平成から令和に・・・即位の礼に想うこと

  • 2019.04.26 Friday
  • 19:18

もうすぐ新元号が「令和」に変わります。今回も目線を変えて別の角度から書いてみます。

今上陛下様お疲れ様でした。85歳というご高齢でありながら、毎朝5時に起床して5時半

には、先祖神の祈りから始まり、国の平和、国民の幸せを願ってくれてるそうです。

8時から朝食が始まり、9時半から5時まで山のような公務を分刻みでこなしているそう

ですが、85歳という高齢でありながら、頭が下がります。

美智子様は、皇室の仕事は国民全てが幸せであるように願い、祈る。のが勤めだとおっしゃ

ってましたね。どれだけの国民が天皇陛下の有り難さを知っているのやら・・・

天皇陛下の仕事内容や、有り難さを学校教育でもっと教えるべきだと思いますけどね。

天皇陛下も75歳とかの定年制にしないと可哀想にさえ思います。

本来天皇と言えば神の子、半神半人だったので古代天皇の寿命も長かったからでしょうね。

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と、天皇はずらりと100歳超えが多いのです。

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ちなみに、アダムは930歳、アダムとイブの子セツは912歳、ノアは950歳、と半神半人は長寿なのです。

 

現在は天皇も125代にもなるので、もう半神半人ではなく、普通の人間なのです。

だから定年制にするべきだと思いますけどね〜・・・一般国民の私の声(^^)

何故、半神半人から普通の人間になったのか?という疑問が残ります。

それはズバリ日本の歴史上、最大で、最悪の大悪党「源義経」のせいではないでしょうか?

(源義経像)(幼名:牛若丸)

 

初代神武天皇は「浦島太郎伝記」に現れます。

浦島太郎とは、アマテラスの孫ニニギの息子で「山幸彦」のことであり、竜宮城へ行った時に

出会った乙姫様とは「豊玉姫」のことです。

豊玉姫は、海神の神(わたつみのかみ)の娘で実は龍の化身なのです。

二人は結ばれて、子供を産むのですが、子供を産むときに正体を見破られ豊玉姫は姿を恥じて

竜宮に帰ってしまう。その赤子の名前はウガヤフキアエズと言う。(農業と漁業の神となる)

豊玉姫の妹「玉依姫」(たまよりひめ)はその赤子がふびんに思い、竜宮から乳を飲ましに通う。

子供はやがて大きくなり、その玉依姫と結ばれて姫は4人の子供を産む。その一人が神武天皇に

なるのです。だから、初代神武天皇はニニギの、ひ孫で母は龍神と言う事になりますね。

山幸彦が竜宮城から貰ってきた「玉手箱」の中に入っていたのが三種の神器の一つ「勾玉」

なのです。その本物が皇居にあるのです。「歴代天皇も箱の中を見たことがないそう」です。

かつて見ようとした天皇と神官がいたそうですが、開けようとすると中から煙が出てきて

怖くなって蓋を閉めたと言う記述があります。神官の方は病気になったとか・・・・

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三種の神器の二つめは八咫鏡です。現在伊勢神宮に奉ってるそうですが、レプリカかも

知れません。誰も見たことがないそうですが昔、戦時中に将校が見たことがあるとか、写真を

撮ったとか噂がありますが、どれが真実か分かりません。

 

私の想像するには多分、八角形の方が本当のように思います。

何故なら、八咫鏡、八咫烏、八尺瓊勾玉、のように「ヤ」と発音するのは「神様」という含みを持ってます。

古代ユダヤ語(ヘブライ語)でヤッホーもヤーレンソーランも、八八箇所巡り、八重(神を重ねる意味)

ヤハウェ等、「ヤ」の発音には神を連想させる含みがあります。八咫鏡(やあたのかがみ)の「咫」あたは

長さを測る単位と角度を測る単位に使われます。咫とは人差し指と中指を開いた角度で45°です。

それが八つで八角形になりますよね。風水でも縁起の良い鏡として八角鏡を吉としています。

だから、八咫鏡は八角形の方が正しいと思うのです。

余談ですが・・・・

昔は身体を基準にして、単位を決めていました。例えば一間(イッケン)一寸、一尺、一尋(ひとひろ)等と・・

建築業者や不動産業者は、現在でも大体この尺貫法を使います。一間=柱と柱の間。

一間は約、両手を広げた長さ(182センチ)畳の長い方ですね。短い方が半間となり(91センチ)

大体ドアが半間で、窓が一間ですね。1間×1間=畳2枚分で一坪となります。

一尋は一間と同じ測り方なのですが、海の深さを測ったり、釣りの時浮下を一尋とか一尋半とか言いますね。

一寸が指2本(約です、人により違う)一尺は肘から拳固まで、のように昔は大体、体の一部を使って

長さや、広さ、角度を決めていたようです。ピースサインが45°(昔は咫と呼ぶ)45°が8つで八咫、だから

八角形の八咫鏡となるのです。又、咫の単位は長さにも使われていたようです。

風水でも、八角形の鏡が縁起が良いとされています。(自宅には八角形の掛け時計があります)

(※長さを計る時は八寸を1咫(18センチ)と呼び、八咫烏は144センチとなる。咫は中国の単位とのこと)

又一握りを半咫、二握りで1咫、と握って長さを測ったようです。

マグロの解体魚を買うときは、指4本を当てて(1タキ:ヒトタキ、フタタキ、ミタキ)と数えて切ります。

土佐の皿鉢の刺身の場合は普通3タキを使い、握りの長さが1タキです。

神話に登場する十握剣(とづかのつるぎ)は十握の長さがあったので、そう呼ばれたのですが五咫ですね。

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三種の神器の最後は、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)又は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)ともいう。

スサノオが八岐大蛇を退治したときに、尻尾から出てきた剣で、後に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

が譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いた

とき帯刀していたことから予定調和の剣とされる。静岡県「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことによる

地名なのです。このことから草薙剣と呼ばれたとあります。

勿論全部レプリカ(偽物)です。

剣璽等承継の儀  昭和六十四年一月七日

天皇皇位継承の一番最初の大事なことは、三種の神器を一カ所に集め天皇としての皇位を受け継ぐ

ことを天照大神に報告し、認可して貰って天皇となるのです。

今年の5月1日に即位の礼がこのように行われます。(天皇即位の日として祝日となる)

今上天皇の皇位を継承したと言う「おことば」があり、即位を内外に宣明し、日本国民総合の

象徴としての勤めを果たすことを誓う・・・・等と読み上げ、日本との交流国195カ国の代表を

招待し接待されると思います。その諸々の費用は80億円とか・・・

そして、10月22日に(即位礼正殿の儀)があり、今年に限り祝日となります。

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私の思う問題は、天皇継承は初代から今度126代目を継承されるのですが、天皇継承の儀には

必ず三種の神器を揃えるのですが、81代安徳天皇以降から本物の三種の神器は揃わず、一部

レプリカとなっています。

それは、全て源義経の性なのです。

源平合戦で平家が敗れたのは、義経にしてやられたのです。

源氏の総大将、源頼朝は平家討伐を弟の義経に任せ、武士による鎌倉幕府を開いた人物ですが

弟の義経は、勝つためなら手段を選ばずと言う考えだったので、卑劣な戦法を取った。

当時武将が戦うときは、「我は○○の何ベエである」と姓名を明らかにして、正々堂々と戦う

のが武士の戦いのルールであり、礼儀作法であったのだが、夜襲をかけたり敵陣の後ろの山に回り込

山から馬で駆け下り、不意を突いた戦法であった。「将を射るなら馬を射よ」と弓で馬を射って

落馬させてから将を槍で突いたり、平氏にすれば信じられない戦法で負けたのです。

最後に壇ノ浦で、平家は船の先に日の丸扇子を掲げ、この扇に見事射る者が源氏にいるのなら

平家は負けを認めようと宣言したのですが、見事に源氏の那須与一に射たれるのです。

そして、平家は武士らしく約束を守り、負けを認め退却するのです。

(那須与一に日の丸の扇を射たれる。その扇が小松家の家紋です。)

その際に、安徳天皇を守っていた平家の家臣と女官の付き人数名が、安徳様この海の底には綺麗な都が

あります、そこへ行きましょうと安徳天皇を抱きかかえて海に飛び込むのです。

その時に、三種の神器共々かかえて海に入水したので、三種の神器は行方不明になったのです。

後から桐の箱に入った勾玉は浮かび上がって来たので、確保したようですが、八咫鏡と草薙の剣は

見つからず行方不明なのです。

数ヶ月か数年後、海の底から錆びた八咫鏡を拾い上げ、伊勢神宮に祀って居るとのことですが、本物

か偽物かは分かりません。(現在は本物として扱っていますが)

後から分かったことなのですが、安徳天皇は生きていました。入水したのは安徳天皇の身代わりと

なった家臣の6歳の女の子だったとあります。

安徳天皇は、草薙剣と共に平家の家臣に守られ山伝いに逃げて、高知県越知町の横倉山で23歳まで

生存していたことが分かっています。

でも、草薙剣は見つかっておりません。何処に隠したのか?外国からも沢山の学者達が来たようです

が、四国の何処かにあるように思うんですけどね〜・・・

 

敵を騙すには味方から、平家は多くの味方をも欺き、身代わりとなった安徳天皇に、海の底には美しい

都があるとさとし、抱きかかえて入水する。それを見た多くの家臣と女官も次々と後を追う。

海の底には都があったのだろうか?

その後、壇ノ浦付近ではカニの甲羅が人面となったカニが沢山発見された、それを平家蟹と言う。

今でもその付近では平家蟹が沢山生息しているようです。

可哀想に、私達平家の先祖は蟹になってしまった。国は謝罪と補償はしてくれないのか〜・・(笑)

美味いかも知れないが、誰も食うな〜!と言いたい。

平家に勝った義経達はやりたい放題。武士が中心となった政治を始めたのです。「鎌倉幕府」です。

1192年は、いい国作ろう鎌倉幕府と覚えさせられたのですが、本当にいい国になったのでしょうか?

疑問に思います。「勝てば官軍、負ければ賊軍」死人に口なし、義経は英雄となったのです。

勝った方が正義で、何でも勝った方に従うのが政治なのです。(選挙もそうですよね)

平清盛の弟、「平時忠」の有名な言葉がありますね。「平家にあらずんば人にあらず」と・・

人にあらずとは・・(人でなしのこと)

平家は礼儀と、武士道精神を重んじ厳しかったようですが、頼朝はそれが嫌いだったようです。

しかし、頼朝は戦に勝ったとはいえ、弟の義経の卑劣なやり方が気に入らなかったのです。

まして、安徳天皇を奪うことが出来ず、追い詰めて殺してしまった。

そして何よりも大事な三種の神器を行方不明にしたことにより、激怒し義経を追放したのです。

そして義経は行方不明です、墓は二つあるのですが骨は入ってないのです。

モンゴルへ行ったとかの説もある。

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安徳天皇以降、82代後鳥羽天皇から神器なき天皇継承となったのです。又源氏が勝ったことにより

天皇の血筋が二つに分かれて、殺されたりややこしいことになりますね。(この辺りは分からない)

三種の神器の内、2つは無くしてしまいましたが、(八咫鏡は本物かも知れない)取り返しの

つかないことを悔いても仕方ないので、現在はレプリカを作成して鏡は伊勢神宮に、草薙の剣は

熱田神宮にレプリカともいえど、本物扱いをして誰の目にも触れないように保管しているのです。

「剣璽等承継の儀」の際にはその二つを皇居に運び、皇居に保存の勾玉(玉手箱)を揃えて

天照大神様に、日本国天皇としての皇位継承を承認して貰うのです。 

神の血筋も、一般人と結婚することにより段々と薄くなり、今では一般人と同じでしょう。

でも、血筋は継がなくとも、神の魂の「魂筋」は皇室の誰かが受け継いでいると思います。

いや一般人にいるかも知れませんよ。私はそのように感じています。

 

長くなりましたが、後4日で元号が代わり令和となります。

天皇家、皇室は血筋は薄くなろうとも、神道の教育は徹底してると思います。

先祖は神様だから、神に仕え日夜、国民の平和と幸せを祈っておられるのです。

感謝しなければ・・・・そのような感謝をする教育をして欲しいですね〜・・

 

只、歴代天皇、皇室の中に一人だけ仏式で葬儀を行った愚かな天皇の子がいましたね。

それは英雄となり誰もが知っている人「聖徳太子」なのです。歴史の英雄はあてにならない。

何度もブログに取り上げたので、もう書くのはやめます。

もし宜しかったら、グーグル・ヤフー等で(コマツ住宅の聖徳太子)と検索してみて下さい。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」勝ちさえすれば歴史なんでどうにでも変えられたのです。

 

では又・・・管理人。


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