。
天皇は生き神様なので、天皇を日本の象徴として天下太平の世を創るべく働いていたのですが・・・
重臣の一部に、物部氏を良としない反対派の豪族が現れたのです。
それが蘇我一族。
蘇我馬子(ソガノウマコ)や息子の蘇我入鹿(ソガノイルカ)は聞いたことあると思います。
神という見えない象徴(鏡や光)だけの存在に不満を持ち、手を合わし拝むなら、それらしき象徴が必要だと
中国から仏教を取り入れようとしたのです。仏教は拝む仏像や般若心経などの(経典)があるから。
(※神道は神社で手を合わせ、頭の中で念じるだけ神とは念じるだけでこちらの気持ちが神に伝わる。
神社の狛犬も口を開けた阿象と口を閉じた吽象があり、何も言わずとも阿吽の呼吸で分かると言う意味です)
それに大反対したのは物部氏。
日本には尊い神様が沢山いるそこに外国の神を呼び寄せる必要はないと、大反対したのです。
この争いが、神対仏の戦争となり80年ほど続くのですが、大きく立ちはだかったのが蘇我馬子です。
天皇の子である、聖徳太子を蘇我一族に丸め込んだのです。
馬子の娘が聖徳太子の乳母だったのを良いことに、頭の悪かった聖徳太子を(末代まで英雄にしてやる)
とかの条件を付けて、こちら側には天使様がついて居ると、聖徳太子を担ぎ物部氏に立ちはだかったのです。
物部氏は天使に弓を引く事が出来ずに、追いやられて物部氏は消滅したのです。
※天皇系では、後にも先にも仏式系で葬儀を行ったのは、聖徳太子のみなのです。先祖が神でありながら
信じられませんけどね〜・・・(以前ブログにも書きましたね、聖徳太子本当はアホだった)
全国で物部氏の伝説が残るのはここ物部川の流れる物部村だけかも知れないです。
この付近に沢山の神が存在していて(神群)香美郡と云うのも納得がいきそうです。
小松氏の子孫が集まり、年に一度か数年に一度しか会わないのに、皆さん持ち込みで寿司や酒、お菓子
でソバやうどんを食べたりしながら、先祖神の前で子孫の繁栄を報告し天下太平を願う。
昔から云うと、階段がきつい性なのか顔見知りの人が少なくなりました。
歳が行くと、やはりこの階段はきついと思います。私も後、何年これるやら・・・(^^)
でも今年は、少し若い人が目立ってホッとしています。いつまでも続いて欲しいですね〜
高知の酒(豊の梅)おり酒です。初めて飲みましたが、美味い!
私はワイン派で日本酒はほとんど飲まないのですが、これは美味かった!お勧めです。
早速翌日買いました。値段は忘れました、多分2,000円ちょっと位だったと思います。
小松神社は勿論小松氏のご先祖様を奉っているのですが、小松神社のご祭神はとても偉い神様なのです。
その神様の名前は(分かりません)(笑)
天之御中主神(あめのみなかぬし)とされていますが不明です。タカミムスビでもないし、アマテラスでも
ないし、とにかく偉い神様がいるように感じますが、分かりません。
私、天之御中主神と云う神様感じたことがないんです。尊すぎるのかも知れませんね。色んな神社を
巡っているのですが、天之御中主神神社は何かピンと来ないのです(修行不足でしょうね)
歴史的に頭で想像すれば・・・・・
ここに鎮座されているとても偉い神様は、饒速日命(ニギハヤヒ)様ではないかと思います。
私だけかも知れませんが、私はニギハヤヒのような気がします。
源平合戦に敗れた、壇ノ浦の戦いが1,185年ですから、今から833年前ですね。
その時に、船の舳先にこの扇を打ち落として見せよ!と云って、打ち落としたのが、源氏の那須与一。
見事に打ち落とされたので、敗北を認め撤退したのですが・・・
このひとつの勝負で、一本の矢であっさりと天下分け目の戦いの敗北を認め、撤退するのが武士ゆえの
武士道だったのでしょう。
その日の丸の扇を家紋としているのが正規の小松氏なのです。
私も偶然福井扇町と言う場所に事務所を構えているのですが、因縁なのかな?(笑)
戦力では源氏より平家が勝ってたはずなのですが、負けたのは源義経の奇襲戦法に負けたのです。
当時、武将は我は何々の某であると、姓名を名乗り正々堂々と戦うのが当時の戦のルールでしたが義経は
夜中に奇襲戦法で崖の後ろから馬で駆け降り攻めてきたとか、弓で将を打つより馬を射てとか・・・
当時のルールでは信じられないような戦法で戦ったのです。
平家はその義経の戦法にしてやられたと言っても過言ではないと思いますが、兄の頼朝はその武士である
まじき戦法を恥て、義経を追放したのですよね。
逆に義経の性格なら扇を打ち落とされたとしても、約束を破ってでも敗北は認めなかったでしょうね。
正に「平家にあらずんば人にあらず」ですね。清盛の弟(時忠)の有名な言葉らしいですが、それだけ
平家は人道と礼節を重んじたのかも知れません。
この源平合戦により神より授かった大切な三種の神器が行方不明になり、見つかったのは、八咫の勾玉と
八咫の鏡のみで、草薙の剣は未だ見つかってないのです。
「初代天皇から皇位継承の際に天皇の証しとして三種の神器を受け継ぐ儀式がある」のですが、安徳天皇
以来、本物の三種の神器は受け継がれてないのです。
それ以来は草薙の剣を模造し、熱田神宮に神体として祀られています。
天皇継承の際はその三種の神器を揃え、天皇継承の証しとして神に報告する儀式があるのです。
非人道的な義経の戦略により、日本の大切な三種の神器の一つ、草薙の剣さえも無くしてしまったのかも
知れません。
来年平成から元号が代わるのですが、その時にも三種の神器を揃え天皇継承の儀式があります。
ちなみに神道派の葬式も必ずと言って良いほど、三種の神器を祀り葬儀を行いますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※牛若丸とも呼ばれた源義経は、兄頼朝に追放された後、自害して死んだと言う説もありますが、大陸に
渡ってチンギスハーン(ジンギスカン)と呼ばれモンゴル帝国を創った英雄になったと言う説もあります。
昔この本を読んだこともありますが、本当に同一人物なのか現在でも分かってないそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平家の落人は壇ノ浦の合戦から高知県の山伝いに逃げて、この山奥で偶然、先祖神に出会ったのでは?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平家の末裔安徳天皇は壇ノ浦合戦後も生きていた。(ユーチューブです)
https://www.youtube.com/watch?v=KJYyI1dPQuQ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてこの付近を安住の地として、子孫を絶やさないようにとひっそりと生活をしていたのではと、
ロマンはふくらみます(^^)
参拝者全員に、お供えのそば餅を配られます。ソバ団子かな?
私は焼いて食べるより、汁にして食べるのが好きです。
それほど美味しい物ではないですけど、落武者がひっそりと栽培できるのは、蕎麦なんですよね。
山でも何処でも簡単に育つし、栄養価もあって・・・平家そばとか、平家饅頭とか売られているのものは
ほとんど蕎麦なんですよね〜
小松の先祖たちは、このようなものを食べながら子孫繁栄を願ったのでしょうね〜
戦時中の「すいとん」のような食べ物だったように思います。
生き延びる為に蕎麦を練って食い、子孫を絶やさぬようにと命を繋ぎ、源氏に敗れた先祖の悔しさを偲び
不味い蕎麦汁を悔しさを噛みしめて食べました。(^^)
魚のだしで蕎麦汁を作りました。今日の昼食です。
これなら売れると言うような味に仕上がりました(^^)美味い!!
高知のアジの塩焼きも脂がのって美味しかったですよ。
先祖の悔しさですか?そんなもん、ありゃ〜しない(^^)
人生死ぬまで、楽しく元気で生きて行こうじゃありませんか・・・・
では又・・・・管理人。
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でも、けっして神社仏閣のマニアではありません。
何というか・・そこへ行きたくなるから行く。呼ばれていると感じると無性に行きたくなる
のです。逆に頭でここ行きたいと思って行っても近くまで来ると、此処ではないと退散したり
することもあります。
だから神社マニアのように、手当たり次第に神社を巡るのとはちょっと違います。
・・・・・・・・・・・・・・
私が子供の頃から特異体質だったのか、たまに聞こえるはずのない声が聞こえたり、
何かがそこに居るのを感じたりする程度、それもたまにだったので、少し霊感が強いのかな?
くらいにしか思ってなかったのですけど、結婚してからなんです。
私と同じような体質の家内と結婚してから、お互いにビンビン感じるようになったのです。
特に私は気持ちが悪いほど、見えたり聞こえたり・・・・(笑)
犬や猫なども霊が見えるのか、何もない一点を見つめてウゥーッと吠えたり、名前を呼んでも
チラッとこっちを見るだけで、固まったようにある一点を凝視する事が時々あります。
多分、普通の人間には見えないものが見えているんだと思います。
私も以前はよく見えたり聞こえたりするとがあり、凄く疲れるので何も見えないように、ある先生に
見えないように感じないようにして貰ったのです。
それからはとても楽になりました。今でも集中すればそこに何かが来ているくらいは感じますけど
見えたり聞こえたりしないからとても楽になりました。
それまでは金縛りや、幽体離脱、幽霊や魑魅魍魎はしょっちゅう、聞こえるはずのない声も聞こえ
たり、慣れるとどうってこともないのですが、決して面白くはないんです。
家内と長女は気を集中すればもっとリアルに見えるようですけど、これ案外疲れるんですよね〜・・
私が神様事にハマったのは、ある夢を見てからかも知れません。
全く同じ夢を20回以上続けて見たことがあったのです。
その夢は、私が車で走っていて、そうだあそこへ行こうと何故か高い山に登って行くのです。
どんどんと登って行くと、車から見える景色と大きな岩、(又ここへ来たと思う)そして頂上より少し
下付近に着くと、低い草が沢山生えた広い広場が有り、車から降りて景色を眺める・・・・
少し寒いが気持ちがよい、又ここへ来たと思う。・・・・
夢の中でいつも思うのはここは何処だろうと?
夕方近くなると、いくつかの夜店が開店の準備を始めている。神社のお祭りのようだ・・・
そこからはまだ一段と高い山があり、車でもっと上まで登ろうと登って行くと、いつも豪雪で途中から
滑り転落するのです・・・
すると、不思議な事に(夢だから)エレベーターに乗っているのです。
そしてエレベターの最上階で降りると高い山の神社の中にいるのです。
そこから見る景色はとても美しく、空気がきれいで気持ちいい・・・
又ここに来たと思う。
その神社は小さいのですが、とても高いところに有り、その神社の2階からはとても美しい景色が
見えるのです。
神社の2階から見える景色は絶景で、見下ろすと下には川が流れ川に沿って道があり、人が歩いて
いる。
川の橋の麓に店が2軒並んでいて、その店は昔の団子等を売っている茶店かな?そのような感じだ。
この神社に来ると、いつもこの2階から見る景色が好きだ。(又ここへ来たと思う)
不思議なことに、そこからは遠く離れているはずなのにはっきり茶店だと見えるのです。
夢から覚めると、あの神社はどこだろう?肉眼で見えるはずのない離れた光景が(茶店が2件)不思議
なほどよく見える。
人が歩いている姿もずいぶん昔のような感じなのです。
・・・・・・・・・・・・・
このように同じ夢を20回以上も見ると、夢の内容もはっきり覚えているんですよね〜
この神社が何処にあるのかを探しました何年も・・・見覚えのある懐かしい風景だったから子供の時の
記憶か行ったことのある山に違いないと沢山の山を探したけどその場所は見つかりませんでした。
その夢のこともすっかり忘れ20年ほど経った頃、とても素晴らしい先生に出会ったのです。
すごい、この人は本物だ!と仕事が終わると家内と徳島まで先生の話を聞きに行ったものです。
私はいろんなよく当たると言われる神主や、よく見る人に見てもらたことがあるのですが、皆が言う
言葉に、共通点があるのです。
あなたには、とても偉い神様が憑いている。誰だろう?
今まで沢山の神様を見てきたが、こんな偉い神様に初めて出会ったと言うのです。
その頃は私も興味がなく「あ、そう」と思うくらいでしたが・・・・
徳島にすごい先生が居ると聞いて、その人の紹介で行ったのですが話を聞くとすごい。
沢山の弟子もいました。(宗教団体ではありません)個人の心霊研究所という小さな看板があるだけ。
私も興味津々で、弟子と言うより知らないことが多かったので、家内と一緒に勉強に通ってたのです。
その頃に先生が、小松君を見ようかと神棚に祝詞をあげていると神様が降りてくるのです。
目を閉じているとそのように感じるのです。
2人の弟子の内一人はじっと手を合わしたままで聞いている。もう一人の弟子は私の顔を凝視しながら
白い紙に鉛筆でちょんちょんちょんと点々を縦に文章を書くように付けているるだけ、誰が見ても
意味わからないと思う点々をずらずらと鉛筆で書いただけ。
そして、その弟子はタカミムスビが出てきた、安倍晴明も後ろに見えると言う・・鎧を着た武士がいる。
先生は、ほ〜タカミムスビの神が出てきたか、安倍晴明もか・・そりゃ〜感じるはずじゃわと・・
先生に安倍晴明は知っているけどタカミムスビって何ですか?ときくとタカミムスビの神も知らんのか?
私、その頃は何も知らなかったので、キョトンとした顔で聞いたことでした(笑)
先生曰く、わしもタカミムスビがついて居る。うちの会員では小松君が初めてじゃと言いました。
先生に変なものが見えると疲れるので、見えないようにしてくださいというと、そりゃ〜疲れるじゃろう
よし見えない、感じないようにしてやろうと、してもらってからとても楽になったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その頃に、あの何度も見た夢のことを思い出して、先生にその夢の話をしたのです。
先生は神様に聞いてやろうと、しばらく神棚に向かって祝詞をあげていると突然武士のような言葉で
話し出した。
その山は・・・横倉山じゃ!行ってみるがよい。
(私)横倉山?何処にありますか?
高知県の越知町にあるじゃろ。知らないのか?
そこは安徳天皇が祀られている、壇ノ浦で入水自殺したことになっておるが、それは身代わりじゃ!
ちゃんと生き延びて、横倉山で家来と生存していたのじゃ、そして亡くなったあとそこで焼かれて
祀られているが、幾つかに分骨されて各地に奉られている。
安徳天応は本物の三種の神器をちゃんと受け継いだ最後の天皇じゃぞ。
行ってみるがよい。何か感じることがあるかも知れんぞ!
(私)行きます。次の休日の12月23日に行って来ます必ず。
・・・・・・・・・・・
(私)先生、私にタカミムスビとやらの偉い神様がついているのに、何でこんなに苦労して貧乏なの
でしょうか?もう少し良い暮らしをしてもよさそうなのに・・・どうして?
(先生)ハハハ・・・偉い神様がついたとしても生活とは全く関係ないですよ。私もタカミムスビ神
がついているけど、多分小松君より貧乏じゃよ(笑)
(私)先生、私にそんな偉い神様が憑くなんてそのような血筋なのですか?
(先生)そうとも限らん。多分魂筋(たますじ)じゃよ。血筋は沢山の人に受け継がれ何百人、何千人
ともなるが、魂筋は一本か2本じゃよ、血筋が薄くても、仮に無くても選ばれて魂の筋を継ぐことがある。
小松君も子供がおるじゃろうが、血筋は3人の子供に分けても魂筋は一人か全く継がない場合もある。
そのような時は、孫かもしくはひ孫、玄孫といつかは誰かが継ぐようになるものじゃよ。
小松君は武士の血筋のようじゃが、不動産屋よりも人を助ける仕事をした方がよいかも知れんな。
(私)先生、不動産屋も人を助ける仕事ですよ(笑)
(先生)そうじゃの〜・・小松君は誰が見ても不動産屋とは見えないじゃろうの。ちょっと違うの(笑)
皆、幸せの意味を勘違いしておる。本当の幸せとは考えたことがあるのか?
幸せとは、人それぞれで幸せの目的が違うかも知れん。
例えばお金持ちになりたい・立派な家を建てたい・世界旅行をしたい・プロ野球選手になりたい・等々
それは願望であって、欲望じゃ!欲望を満たせれば幸せだと思うのは勘違いじゃ!
反対に、世界共通の不幸とは何じゃと思う?世界中の全ての人間にとって共通の不幸がある。
・・・・・・・・・・・
それは「必要とされないこと」じゃよ。
会社で、学校で、家族に、愛する人に、仲間に、・・・必要とされないことが一番の不幸せじゃないかな。
だから、皆が必要とされるように努力することが大事であり、多くの人に必要とされることが幸せなのじゃ。
必要とされなくて、寂しがってる人がいれば必要としてあげるのも「愛」じゃ!
そして必要とされるように、努力することも大事なこと。それが幸せの近道じゃないかな。
しかし、万民に必要とされることは神様だって不可能なのじゃ。
キリストだって、万民に愛を捧げ多くの民衆に必要とされたのだが、処刑されて殺されたよな。
それは運命であって、キリストも自分の運命を知っていたじゃろうと思う。
国民に愛されたガンジーも宗教家に殺害されたよな。
キリストもガンジーも決して裕福で贅沢な暮らしはしてなかったのじゃが、本人は幸せだったと思うよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この先生には色々なことを教えて貰いましたが、亡くなりました。
悪霊とも対決したり、私の知っている誰よりも力があり、今まで沢山の神主の祝詞を聞きましたがこの
先生の祝詞は聞いていて魂が震えるようなすばらしい祝詞でした。とても足下にも及びません。
それから私も皆に必要とされるように努力しているのですが、皆に必要とされるのは難しく修行中です。
家内も同じく、必要とされる保育園が愛おしくて、老体にむち打って保育園に勤めているのです。
そういう意味では家内も幸せを感じているのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして12月23日の祝日に行って来ました横倉山へ・・・・
http://komatsu-j.jugem.jp/?eid=364
(以前書いていましたね安徳天皇の横倉宮へ)
以前書いてなかったことを少し書きます・・・・
車で20分ほど上がると、私が夢で見た光景と同じ広場があります。
そこは現在、横倉の里と呼ばれ、ここに平家落人が暮らしていたと云われます。
夢で見たのはこの広場の山手付近に夜店が幾つか準備中で、小さな摂社もありました。
夢ではお婆さんがその前でひざまづき、お祈りをしているので、後ろからお婆さんこの神様は
誰ですかと聞いたら、火雷様じゃと言いながら振り返って私を見て、ハハー火雷様じゃと土下座
して頭の上で手を合わす。
えぇっ〜俺が火雷様?火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)と言えばイザナミが最後に産んだ子で、
そのせいで陰部が火傷して死んでしまうのです。そして父のイザナギに親不孝者め!と刀で斬り殺
される運命の神ですよね。・・・(後から勉強しました)
火雷様(雷神)と云えば気性の荒い神様で、そういえば私も雷神のように怒る時もありますね(笑)
・・・・・・・・・・・・
そこから少し車で行くと急な坂道があり・・・夢ではいつもここは豪雪だから車で上がれず転落
するのですが、そこからエレベーターで頂上まで上がるのです。
エレベータから降りるとそこは誰もいない神社の中なのです。
横倉宮です。ここに初めて来た時は何故か涙が止めどなくこぼれ・・・
そして、初めて神の言葉を聞いたのです。「よう来た・よう来た」と・・・
私が神社で初めて感激した一生忘れられない瞬間でした。
夢で見た神社と少し造りが違うのですが、間違いなくこの場所です。
この中を覗くと、階段が見えます、奥に2階があるのです。
夢ではその階段を2階から降りてきたことがあります。階段を降りた所に記帳する紙と筆がある。
そしてその2階から見える景色が、「バカ試し」と呼ばれる景色なのです。
私はいつもエレベータから降りると、その2階から見えた景色を今でもハッキリ覚えています。
いつもここへ来ると右手で丸い柱を押さえ、この景色をじっと見るのが好きでした。
川が流れ橋のふもとに茶店が2軒並んであるのです。
目の悪い私が、不思議なほどハッキリ見えた記憶があります。
夢で見るその景色と全く同じで、昔の神社はもう少し高いところにあったのかな〜と思う。
現在その茶店の場所へ行ってみると、工場のようなものが建っていました。
地元の人に聞いてみると、国道ができる前はその川沿いの道がメインの道だったそうです。
橋の側に茶店はありましたか?
昔から有名な茶店が2件あったと聞いておるよ。
やっぱり!間違いない。
なんでそんなことを知っておる?・・・ちょっと夢で見てそんな気がしたから・・・(^^ゞ
上の写真を見て、私が夢で見た冬景色を感じるままに描いてみました。
このときに中に光るものが見えたので、描いてみました。(もっと大きい光でした)
先生にこの絵に魂を入れて下さいとお願いして、魂を入れて貰いました。
この絵の中に神様が入っています。
時々、神社へ来た時のように二礼二拍手一拝をして拝んでいます。
ここにはこのような立て看板があります。
私がここへ初めて来た時が偶然に、12月23日で私が昭和24年生まれだから、これを見た時に偶然が
重なり運命の出会いの神社だと感じました。
今も私が一番大事にしている神社なのです。
ここへはもう何度も行ったのですが、行く度に新しく感じることがあるのです。
先日、ブログに書いたのですが・・・(神様との約束で伊勢神宮に行く)と言う題です。8/15
その時に、伊勢に持って行ったのがこの神社の鈴なのです。
私も初めて気がついたのですが、触ってみてビックリしました。
とても重たく、陶器でできた鈴なのです。
この鈴を神様から受け取って、胸にしまい伊勢にいられるタカミムスビ様に渡したのです。
(タカミムスビは自由奔放な神様なので、一ヶ所に定着されることはありません)
私がちゃんと持ってこれるのかテストだったような気がします。一応合格したようですけど。
徳島の先生の言葉が頭にこびりついています。
人に必要とされるように努力して生きなさい。それが人として幸せの法則じゃと・・・
神様だって必要とされるように努力しておるじゃないかと・・・
全ての人間が欲望を捨てて、全ての人に必要とされるように努力を心がければ、戦争もなく
犯罪もなく、平和な住みよい世界になると思いますけど、夢物語でしょうかね〜・・・
では又・・・・管理人。
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この玉はそれぞれ大きさが違えども同じ玉なのです。
信じられないかも知れませんが、この姿形こそ違えども龍さんも狐さんも我が家に入ってきたことが
あります。
龍は勿論家よりも大きいのですが、少しコンパクトになって入ってきてくれました。
一度きりでしたが・・白狐さんは4〜5回来てくれてそうですが、私は2度しか気が付かなかったです。
白狐の大きさは馬よりも大きく、真っ白くふわふわした、信じられないほど大きな尻尾を持っていました。
当然両方とも触れて感触を感じることはできません。手を伸ばしても映写機の幻をつかむような
感じで手が中に入って行きます。(当然何もくわえていません)
私の龍さんは、時々テレパシーで話すこともありますが、白狐様は一切話さず全くの無表情なのですが、
とてもきれいな優しそうな顔をしていました。
・・・・・・・・・・・
龍の持っている玉も狐さんがくわえていつ玉も実は、宝珠と言われるものなのです。
これが宝珠と呼ばれる物で勿論レプリカなので偽物ですけど、このようなものです。
先がとがった物が主なのですが、丸いものもありそれぞれ宝珠と呼ばれます。
これらは宝珠(ほうじゅ)と呼ばれ、仏教では如意宝珠とも言います。
何でも願い事を叶えてくれるという、不思議な力を持つ魔法の球なのです。
この形を見たことありませんか?あちこちにあります。
橋の欄干に良く見かけるのを擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれます。石灯籠の上にも擬宝珠をよく見かけます。
伊勢の宇治川のパワースポットで有名な擬宝珠です。中に御札が入っていて、さすると願いが叶うと
言われています。
擬宝珠は、手水舎付近でもよく見かけますね。
宝珠を持った仏像もあるし、宝珠を乗せたお墓も見かけますね〜
お墓や宗教団体の屋根にも見かけることがあります。
これらはどんな願いも叶うと言われる、宝珠と呼ばれる魔法の玉なのです。
勿論擬宝珠なんですけど、願いを込めてお参りすると言う気持ちは分かりますよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲荷神社について少し説明します。
稲荷神社と言えば、お狐さんを想像すると思いますけど・・・
お狐さんは色々な物をくわえています。
・・・・・・・・・・・・・
※説明と言えば、偉そうに聞こえますけど(笑)私独自の想像と自分勝手な解釈ですので
間違っているかも知れません。(多分間違っているでしょうけど、私はそう信じています)
伏見稲荷大社には、玉鍵の信仰があるそうです。・・調べてみると・・・
「玉は稲荷神の霊徳の象徴で、鍵はその御霊を身につけようとする願望である」とか、
「この玉と鍵は、陽と陰、天と地を示すもので、萬物は、この二つの働きによって、生成し
化育する理を表している」と意味づけられているとのことです。??・・・
・・・なのですが、この説明も後から取って付けたような気もします。
伏見稲荷のご祭神は・・・
重要文化財に指定されている本殿には、下社・中社・上社
ならびに摂社である田中社・四大神の五社が一宇相殿に奉祀されています。
これら五柱のご祭神名は、稲荷大神の広大なるご神徳の神名化されたものです。
とあります・・・・
この五柱の大神が御祭神とされており、全国に3万2千社もあり、沢山の方から願いを叶えてくれた
お返しに、鳥居を奉納するのが習慣となっています。
伏見の稲荷山だけでも一万基以上の鳥居があるそうです。御利益があるからこそ全国に広まっている
のでしょうね。
お稲荷さんと言えば、狐の神様と想っている方がまだ多く居ると思います。
でも基本的にお狐様は眷属で神使なのです。(取りあえずここではそのように説明しておきます)
お狐様は確かにこの五柱の大神の神使として、現在も一生懸命働いているのは間違いないと思います。
狐さんがくわえている物は通常4種類有り・・・・
?玉(宝玉)をくわえている狐さん
?鍵をくわえている狐さん
?巻物をくわえている狐さん
?稲をくわえている狐さんの4種類なのですが・・・・
その他、小判をくわえた狐さんや、短刀をくわえた狐さんなど色々なものを見かけます。
伏見稲荷は上記の4種類の狐さんしかいませんけど・・・
代表的なのは玉(宝珠)をくわえた右側(上座に座る:阿像)の狐さんと左側の鍵をくわえた(吽像)
の狐さんです。
何処の神社にもいる狛犬の阿吽像のように、稲荷神社も狐の阿吽像が狛狐として迎えてくれます。
意味は同じく阿吽(あうん)の呼吸と同じで、何も言わなくともお前の考えていることはお見通しと言う
ことなのです。
神様に嘘を言っても通じません。全てお見通しなのです。
眷属であるお狐さまは神の使いとして、民の切なる願い事を忘れないように巻物に書き留め、神様の元へ
走って届けては、神様のご判断で願いを叶える宝珠を戴けるのですが、その際に倉の鍵を開け宝珠の宝
を取り出し神使の狐さんから戴けるという意味のようです。
(※この話には色々な説があってどれが本当やら分かりません)
稲荷神社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまで倉稲魂神とも書く。
食物の神で、五穀豊穣の神なので稲をくわえた狐さんは、豊作を願い稲をくわえているのだと思います。
(狐に乗った宇迦之御魂神さまです)
宝珠を手に持ち、お狐様がくわえているのは、金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれるもので
1本と3本と5本と7本があり、これは5本の金剛杵だから、五鈷杵(ごこしょ)ですね。
帝釈天や、空海などがもつ武器の一つです。どのように使うのかは知りませんが(笑)
五鈷杵(ごこしょ)とは、相手の鎧を突き破り肉をえぐり取るものとされていますけど
仏教から伝わったものらしいですけど、神様にも必要でしょうかねぇ〜・・・
ブータンの国章にも、龍と四っの金剛杵が刻み込まれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲荷神社のルーツは、もともと稲荷信仰(狐信仰)は711年よりさらに古く、伊奈利山の山麓で農耕を
行っていた人々がこの山をご神体として信仰していたと言われています。
昔から山の神は、春には山を下りて田の神になり、秋の稲刈りの季節には山に帰ると信じられていました。
奈良時代の711年(古事記の編集が開始された頃)渡来人である秦氏が、一族の鎮守神として三柱神
(宇迦之御魂大神・佐田彦命・大宮女命)を伊奈利山の三ヶ峰に祀り、神社を開きました。
そして伊奈利山の大神として宇迦之御魂大神のご神体を主祭神に奉ったのです。(素戔嗚尊の子)
狐は農家にとってネズミを捕食するから、田の神として祀られたのかも知れません。
そして稲刈りが終わる頃に山に帰るので、田の神(稲の神)が伊奈利山の神になり、宇迦之御魂大神を
主祭神とすることにより、稲の神、稲が成る神、稲成神社→稲荷神社となったと言う説もあります。
豪族の秦氏が宇迦之御魂大神を主祭神として稲荷神社を祀るようになってから豊作が続き農家たちは
福を得たのだそうです。
その秦氏一族は蚕(かいこ)や機織(はたおり)、つまり絹の生産や販売を得意とし、これで長者に
なった一族です。
人々はそれにあやかりたいと、農家だけでなく商業や工業関係の人々までが稲荷を信仰する様になり、
今日に続いていると云われています。
・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、そうでしょうか??・・・・・半分疑問です。
何故なら、本物の白狐さまを見たからなのです。
とても美しく(美人)で品のある風格をした白狐さまでした。
私は、宇迦之御魂大神が主祭神となる以前から、鎮座されていた大神が伏見稲荷のルーツのような気がします。
その大神の名は「瀬織津姫」ではないかと・・・大きな白狐様は瀬織津姫の化身ではないかと・・・
瀬織津姫は大祓の祝詞には登場しますが、古事記や日本書紀からにも消されて全く登場しない不思議な
神様なのです。
この話をすると長くなるので次回にしましょう。
では又・・・・管理人。
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第三者の目からはつまらない物に見えるイワシの頭でも、神棚に祀って信心する人にすれば、尊く
有り難いと思うようになることから、何でも信心次第という意味です。
(節分の夜に鰯の頭を柊の枝に刺して門口に飾っておくと、鰯の臭気が邪鬼を追い払うといわれて
いたことからできた言葉)
何かを頑固に信じきっている人をからかうときに使われます。
最近特に、無神論派、無宗教の人が多くなったような気がします。
怪しげな新興宗教の出現やオウム真理教の問題などで、宗教に対して不信感を抱く人達が多くなった
のが原因のようです。
私が嘆かわしく思うのは、最近の新築建物には床の間や神棚が無くなったと言うことです。
昔の家には必ず床の間や神棚があったものですが、最近の家には和室が無くなり、床の間や神棚の
無い家もよく見かけます。
現在の学校教育では神や仏の存在を教えてないのかな?と言う疑問もあります。
本当に龍や神様は居ないのでしょうか?
「神などおらぬ!」と言う人、死んだら全て終わりで天国も地獄も何もないと言う人も多々居ます。
私は勿論、神も仏も龍も身近に居ると信じています。
何故なら感じるからです。でも、写真に撮れないので証明はできませんけど。
でも私のブログを見て、私も龍を見たことがあると沢山の方から報告を受けています。
実際に写真に撮れるような龍は見えないですけど、世界中に龍は沢山いるのです。
龍は本当に不思議な生物ですよね〜・・・・・
十二支の中でも龍は居るのに、実在しませんからね。
龍のことは英語で「ドラゴン」と呼びその他、世界中で龍の呼び名があります。
そして世界中に龍伝説があります。
と言うことは、世界中の多くの人が龍を認めていると言うことなんです。
やはり世界中に龍を見たことが有る人、存在を認めている人は沢山いるのです。
龍を国旗にしている国もありますよね〜
例えばブータン国です。(ブータン国の国旗)
ブータン国王が来日した時に、「龍は、みんなの体の中にいる」と言っていましたね。
そして国王に日本の感想は?と聞いた時、日本には物が満ちあふれているのに、多くの国民には
まだまだ物欲があるみたいです。物欲を追い求めるって幸せなのでしょうか?と・・・
(ブータン国王夫妻)
ブータン人は先祖が同じでは無いかと思うほど、日本人とよく似ていますね。
(ネットよりブータン人の写真を拝借)
そして、美男、美女の多い国で有名です。又、世界一国民の幸福度が高く「世界一幸せの国」と
言われています。
それは、国王が「経済的な豊かさでは無く精神的な豊かさ」を重んじているからなのです。
幸せの基準は国家では無く、個人と家庭を重んじているから・・・
世界で始めて、国の発展を図る指針として、GNP(国民総生産)ではなくGNH(国民幸福量)
を取り入れたのはブータンだといわれています。
ブータン人に貴方は幸せですか?と聞けば、97%の国民が幸せだと言うそうです。
ちなみに日本人の幸福度は世界で80位以下だとか・・・・
足ることによる幸せではなく、当たり前の生活を送れる幸せ・・・
「医療や教育が無償で平等に提供されている」という福祉の手厚さ・・・
1日3食食べられて、寝るところがあって、着るものがあるという安心感。
それだけで満ち足りていて幸福だと思える物欲のない幸せ・・・・
ブータンは自然と調和し、時がゆっくりと流れている国だと感じますね。
反面日本人は、物欲が高いので高級車や家や高価な物を身につけ、物欲はエスカレートして
次から次へと買いあさる。いくら物にあふれても満足しないのです。
だから犯罪や、凶悪な事件が起こるのも原因のような気がしますね〜・・
多くの人は、人生の定年までローンを払い続け、高い保険料や税金の為にセカセカと働き続け
老後を心配しながら生活するので、時は早く感じ、あっという間に老いていくのです。
私も感じているのですが、皆さんも一ヶ月・一年がとても早いと感じませんか?
もっとゆったりとした豊かな心で、皆が仲良く楽しく人生を謳歌出来たら良いと思いますけどね〜
二度と戻らない時間をゆっくり楽しめたらいいのに、日本は世知辛い世になり、環境が悪すぎる。
色々と買いあさるのを辞めようよ!家なんか買うな!不動産屋の言う言葉では無いですけど(笑)
「幸せの定義とはなんぞや?」
広辞苑では「心が満ち足りていること」とされています。
心が満ち足りる・・・とは
満足すること・心が安らぐ・心が安定すること・くつろぎを感じること・心が穏やかになること
だと思いますが・・・・
その条件とは・・・健康でしょうね〜・・・・
10年ほど前、私の知り合いが亡くなりなした(友人と呼べるかな?)当時63歳でした。
資産家の息子で、自己資産は数十億円。何不自由なく優雅に生活を送れるはずなのですが
子供の時から病気がちで、入退院を繰り返していました。
お見舞いに行った時は、点滴を打ちながらでもまだ話ができましたが、彼の言うには今度生まれて
来る時は貧乏でもよい健康な体に生まれたい。
もし健康が買えるのなら、一文無しになっても良い。健康なら楽しいこといっぱいあるじゃ〜ないかと。
その時、つくづく思いましたよ、全財産あげるから代わってくれと言われても嫌だと。
健康という財産を持ち、心が満ち足りている生活を送ることができればそれが「幸せ」だと思います。
(神様が居るとしたら、こんな感じなのかな〜?)漫画チックだけど・・・
神世の世界にはお金というものはなく、人間がお金というものを造り、自分勝手にその金に振り回さ
れて苦しんでいるのを見て、愚かな奴らだと思っているのかも知れませんね。
人間はお金という仕組みを作り、便利になったようだけど、限りあるそのお金を誰かが蓄えると、
そのしわ寄せが必ず誰かに来て貧乏となる。それを世間の厳しさと言うのかも知れないけれど・・・
神は、人間のこんな世の中を望んでいたのでしょうか?違うと思うけどな〜・・・
旧約聖書では、神は地球という美しい楽園を作り、沢山の生物が成育出来る環境を作られた。
そして神は自分をかたどって「人」を創造された。そして全てを支配させようと男と女を創造され
たとあります。
人間が支配できない物は、神と龍と宇宙の自然は支配できません。
「人間の定義とは何ぞや」
「人間」は「人の住む世界」「人間界」を意味し、「じんかん」と読まれることが多かった。
調べてみると、人間とはホモ・サピエンス[英知人]「賢いヒト・考えるヒト」という有名なリンネの
言葉が見つかりましたが・・・それだけかな?
「人間」とは、世間の人と人の間でもまれて、初めて「人」となるから「人間」という。
こっちの方がしっくりきますね。
「人」にもなれない人を(ひとでなし)ともいうから(笑)
仏教では、人間とは輪廻転生する五つの世界(五道、阿修羅を加えると六道)である
「地獄、餓鬼、畜生、人間、天上」の「人間」を意味するとされています。
インドの弁護士、宗教家、政治指導者。ヒンドゥー教のインド独立の父と称される。
ある意味、私も尊敬しているガンジーさんですが・・・同じヒンドゥー教徒に暗殺されたのです。
ガンジーの有名な言葉
「歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている」
「キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない」
私もこの言葉には賛同します。
宗教が悪いとは言いません。それぞれの創始者は立派な方だと思うのですが、奨める信者に
良くないのがいるのです。例えば入会しないと不幸になりますよとか、少し相談に乗っては
悪霊を祓ったからとか、適当に相談料とかを請求する輩がいるのです。
その宗教団体のお家事情もあるのでしょうけど、神様や偉い仏様はお金を必要とする筈が無いのです。
人助けの為に、神様の力を借りて人間の道を教えたり、正しい生き方を教えるのが勤めだと思うのです。
世知辛い世の中になったので、お金が必要なのでしょうけど、立派な宗教という看板の下で人をだまして
はいけませんよね〜・・・
お金は魔物です。お金は人間を悪魔にも鬼にも変えるのです。
常日頃お金の為に振り回されたくない。と・・・
常日頃、酒を飲んでも酒に飲まれるな!金を使っても金に使われるな!と心得ています。
お金の主人が人間で、決してお金が人間の主人になってはいけないのです。
時は破滅の運命という方向へ刻々と時を刻んでいるような気もします。
天国があるのか地獄があるのかは知りませんが、死んだときは生涯を振り返って恥ずかしくない生き方を
してきた。と、閻魔大王さんに胸を張って会いたいと思っています。
今日はここまでにします。
では又・・・・管理人。
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不動産業社は、殆どの会社がお盆休みをします。
以前お盆休みに車で出かけ、何処も渋滞でお盆に出かかるのは嫌でしたが、特に何もする
ことがなく、お盆休みに何処か神社へ行こうよ!と娘が言い出したので、じゃー何処へ行こうか?
先日、伊勢と奈良へいいたとき、もっと奈良を知りたい。もっと私が行くべき神社があるはずだ。
と感じていたので、ネットで検索をしていると、高天彦神社と言うのを見つけました。
主祭神は高御産巣日神(タカミムスビ)でここだ!と直感した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
徳島に嫁いだ長女に連絡を取ると、良く見つけたね、お父さんの気持ちはよく分かると・・
それなら一緒に行こうと長女夫婦がその気になったので、急遽予定をたてたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家内にその高天彦神社のことを話すと、すごい奈良は良いところがいっぱいありそう、一泊ではなく
2泊してゆっくり奈良の神社を探索しようかと話すと、次女はヤッターと行く気満々。
徳島の長女夫婦は二泊も出来ないので、二日目にその高天彦神社で会おうよ、と言うことになった。
出発は、8月14日の(土)午前6時。(金曜日は夜遅くまで仕事をしていたので)
まず一番先に向かったのは「八咫烏神社」
http://www.yatagarasujinja.net/
八咫烏(やたがらす)とは
言わずと知れた三本足のカラスなのですが・・・
八咫烏は、日本神話において神武東征の際、高御産巣日神によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国
から大和国の橿原まで案内をしたとされる三本足のカラスなのです。
(現在は日本サッカーのエンブレムにもなっています。
※八咫烏(やたがらす)とか三種の神器の一つ、八咫鏡(やたの鏡)の咫(あた)は長さの単位で、
親指と中指を広げた長さ(約18センチ)のことであり、八咫は約144cmとなります。
八咫烏の(ヤ)と言う発音はヘブライ語(イスラエルの公用語)であり、神の意味でヤハウェイの
(ヤ)であります。神を連想指す言葉に(ヤ)の付く発音は多くあります。
(ヤッホー・やっつけた・ヤッター等は日常使っている言葉なのですが、ヘブライ語なのです)
ちなみに、山に登って「ヤッホー」はヘブライ語(イスラエル・ユダヤ語)で神様〜の意味です。
日ユ道祖論と言うのがあります。(日本人とユダヤ人は同じ先祖という意味です)
日本人が知らず知らずに使っているヘブライ語(イスラエル語)の単語が約500種あるとか・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
手水舎には、このように龍神様がいる場合が多いですよね〜
何故かと言うと龍神様は、雲や雨を司る水の神様なのです、だから生きていく上で、水は命の源。
その龍神様から出るお水は清らかなご神水です。手や口を清めて、自身を祓い清々しい気持ちで参拝する。
そのような意味で設置されているのです。又火災から守ると言う意味もあるのです。
この神社の龍神も3本爪ですが、神社の龍神様は3本爪が多いと思います。
龍の爪の数は所有者の身分の違いを表します。
中国では5本の龍は皇帝・4本の龍は貴族・3本の龍は庶民とされていて・・・・
皇帝でないものが五爪龍の絵を描いたり、造作をしたりすれば処罰されていたそうです。
(私は五爪龍の絵を描きましたが・・笑)
神社の龍神が三本爪の理由は庶民の人でも誰でも気軽に禊ぎ祓いできるように三本爪の龍?だと思います。
勿論、龍神様だけではなく他の眷属神(神様の使い)の場合もあります。
やたがらすと言うお酒もあるのですね〜
八咫烏の神殿です。近くからの撮影は遠慮しなくちゃ〜・・・
この奥に本殿があるのですが、写真は撮っていません。
・・・・・・・・・・・・・・・
次は同じ宇陀市にある、宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)です。
ここは八咫烏神社の近くで、長女夫婦も行ったことがあるとのことで、是非行った方が良いとのお勧め
の神社だったので来てみました。
宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)
第一殿の御祭神である天水分神(みくまりのかみ)とは水を配ると言う意味で、大事な飲み水や、田に
水を配る神として、生命の源の水を配る神様として親しまれています。(祓戸の大神です)
第二殿の御祭神である速秋津日子神・速秋津比売神は、日本神話における伊邪那岐命・伊邪那美命の
神生みで生まれた神。兄妹でもあり、夫婦なのです。
速秋津彦命は大祓の祝詞にも出てきますね、瀬織津姫によって海に流された罪、穢れを「荒潮の潮の
八潮道の潮の八百会に坐す速秋津姫という神」が呑み込んでしまうと記されています。(祓戸の大神です)
第三殿の御祭神である国水分神(くにのみくまりのかみ)は早秋津彦と速秋津姫の子として生まれ、同じく
水を分ける神なのですが、「みくまり」が「身ごもり」と解され子供の守護神、子授け、安産の神として
信仰されるようになったとあります。
今日は長旅だったので少し疲れました、早い目にホテルにチェックインして、風呂へ入りたいと思います。
泊まったのは近鉄奈良駅の近くで繁華街の中心で、外食も便利でした。
・・・・・・・・・・・・・
翌朝、長女夫婦と待ち合わせしていたのが、高天彦神社(たかまひこじんじゃ)です。
高天彦とはタカミムスビの別名だろうと言われています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
私達は奈良駅付近のホテルからここまで一時間半位で、長女達は徳島からここで待ち合わせ。
最近のスマホは便利ですね〜、私達が渋滞で少し遅くなりましたが、待ち合わせに私が5分遅れたくらい。
今回の目的、大本命の神社です(高天彦神社)高御産巣日神が主祭?の神社は珍しいです。
造化三神の神は、「天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神」です。別天津神(ことあまつかみ)
として別格の神様なのに、主祭?にならないのは何故でしょうね〜疑問です。
神霊という言葉大好きです。
心霊と神霊と精霊・・・・説明が長くなるので今度にしましょう。
左の立札にはこの様に書かれています。
神社の入口、この山の湧水が沢山流れています。
車でポリタンクを沢山積んで水を汲んでいる人がいましたので、この水美味しいですか?
と聞くと、柔らかくて美味しいですよ飲んでみて・・・蛇口から大量の水が流れている
柄杓で飲んでみると「うまい!」そしてすごく柔らかい。
その人の言うには、近くなので時々この様に水を汲みに来るそうです。
横の溝に大量の水が流れているのですが、蛇口の水と同じだそうです。
すごい水量だと思いました。(うらやましい)空のペットボトルが一つあったので、入れて高知まで
持って帰りました。
右側の阿(あ)像と・・・
左側の吽(ウン)像・・・
神社には必ずと言って良いほど、口を開けた阿像と口を閉じた吽像がいます。
2つ併せて「阿吽」阿吽の呼吸とは、何も言わなくとも解るぞと言う意味なのです。
何も言わなくとも、神様は心の中をお見通しなのです。
ここに入ってきた瞬間に、この吽像に触りたくなり、なぜていると何故か可笑しくなり・・
ゲラゲラ笑いながらさすっているのを他の人が見たら、奇人変人に思うでしょうね〜。
近くから、神殿を撮るのは遠慮しました。
駐車場からの参道なのですが、神気ビンビン伝わってきて凄い、凄いと言いながら通ったものでした。
いくつかの神霊が写っているのがお分かりでしょうか?
私は神霊や精霊も沢山感じますが、どのように感じようと自由です。
問い合わせのコメントは控えさせて戴きます(^^)
この高天彦神社は社務所もなく、ひっそりとした神社なのですが、見応えは十分にありました。
本当に来て良かったと思います。
次は直ぐ下の高鴨神社へ、ここは大きくて社務所も有り、ここの宮司が先ほどの高天彦神社もかねて
宮司をしているそうです。
ここで高天彦神社のお札を買い求め、神棚に奉っています。
ここのご祭神は、阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ:大国主と三女神のタギリヒメの子)を
主祭神とし、下照比売命(シタテルヒメ)天稚彦命(アメノワカヒコ)を配祀とする。
シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの妹で、アメノワカヒコと結婚する。
アメノワカヒコとは、タカミムスビの命で葦原中つ国(高天原と黄泉の国の間にある世界:つまり現世)
を平定するに当たって、遣わされた(アメノホヒ:天照の次男)が3年経っても戻ってこないので、次に
遣わされたのがアメノワカヒコなのです。(天若日子?からアマノジャクとする説も)
しかし、天稚彦は大国主の娘(シタテルヒメ)と結婚し8年経っても高天原に帰ってこなかいので、
タカミムスビは雉の鳴女(キジノナキメ)を遣わして戻ってこない理由を尋ねさせた。
ところが天稚彦は不吉な鳥と勘違いし、タカミムスビから与えられた弓矢でその雉を射抜いた。
その矢は高天原まで飛んでいった。
その矢を手にしたタカミムスビは、「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と
誓約をして下界に落とす。
すると、その矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。
アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届いたと言うことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だからタカミムスビの下の神社にて、シタテルヒメとアメノワカヒコはタカミムスビに詫びている
のではないかと想像するのです。
このように古事記や日本書紀を紐解きながら、神社巡りをするのはロマンがあって楽しいですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高鴨神社の池・・・・
この神社は賀茂氏が祀っていたので高鴨神社なのでしょう。
賀茂神社と言えば、京都の下賀茂神社、中賀茂神社、上賀茂神社が有名ですよね。
かつての豪族・・・・・
豪族は大別して
、天孫族と出雲族の 2つに分かれ・・・・・イスラエルから朝鮮半島を渡って渡来してきた秦の始皇帝の子孫である秦氏系は出雲族で、天孫族は
古事記による高天原の神の血を引く半神半人の神武天皇率いる豪族で、物部一族や・・・
え〜と・・・あぁ〜めんどくさい!
つまり天孫族と出雲族の婚姻によって、ぐちゃぐちゃになったので説明も難しいです(笑)
もう少し解りやすく説明も出来ると思いますが、長くなるので止めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目には見えない神の世界と、黄泉の国の世界の中間にある中津国(現世)で生きている我々は
神の影響と黄泉の国(悪魔)の影響を受けているのは間違い無いように思います。
次は、大神神社へ・・・・
ここは私2度目なのですが、娘達は初めてのようなので一緒に来ました。
鳥居を入るなり柔らかい神気が立ちこめ、癒やされるような、歩いているだけで清められるような
気がします。以前来たときは人がいっぱいでそんな気にもならなかったのですが、今日は人も少なく
ゆっくり楽しむことが出来ました。
ここでは、写真も撮らず神気だけを楽しみ一通りご挨拶を済ませて、帰ることにします。
次は室生龍穴神社へ・・・
入った瞬間に空気が違う。何かしら強烈なパワーを感じます。(いつもの神気とは違うような)
何だろう?竜神様がいるのかな?
「連理の杉」(夫婦杉)です。 神気はここからでも無いようだけど・・・・
神社の奥の方から境内一面が包まれたような気配です。すごい!パワー
ここから先は遠慮して写真を撮ってないのですが・・・・
この神社の裏に、本殿があります。
(ネットより画像拝借)
とても強いパワーを感じる本殿です。
この側で、一人の女性が一生懸命念を送り長時間手を合わせ立っていましたが、私達も側で神に
念を送り神の言葉を聞こうとしていると、その女性は帰りました。(悪かったかな?)
あまり神気が強いので私達5人は何も言わずここで20分ほど手を合わせ神様を伺っていました。
ここでも不思議な事があったのは事実なのですが、ブログに書くほど重大なことでもなく、神様
のことは書かないようにしていますので、ご了承下さいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長女夫婦と昼食を済ませ長女達は帰宅し、私達は宿泊旅館にチェックインすることにしました。
最後の夜は、予約していた奈良公園近くの旅館に泊まりました。
この時期は、奈良公園一帯が燈花会として、大勢の人や観光客が集まるらしく、奈良公園付近の
街はすごい人出でびっくりしました。95万人も集まるとか・・・・
やはり若者が多く、どの顔も明るく幸せそうな顔でいっぱい!ルンルン気分が伝わってきます。
田舎者のくたびれた老人はお呼びでないようで・・・
食事も済ませたので、早くホテルに帰って、もう一度風呂入って寝ます。(^^)
奈良は本当に良いところで、こんな街に住んでみたくなりました。
では又・・・・管理人。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伊勢神宮の内宮に到着しました。
さすが日本の総氏神様だけあって、男女とも正装して来られている方がぼつぼつと目に付きます。
午前中だから涼しいといえども、ネクタイをすると暑いですね〜
この橋の欄干左から2つ目の擬宝珠(ぎぼし)の中に秘密の隠された神札が入っています。
この写真からはちょうど鳥居で隠れていますが・・・
これがその秘密のパワースポットの擬宝珠(ぎぼし)です。皆が触って色が変わっているので直ぐに
解ります。
この中には宇治橋の守り神饗土橋姫神社で(あえどはしひめじんじゃ)祈祷された万度麻(まんどぬさ)
という神札が納められていて、これに触れると願いが叶うというパワースポットになっています。
この橋は俗界から神界への架け橋とされていて、この五十鈴橋を渡って、次の鳥居を抜けた頃から
空気がガラッと変わります。
五十鈴川も、いつものように神聖な空気を漂わせています。
橋を渡り、鳥居を抜けた頃から空気が全く違います。神様の側に来たような気がします。
少し写真を省きますが・・・
ここ内宮でも色々な神様を感じ、タカミムスビ様もこちらに来られていました。
全ての神様にご挨拶をし、ここを後にします。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は伊勢志摩スカイラインをのぼって伊勢神宮の鬼門で神宮を守っているパワースポットといわれる
金剛證寺へ初めて行ってきました。
お寺は関係ないように思っていましたが、伊勢神宮だけでは片詣りともいわれていますので、
ご挨拶だけでもと、行ってきました。
鬼門を守る仁王さんが仁王立ち。
久しぶりに見る蓮の花、橋の下には錦鯉が泳いでおり、鯉の餌をやりしばらくボンヤリとする。
セカセカ動くよりも、こんな時間もあっても良いかなと思う。
虎の像と牛の像
鬼門の方角は丑寅だからこの像なのでしょうね。
牛の頭に乗っているのは大黒天さま。
この大黒天さまをなでると、金回りが良くなって、災いに合わないそうです。
一通りご挨拶が終わりましたので・・・
次は、奈良へ出発。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
奈良の日航ホテルに予約を取っていたので、近くの春日大社にご挨拶です。
ここは最近来ましたが、娘が初めてだというので連れてきました。
広くて立派な神社です・・・
少々疲れているのか、神気はあまり感じられず一周して帰ることにしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とりあえず疲れたので、ホテルにチェックインし風呂に入り少し横になると、グッスリ寝てしまって
目が覚めたのは、ホテルの夕食バイキング終了の30分前(^^;) 3人とも寝ていたので慌ててレストランに
行く、何とか食事は食べられましたが時間が少なかったので、バイキングを食べたような気がしない。
外に出て初めて夜の繁華街へ行くが、食べる気もしないし、とりあえずコンビニでビールとつまみを買って
ホテルに帰り飲み直し(笑)
奈良の街も良いですね〜・・・好きになりました。又ここに来たいと思いますね。・・・
娘がネットで調べて行きたいお稲荷さんがあるので連れて行ってと言うので早朝に来ました。
源九郎稲荷神社です。
確かにパワーが凄かった。ここから先は写真は撮っていません、と言うか撮れなかったのです。
パワーが強すぎて、奥にお稲荷さんが祀られているのですが、とても綺麗なお稲荷様でこのような
美人で品のあるお稲荷さまは初めてでした。
・・・・・・・・・・・・・
次は橿原市の橿原神宮に行きます。
以前も来たことがあるのですが、壮大な神宮です。この付近は静かで良いところですね〜
奈良がとても好きになりました。
未だ早朝なので人影はあまり見えません。
初代天皇の神武天皇が祀られている聖地ですね〜ここから日本が始まったといわれます。
勿論ご祭神は神武天皇で天照大神の孫であるニニギの4代目になります。
初代天皇として即位されたのが紀元元年、と言われるから今からおよそ2,600余年前のことです。
皇后の五十鈴媛命は大物主(大国様)の娘と言われています。
ここに来たのは、2回目なのですがやはり早朝が気持ちが良いですね〜
今から高知に帰るのは少し早いので、帰り道にもう1社寄っていこうと探す。
帰り道に寄ったのが、兵庫県姫路市の安志賀茂稲荷神社です。(あんじかもいなり)
初めて来たのですが、色々と良いところを発見しました。
車で走っていると鳥居が直ぐに目に付きました。
車を止めて、参道を歩いていると、なんと参道の真ん中に神木が・・・・
この奥の真っ正面にもご神木が・・・この付近から神気ビンビンです。
ネットで見ると、年末年始は沢山の人が出て賑やかそうでした。
http://www.anji-kamojinja.com/
先日の集中豪雨に被害に遭ったのか、裏側は工事中です。
ここのご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と分霊は賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)
を奉祀しています。
賀茂別雷命とはつまり雷神様でありこの神霊は私と、とても関係があるような気がしてならないのです。
池の中央付近に弁財天様が奉られています。
ひっそりと祀られている弁財天様。とても良い場所ですね〜
弁財天も市杵嶋姫命も龍を操ることから同一神とされていますが、本来は全く別の神だと思います。
ここは弁財天として奉られていますが、ご祭神を考えれば市杵島姫神さまかも知れません。
竜神が住んでいるような池ですね〜・・
竜神が住んでいるような池・・・・ここに寄って良かったと思います。
これからまっすぐ自宅に帰るようにします。
これは、次女が大好きなお稲荷様を紙粘土で作った作品です。
中々上手に作っていると思いますけど、こんなことが好きなのは私に似たのかな〜(笑)
神棚のお稲荷さんも迫力がありますね〜・・・もぅ一体はいつできるのやら(笑)
では又・・・・管理人
コマツ住宅のホームページが新しくなりました。
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前回のブログを読んでくれた方は分かると思いますが、神さまからとても重たい鈴を預かり
胸の中にしまい、伊勢の高御産巣日神(タカミムスビ)さまに渡す約束だったのでお盆休みの
前に、行こうと予定していました。
先日の集中豪雨で高速道路が通行止めになっていましたが片側通行の開通となりました。
遅ればせながら被害に遭われた方々にお悔やみ申しあげます。
今回の伊勢行きは2週間前から決めていたので、仕事の日程もずらしホテル予約も取っていたので、予定
通り行くことにしました。
前回のブログを見て貰えば解ると思いますが、神様との約束もしていたので、決行することにしました。
先日の集中豪雨で高知自動車道が一部壊滅し、通行止めになりましたが、先日やっと下り車線を対面
通行が(8キロほど)できるようになりました。復旧の見通しはつかずとのことです。
通行の途中に崩壊現場をチラッと見たのですが、トンネルが潰れ道路も崩壊して橋桁も落ちているので、
見通しは難しいでしょうね〜・・・
伊勢行きは今回で多分6回目だと思いますが、今回の目的は神様に約束の品物を渡すことと、神様に
対しての礼節をわきまえて、まず夜明け前に二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)の海水で手足と
顔を洗い身を禊ぎ清め、二見興玉神社から見える夫婦岩で日の出を拝み、伊勢の外宮もしくは内宮で
タカミムスビ神(高御産巣日神)に会うのが目的で、約束の品物(鈴)を渡すのが使命だったのです。
※多分私へのテストのように思います。
では詳細に報告しますね・・・・
二見輿玉神社に着いたのは午前4時頃
目的は神社に早朝について、単にお参りすれば良いのではなく、禊ぎ払いをし如何に万全の体調で、
すがすがしい気分でお参り出来るのか?が重要なのです。
だから疲れ切った表情だったり、眠たくて頭がボンヤリしたまま参拝するのはNGなのです。
神社の参拝は早朝がベストで、日が昇ってから大勢の人混みの中で参拝するのは、神様の声も聞けないし、
(未熟だから)できるだけ大事な参拝は早朝に行くようにしています。
※集中すれば神様の声が聞こえたり、感じる時があります。何の修行もしてない長女は神さまが居られ
さえすれば聞こえるようです。(天性ですね)次女もその可能性がある。
私は何十年も修行と勉強して来ましたが長女の数分の1ですね(笑)
※でも、混雑していたり、雨や天候の悪い日は聞こえないようです。
昼間は賑やかな商店街も夜明け前はさすがに人影は見当たりません。
夜明け前の空気は気持ちが良いですね・・・
午前4:00分の写真です、外は未だ暗く潮の香りがするだけです。
家内と娘を起こし、二人は化粧をしている。その間私は一人で海岸まで行き、海水で手足と顔を洗い
清め禊ぎ祓いをする。
誰も居ない静かな海で禊ぎ祓い・・・気持ちいい。
海水がもう少し冷たければ良いのにと思う。
皆は、小松さんいつも家族で遊びに行って良いですね〜と言いますが、神社巡りの時は遊びに行く
と言う気持ちではなく、修行に行く気持ちですね。
遠くの神社に早朝に参拝しょうとすれば、高知からだと夕方7時に出て、2時間ごとに休憩をし、
今回の場合は最後のサービスエリアに着いたのは午前1時、そこで私はベンチに寝転がり仮眠を2時間
取る予定だったが、熟睡できたのは1時間位かな?暑いし、人の声でやかましいし、何処でも寝られる
と豪語している私でも寝付きが悪いのです。
家内と娘は車の中で仮眠を取る。
3時の目覚ましアラームで起き、トイレで顔を洗い、ネクタイをして・・・
(宮と名の付く神社では正装で行きます)
サー出発するぞと、車に乗る。家内と娘は未だ寝ている。
・・・・・・・・・・・
※サー出発とかサー行こうか、さーどうする?エイサッサー等に使う(サー)は日本語ではなく、
古代ユダヤ語(古代イスラエル語・ヘブライ語)なのです。
※意味は出発・行進する・・決意をもっての意味です。
日本人の多くは、古代ユダヤ人(古代イスラエル人)が先祖なのです。もちろん天皇もそうだし、
三種の神器の八咫鏡の裏にもヘブライ語が書かれている。
過去のブログにも書いてますので興味のある方は見て下さい過去のブログにも書いてますので見て下さい。
http://kimama.komatsu-j.info/?day=20150904・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の目的は、タカミムスビ様に約束の鈴をお渡しする目的なので、車中もタカミムスビ様にお会い
できますようにと、願いながら走ったことでした。
いつもは外宮か内宮かどちらかにいらっしゃるので、今日も居ることを願って、ここの二見輿玉神社の
神様にもどうか会えますようにと、お願いをする。
日の出を参拝しようと、沢山の人が集まってきました。
小さな子供を連れた人、可愛い白人の女の子もいましたね〜、私もこの人達のように、子供が未だ
小さな頃から夜中から連れて神社巡りをしてたので、昔の私を思い出します。
普通、子供は遊園地やレジャーランドに行きたがるものですけど、夜明け前の暗いうちから親と一緒
に神社参りをしてきたものだから、今では神社へ行くと言えば喜んで行くようになりました。
特に次女はお稲荷様が大好きで、何度も連れて行けとせがまれるのですが、仕事で行けないときは、
土佐稲荷神社に頼み込み伏見へ行くときは、一緒に連れて行って下さいと、知らないおじさん、おば
さん達と年に数回バスで行っています。
最近はメンバーさんと顔なじみになったようだけど・・(笑)
私たち家族は、旅行と言えば神社巡りで、美味しいものを食べるわけでも、観光するわけでもないし、
時間が余れば、もう1社どこかお参りできるねと、神社を探して行くのが楽しいのです。
遊びに行くと言う感覚より、修行に行くと言う感覚の方が強いのかも知れません。
普通の人に、私達と一緒に同じよに行動しませんか?と言ってもまず嫌だ!と断られるでしょうね〜(笑)
嘆かわしいことに、最近学校では感謝の心を教える教育はなくなりましたね〜・・・
私たちは皆、両親がいて生まれてきたのだから、又その両親も両親がいたから生まれたのであって、
先祖を代々たどっても、両親がいない人間はあり得ないのだから、ご先祖様に感謝又、神さまに感謝の
心を持つのは当たり前だと思うのですけどね〜・・・
最近、親も学校もそのような教育をしてないので、毎年お彼岸、お盆、正月とちゃんと先祖のお墓参り
をする人が減ってきているのは、嘆かわしく思います。
ジジイのぼやきになりますけど昔の人はもっと、神社の神さまにお願いをする光景をよく見たものですが
最近は、あまり神社に行く人も少なく、お正月と、神社のお祭りくらいしか行かない人がほとんどのように
思います。最近の若い人が住む新築建物も、神棚や床の間の無い家が多くなりましたね〜・・・
氏神様・総氏神様・鎮守さま・産土の神・先祖神(祖先神)のことを話してもどれだけの人が知っている
でしょうね〜・・・
私が子供の頃は、神社で熱心にお百度参りする光景がよく見られましたが、最近は全くと言って良いほど
見かけません。
先祖のことや、神様のことなどを教えない教育で育った子供が親となれば、その子供は知るはずが無い
と思います。先生も知らないのだから当然でしょうけど、現在の乱れた風習や、感謝の心を教えない
教育に、罪があるように思いますけどねぇ〜・・・
せめて食事の時は「いただきます」と「ごちそうさま」は、手を合わせて感謝をする事ぐらいは教えて
欲しいですね〜・・・(日本人の美しい作法だと思いますけどね)
子供達にそれを言うと、学校では誰もしないから恥ずかしいだとか・・・
朝が白々と明けて、狛犬さんの表情も解るくらいに見え出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっと朝が白々と明け、日の出が見えるようになりました。
皆一斉にカメラで撮ったり、手を合わせて拝んだり、若い人達が日の出に感謝をし、太陽神に感謝し手を
合わせる姿を見ると、私まで嬉しくなってきます。
純真な感謝の心が一番大事だと思いますね〜・・・・・
伊勢参りの基本的な順序は、まずここの二見輿玉神社の海水で禊ぎ祓いをし、夫婦岩の日の出を拝み
それから外宮→内宮と参拝をし、最後に伊勢神宮の鬼門を守る寺として(奥の院:朝熊岳金剛證寺)
を参るのが基本のようです。
「お伊勢参らば朝熊かけよ、朝熊かけねば片参り」という歌があるくらいだから・・・
私たちは神社派なので、なんで最後にお寺?と疑問を持っていましたが、皆が良いと言うことなら
行こうと今回初めて、朝熊岳金剛證寺に行くことに決めたのです。
この写真は、以前私のブログ読者様から送っていただいた写真ですが、この写真から、何か感じられ
ますか?と、問い合わせがありました。
確かに信じられないほどの大きさの鳥のようなものが飛んでいます。
しばらく集中して見ても解りませんでした。霊視するのが得意な娘や家内にも見て貰いましたが、
二人とも特に感じるものは無いとのことでしたが、不思議な写真なのです。
特に悪いものでも、神様の神気も感じなかったので、戴いた読者様にお断りしてアップすることにしました。
写真を拡大してみました。
確かに異様に大きな鳥が飛んでいます。鳥居に止まっているのが「海ガモ」それとくらべても十倍以上
はありそうです。
今回ここに来たのも、この鳥の写真がとても気になったので、近くで確かめたかったのも一つです。
しばらく、ここの風景を眺めていたところ、ふと気づいたのはこの鳥とそっくりな岩がありました。
遠くから見るとこの鳥が止まっているようにも見えます。
この岩なのかなと、近くで見るとその面影はないのですけど、少し離れて見る角度によればそのように
も見えます。不思議なことにカメラで撮ったのですが、その写真が撮れてないのです。
もしかしたら、ここの神さまの眷属さんかな?分かりません (^_^;)
二見興玉神社で御朱印を貰って,次は伊勢の外宮へ来ました。
もう七時頃になっていたと思います。多分ここに高御産巣日の神様がいらっしゃると思いますが前
来たときは、内宮と外宮と行き違いになり、なかなか会えなかったのですが、今回はどうかな?
どちらかにいらっしゃる筈なんだけど・・・
※外宮は豊受大神がご祭神なのですが、何故か高御産巣日神も外宮と内宮にも時々いらっしゃるのです。
内宮は勿論、天照大神様が鎮座されていていつもいらっしゃるのですが、タカミムスビ様や、有名な
沢山の神さまも出入りされていて、大勢の神さまで賑やかな時もあります。
日本全国の総氏神様だから当然でしょうけど・・・・
神さまのルールは・・・
日本全国の津々浦々まで神さまは各地区に配置され、住民を災いから守り、平穏に暮らせるように守って
くれています。そしてその地区の責任神が氏神さまなのです。(その制度は多分明治初期の頃だと思うの
ですが、氏神様が配置される以前からその地区を守っていた神様が鎮守さまなのです)
ついでに、人が生まれた土地の守護神を「産土の神」(うぶすなのかみ)と言い、生後一ヶ月くらいで
お宮参りとしてその土地の神社へ生まれて初めて神様にお参りする行事なのです。
その「産土の神」様は生まれる前から知っており、死ぬまで守護する神と言われています。
(県外に行こうが何処に行こうが、神様のネットワークで○○○○はそちらの県に行くので宜しく頼む
と他県の神様にお願いをしてくれるありがたい神様なのです)
そして各県には沢山の氏神様が住民を守護してくれていますが、その各県の氏神様の元締(代表)なのが
一宮(いちのみや)神社なのです。(各県に1〜2ヶ所)
そしてその各県の一宮神社の総元締めが伊勢神宮の内宮に鎮座されている天照大神様なのです。
(日本の神様の頂点です)※○○大社や○○宮は又別格の大きな神社のことを言います。(以前に説明済)
ここの外宮(げぐう)は天照大神のお食事を司る豊受大神さまで豊受大神宮とも言います。
格式の高い神様で、ここにも沢山の神様がいつもいらっしゃいます。
外宮の屋根が見えてきました。いつも掃除の行き届いた境内は気持ちいいです。
高御産巣日神がいらっしゃることを念じ、砂利石を踏みしめて歩く音が私の心臓の高鳴りのように聞こえる。
前回来たときはあの屋根の上附近に龍さんといたのですが、今日はそこにはいません。
しばらくあの屋根を見ていたら、確信しました。タカミムスビ様はいらっしゃる。
そして私が来たことも知っている。待ってくれていると、確信した。
先に、家内と次女は外宮に入っていたのですが・・・次女が小走りで中から走って来た。
お父さん、お父さん早く、早くと・・・
どうした?と聞くと、タカミムスビ様がお父さんを待っている。
中で手を合わせて拝んでいたら、お前ではないと追い出されたという。
私が中へ入ると、家内は御幌(みとばり)の側で手を合わせて神妙な面持ちで私を見ている。
御幌の前に立ち、二拝二拍手一拝をして、ご挨拶を始めるや否や直ぐに胸がチクチクと痛んだ
何かな??と思いながらご挨拶を済まし、タカミムスビ様に約束の鈴を持ってきた報告をする。
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※ここから先を書いていると、不思議な事がおこり書けなくなりました。
神様が書くなと言う暗示なのでしょうか?書いても書いても消えるのです。
もうブログを辞めようかと思うほどの、ことが起きました。
本当にもう辞めるつもりで、書いたのを消して辞めていました。
タカミムスビ様に叱られました。
天に唾を吐くな、自分に返ってくるぞ!と
その意味は分かりませんが、写真を撮ったり神のことを言ったり書くのを慎めと言う事なの
でしょうか?
先日、奈良の高天彦神社(ご祭神は高皇産霊神:タカミムスビ)大神様にお詫びに行って
来ました。その他祭神は市杵島姫神・菅原道真公で私が好きで縁のある神様ばかりです。
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これから私のブログは、神様のことや写真は控えて書くようにします。m(_ _)m
神様のことをもっと分かって貰おうと、情報発信してるのが神様には面白くなかったよう
です。間違いもあったのかも知れません。これを最後に慎みますのでご了解下さいませ。
長くなるので今回はここまでにします。
続きは次回にします。原稿はほぼ出来上がっているのですが、訂正する箇所幾つかあります
ので、書き直してアップするようにしますね。
では又・・・・管理人。
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途中で昼食をと、道の駅高千穂に寄る。車を駐車場に止めると、大きな石像が目に付きました。
さすが高千穂だけあって、道の駅でも神の住む町として神様をアピールしています。
天鈿女命「アメノウズメ」の神と天手力男命「アメノタヂカラオ」の石像が直ぐに目に付きます。
そうですね、アメノウズメは後に猿田彦と結婚して、天津神と国津神の最初の国際結婚でしたね。
怪力の神様と云われる、手力雄(男)(タヂカラオ)命の神様です。
この神の怪力にあやかろうと、相撲力士やアスリート、スポーツ選手が信仰する神様です。
(皆さん知っているでしょうけど、知らない方の為に簡単に説明します)
天岩戸に引き籠っているアマテラスを外に出すために、神々が作戦を立てます。
「アマテラスよりも尊い神様が現れた」と、神々は喜び一斉にドンチャン騒ぎをする。
アマテラスが外があまりにも賑やかなので、岩戸を少し開けて覗いてみると、そこには自分
によく似た神様がいた。
その時に裸踊りをして場を盛り上げたのがアメノウズメで、鏡に映るのは自分の姿だとは
気づかないアマテラスは、もっとよく見てみたいと思い、さらに一歩踏み出した。
そこに、タヂカラオがアマテラスの腕を引いて、外に出し、岩に縄を締めて二度と入れない
ようにした。
この時の縄が、現在神社にある「しめ縄」の由来で、神様の隠れ住む場所とか、結界の意味
でしめ縄を張られています。
そしてアマテラスを映した鏡が三種の神器の一つ「八咫鏡」(やたのかがみ)と云われてます。
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食事を済ませ、まず今晩のホテルへ直行チェックインには早すぎるので、フロントで挨拶をして明朝には
帰るので、今日中に観光できる順序を聞き・・・まず車で高千穂神社と天の岩戸神社と高千穂峡を廻る
事にした。
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天の岩戸神社駐車場に着いて直ぐ目に入ったのが・・・
手力雄(タヂカラオ)の像です。
そして・・・・女性の神様の像・・・
これは誰かな?と下の説明を観てみると・・・なんと天照大神でした。(笑)
まさか天照大神の銅像があるとはと、その手に触れてみるビクン、ウヮ〜・・・
さすがの私もビックリしました。人の手の感触がしたのです。
錯覚かな?と、もう一度触ると、確かに固く冷たい銅製の手なのです。
おかしい!確かに女性の手を触った柔らかい感じだったのに・・・
もう一度目を閉じ、集中して手を握ってみる・・・柔らかい!
目を閉じたまま、まさかアマテラスさま???と念じ問いかけると・・・・
いいえ・・・と笑った感じがしたので目をあけて見ると、一瞬目が合った!
どうやらここでお仕えする巫女さんのような気がしました。
もう一度、銅像の手をさすったり、指をさすったりしましたが、やはり固く冷たい銅像の
感触です(当たり前)
しばらく手を握ったり、さすったりしていましたが、単なる変態ジジイと思われるので
止めました。(笑)何かテレパシーを感じたかったのですけどね〜・・・
少し先を歩く女房の所に駆け寄り、アマテラスと握手したよ!と言うと「えっ?」
多分巫女さんだと思うけど、確かに感じたと言うと、(あ〜そう?と疑いのとぼけた声)
本当だって・・・(-_-;)
帰ってこのことを次女に報告すると、真顔で本当?と信用してくれた。
天の岩戸神社入り口です。
中国人観光客が少なくホッとした。どことなく厳かな空気が良いですね〜
ご祭神は当然天照大神で、合祀は手力男と、アメノウズメが祀られています。
天の岩戸神社だから当然でしょうけど・・・・
天の岩戸神社西本宮ですが、伊勢の外宮に感じが似てますね。
ここから、徒歩で岩戸川(高千穂川源流)に沿って約10分ほどで、天安河原宮へ着きます。
岩戸川に沿って歩くと神々が会議をしたと云われる天安河原宮へ着きます。
所々に澄み切ったキレイな淵があります。高千穂の上流だから当然キレイですよね。
キレイな景色と美味い空気・・・・・
キレイな景色に、不釣り合いな「おばはん」40年前はこんなんじゃーなかったのに (T_T)
ここが天安河原宮です独特な念の空気が漂っています。
八百万の神々がここに集まり岩戸を開く会議をした所らしいですが・・・
沢山の方が、ここに来て願い事や、罪汚れ、念を払い落としているのでしょうか?とても空気が
重たく感じます。
かみさんは、遠くからここを観ただけで、私はそこに行きたくないと立ちすくんでいる。
全国でもよく見かける光景なんですけど、沢山の人々が石を持ってきて、ここで石を積み重ね
願い事や、罪、穢れを祓い落としているので念の空気がとても重たいのです。
あまり長居をしたくない場所なのですが、せっかく来たのだから、家内に神様にご挨拶だけ
して帰ろうと呼び、神様に手を合わせる。
所狭しと、沢山の石が積み上げられ沢山の人々が、念や思いを八百万の神々に聞いて欲しくてここに
集まった結果なのでしょうね〜・・・。
次はせっかく来たのだから、名所の高千穂川でボートに乗って高千穂渓谷を見物。
連休明けの平日と言うのに、沢山の人気で駐車場での待ち時間が30分、ボートに乗り30分。
広い駐車場は2ヶ所あるのですが、全て時間待ちです。
料金は一人2,000円で駐車場代は400円だったかな?忘れました。
ボートお父さん大丈夫?乗ったことある?
「任せなさい!」昔、良く鏡川で良く乗ったから、上手いんだぞ!スピードは誰にも負けんかった。
60年ぶりに乗るけど・・・・多分乗れる。(笑)
60年ぶりとはいえ、乗ってみると直ぐに慣れて、技術も体力も今の若者には負ける気がしない。
名所の真名井の滝です。近くに寄ると迫力があるのですが、濡れるので誰も側に寄りません。
この付近になると、沢山のボートが集まってきて身動き取れなくなる。
スピリチュアルなパワースポットとして真名井の滝は有名なのですが・・・・
何か感じたか?と聞かれれば・・・全然?
かみさんは何か色々見えたそうなのですが、良いものじゃ無かったとか・・・
ここでの30分は長く感じ、25分で切り上げ帰ることにしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し早めのチェックインをして、早速室内にあるヒノキ風呂の温泉に入り、ビールを一杯(腹に)
一応結婚40年の記念なので、最後の宿は高級旅館を予約していましたが、その事を伝えると女将さん
が「特別貴賓室」をサービスで用意してくれていました。
高千穂渓谷のボートの話やら、駐車場がいっぱいの話をして、平日でこれくらいの人だから連休は
凄かったでしょう?と訪ねると・・・
多分今日が、2,000人〜3,000人だと思いますが、連休は連日3万人くらい来たとか・・
前日から予約受付で、朝の5時に予約して、やっと夕方乗れるくらいだとか・・・
えぇ〜〜っ(のけぞって、ひっくり返るかと思った)
3万人と言えば、一つの市民全員が来るみたいですよ〜・・・えぇ〜ッ(ひっくり返った)
1人2,000円で3万人=1日:6,000万の売り上げ(駐車場別)
ここに住もうかな〜?
貧乏人は直ぐ、そんな計算をするので、はしたなくゴメンナサイ!(笑)
小松さんのように、連休の人混みを避けて来る人も多いので、しばらくは忙しいでしょうけど
来週くらいには、ガクッと減って田舎町に戻りますよ。・・・・
・・・・・・・
そうでしょうね〜連休に来なくて本当に良かったと思う。(^^)
3LDKで大型テレビ2台と別に1台、ヒノキ温泉付、床も建具も造りが全く違います。
全部の部屋は写せないですが、今まで泊まってきた旅館やホテルとは全く別物でした。
夕食は行き届いた内庭の見える別の個室に通され、石灯籠の柔らかい光の庭を楽しみながら
美味いワインを飲む。次から次と出てくる会席料理もすばらしい。着物を着た若いお運びさんの
マナーも行き届いて気持ちいい・・・・・・ずーっと、ここに居たい(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・
8時から高千穂神社での夜神楽があるから見に行きませんか?見に行かれるなら送迎します。
とのことだから、言葉に甘えて連れて行ってもらう事にした。
夜神楽は90分位だったかな?毎晩行っているそうなのです。
手力雄(タヂカラオ)と天鈿女命「アメノウズメ」の舞だと思うのですが・・
舞は32番まであるとか、全部舞うと朝までかかるので、その中から3〜6番までだったかな?
物語で舞をおどるみたいですね。
アメノウズメだと思います。
これが多分、タヂカラオですね。
詳しくはホームページで・・・
http://takachiho-kanko.info/event/yokagura.php
夜神楽が終わる頃に、ホテルから2人の為に迎えに来てくれてました。
玄関に入ると、女将さんたちの着物を着た女性が6人ほど、「お帰りなさいませ!」と正座して
三つ指ついて迎えてくれる。 こんな経験ないし〜・・・
こちらも、恐縮して「ただいまでござる」と正座して三つ指つきたくなりました。
ホテルに着くと、シャンパンのプレゼントがテーブルに有り、本当に至れり尽くせりです。(感謝)
又、温泉に入り家内は一滴も飲めないので、一人で飲んでしまう(美味いし、気分も最高)
朝食は、又別の爽やかな個室に通され、朝から会席料理みたいな朝食が出てくる。
普段、朝食は滅多に食べないのに、今日は腹一杯食べてしまった。
気分は良いのに、苦しいのは何故でしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝、ホテルの方々に深々とお礼をのべて、高知まで直行で帰ることにしました。
ホテルの名は高千穂「神仙」でした。ホームページ↓
http://www.takachiho-shinsen.co.jp/rooms/
帰りは宿毛佐伯フェリーで、ゆっくり帰ることにしました。
宿毛からは家内の運転で、自宅まで2時間位だったと思います。
4日ぶりに、事務所に帰って来ると神棚の榊が右側だけが枯れていました。
2年前に私のブログで「榊の片方だけ先に枯れませんか?」と言う題で書いたのですが、今でも
記事の中では人気?1でよく見られているようです。↓
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=303
右側が枯れるのは、氏神様が出たり入ったりと良く働いてくれた証拠で、私を案じて他の神様等に
私がそちらに向かうので宜しくとか、事故の無いように守ってくれてたのかも知れません。
神さまのネットワークは凄いですよ。又お狐さんも一匹私の体の中に入り一緒に行動してくれたり
神社では、神さまに私を宜しくと挨拶をしてくれていたのかも知れません。
こんなことを書くと「馬鹿らしい、宗教家か!」神さまにお願いしても、事故する時はするし、災難
に会う時は会う、神頼みしても意味なんかありませんよ。と否定する人もあろうかと思いますが・・・
そうじゃないんです・・・・
自分の心の問題なのです。神さまに感謝をする心、天気や、人との出会いや、空気や、食べ物や全て
のものに感謝する心が大事だと思います。
楽しい旅行も、感謝の心を忘れない、影の修行なのかも・・(修行と思ってはいけない)
感謝を感じない旅行なんて、つまらないと思いませんか?
別に神さまでなくとも良いんです、感謝の心が大事。
感謝の心を持ってない人も時々見かけますけど、つまらない人、可哀想な人だと思いますよ。
つまらない人間になりたくないので、日々全てのものに感謝の心で接することが人の道だと思ってます。
不満や、愚痴を言って人を妬み、怒り、嘆き、くよくよと、不平不満を言って生きて行くのも人生。
いつも感謝の心で生活し、笑い、楽しみ、美味しい空気や、花の匂いや、風の臭い、太陽の暖かさ
雨の日や嵐の日もある、四季を五感で感じ楽しみ生きて行くのも人生・・・
同じ人生なら、楽しい人生が良いのでは?幸せは何処にある?自分の心の中にありますよ。
感謝の心の中にね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月に又、伊勢神宮へ行く予定です。
行かなければならないのです、高御産巣日神(たかみむすび)に頼まれたものを持って行かなく
ては・・・・・・それは、長女から電話がありお父さんタカミムスビの神さんがお父さんに来い
と言ってるよ。あるものを預かって来いと・・・・
(長女)あるものとは何ですか?・・・・
それは自分で感じろ!考えろ!とのこと・・・・
えぇ〜ッ・・・・意味分からんし、想像もつかん。
家内に何かわかるか?何処にある?と聞くと・・・・
しばらく目を閉じで・・・見えた!
ぼんやりだけど、丸い大きなボールのような物が2つくっついている。
「いびつ」だからボールではないと思う、何だろう?
このくらいと手を広げ円を描く・・・・・それを見ると、直径30?位の丸いものが2つ。
色は金のような茶色のような色だという。大きくて重たそう・・何だろう?・・・
何だろう、何処にあるのだろうと、娘2人と家内と4人で考える。
長女は、神さまは何も教えてくれない、考えろ、感じろ、だけだという。
何か私が試されているみたいだと言う。
次女がお父さんの好きな神社にあるんじゃない?
(長女)そーかも知れない、その神社へ行ったら何かヒントが貰えるかも・・・
お父さんの好きな大事にしている神社は?
3ヶ所あるけど、何処かな〜・・・・
家内○○神社じゃない?そうや!そこみたいと長女も言う。
良し!今度の日曜日に行こう。と、先日行って来ました。(次女と家内と私と3人で)
○○神社に行って、心を落ち着け私が一人正面に立ち、家内と次女は離れた後ろから見ている。
念じて・・神様タカミムスビの神に頼まれたものはこちらでしょうか?・・・・
目を閉じしばらく無の状態でいると・・・・
後ろから家内がやっぱりここや!お父さん手を差し出して!落としなよ!
言われるままに・・・手を差し伸べ何かを受け取る格好をしていると・・・・
ズシンと重たい物が手に乗ってきた。私には見えないし、なんだか分からない・・・
意外な重さで、受け取る手がぐっと下がる(一瞬だけ)陶器のような感じがした。
家内も後ろで見ていて、感じたのだろう駆け寄り、お父さん受け取ったろ。
声が出ないので、首を縦に振る・・・・
家内が私の手を取り、そーっと私の胸にその陶器を入れるように押し当てる・・・
よっし入った。お父さん入ったで・・お父さん鈴を貰ったね!
あんな重たい物が鈴??鉄ではなく、陶器みたいだったよ?
(家内)良かった、良かった、やっと謎が解けた・・・
これを落とさないように、邪悪な物に奪われないように持って行かなくてはと言う。
その大きな鈴は今も私の胸の中に入っているはずです。私には感覚ないけど・・・
その鈴が何処にあるのかを探し当て、ちゃんと持ってこれるのか・・・
タカミムスビさまのテストのような気がします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのような事があったので、今度伊勢神宮でタカミムスビさまと会い、この鈴を
渡さなければならないのです。
なんのテストなんでしょうかねぇ〜・・・・
・・・・・・・・・・・・・
又報告しますね・・・・では又・・・管理人。
※追伸・・・コマツ住宅のホームページをリニューアルし移転しました。
次回からはそちらの方にブログを書くようにしますので、よろしくお願いします。
新しいホームページは、http://www.komatsu-j.com/
未だしばらくは、反映されないかも知れませんけど、そのうち充実したHPになると
思いますので、コマツ住宅を宜しくお願いします。
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朝から温泉に入ると、やっぱり温泉旅行気分になりますね。
ホテルで朝から美味しく素敵な朝食を食べ、良い気分で出発です。
今晩の宿泊予定は、高千穂の近くの温泉宿ですが、平日の早い目に予約を取っていたので
結婚40年記念の旅行ですと伝えたからか、特別に同じ料金で貴賓室が取れました。
ホテルも楽しみの一つですが・・・
それよりも、今回の旅行に絶対外せない神社がありまして、ホテルからも5K位なので
先にそちらに寄る予定です。それは弊立神宮です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
九州の阿蘇山付近は景色も良く、山々が四国とは違い、広くて雄大なと感じますね〜
温泉入って、このような景色を見ながらドライブすると、気も心もリフレッシュして最高の気分。
ここに来て良かったと思います。40年前のやまなみハイウェィにも感動した記憶もあるのですが、
九州は良いところがありますよね〜
放牧された牛も気持ちよさそう。車を停めて牛を眺めていると、数頭の牛が固まったように、こっち
を見ている。怪しい奴とでも思って居るのでしょうかねぇ〜(笑)
(写真左側にピントが合わず、クラクラするような気配が伝わってくる)
私が今回の旅行で、一番楽しみにしていた熊本県の「弊立神宮」です。
熊本県の県境にありまして、宮崎県の高千穂まで車で10分くらいだったかな〜・・・
鳥居に近づくと凄いパワーを感じる。神様にお断りして写真を撮ると、やはり鳥居の左付近のみ
ピントが合わず、神気でぼやけて写っている。
神様や神木を撮ると、良くこのようにぼけたり、全く写らなかったりシャッターが下りない場合も
あります。
ここは知る人ぞ知るパワースポットのゼロ磁場なんです。
そして、この神宮は一万五千年の歴史を持ちながらほとんど知られてないのです。
日本最古の神社と言われている大神(おおみわ)神社でも千百年くらいですから、一万五千年と
言えば世界最古の神社なのです。
天地開闢に係るような神々を祀り、15000年と言われる歴史を持ちながらほとんど知られてなく、
日本よりも、世界中の霊能者などから注目を浴び、外国人も良く来ているそうです。
幣立神宮の幣とは勿論、何処の神社にも立てている御幣のことで・・・(幣=ぬさとも言う)
御幣は(みてぐら)とも呼ばれますが、使用する紙を祓い清め弊を立て、神霊が宿る御正体
(みしょうたい)として、何処の神社にもこのように立てられています。
神社では毎年、新しいものに取り替えられ御幣立始祭を行っているそうです。
弊立神宮は世界最古の神様と、格が高くとても偉い神様に、弊を立ててお奉りしている神社なの
です。
神様にたどり着くまでの長い階段は、よく見られる光景ですが神様に近づくごとに身が引き締まる
思いです。厳かな、神社独特の凜とした空間に入り、魂を静め禊ぎ払いを念じながら登っていく。
神社鳥居の手前にある手水舎で禊ぎをする、ここには高天原と書かれた石碑。そして石灯籠・・
「丸に違い鷹の羽」の家紋。よく見かける家紋ですね、大名旗本の家紋だと思います。
神様にお断りして神霊の輪を撮影する。神様歓迎してくれてるようです。
上の写真からこのような神霊の輪が感じ取れるでしょうか?
阿蘇開拓の主、神武天皇の健磐竜命(たけいわたつのみこと)孫は、日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井
(高千穂)を通って草部に入られました。
このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。
この地に御幣(ごへい)を立てて「天神地祇(てんじんちぎ)」を奉祀されたので、「幣立神宮」の名が
ついたとされています。
又、幣立神社には、モーゼ(古代エジプト人やユダヤ人)に運ばれた「水の玉」が奉納されているらしい。
八月二十三日の五色神祭には世界中から人々が集います。
五色とは世界の人種を肌の色で表したもので、赤色・白色・黄色・黒色・青色の五つの色です。
※五色神祭は世界中の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。
※五色人とは世界中の5色の人種のことなのですが・・・5色?? 4色は皆さん知ってますよね。
黄人 アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)
赤人 アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト
白人 ヨーロッパ全般
黒(紫)人 アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)
迄は皆さんも知っているでしょうけど・・・・・
青人は?・・・ 北欧、スラブ系で 青人は爬虫類から生まれた人間なのです。
いわゆる、ヒト型爬虫類のレプティリアンなのかもしれません。
やはり、私の想像通り青人のヒト型爬虫類にアヌンナキのDNAが加わって白人が生まれた
私は、以前から人間の先祖は龍や蛇だったのかも知れないと考えていたのですが
やはり、これで青人の種族人型は虫類レプティリアンがいたことを証明出来そうです。
とても面白かった映画(アバター)より。
2年前に書いた私のブログをもう一度見て下さい(人と、神と、蛇と・・)です。
http://kimama.komatsu-j.info/?day=20160615
主祭神:神漏岐命(かむろぎのみこと)
神漏美命(かむろぎのみこと)
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
阿蘇十二明神(あそじゅうにみょうじん)
五色祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、五大
人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の全地球的願望なのです。
これは、五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界、世界平和のユートピア建設の宇宙的
宿願の啓司なのです。
幣立神宮の古代的真実、宇宙的理想の実現こそ、今日の全地球的願望である。
この願いを実現する古代的真実の復元が、こらからの人類文明への厳粛なるメッセージでしょう。
ただ、人間は志を高くもって生きなければ存在する意味がありません。
幣立神宮の神域のなかに身を置くと宇宙の意志といったものを体感し、人間どう生きるべきかを
考えらさせることと思います。
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)=世界最古の宇宙神なのです。
地球の歴史では、今まで4つの世界があり、今その4つめの世界で前の3つは滅んだそうですが、
大宇宙大和神は、2つめの世界にいた神様なのだそうです。つまり古事記や日本書紀にも現れない
天御中主神やタカミムスビやカミムスビが現れる以前の神様を祀っているのです。
また、高天原神話の発祥の神宮とも言われています。
悠久の太古、地球上で人類が生物の大座に着いたとき、この人類が仲良くならないと宇宙全体に
ヒビが入ることになる。
これを天の神様がご心配になって、地球の中心・幣立神宮に火の玉に移ってご降臨になり、その所に
芽生えた万世一系の檜にご降臨の心霊がお留まりなった。
これが、神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむろみのみこと)という神様で、この二柱を
祀ったのが日ノ宮・幣立神宮である。と、されています。
神殿は恐れ多くて、とても写真に撮るのは失礼だと思い、上部の付近だけをお断りして撮らせて
頂きました。(この神社で撮った写真は少ないです)
伊勢の内宮と記されたご神木の大杉、今日は平日の午前中とあって、参拝者は少なく思いっきり体感で
感じ取ろうと全神経を集中して参拝する。
一応神様に失礼にならないような格好で来たので、記念写真を一枚。
坊主頭だと家内や子供達から恥ずかしいから帽子かぶって!と言われるので普段は帽子をかぶっています。
八年ブログを書いてますけど、初めての私の素顔をアップします。(笑)
「性格は顔に表れ、生活は体に表れる」と云われますが、私はどうでしょうか?
たまに人相占いをして貰いますが、誰も私の職業を当てられませんね〜・・
神社かお寺関係の方ですか?と時々言われる事があります。不動産屋ですと言うと
へぇ〜・・私の顔をしばらく見て、あなたみたいな不動産屋さんもいるんですね〜・・・
向こうは商売だから、当然悪く言いませんけど、まっすぐな人ですね。と言う人相占い師が多いかな?
時々鏡を見ては、お前の考え方は正しいか?間違ってないか?と自問自答する時があります。
常に「清く正しく」と、生きているつもりですけどね〜・・・最近は特に(笑)
神気を感じ取ろう、ここでもっともっと、何かを感じパワーアップしたいと両手を広げているところを
かみさんに撮られてしまった(笑)私の背後に神霊の輪が写っているのがお分かりでしょうか?・・・
(鳥居の中央と、左側にも神霊の輪が写ってしまいました)
水神宮ですが、後からこの下に降りると八代竜王の棲む池や美味しい湧き水が出ていることを後から
知りました。残念です、もっとよく調べて行けば良かった。↓
ここでは、あちこちに神霊が沢山写ります。神霊の輪が2つお分かりでしょうか?
本当にスピリチュアルなパワースポットだと思います。
トイレの脇にある石像です。あどけない良い顔ですね〜・・ホッとする言葉に心安らぎます。
人間どう生きるべきか?を、もう一度考えさせられますね〜・・・
せかせかした生き方は寂しくて、後悔する人生だと、思い知らされる言葉です。
世界中の人類が差別なく、仲良く共存して秩序と云うルールを守り、平和に暮らすことを神様は
望んでいるのではないでしょうかね〜・・・
2匹の子を守る狛犬さんの表情が良かったので、数枚写真に撮りましたが、全てピンボケです。
撮られたくなかったのでしょうね〜 ごめんなさい。 m(_ _)m
とても良い体験をさせて貰いました。 パワーを少し頂いたかも知れません。
鳥居を出てから、ありがとうございました。と、深々とお辞儀をして帰りました。
次は宮崎の、高千穂へ行きますが・・・・・
続きは次回にしますね・・・でわ管理人。
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天満宮の参道でお土産を買っていこうと・・・・
(実は昨日帰りに買うつもりででしたが、遅くなったので参道商店はほとんど閉めていました)
私が記念に買って帰りたいと、目に付けていたのがフクロウの置物です。
少し早かったので近くの駐車場に車を止め、付近の喫茶でコーヒーブレイクをして行くことにしました。
参道は昨日とうって変わって朝から凄い人・人・人
何処を通っても中国語ばかりが飛び交わり聞こえてくる。
中国人ばかり、日本人がほとんどいない。95%以上中国人ではないだろうかと思うほどでした。
以前、京都の伏見稲荷大社に行った時も中国人ばかりでしたが、何故中国人が日本の神様に興味が
あるのでしょうね〜??・・・
牛さんも、中国人に角を触られたりワイワイキャーキャーと中国語で触られるものだから、不機嫌
そうな顔をして、牛さんも私と目があると「何とかしてくれよ」と訴えているようでした。(^^)
昨日のホテルも中国人で満室だったし、何で中国人は声が太いんだろう??
太宰府のお土産と言えば、フクロウと梅ヶ枝餅。
一度は食べてみたい「梅ヶ枝餅」美味しそうだったので、店に入り中で食べれられますか?
「ハイどうぞ」・・コーヒーと梅ヶ枝餅を2つ注文し、家内と食べた。(とても美味しかった)
食べていると、又中国人がドカドカと入ってきて、中でパチパチと写真を撮っていく。
何か注文しろよ!と思っていたら1組だけ中国語で注文していた。
店の店員も中国人慣れしているのか、片言の中国語で話していた・・・・
帰りに、ごちそうさま美味しかったです。と言って、中国人ばかりですね〜と言うと
そうなんですよ、最近中国人の観光客がとても多いです。と苦笑いをしていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お土産でよく目に付くのが「合格」のハチマキをした「合格福ろう」「幸せ福ろう」のキーホルダー
ですね。
私が昨日、買おうと目に付けていたのがフクロウの置物。(太宰府に40年ぶりに来た記念です)
愛らしい表情をしたこれと・・・
これ。どちらにしようか迷っていたけど、安いので二つ買ってきました。
縁起物のフクロウですが・・・
フクロウ(梟)は→不苦労(苦労知らず)→福朗(幸せ者)→福籠(ふくろう:福が籠に沢山詰まった様子)
→福老(幸福に年をとる意味)なのです。
もう苦労をしたくないので願いを込めて買ってきました(^^) 事務所と、隣の居酒屋に置いています。
福籠(ふくろう)の籠(カゴ)という字は竹冠に龍と書きます。何故だと思いますか?
それは、かごめ唄の中にヒントがあり、竹の中に龍が籠(こ)もると言う意味でもあり、かごめ唄は籠目唄と
書き、龍が籠(カゴ)の中に籠(こ)もっている唄かも?
いつか籠の中から龍のようなものが出てくる唄のような、カゴとは六芒星の意味かも・・・
古代ユダヤ人との繋がり・・・・
この説明をし出すととても長くなるので、以前もかごめ唄の題で何度も書きましたのでここでは省きます。
龍の紋章を国旗としているブータンの国王は「龍は、みんなの体の中にいる」と言ったことを覚えています。
ある意味そうかもしれませんね、龍とは籠(こ)もる生物で、何かがあれば、出てくるのかも知れません。
(雌の水龍です)・・・「籠」(こもる)の意味は大事な物を隠す、又はとても大事なときにだけ出す意味
だと思います。
例えば元伊勢の籠神社(このじんじゃ)・印籠(武士の薬箱)・水戸黄門の印籠、灯籠、巣籠もり、等は
竹冠に龍の字があるのです。
・・・・・・・・・・・
今日のおみくじの裏に、神の教えが書かれていました。とても気に入ったので紹介しますね。
「食べたり、着物を着たり、勝手言うのが能じゃない、御互いは御飯食べる為に生まれてきたの
でも、着物をきるために生きて居るのではない。神様から世界作り固めのお役目をうけて、此の地上
に高天原の、住みよい、明るい、平和な世界を作り上げる為に生まれてきたのである。この信仰を
もって一生を働き続けましょう」(原本)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
常日頃、当たり前のことだと心がけては居るのですが、このように書かれたおみくじを頂くと、改めて
自分の自我を指摘されたようで、心に響きました。
二泊目は湯布院にホテルを取っていたので、小雨の中を湯布院へ出発。
湯布院の町並みを探索、写真にはあまり人が映らないように取ったのですが、ここも日曜日とあって
大勢の観光客がいっぱい。しかも中国人ばっかりで又か〜と、うんざりする。
日本は中国人に乗っ取られたのじゃないかと思うほど、右も左も中国人ばかり。
湯布院の見所と言われる、観光スポットの町並みを約30分ほど歩く。
湯布院を代表する観光スポット「金鱗湖」湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て「金鱗湖」
と名付けたそうです。
湯布院は何処を彫っても温泉が湧いてくるので、この金鱗湖も温泉が湧いているので年間を通じて
水温が高い為冬の早朝には湖面から湯気が立ち上る幻想的な光景を見ることができるそうです。
冬はこのような状態なのでしょうね〜「ネットより画像拝借」
近隣湖のほとりを廻っていると、神社が見えた。近づくと凄いパワーを感じる。
何、この神社は?
天祖神社??初めて聞くけど・・・
写真を撮ると、ピントが合わない。神様を撮るとこのようなことが良くあるのです。
ご祭神はなんと・アメノミナカノヌシ(天地開闢の際に一番先に現れた神)・スサノオ(天照の弟)
カグツチ(イザナミが最後に産んだ火の神)・コトシロヌシ(大国主の子、事代主=一言主)
天祖神社と言うだけあって、偉い神様がずらりと並んでいる。
湯布院のパワースポットと言われるのも納得できますね。
沢山の焼酎が有り、味見して美味しかったら買おうかと思いましたが、中国人と間違われたのか
あまり相手してくれなかったので、店を出ました(感じわる〜・・)仕方ないか(笑)
左へ行こうか、右へ行こうか?商店街が立ち並ぶ・・・・
ほぼ全員が中国人のような気がする、ここでは私は外国人か?
ホテルへ戻り、温泉とサウナを繰り返し疲れを癒やす。広い露天温泉に数人だけ気持ちが良い。
やはり温泉ホテルはこうで無くっちゃ!ここは少し高級ホテルなので中国人は、見当たらない。
料理も会席料理だったし、結婚40年記念で久し振りに湯布院に来たことを伝えると、女将さんから
夫婦箸をプレゼントに頂きました。
40年前と随分変わりましたね、以前はあのような町は無かったと思うけど、と言うと女将さん曰く
40年前は知りませんけど、ここに嫁いで来た時には温泉ホテルは5〜6件しか無かったけど、今は
150件以上あるそうです。
窓から外の山々を見ると、あちこちで温泉の蒸気が吹き上がってる。
あれは?と聞くと、湯布院は何処を掘っても温泉が出ますが、あれは観光客を呼ぶ為に県が掘って
蒸気を出しているだけとか・・・掘るにも県の許可がいるそうです。(当たり前ですよね)
今日は気持ちよく温泉に入りましたが、明日朝も温泉に入ってから高千穂に出発します。
この続きは又、後日に書きますね・・・・
では又・・・・管理人。
]]>ようでしたが、運の節目とは良く言ったもので、節分から徐々に運気が好転して来て、周囲の空気
もガラッと変わったような気がします。
人間万事塞翁が馬、悪い事も良い事も、いつまでも続かない。
でも相変わらず問題の整理に追われ、忙しい日々が続き大型連休も仕事漬けでした(笑)
昨年から連休が終わったら、結婚40周年記念に宮崎県の高千穂へ行こうと家内と約束していたので、
三泊四日の休暇を取り九州へ車で行って来ました。
旅行する時は、神様から何かメッセージがないかなと気を付けて空や雲に注意しながら運転するのです。
龍を感じる雲ですね〜機嫌良いみたい。
のろしのような雲?何かのメッセージかな?と考えながら車を走らせる。
九州方面は方位学的に方角が悪かったので、方位除の為に高知から瀬戸大橋を渡り岡山、広島、
山口と九州へ渡る。一人での運転は疲れましたが、天気も良く連休明けとあって車も空いており
スムーズに走れました。
途中のサービスエリアで龍の背中に乗って小休止。沢山の木彫りの彫刻が有り、興味のある
私は、作品にしばらく感心して見とれていました。勿論全てを写真に撮ってます。
まず福岡の太宰府天満宮へ着いたのは16:30分。高知市から7時間位かな?
ここは、私たちが新婚旅行に来た場所です。40年ぶりに来たのですが、町並みや記憶にある店舗も
ありました。懐かしいな〜ここ覚えてる。と言うと、家内は一切覚えて無く、見るもの全てが初めて
だと言う。
明日は天気が崩れると言うので、今日の内にお参りしておこうと境内に向かいます。
いつも良く行く近くの天満宮の牛さんとは違い、風格と威厳があります。
天満宮と言えば菅原道真公を祀っており、全国の天満宮には牛さんの象があります。
何故「牛」なのかと言えば、菅公は丑年生まれで元服の当夜、角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、
たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。
又、菅公が太宰府に左遷され、こもやの里まで落ちゆかれる途中、時平の命を受けた笠原宿禰等が
後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、宿禰の
腹を突き刺したのです。
よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。
公は「都にて流罪 極る前夜、不思議に 逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を
助けし忠義の牛、筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになったそうです。
そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、丑の日に薨去されました。
その牛に乗り、心安らかに旅立たれた ので、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのです。
私の事務所の近くの天満宮(鎮守様)にも時々行くのですが、良く話しかけてくる牛がいるのです。
話と言っても他愛もない話で、「こっちこっち」とか、帰ろうとすれば又「こっちこっち」と言って
私がさするのを待っているのです(笑)
私も丑年生まれなので、何故か天満宮の牛さんには心を引かれます。
その天満宮の本拠地である太宰府天満宮に来たのも、お世話になっている縁繋がりで来たのです。
機嫌良さそうな牛さんとツーショット!高知から車で今、着いたばかりなのでラフな格好で宮と名の
付く神社に参拝に来た失礼を詫びて、参拝させて頂きました。
(手水舎の側にあるキリン象)
麒麟は中国の空想上の動物で、頭は狼、胴体は鹿、足は馬、尻尾は牛と、それぞれの生き物の一番
美しいとされるパーツが組み合わさったもの。
麒麟の胸から前は聖域で本殿側が聖地とされていて、後ろは俗域とされ結界を表します。
また麒麟の首が後ろを向いているのは下界を見守っているという意味のようです。
イギリス商人のトーマス・グラバーはこの天満宮に数回訪れ、この麒麟像をたいそう気に入り、後に
友人のビール会社を引き継ぐことになった時に、「麒麟ビール」としたそうなのです。
「キリンビール」のラベルはこの麒麟がモデルなのです。
そのようなエピソードを想像しながら呑むキリンビールは又、格別ですね〜(^^)
40年前の記憶が、かすかに戻ってきます。
ご神木は眺めているだけで、気持ちが落ち着きます。
本殿の写真を撮るには気が引けました。ここラフな格好で来るべきではないと思います。
根っこが繋がった「夫婦楠」恋人や夫婦が手を繋いで夫婦楠を3回廻れば御利益があるんだって!
若いカップルから老夫婦まで、みんな手を繋いで廻っている。
観光ガイドさんが皆さん手を繋いで行きましょうね、良い御利益がありますよ〜・・と
言われたので家内が手を繋いで歩こうと、御利益の為ならと渋々手を繋ぎ廻りましたよ(^^)
よく考えりゃ〜結婚する前から今までで、手を繋いで歩くことは初めてかも知れない。
薄暗くなり始めたので、予約していた太宰府近くのホテルにチェックインする。
疲れていたので、温泉に入り食事とキリンビールを1本飲むだけで爆睡でした。
明日は雨のようですが、早朝もう一度参拝する予定です。
続きは次回に書きます。
沢山写真を撮っているので、徐々にアップしますね。
では又・・管理人。
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と言われたので、一応お知らせします。
私も何か精霊のような気配はしていたのですが、確かに竜王様ですね。
龍の姿が見えなかったので不在のような気がします。と書いたのですが、竜王様が写真に写っていました。
この竜王様は、何度か見たことがあります。
空に雲の形で現れることもしばしばです。その他精霊のようなものも幾つか気配が感じられます。
今回は、前回の追加と言うことで、アップしました。
これは、以前ブログでアップした空に姿を現した竜王様です。
確かこのブログでアップしたはずだと探していたら、2016.6.4に「何も知らない方が幸せかも」の題で
アップしていました。
では又・・・管理人。
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会いに行くことにしました。
私を守護している龍さんは、会いたいと願えば、いつでも直ぐにでも来てくれたのですが最近は
ご無沙汰です。・・・ 何故か私から遠ざかり遠くに居るような気がしています。
その龍はタカミムスビの神使として働いている位の高い龍(天に住む龍)なのですが・・・
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)も龍さんも、最近ちっとも交信してくれません。
お前のことは三女神に託したと、言われて遠くへ行ったきり音信不通なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://kimama.komatsu-j.info/?eid=382
(以前ブログに書いた天の龍と水の龍↑)
三女神様にもご挨拶に行ったのですが、あまり気に入られて無いような気がして(^^ゞ
悶々とした気持ちで、現在に至っています。
先日急に水の龍神様に会いたくなって、今日高知に住む有名な龍神に会いに行って来ました。
そこは、高知市から意外と近く市内中心から約25分で行ける所です。
「七ツ淵神社」です。
ここは昔から平家伝説のある所で、弁財天(市杵島姫神)と竜神様が奉られています。
(七ツ淵神社の入り口)
近くまで車で行けるのですが、駐車場施設がなく道路の脇に車を止めて1分でここにつきます。
この鳥居をくぐり抜けると、空気が変わるのが感じられます・・・
宮司さん夫妻が丁寧に掃除されているのを見つけ、「おはようございます。ご苦労様です」
こういう場所で、宮司さんと出会い挨拶を交わすのは気持ち良いですね。
七ツ淵は、平家の落人が四国山地を越えてこの山中にたどり着き、源氏の追手に怯えながら
暮らしていたがある日、白鷺の群れが飛び立つのを見てそれを、源氏の追手の旗印であると勘違いして
もはやこれまで、と平家側の女性達が渕に飛び込んで果てた、という平家落人伝説。
高知市内から近い事もあり、昔はもっと大勢の方が参拝に来られたことでしょうね。
龍馬や乙女ねえやん、武市半平太など、名だたる有名人が下から歩いて参拝に来られたことでしょう。
龍神を祀る神社に良く似合ってる龍の手水舎です。
普段は閉ざされているはずの神殿なのですが、今日は掃除の最中だったので解放されていました。
ラッキーです。
途中で買ってきた生卵を1パックお供えして、ご挨拶をする。
(しまった!お酒を忘れてきた)
龍神の祝詞をあげるべしで、来たのですが宮司が近くに居るので、遠慮して小声でぼそぼそと
お願いをしました。(^^)
コブラのような白蛇?本物?・・・まさか(笑)
本殿の裏に回ると、7ツの淵があるのです。
龍が住みそうな神秘的な淵なのですが、今は不在のような気がします。
竜神ではないけれど、何かを感じるのでもう一枚。
遠くから見ると、やはり龍?分かりません。何か居るようですけど・・・
夏は気持ち良いでしょうね〜・・・・
自然界の澄み切った空気と水の音、心、癒やされます。
高知市中心から25分位でこられるなら、時々ピクニック気分で来るのも良いかなと思います。
滝の直ぐ側まで近寄ることも出来るし、気軽に来られることも良いですね。
私のお勧めスポットです。本当に癒やされますよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一度深く感謝のお礼をして、帰ることにします。
龍神様には会えなかったのですが、私がここに来たことは分かるはずです。
もしかしたら、私を見ていたのかも知れませんけど・・・・・
では又・・・・管理人。
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とても霊感力の強い女性で、私もビックリするほどの霊視と直感力の鋭い大阪在住の方です。
2年ほど前に2回ほど合ったことがあるのですが、目を見て話していると、私の心中の全てを見透かして
いるようで、ある意味怖かったです(笑)
その方から先日長いメールを貰い、何度も読み返しては反省をしていました。
途中「小松さんは正しいですか?」の問いに絶句しました。
自分が正しいと思ってしていることも、正しく無いのかも知れませんよね〜・・・
私も若い頃はやんちゃ坊主でしたので、悪さも数々して来ましたが齢不惑を超えた頃から
「清く・正しく・美しく」の心で子供達を少なくとも私よりも立派になって欲しいと願い指導してきた
つもりなのですが、教育とは難しいものですね〜(笑)
何が正しいのかも正解はないのかも知れませんよね。
例えばレストランに食事に行って、何品か注文して美味しくなかったら、あそこの店は何を食べても
不味いと言いふらすし、その店の常連客は何を食べても美味しいと思っているかも知れないのです。
どちらが正しくて、どちらが間違っていると断言出来ないのではないでしょうか?
例えば私の場合、龍を見たり、実際に神さまを感じたり、幽霊や、死後の世界を体験を通じて信じている
のですが・・全く関心のない人達は、龍が居るはずがない、神や、幽霊や死後の世界も無い、死んだら
終わりで何もないと信じている人はそれも正解で、それ間違っていますとは否定できないのです。
先日の教育テレビで フリーモーガンの時空を超えて「悪は根絶できるのか?」
生後6ヶ月の赤ちゃんに色の違う同じ人形で人助けをする優しい人形と、悪さをする人形のビデオを
見せた後、その二つの人形を持って来て、どちらを選ぶのか?という問題でしたが・・・
全ての赤ちゃんは優しい人形の色を選ぶのです。
生後6ヶ月の赤ちゃんでも善悪が解り、優しい人形が好きなのです。
人間の本能なのでしょうね〜・・・男も女も人に優しく仲良くするというのは・・
生まれた時から、与えられた環境で育って行くのも運命なのでしょうね。
運命とは、男と生まれるのも女として生まれるのも、その親の子として生まれるのも、その土地で
生まれるのも、その環境で生まれるのも選びようのない運命なのです。
いつの間にやら、その環境でガラパゴス化しているのかも知れません。
㊟(ガラパゴス化)
意味は世界標準からかけ離れる・取り残される・・・のような意味で使われます。
大陸から 離れえたガラパゴス諸島のように孤立することの意味で、今では技術等「最適化」が進行して
世界標準の「スマホ」から孤立した日本の携帯電話もガラ系と言い、このガラパゴスから取っています。
その他日本の技術も世界標準から取り残されつつあるようです。
競争から共生へ
日本ではますます人口が減少することが見込まれています。このような社会の中でガラパゴス化現象が
進展することは、日本経済に深刻な影響を及ぼすでしょう。
国内市場の成長が見込めない産業においては、いかに「ガラパゴス化現象」から脱却するかが重要なこと
は言うまでもありません。
日本は独自では生きて行けません。世界とと共生して生きて行くには、世界標準に合わさなければ
ガラパゴス現象化して世界から取り残されるようになると思います。
取り残される・・・ガラパゴス化・・・考え方や生き方にもガラ系があるかも知れませんね。
それを個性と言えるのかも知れませんけど・・・
その個性が正しいとは言えない。
「小松さんは正しいですか?」何かズシンと響くメールを戴きました。
TKさんありがとうございました。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った若い戦国武将「山中幸盛」の、どんな困難でも
乗り越えて、その都度大きく成長してやると言う有名な言葉です。
現在でもこの言葉に励まさせ、困難を乗り切って成功した有名人がどれほどいるのやら・・・
私もこの言葉にあやかり、どんな困難も乗り切ってやろうと思っているのですけど、もう歳だからな〜(笑)
三国志に出てくる有名な老兵「黄中」の老いては益々壮(さかん)なるべし。
も有名な元気づけられる言葉ですよね〜・・・頑張らなくっちゃ(^^)
三国志のビデオより「黄中」(こうちゅう)の一場面です。面白くて何度も見ました。
学校でもこのようなビデオを見せて、子供達の感想や意見を聞くのも面白いと思いますね。
これは教育ドラマだと思いますよ。(四八巻までありますけど)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近多忙のため、ブログを更新する時間すら無いので、更新が遅くなりますけど私は元気で働いて
いますのでご心配なく・・・
では又・・・・管理人。
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お正月開けから悪い事が続き、おみくじで「大凶」を引いたからなのか(笑)
腹立たしいことや不運なことが続き、今年は運が悪いのかな〜と思わずにはいられません。
1月10日には家内が追突事故に遭い、幸い怪我はなかったのですが車は大破し全損となったのですが
保険会社の保証に納得がいかず、「100対0」の全くの被害者なのに何で被害者が辛抱しなければ
いけないのでしょうかね〜・・・納得がいきません。
車の時価額が低すぎて、中古の軽トラを買うほどの保証もしてくれないのですよ。
大事に乗っていた三菱のコルトプラスなのですが、同程度の車を買うのに50万円はするのに
時価額は23.5万円だから、それが限度ですって。
交渉に来た保険会社○○ジャパンも態度が悪く、上から目線でこのような決まりですと、人相の悪い
兄ちゃんがラフな格好で来て、私をにらみつけて淡々とこのような決まりですと、会社の決まりを
淡々と言うから、腹が立ってきて「お前ヤクザか!」上司を連れてこい。と言うと・・・
「私が一番上の責任者です」だって、態度に腹が立ったので写真を撮ってやった。
保険会社とは話にならないので、弁護士に入ってももらい、示談を任せたのですが・・・
法律では、そのように成っているので、たとえ裁判をしても過去の判例では、保険会社の言うように
なりますだって。(中古車を買っても諸経費が22万円いるのに納得出来ません)
弁護士曰く、保険は被害者のために掛けているのではなく、加害者を守る為に掛けているんだって。
だから被害者は泣き寝入りするしかないのが実情のようです。
保険制度が間違っていると思いますけどね〜・・・渋々弁護士の言いなりになりました。
又、本業の方も契約がキャンセルになったり、家賃を払わず逃げたりする人も、責任を負わされたり
自分の後継者として、育てていた息子とも意見が合わなく叱ると、もう辞めるとプィっと出て行くし
これからシーズンで忙しくなるのに、人手不足でブログも書けなくなると思います。
医者には喉にしこりが有り、喉頭癌の可能性もあるから、検査するようにと言われて「癌」の可能性
と脅かされ、15日に精密検査をしたのですが、一応良性で「癌」の疑いは晴れましたが、人間弱いもの
で医者に「癌の可能性」と言われたら、本当に毎日が面白くないですよ。
仕事もトラブル続きで、本当にこれが大凶かと思うくらい面白くないことが続く・・・
そんなときは気分転換に、美味いものを食って、酒を飲みカラオケを歌って気を紛らわして、ストレス
解消しているのですが、まだ気分が晴れませんね〜酒の呑みようが足りないのかも(^^)
毎週木曜日に教育テレビで22時よりモーガン・フリーマンの「時空を超えて」と言う番組を
毎週楽しみにして見ているのですが、今日は「“運”は実在するのか?」
と言う題で、科学的に運を解き明かしていたのですが、楽しく見させて頂きました。
運は心の持ちようでも変わるのですが、運はあるようです。
でも運は平等に割り当てられ、良いときも悪いときもあると言う事なんです。
例えばコインを10回投げて、8回連続表が出ることもあるでしょうが、確率は数パーセント
表に掛けていれば、今日はついていると思ったかも知れませんが、いつまでも続かない。
コインを100回とか1000回投げれば、表と裏の確率は50%に近づくのです。
つまり、運というものは良いことも悪いこともいつまでも続かないと言う事なんです。
(人間万事塞翁が馬)のことわざのように、運は悪いことも良いことも平等にある。
悪い事が続けば、次は良いことが続くぞ、とほくそ笑んで期待していれば良いと言う事です。
テレビで「運命の三女神」のことに少し触れていましたが、簡単に引用すると・・・
人間の運命と寿命は、3人の女神モイライが司っています。モイラとは「割り当て」という意味で、
モイライはその複数形です。
彼女たちは、大神ゼウスと「不変なる掟」女神テミス、あるいは「夜」の女神ニュクスとの子だとする
説があります。
3女神のそれぞれの役割は、
クロトー:運命の糸を紡ぎだす
ラケシス:運命を割り当たる
アトロポス:死の瞬間にその糸を断ち切る
ポール・トゥマン〈運命の三女神〉
神々ですら、彼女たちが下した運命には逆らうことができません。ただ、大神ゼウスだけは彼女たちに
運命の力を与えたとも言われているので、運命を変えることができるようです。
その理由は、
天空の神ウラノス、その子でゼウスの父神クロノスは、それぞれ自分の子に王権を奪われるとの運命があり、
その通りになりました。
ただゼウスだけは、同じように自分の子に王権を奪われると運命にありましたが、プロメテウスとの和解で
その秘密を事前に知り、王権を自分の子に奪われることはなかったからです。
※女神テティスとの子を持つと、その子に王権を奪われる運命があった。
運命の3女神は「ギガトンマキア」(オリンポスの神々と巨人族との戦い)に参戦し、青銅の棍棒で
アグリオスとトオーンという2人の巨人を殺しています。
また、究極の怪物テューポーンをだまして「無常の果実」を食べさせ、怪物の力を奪い、ゼウスの勝利に
貢献ともいわれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
運はそれぞれ良いことも悪いことも平等に割り当てられ、その運を上手に使うのか、下手に使うのかが
決め手なんでしょうね。
私の運の悪さも2月3日の節分まで、本当の新年度は2月4日からです。
「人間万事塞翁が馬」
日曜日から新年度に入り、今まで悪かった分良いことが待ってるぞと、ほくそ笑んで待つことにします。
皆さんも、良いことも悪い事も続かないですから、全て面白い経験だと人生を楽しみましょう。
数歩先を予測しているのと、してないのと随分心の持ち方が違うと思います。
では又・・・・管理人。
しばらく人手不足により忙しくなりそうなので、ブログ更新は長くなるかも知れません。m(_ _)m
コマツ住宅のトラブルと解決ブログに飛びます↓
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正月早々から、面白くないことが少々続き、怒っています。
おみくじで「凶」を引いた性なのかな?(笑)
何故かと言うと、全て人の性にするからです。
今の人は反省をする事を知らないのか?愚痴ばっかり言って・・
一生懸命努力をしているのか?と、言いたくなります。
自分のことを棚に上げて言ってるかも知れませんが、全て自己責任です。
一般的に言うと・・・
仕事が出来ないのも、お金がないのも、病気なのも、試験に落ちるのも、
恋人が出来ないのも、フラれるも、貧乏で苦しむのも、全て自己責任です。
それだけの努力をしたのか?
一生懸命悔いの無いほどの努力をしたのか?
宮本武蔵の「我事に於いて後悔せず」の言葉のように・・・
精一杯のやれるだけの現界までの努力をしたから、これで結果がどうなろうと後悔はしない。
そのような、これ以上は出来ないと言う現界までの努力をしたのか?と言いたくなります。
例えば、試験に落ちても当然のような中途半端な努力で、落ちたからと嘆くな!
中途半端な仕事をして、契約が取れないからとか、給料が安いとか嘆くな!
一生懸命仕事もせず、休日はしっかりと休みを取り、お金がないとか嘆くな!
パチンコやギャンブルで、負けてお金がないとか、貧乏だとか嘆くな!
仕事がないとか、恋人が出来ないとか嘆くな!
その結果の全てに原因があり「自己責任じゃ」
現在のあなたの結果に不満があるのなら、
その原因は自分自身にあるのじゃ!と怒っているのです。
全ての結果には原因があるからです。
試験に通るように神さまにお願いしたのに、お金持ちになるようにお願いしたのに、
宝くじが当たるようにお願いしたのに、自分は不運で不幸な運命だと嘆くなと言いたいのです。
自分が努力もせず他力本願をするのは、大馬鹿野郎です。
今の若い奴らは、一生懸命とか、努力とか、根性とか言うものは教育されてないようです。
学校出て役に立つのは、一生懸命クラブ活動した奴らだけですね〜・・・
誰にでも挨拶はキチッとするし、上下関係をキッチリしているから。気持ちが良い。
学校教育は、言い訳をしたり、理屈で正当化したり、ずる賢く生きる教育なのでしょうかね〜・・
正月早々、色んなことが有り・・・
ほんまに腹が立つ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話をそらしますが・・・
横綱日馬富士問題もそうですよ。
やれ暴力だの、やり過ぎだの、国技に暴力はイカンだとか、ワイワイやってましたが
アホとちゃうか?(大阪弁)と言いたくなります。
だって、相撲は格闘技でしょう?
プロレスだって、柔道だって、空手だって、格闘技と名の付くものは当然だと思いますよ。
昔は柔道でも、落として気を失ったりしたらバケツで水をぶっかけたり、練習にやる気のない
者は、校庭をを走らせたり、竹刀で殴るのは精神棒と言って気合いをたたき込む為のものであって
愛のムチなんですよ。(私も何度か落ちた経験があります)
高校の部活でもそのような事があるのに、相撲のプロでしょう?
端から見ると、可哀想に思うかも知れませんが、そのように鍛えられた体だから、当人はそれほど
のことではなく、当たり前だと思って居るはずです。「郷に入れば郷に従え」なんです。
竹刀で叩くパシッは、音の割にそれほど痛くないですよ。
私も昔、死ぬほどの練習をした経験があり(血を吐くほどの)もっと強くなりたいが為に自分の意志で
鍛錬を積み重ね根性を磨くのです。朝早く起き、神社の階段をウサギ跳びで上がるのです。
毎朝一時間ほど練習をしてから仕事に行くのです。
年老いた今でも、あのような経験をしておいて良かった。若かったから出来た事でも有りますが、本当に
格闘技をやって良かったと思っています。
もしそんな経験が無かったら、今の私はなかったと思いますね。
レスラーも毎日のように、体がボロボロになるほどしごかれ、歯を食いしばって強くなりたいが為に、
根性で練習に励み、気合いで耐えて強くなっていくのです。
相撲も昔からそのような、練習方法なのです。
相撲の稽古場から竹刀を無くす?そんな甘い教育だから外国人力士には負けるのですよ。
鍛錬に鍛錬を重ね鍛えられた体で、思いっきりぶつかって行くので、見る方も面白いのです。
頭と頭でガツーンとぶち当たる気合いは凄いですよ!
リモコンや、ビール瓶で殴られる様なものではないですよ。
ブロックで思いっきり殴られるほどの衝撃があると思います。
だから面白いのであって、お嬢様がするような相撲の稽古で体中、絆創膏や包帯を巻いた体で
気合いの入ってない相撲なんか見たくもありませんね。
プロレスラーは、あばらの骨が折れていようと、試合に出てそこを蹴られても、気合いでこらえ
数十分の長い試合に耐えるのです。漢の根性を見せられるから、見てる方も血湧き肉おどるのです。
レスリングしかり、プロレスしかり、異種格闘技しかり、命を賭けた真剣勝負は固唾を呑んで手の汗を
握りしめて、息を殺して見るものです。
ワーワー・キャーキャーと騒ぐ応援団や、チアガールなどは不要です。
これが漢の格闘技じゃと・・・相撲も格闘技ですよ。
格闘技の世界とスポーツゲームの世界を、ごちゃ混ぜにして、外部がとやかく言うべきではないと思います。
では又・・・・・管理人。
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仕事の方は12月28日から1月5日迄休みを頂きましたが、色々と用事が出来て実際に自由に休めた
のは1月3日と4日だけでした。
例年は、県外へ神社巡り旅行に行ってたのですが数年前から、人混みに疲れるので正月とゴールデン
ウイークは旅行は避けるようにしています。(歳なのですかね〜(^^)
年末は、新居浜の一宮神社へ行ってきました。
高知市から車で一時間半で着きます。
何度かこのブログで紹介もしましたが、数年前に娘が大変ここのお稲荷さんに世話になり
年に、2回ほどは必ずご挨拶に来ています。
神殿も改築されきれいになっていました。この前来たときは工事中でしたがね〜
35000万円掛けて立て替えしたという。本殿確かに立派になっていますね〜
協力なさった氏子さんや、有志の方々に敬意を払い、気持ちばかりのお賽銭を治めました。
ご祭神はオオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)と大雷(おおいかづち)の神
とのことです。
大雷(おおいかづち)??火雷(ほのいかづち)の神のことかな?と思っていたのですが・・
聞いたことがなかったので尚、調べてみると・・・・
古事記では、・・・
頭部 | 大雷神 | おおいかづち |
胸部 | 火雷神 | ほのいかづち |
腹部 | 黒雷神 | くろいかづち |
陰部 | 柝雷神 | さくいかづち |
左手 | 若雷神 | わきいかづち |
右手 | 土雷神 | つちいかづち |
左足 | 鳴雷神 | なるいかづち |
右足 | 伏雷神 | ふしいかづち |
という、八の雷神(やくさのいかづちのかみ)が居るそうです。
私は以前から火雷神と何か関係があるような気がして、あちこち探した事がありましたが
ここが大元だったのですね・・・和銅二年(西暦七〇九年)に祀られたそうなので、もう
1300年以上になりますね〜・・・・
以前からあった像と獅子の霊獣(神使)です。きれいに洗われ取り付けられています。
よほどの名工が彫ったのでしょうね。
このように日本各地の社殿に備え付けられている、霊獣(神使)の種類は109体、霊鳥は40体
とされています。
ルーツは古代エジプトより、スフィンクスと同じように平和を象徴とし、邪気を払う役をしたり
火事の予防や、風水や天文思想から繁栄を願い設置されているそうです。
以前にも説明しましたが、日本の神社には、ほとんどこのような神獣を神使としているのです。
やはり、日本人のルーツはモーゼによりエジプトから戻って、イスラエルのエルサレムに帰って
来たアブラハムの子孫である「ユダヤ一族」が日本人のルーツだと思います。
神のご神体を神輿に乗せ、ワッショイ、ワッショイとイスラエルからやってきたのです。
お祭りには御神輿を担ぎワッショイワッショイと騒ぐのはイスラエルから日本へ、又は東南アジア
を通って日本へ来たルートにしか無いのです。※ワッショイ=神が来た(ヘブライ語)
日本人とユダヤ人は同じ祖であると言う。日ユ道祖論もあります。
神社の鳥居の形も、朱色に塗る方式も古代イスラエルの名残なのです。
(このブログで何度も説明しましたので、これ以上は省きます)
ここに来ると、必ず家内と娘はお世話になった稲荷神社と境内の落ち葉を掃き清めます。
だいぶきれいになりました。
気づいた事は率先して直ぐにする。それが影の修行なのです。
これが終わると、娘と約束の新居浜市のプラネタリウムを見に行きます。
私の影響でしょうかね〜・・・(笑)
娘も子供の時から、星が好きで星の話が好きなのです。
私が星が好きになったのは、ギリシア神話や占星術で星の神話が面白く出てくるからで
その星の下に生まれた人は、その性格と運命があると言うのは、100%ではないにしろ否定は
出来ないと思っています。おおむね当たっているから・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お正月は、氏神様(2社)鎮守様(1社)本宮神社と総氏神様と土佐稲荷神社へ言ったのですが
面白いことに、最後に土佐稲荷へ行ったときに、今年初めてのおみくじを引いたのです。
おみくじは年に1度か2度と決めていますので、今年初めてのおみくじがなんと・・・
「凶」だったのです。
凶を引いたのは生まれて初めてかも知れないですね〜。大笑い・・・
そこには「凶」を引いた方は社務所まで来て下さいとのこと・・・・
何かと思えば、今年の干支「犬」のお守りを頂きました。(笑)
そして夜遅くになりましたが、やっぱり気になるので、いの大国様へ行ってきました。
1月3日の夜9時頃だったかな〜・・夜店も帰り支度をしていて人影もまばらです。
せっかく来たので、おみくじを引く・・「大吉」でした「ほっ。」ここでも凶だったら
ホントに落ち込みますよね。(笑)
無事正月も何事もなく過ごしましたので、これで良かったのかもしれませんね。
明日から平常通りの勤務になります。
今年も、一生懸命働き笑って暮らせるように努力します。
まず、自分が幸せにならないと、人の幸せを願う事なんて出来ませんからね。
自分が強くならないと・・
弱い男の優しさなんて、何の役にも立ちませんからね〜・・・
では又・・・・管理人。
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本年もよろしくお願いいたします。
笑うことは確かに良いことですね。
まず笑うことが「陽」の呼吸になり、体中の毛穴から陽の気を発し陰を寄せ付けないから。
健康は笑うことから始まります。
できるだけ大声で笑いましょう。
アニマル浜口氏の「ワッハッハ・ワッハッハ」「気合いだ・気合いだ」「燃えろ・燃えろ」
は良い教育方法だと思いますね〜・・・
私は人生を楽しむ為に生きていると信じています。
これか先も、人に嫌われぬように、妬まれぬように、必要とされるようにと・・・
命ある限り、色んな体験を楽しみ、こんな私でも世の中の道具となり、役に立つことが出来るならば
私の人生に後悔は無いと信じています。
弱い不惑を超えて・・・・
40才にして迷わずと云う孔子の言葉なのですけど・・
※孔子が晩年に振り返って言ったことば。
(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。
五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、
七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)とあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・
私が弱い不惑を超えて、迷いがなくなったのは60才を超えた頃からだったと思います。
三島由紀夫先生も弱い不惑を超えたのは40才を過ぎてからと云ってましたので、私は20年も遅れています。
三島先生の本に「不道徳教育講座」と云うのがありまして、感心して読んだことを覚えています。
それは「弱い者をいじめるべし」という言葉に感心しました。
ここで云う弱者とは、不具者や病人等やむをえず弱さに生きなければならぬ気の毒な人たちでは
ありません。
それは除外して、別に不具でも病人でもないのに、むやみと、
「私は弱いのです。可哀想な人間です。私をいじめないで下さい」という顔をしたがる人のことに
限定しましょう。
こういう弱者をこそ、われわれは積極的にいじめるべきなのであります。
さア、やつらを笑い、バカにし、徹底的にいじめましょう。・・・と言う話です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の嫌いな事は、例えば風邪をひいて熱があるので仕事休ませて下さい。
とか、痛風になったから休ませて下さいとか言う言葉です。
確かに熱があったり、痛風になれば仕事も出来ないから当然休むべしなのですが、シャーシャーと
簡単に当然のように休む理由を言うから気に入らないのです。
私は昔、料理長をしていて、結婚式の予約や、会食の予約が1ヶ月以上前に入るのですが、その忙しい
時にスタッフが休まれたりしたら、本当に困るのです。
忙しい事を事前に知っているのに、自分が抜けたら皆に迷惑が掛かることを知っているのに、病気を
理由に、悪びれもなく当たり前のように休むのです。
私は、やむを得ず了承はするのですが、病気明けに出勤してくるとそれでも「プロか!」と叱る
のです。
プロなら体調を常に整え、万全な状態で仕事に就くべきで、風邪や睡眠不足や下痢や腹痛で休むなどは
仕事をなめとるんか!と言いたくなります。
例えば子供のような○○隊とかAKBとか、○○クラブなどでも、一人メンバーが掛けると他のメンバー
に迷惑が掛かり、コンサートチケットを買った多くのファンに(遠くから来た人も)迷惑が掛かります。
そんなことを女子供でも知っているのに、体調を崩す事自体がプロではないと叱るのです。
歌手もそうですよね、プロの歌手が風邪を引いて当日に歌えませんなんて、ありえませんよね。
健康管理は自己責任です。私は病気ですので休ませて下さいなんて、それでもプロか!と怒鳴りたく
なりますよね〜・・・
料理人は特に、手の怪我に気を付けます。山に行っても、釣りをしても、手に怪我をしないように手袋を
はめるのが当然ですし、普段から風邪や、自分の健康管理は自分でするのがプロとして当たり前なのです。
それを、病気ですので休みます等というのは、「徹底的にいじめるべし」と思うのです。
それこそ「気合いだ・気合いだ」「燃えろ・燃えろ」は私がアニマル浜口以前に言ってましたね〜(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
正月早々変な話になってスミマセン。
楽しく笑うことは良いことです。
「笑う門には福来たる」いつもニコニコ笑顔でいると、貧乏神や疫病神は逃げていきますよ。
とは言うものの、私たちの教育は男はニタニタ笑うな!歯を見せるな、泣くな、歯を食いしばれとビンタ
された時代ですので、笑顔が苦手なのです。
よくムスっとしているので、取っ付きにくいとか言われますけど、私の友達や私を知っている人達は
話せば、イメージと全然違うね〜と言われます。
血液型は0型なので、一応誰でも受け入れようと努力する性格ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
又本年も、気ままにブログを綴りますので、よろしくお願いいたします。
ブログランキングを楽しみにしています、ワンクリックにご協力下さい。
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(ジュゲムのブログを書いた記事の件数は275件で、もう8年近くなるのですね〜)
気ままにブログを書いているうちに、徐々にブログ訪問者も増えて、現在は月に2万人ほどが
私のブログを見てくれています。(ありがたいことです)
昔のブログを整理していると、こんなことを書いていたのだな〜とか・・・・
下手な文章を反省したりするのですけど、日記のようで楽しいものですね。
昔のブログ記事で、私の好きな思い出のブログがあったのですけど、何故か写真が消えていた
ので、もう一度少し手直しをして再度アップしますので、多くの方に見て貰いたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
(クロの遺書)
今は想像もつかないでしょうけど私、昔は詩の好きな色白の美少年でした。(言論の自由です笑)
何処へ行くにも、よく詩の本を持ち歩いていましたね〜(トイレの中にも)
たしか15〜6才の頃だったと思いますけど、強烈な詩に出会いましてね、一つ紹介します・・・・
山村暮鳥の「いのり」という詩なのですが・・・胸がキューンと、なったのを覚えています。
つりばりぞ
そらよりたれつ
まぼろしの
こがねのうをら
さみしさに
さみしさに
そのはりをのみ・・・
我家のアトリエにいつも置いている昔の下手な作品です(^^)(貼り絵)
私にとって一生忘れてはならない詩なのです。
たったこれだけの短い詩なのに、とても深い想いを感じたのです。
私の解釈では・・・・
魚の世界では、橋の下には空からおいしそうな匂いのする
食べ物が降りてきても、いくら魅力的でも食べてはいけない。
それは、まぼろしの餌で、絶対に食べてはいけない。
それには釣り針が隠されており、食べると人間に釣り上げられ
殺されて食べられてしまうぞ!
と、いう噂が魚たちには知れ渡っていたのです・・・・・・
でも・・・
一匹の魚は自分の恋人か、それともとても大事な人(魚)が・・・
死んでしまいました・・・
さみしくて、さみしくて、・・・さみしくて・・・
毎日さみしくて、つらくて、泣いていたのです・・
こんなにさみしくて、毎日辛いのなら・・・
もう、あのまぼろしの釣り針の付いた餌を食べて
人間に釣られて殺された方がましだと・・
自殺志願でその釣り針を飲み込むと言う詩なのです・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
悲しく、つらい詩ですよね〜・・・
この作者の山村暮鳥の題は「いのり」なのです。
つまり、人間社会に当てはめられた詩で・・・
自殺の詩なのです。
首吊り自殺、ガス自殺、飛び降り自殺、服毒自殺、リストカットなどのように・・・
「いのり」とはこの自殺を早く誰かに早く止めてほしいと言う願い(祈り)なのかも知れません。
この詩を読むたびに、昔のふる〜い記憶がよみがえり胸がキューンとなるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは、確か私が小学校の3年生くらいだったころ・・・
確かクリスマスプレゼントに、伝書鳩が欲しいから買って!と父にせがんでいたので・・・
父は私を自転車の後ろに乗せて、何処かの小鳥屋?へ買いに連れて行ってくれました。
沢山のハトがいたので、ハト専門店だったかな?小鳩の前で父はどれが良い?
僕は雄と雌のつがいがほしいと・・・父はニコッとじゃー好きなのを選びなさいと言ってくれた
ので、・・じゃー雌の中ではあの真っ白なハト、未だひよこで眠っていた。
雄はあの真っ黒なハト。未だヨチヨチ歩きで目が大きく愛嬌たっぷりだったので、心の中で
一番先に決めていた。
家に帰ると、器用な父は2階のやぎりのそばに巣箱を作ってくれた。時々野良猫が来るので、
大丈夫なように大人でも入れるほどの大きな小屋を造りその奥に小さな巣箱を・・・
名前は、シロとクロ。
毎朝、餌と水をやり、学校から帰るとすぐにシロとクロの所へ行き遊ぶのが日課だった。
父に(つがい)だから、子供出来るよね?・・・
未だ子供だからすぐには出来ないけど、そのうちに沢山の子供が出来ると思うよ・・・
僕楽しみだな〜・・・
やがてシロもクロも大きくなり、シロ〜と呼べばシロが私の肩に、クロ〜と呼べばクロが私の手や、
頭に乗る。私を親と思っているのかクックー、クックーと甘えたように鳴くシロとクロだった。
餌は乾燥トウモロコシを細かく割ったようなもの。
その餌を口に含み、鳩小屋の中に入るとクロもシロもバタバタと私の肩に止まり私の口にくちばしを
奥まで突っ込み餌を取る。
とても可愛いい、甘えん坊のシロとクロだった。
シロもクロも立派な大人になり、学校から帰ると、シロとクロを巣から出し餌をやり、大空へ放す。
シロもクロも元気よくバタバタと音を立て大空高く、そしてしばらく家の回りを大きく数回グルグルと
旋回し、仲良く2羽は見えなくなるほど遠くまで飛んで行く・・空からも私が見えるのかな〜
あんなに飛べたら楽しいだろうな〜とか想う、必ず1時間ほどで帰ってくる。
その間、2階のやぎりの上で寝転がって、踊るように姿形を変える雲を楽しみながらシロとクロの
帰りを待つ。
そんな日々が楽しかった・・・
でもある日、大事件が起きたのです・・・・
いつの日か学校から帰り、いつものようにシロとクロを空に放し、いつものように家の廻りをグルグルと
楽しそうに旋回している時、突然!パーンと空気銃の音が・・・・
アッ!シロが撃たれた!シロがバタバタしながら落ちていく、クロが急旋回してシロの下の方へ行き、
クロが背中にシロを乗せた!必死に家の方に羽根をあおいで帰ろうとするクロ。
がんばれ〜!クロ〜 クロ〜
家の付近まで帰ってきたが、とうとうクロは疲れたのかシロと一緒に何処かへ落ちてしまった・・・・
私は走って、クロ〜・・シロー〜・・と、落ちた付近を必死に泣きながら探した。
だけど、とうとう見つからなかった・・・・
この日の事件は偶然、家族全員が見ていたので、近所の人も皆一緒に探したけどクロが見つからない。
暗くなったのに・・・・とうとうクロは帰ってこなかった。・・・
あくる日の朝、小屋を見るとクロが一人で帰っていた。
クロ、大丈夫だった?と声をかけると、悲しそうにグゥーグゥー・・・と鳴く。
それから、クロは餌を食べなくなり、水も飲まない・・・
外に放してやっても、飛んで行かない・・・・
よほど辛かったのか目を閉じて、じっとしているるだけ・・・
何日かたっても餌も水も飲まないので、クロ食べないと死ぬよ、お願いだから食べて!
と祈るように言ってもグゥーと鳴くだけ・・・
クロの艶やかな羽根は色あせ、体は毛がふくれて腫れたように、普段なら簡単に抱っこさせるのに
手をさしのべても、よちよちと逃げてしまう。
よほど悲しく辛かったのでしょう・・時々目を開けては、あのいかがわしい空を見つめて
外に出て行こうともしない。
早く餌を食べて元気になってよ、祈るように餌を差し出すけど目をつぶって食べようとしない・・・
5日目の朝、クロはノラ猫に殺されて、食べられ死んでいた。
ウワァ〜何で?何で?何で〜?・・ウワァ〜・・・・
私は無残なクロの死体を抱きしめて、泣きながらいつまでも立ちすくんでいた。
死んだ場所は、いつもの奥の巣の中ではなく、小屋の入り口で・・・
猫に殺られて死んでいたのです。
クロ〜・・・何でノラ猫に殺られるような所へ行ったの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いのり」の詩を初めて読んだとき・・・
クロを抱き、止めどなく涙が流れた、とても悲しい小学3年の事件を思い出したのです・・・・
それからというもの、「いのり」の詩を読む度にクロのことを思い出すのです。
(クロの遺書)
猫の眼ぞ
恐怖の爪に
近寄りて
愛耐えかねて
さみしさに
さみしさに
この身をゆだね
ークロー
私の父は、この事件がきっかけで伝書鳩が好きになり、沢山の伝書鳩を飼うようになりました。
一時は多分200羽以上居たと思います。県外からも多くの方が買いに来ていたことを覚えています。
伝書鳩は人間以上に情が深く、家族や子供に対しての愛情は凄いですよ。
最近伝書鳩の夫婦愛にも劣る、うすっぺらな夫婦や家族、兄弟もよく見受けられますね〜・・・
人間が伝書鳩にすら負けているんですよ、情けないと思いませんか〜
親が子を殺したり、子が親を殺したり、身内同士で憎しみ合い、簡単に離婚したり・・・
この世の中、教育が間違っていると思いませんか〜・・・
私が子供達や、皆にいつも言う事は・・・
全ての人は皆、幸せになりたいのです。
でも幸せとは、10人十色、100人100様、それぞれ人により幸せが違うのです。
例えば、お金持ちになりたい・毎日美味しい物を食べたい・世界旅行をしたい・健康でいたい
音楽にどっぷりはまりたい・毎日釣りをしたい・異性にモテたい・野球をしたい・神社巡りをしたい等
人により、それぞれ幸せの定義や目的が違うのです。
しかし・・・・
何が1番不幸せですか?と聞けば皆、世界中共通だと思いますよ。
世界中の人に、共通の、1番不幸せとは?・・・何だと思いますか?
それは・・・・
自分を必要としてくれないことなのです。
家族が、学校で、職場で、友達が、チームが、世間が、恋人が・・・
自分を必要としなくなったら、つまはじきにされたら・・・・
一番寂しく、悲しく、不幸ではないでしょうか?
・・・・・・・・・
だから不幸せになりたくなかったら、人に必要とされるように努力することなのです。
家族に、学校で、友人に、愛する人に・・必要とされるように努力をする事が大事なのです。
人は・・・
不満の無い人なんて、一人もいないのです。
皆不満を持っているのですけど、不満や辛抱や我慢は出来るのですけど
自分を必要としてくれる人がいなくなったら、死にたくなるのではないでしょうか?
自殺する人の心境もそのような気持ちだと思います。
この純真なクロの話も、クロにとっては世界中でシロと二羽だけの世界だったのです。
その自分を必要としてくれる愛するシロが死んでしまったから、やりきれなくなり
死を選んだのだと思います。
だから・・・
寂しがっている人、悲しんでいる人、自殺を考えている人は、必要とされてない
可哀想な人なのです、必要としてあげる優しい心が愛だと思うのです。
それがマリアさまであったり、神さまであるのだと思います。
私は・・・・
貧乏だけれど、いつも幸せを感じていますよ。多くの友が私を必要としてくれてるから
です。だからブログにコメントを頂くだけで、とても幸せな気持ちになるのです。
私は幸せものなんですよ。健康で、自由で、私を必要としてくれる多くの友がいて・・・
人生とは、欲望を満たすことより、健康で長生きして「喜怒哀楽」を勉強として楽しみ
思い出をいっぱい作り、悔いの無い人生を楽しみたいと思っています。
降り注ぐ太陽の暖かさ、風が運ぶ自然の香り、季節に咲く草花、美味しい食べ物と酒、
健康で生きている限り、楽しいことはいっぱいあります。
神さまに修行をしてこいと、魂と肉体を授かりこの世に生まれて来ているのです。
神に与えられた寿命を全うしない自殺は、脱走行為になるのでその罪は重たいですよ。
では又・・・管理人。
神社・仏閣ランキング
↓はコマツ住宅のトラブル相談に飛びます
]]>何故こんなに短く感じるのでしょうか? さほど短く感じない人もいますよね。
世界中の全ての人間には平等に1日は24時間となっているはずなのに、時間を無駄に使う人と、
時間を上手に使う人との差なのでしょうかね?
時間の使い方の悪い人が短く感じ、上手に使う人が長く感じるのだ、時間を使う要領が悪いから
短く感じるのだと解釈していたのですけど・・それも疑問に思います。
以前、このブログに書いたことがありましたが、私は神さまに「時空を超えよ」と言われたこと
がありました。(本当です)
えぇ〜?そんなの出来ませんと言うと、お前なら出来るはずじゃ修行しろと言われたのです。
それから時空など超えたことがありません。(修行不足ですね)
しかし過去に2回ほど超えたことがあるかも知れません。
2回共、呼ばれるように伊勢神宮に飛んだのですけど、肉体では無く魂が飛んだのです。
不思議な事に体は家にいるのに、現在の伊勢が見えるのです伊勢神宮の空気、風、木の葉の動きが
感じるのです。
内宮の御幌の前に立ち、(※御幌(みとばり)とは白い布(垂れ幕)のこと)そこから中へ入ろうと
するけど入れないのです、家内が後ろから入って!と言うがどうしても足が上がらないのです、
風よ吹けと念じるのですが 御幌(みとばり)は微動だにせず・・・
未だ入れないのかと諦めたことが2回あります。
それが、時空を超えると言うことなのかなと思います。私が出来たのは2回のみでそれ以外は経験
ないです(未熟者ですね〜)
今思えば亡くなった先生はいつでも時空を超えていました。
良く相談者が来て悪い事が起きるのですけど何でしょうか?と訪ねると、先生はしばらく手を合わし、
フ〜と息を吐きながら手を広げると、その相談者の先祖が見えるらしく、先生が知るはずの無い
墓地の風景とお墓の状態とかが見えるらしく、墓の後ろの崖が崩れお墓が傾いているとか、何番目の
お墓の上に大きな木の枝が被さり水がそのお墓の上にポタポタと落ちているので切りなさいとか
見えるようにハッキリ言うし、又先祖がどのような死に方をしたのかもズバズバと言うので皆
ビックリしていましたね。
私は、時空を超えることは絶対にあり得ると思っています。
今、NHK教育テレビ(Eテレ)で木曜日22:00〜22:45分までモーガン・フリーマンの時空を超えて
と言う番組をやっています。
興味のある方は見て下さい面白いですよ。次回は12月21日(木)「宇宙人は地球にいるのか」を
放送予定です。
それと時空を超えた事件と言えば「サンチアゴ航空513便事件」が有名ですね。
35年前に消息不明になった旅客機が突然ブラジルの空港に現れ強行着陸したので管制塔がパニックに
なった事が新聞沙汰になった事件です。
1989年10月12日のこと、強行着陸した旅客機の乗客の救助のため機内に入ると、乗員乗客92名全員が
白骨化した遺体となっており、操縦席のパイロットも白骨になっていたと言う記事なのです。
後からこれはトリックだと言う輩も色々出てきましたが、トリックでこんな危険を侵してまでする
でしょうか?
管制塔や多くの見物人や新聞記事までなったのに、あり得ないと、もみ消されてしまったのです。
↓私はあり得ることだと信じていますけど・・・
http://kijidasu.com/?p=2523
ブラックホールが科学の力で完全に解明できれば、時空を超える事も証明できるかも知れませんね。
光さえも飲み込み閉じ込めるブラックホールは、人工で出来るそうですが科学で証明されても私のような
凡人には意味解らないと思いますよ。(笑)
では又・・・・管理人。
出来れば下をクリックお願いします。
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]]>霊能者であることを商売にして、あなたには悪霊が憑いているとか、生き霊が憑いているから、その
ために病気が治らないとか、悪い事が続いているでしょうとか、不安をあおり、その揚げ句不当な
金額を要求するのです。
私、全然霊感がないんです。と言う人もいますがそんなことはないのです。
皆、霊感を持っていますよ。強いか弱いかだけで、全く霊感のない人は居ないと思います
けどね〜・・・・本物の霊能者も勿論居ます。
霊感の弱い霊能者は一人も居ないはずです。霊感が弱い人も、ある程度修行すれば、そこそこは
霊感が強くなりますが、それ以上はいくら毎日修行してもさほど上達はしません。
素質とは、持って生まれたセンスなのです。遺伝、もしくは先祖の影響力によって知らず知らず
のうちに備わるものなので、修行ではさほど身につくものでは無いと思います。
例えば作曲や、美術、書道、歌手・・・等も「天の才」がある人は子供の頃からその才能があり、
他の人とは全く違う要素を持っているのです。
坊主であろうが、神主であろうが才能のないものがいくら努力しても才能のある物には叶わない
のです。知識だけの頭でっかちの理屈は言えるでしょうけどね〜。
つまり霊感とか霊能とか言うものは、自分一人の力では無く、神やご先祖の影響力が強いのです。
だから、それを商売にするのは邪道だと思うのです。神社仏閣も感謝のお賽銭で良いのですから。
神様は困っている人を助けるアドバイスをするのに、金を持ってこいとは言いませんよ。
でも神様にお願いして、願いが叶ったならお礼をするのが礼儀でしょう。
お酒(一升か二升)もしくは心のこもったお金で感謝を表せば、神様は解ってくれると思います。
お願いだけして、願いが叶ったなら知らんぷりは失礼だと思いますね。
男神は結構お酒の好きな神様が居ますよ。
※毎日神様の前では正装して、礼儀正しく真面目に祝詞を挙げる神主さんや、坊さんでも才能が
無ければ、「天の才」のある人には叶いません。
伏見稲荷神社の鳥居は、願いが叶った人が奉納しています。 6号サイズ(柱の直径18?)で383,000円
〜で10号サイズで1,302,000円〜だそうです。 http://inari.jp/gotinza1300/index.html
私のパソコンの壁紙も伏見稲荷の千本杉です。
奉納場所にもより金額が違い、千本鳥居が一等地だそうですよ。
(ちなみに古くなった鳥居から順次撤去され、新しい鳥居が建つのですが、希望者が多く順番待ちだとか)
それだけ願いを叶えて居るんでしょうね。・・・・少し話がそれましたが、偽霊能者に大金を
だまし取られた事例を良く聞きます。
本物は神の力を借りて、人助けをする役を命じられていますので、大金は請求しません。
交通費とか、経費とか気持ちだけのお礼の意味で(1万円〜5万円)以上は取り過ぎだと思います
けどね〜 ・・・
本物は口下手で、偽物は口が上手と言っても良いのかも知れません。(営業力があるのです)
偽物とは言えないかも知れないですが、中途半端の霊能者もいます。それが一番やっかいなのです。
確かに少々力は持っていますが、それを誇示し中途半端に除霊や降霊をしてしまうと、良い 霊を怒らせたり、
返って災いがひどくなる場合があります。
それで直りました良かったですねと、大金を請求されてハイさよならと、云う例も多々ありますね。
かく云う私も、中途半端の未熟者なので自分に憑いた除霊は自己の責任で行いますが、他人には絶対しません。
力の強い霊能者は何故か女性に多いのです。そして目に障害を持っている方が多いように思います。
勿論例外もありますが、今まで出会った人がそうだったのです。
男は邪心が強いのでしょうかね〜?(笑)何処の宗教団体の教祖さまも女性が多いです。
そもそも霊能者とは何ぞや?
霊能者とは・・
持って生まれた才能を神さまに認められ「神様の道具」として大事な使命を与えられているのです。
神様のお使いみたいな者です。
だから邪心があるのは御法度で、本物の神のお使いは人を助けるために神の教えや御心を伝えるはず
なのです。
だから、それを商売にする事自体が信じられませんね。
でも、手相、人相占い、占星術、姓名判断などは、神様事では無く数百年、数千年という統計学なので
それを勉強して商売にするのなら解りますけど・・・
本来、神様自身はあまり人の為には働きません。働いて動いてくれるのは神に仕える眷属さんなのです。
その災いの原因や、霊や眷属さんを助けたり、伝えるのが霊能者だと思うのですけどね。
霊は自分のことを良く解ってくれる霊能者を頼り集まってきます。それを怖がってはいけませんよね。
霊が集まれば霊道が出来ます、幽霊の通る道です。
大きな霊道は昔からあまり変わらないと思いますが、昔墓地だったり、処刑場だったり、そして低い土地で
地下に水脈があったりするところに霊道があるように思います。
霊道は幽霊が成仏したくてゾロゾロと神様のところへ行くのですが、霊道の通り道にベットがあったり
すれば金縛りに遭ったり、変なものが見えたり、聞こえたり嫌な思いをするんですよね。
霊道の通り道を大きく変えることは出来ませんが、少しずらすことは出来るようです。
私は出来ませんけど・・・
霊道の近くに霊感の強い人がいれば、数体の幽霊は道をそれて、助けを求めに来るようです。
霊感の強い人が霊道のそばに居れば、とても疲れると思いますよ。
以前の私がそれで、毎日とても疲れていましたが、先生にお願いして感じないようにして貰ったのです。
少しは自分でコントロール出来るようには成っていたのですが、それでも疲れますよ。
※山の近い低い土地は、山の鳥や狸、犬、狐など昔から何百年と云う年月から死骸が流され低い土地に
骨が溜まり、沢山の動物霊が集まっている所もあります。
(気づくか気づかないかで、あまり関係ないと思うかも知れませんが、決して良い土地ではありません)
インチキ霊能者は、人の弱みに付け入って言葉巧みに除霊の話を持ってきますけど、引っかからない
ように気を付けて下さいね。
勿論、本物の力のある霊能者もいます。3%位でしょうかね〜・・・高額な請求はしないと思います。
本物でも、テレビに出たりして大きくお金を稼ぐと、力がなくなるようです。
本来の「神様の道具」ではなくなるからでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では又・・・・・管理人。
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高知市から北東へ195号線を車で約一時間半そこから林道へ入り狭い道を約6?ほど走ると
この小松神社の鳥居が見えます。
ここから、狭い373段の石段を下りていきます。下りる時は良いのですが、登りは毎年
死ぬ思いで上がってきます。何度も休憩をしては上がるのですが、上がってきたときは
足ガクガクで、しばらく休憩しないと車の運転すら出来ない状態です。(笑)
こんなキツイお参りあと何年出来るかな〜と、いつも思うのですが、今年は違いますよ。
ダイエットをして、昨年より10kほど軽くなっているので、楽なこと・・・
休憩もせずに、サッサと上がってきました。息切れは、めちゃくちゃしてますけど(笑)
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私より年上の年配者が沢山いるので、皆偉いな〜とつくづく思います。
平家の小松の家紋です。
お昼前に着いたのですが、未だ参拝者は少なくまばら状態でした。
以前はこの時間になると、沢山の参拝者でごった返していましたが、毎年少なくなってくるような
気がします。
今年は、特に少なく寂しい限りです・・・
私も40年ほど前から、ここへ時々来るのですけど、先祖神だから困ったときや、お願い事はここの
神様が一番言いやすいし、唯一甘えることの出来る神様なのです。
徐々にお年寄りが少なくなるのは、やむを得ないですけど、後を継いでくれる若い人が少ないのは
寂しいですね。
最近の若者は、先祖神やお墓参りもあまりしなくなったようです。
これも、学校教育や、親の影響ではないでしょうか?
我が家では、お彼岸の墓参りは必ず子供が赤ん坊の時から、蚊に刺されても連れて行ってたので、
墓参りは当たり前のように、県外から帰ってきたら一人でも行っています。
就職や、入学時もお墓に報告します。関係ない?・・かも知れませんが、その心が大事なのです。
子は親の背中を見て育つと言います。
3人の不出来な息子や娘も、墓参りと神社参りは私が誘わなくとも、子供達の方からいつ行く?と
誘われるようになり、ご先祖や神様ごとは一人前になりつつあります。
本来ならこの南側が社殿の入り口でしょうけど、南側から山を上がってくる人は誰もいません。
舟形の手水舎で、ここで手は洗いませんが榊を水につけて、体を祓い清めます。
舟形の意味は、白鳳地震の時に(684年:記録では日本最大級の地震)須崎市の黒田郷(須崎唯一の港町)
が海の底に沈みました。85k平方メートル(約、東京ドーム18.2個分)一つの街が海に沈んだのです。
その後、船でプカプカとご神体が安芸市の浜に流れ着いたのを、春婆という人が見つけ山伝いに物部の
ここまで背負ってきたと言う伝説があります。ここのご神体は船に乗って来たと言う証でしょうか?
ご祭神は不詳なのですが、「天御中主神」とあります。
とてつもなく偉い神様のパワーがあると、誰もが感じるようです。
私的には、ニギハヤヒではないかと想像するのですけど、解りません。
平家の落人がここで偶然この神に出会い、小松氏の祖?を祀り、小松神社としして拝司するようになった
のではと、想像します。
安芸市周辺から、この物部村付近も小松姓が特に多いのも、平家の落人伝説に繋がります。
13:30ごろ・・少しだけ人も増えました。
地元の小松神社の会の方達の心のこもったお寿司や、天ぷら、お菓子、果物などを食べながら
先祖神の前で、久し振りに見る顔見知りの人達と会話するのです。
お墓の前でもそうですけど、神社の前でも子孫の元気な姿をみて、食べて呑んでゆっくりして
してくれる方が、先祖や神様が喜んでくれると言う言い伝えがあります。
今回とても気になった、左側にある吽像。何かを語りかけてくる・・・・
行くな??と家内は聞いたようであるが、意味分からん?
集中して何か聞こうと努力すると・・・X★□○★△何かをいっているが聞き取れない
感じとしては、強い口調で怒っているような・・・
しばらく意味分からず聞いていて、よし解った解ったと言うと、優しい表情になった。
神社の詰所でそば粉をこねて、そば餅を作っています。
このお餅を神様に供え、後で参拝者に配られます。
平家と言えば「そば」落人が、何処でも簡単に栽培で来るのが蕎麦なので、何処の平家部落
でも「平家そば」「平家汁」「平家饅頭」等とソバ粉を使ったおもてなし料理があります。
戴いたそば餅です。
一個を5つくらいに切って鶏肉や、野菜と煮て食べる平家汁が好きです。
今回は、少し寒かったのですが、良い新嘗祭になりました。
今年もあと40日足らずになりましたね、あと一踏ん張りをして今年を良い年にしたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
では又・・・・管理人。
不動産トラブルと解決方法に飛びます↓です。
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