11月23日は小松神社の大祭です。

  • 2018.11.28 Wednesday
  • 15:15

今年も小松神社のお祭りに行って来ました。

特別な用事のない限りは毎年、11月23日は行くようにしています。

小松のご先祖様をお祀りしている、子孫の小松姓を名乗る私たちにとっては大事な行事なのです。

若い時は、それほどにも思わなかったのですが、私の尊敬する先生から、小松さんは小松神社が

大元なので、小松神社を大事にするようにと云われ、何か困ったことや相談するなら小松神社

が良いでしょうと教えられました。

お願いしたり、甘えたりできるのは大元の先祖神が一番よいと教えられたので、お願い事等

をする時は、小松神社まで足を運びます。

最近は、幸せなことに大祭の時だけお礼に来るのですが、以前は毎月ように来ていた時もありました。

高知市内から車で1時間半位で、ここに着きます。

そして駐車場が狭いので、大祭の時は車を停めに少し下まで降りて行き、そこから狭い階段を降りて

神社に着くのが10分位なので、家から神社まで1時間45分でした。

この狭い階段を降りていくと、ひっそりと小松神社があるのです。

373段(みなさんしんどい段)です。

降りるのは案外楽なのですが、帰りの上がってくる時の辛いこと、心臓が飛び出そうなほどの

息切れがします。だから良いのかも知れませんが、秘境の神社なのです。

平家一族は、源氏の追っ手から隠れるように、ひっそりとした山奥で平家一族の根が絶えないように

密かに息を殺して生活したことでしょうね。

壇ノ浦の戦いで破れた平家は、安徳天皇を守護しながら四国の山伝いに逃げ、偶然この地域で先祖神と

出会いここに落ち着き、一部の部族はこの付近にて生活をし、子孫の繁栄を願い暮らしたことでしょう。

下る途中から、垣間見える景色なのですが、この付近一帯は昔から色んな神さまが沢山おられて

様々な伝説があります。(イザナギ流伝説)

この辺りは香美郡物部村(旧)呼ばれるところで、香美郡は(神群であり)物部村は(物部一族)が

沢山住んでいたから物部村と云い、その側を流れる清流を物部川と云います。

話を少し戻しますが・・・・

高天原からアマテラスとタカミムスビの命で中津国を(日本を)制定せよと使わされたのがニニギで・・

・・・・・・・・・

長くなるので、ごく簡単にまとめて説明すると・・・・・

ニニギの家来イワレヒコ(後の神武天皇)が日本を統制するべく進出していると、強敵が現れた。

ナガスネヒコと云う大将だった。あまりに強いのでお前は誰だと問うと神の使いだと言う。

お互いが神の使いだと云うので、その証拠を見せろと云うとお互いが神の使いである証拠の品を見せた。

ナガスネヒコの神は、ニニギの兄で、ニギハヤヒだったのです。

ナガスネヒコとイワレヒコは、同じ神の使いなので戦は辞めようと話している時に、ナガスネヒコの家来

が今まで戦ってきて身内も殺され、このままでは気が収まらぬと、敵に向けて矢を放ったのです。

ナガスネヒコは神に向かって矢を放つとはけしからんと、その将を斬り殺した。

その将とは、ナガスネヒコの妻の兄、つまり義理の兄であったのですが即、斬り殺したのです。

ナガスネヒコはその無礼を詫び、イワレヒコに仕える約束をする。

そして、イワレヒコが初代天皇(神武天皇)となり、ナガスネヒコの一族は物部氏(もののべ氏)を

名乗り天皇を支え、重臣として使えたと言う歴史があります。

天皇は生き神様なので、天皇を日本の象徴として天下太平の世を創るべく働いていたのですが・・・

重臣の一部に、物部氏を良としない反対派の豪族が現れたのです。

それが蘇我一族。

蘇我馬子(ソガノウマコ)や息子の蘇我入鹿(ソガノイルカ)は聞いたことあると思います。

神という見えない象徴(鏡や光)だけの存在に不満を持ち、手を合わし拝むなら、それらしき象徴が必要だと

中国から仏教を取り入れようとしたのです。仏教は拝む仏像や般若心経などの(経典)があるから。

(※神道は神社で手を合わせ、頭の中で念じるだけ神とは念じるだけでこちらの気持ちが神に伝わる。

神社の狛犬も口を開けた阿象と口を閉じた吽象があり、何も言わずとも阿吽の呼吸で分かると言う意味です)

 

それに大反対したのは物部氏。

日本には尊い神様が沢山いるそこに外国の神を呼び寄せる必要はないと、大反対したのです。

この争いが、神対仏の戦争となり80年ほど続くのですが、大きく立ちはだかったのが蘇我馬子です。

天皇の子である、聖徳太子を蘇我一族に丸め込んだのです。

馬子の娘が聖徳太子の乳母だったのを良いことに、頭の悪かった聖徳太子を(末代まで英雄にしてやる)

とかの条件を付けて、こちら側には天使様がついて居ると、聖徳太子を担ぎ物部氏に立ちはだかったのです。

物部氏は天使に弓を引く事が出来ずに、追いやられて物部氏は消滅したのです。

※天皇系では、後にも先にも仏式系で葬儀を行ったのは、聖徳太子のみなのです。先祖が神でありながら

信じられませんけどね〜・・・(以前ブログにも書きましたね、聖徳太子本当はアホだった)

 

全国で物部氏の伝説が残るのはここ物部川の流れる物部村だけかも知れないです。

この付近に沢山の神が存在していて(神群)香美郡と云うのも納得がいきそうです。

小松氏の子孫が集まり、年に一度か数年に一度しか会わないのに、皆さん持ち込みで寿司や酒、お菓子

でソバやうどんを食べたりしながら、先祖神の前で子孫の繁栄を報告し天下太平を願う。

昔から云うと、階段がきつい性なのか顔見知りの人が少なくなりました。

歳が行くと、やはりこの階段はきついと思います。私も後、何年これるやら・・・(^^)

でも今年は、少し若い人が目立ってホッとしています。いつまでも続いて欲しいですね〜

高知の酒(豊の梅)おり酒です。初めて飲みましたが、美味い!

私はワイン派で日本酒はほとんど飲まないのですが、これは美味かった!お勧めです。

早速翌日買いました。値段は忘れました、多分2,000円ちょっと位だったと思います。

 

小松神社は勿論小松氏のご先祖様を奉っているのですが、小松神社のご祭神はとても偉い神様なのです。

その神様の名前は(分かりません)(笑)

天之御中主神(あめのみなかぬし)とされていますが不明です。タカミムスビでもないし、アマテラスでも

ないし、とにかく偉い神様がいるように感じますが、分かりません。

私、天之御中主神と云う神様感じたことがないんです。尊すぎるのかも知れませんね。色んな神社を

巡っているのですが、天之御中主神神社は何かピンと来ないのです(修行不足でしょうね)

歴史的に頭で想像すれば・・・・・

ここに鎮座されているとても偉い神様は、饒速日命(ニギハヤヒ)様ではないかと思います。

私だけかも知れませんが、私はニギハヤヒのような気がします。

 

源平合戦に敗れた、壇ノ浦の戦いが1,185年ですから、今から833年前ですね。

その時に、船の舳先にこの扇を打ち落として見せよ!と云って、打ち落としたのが、源氏の那須与一。

見事に打ち落とされたので、敗北を認め撤退したのですが・・・

このひとつの勝負で、一本の矢であっさりと天下分け目の戦いの敗北を認め、撤退するのが武士ゆえの

武士道だったのでしょう。

その日の丸の扇を家紋としているのが正規の小松氏なのです。

私も偶然福井扇町と言う場所に事務所を構えているのですが、因縁なのかな?(笑)

 

戦力では源氏より平家が勝ってたはずなのですが、負けたのは源義経の奇襲戦法に負けたのです。

当時、武将は我は何々の某であると、姓名を名乗り正々堂々と戦うのが当時の戦のルールでしたが義経は

夜中に奇襲戦法で崖の後ろから馬で駆け降り攻めてきたとか、弓で将を打つより馬を射てとか・・・

当時のルールでは信じられないような戦法で戦ったのです。

平家はその義経の戦法にしてやられたと言っても過言ではないと思いますが、兄の頼朝はその武士である

まじき戦法を恥て、義経を追放したのですよね。

逆に義経の性格なら扇を打ち落とされたとしても、約束を破ってでも敗北は認めなかったでしょうね。

 

正に「平家にあらずんば人にあらず」ですね。清盛の弟(時忠)の有名な言葉らしいですが、それだけ

平家は人道と礼節を重んじたのかも知れません。

この源平合戦により神より授かった大切な三種の神器が行方不明になり、見つかったのは、八咫の勾玉と

八咫の鏡のみで、草薙の剣は未だ見つかってないのです。

「初代天皇から皇位継承の際に天皇の証しとして三種の神器を受け継ぐ儀式がある」のですが、安徳天皇

以来、本物の三種の神器は受け継がれてないのです。

それ以来は草薙の剣を模造し、熱田神宮に神体として祀られています。

天皇継承の際はその三種の神器を揃え、天皇継承の証しとして神に報告する儀式があるのです。

非人道的な義経の戦略により、日本の大切な三種の神器の一つ、草薙の剣さえも無くしてしまったのかも

知れません。

来年平成から元号が代わるのですが、その時にも三種の神器を揃え天皇継承の儀式があります。

ちなみに神道派の葬式も必ずと言って良いほど、三種の神器を祀り葬儀を行いますね。

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※牛若丸とも呼ばれた源義経は、兄頼朝に追放された後、自害して死んだと言う説もありますが、大陸に

渡ってチンギスハーン(ジンギスカン)と呼ばれモンゴル帝国を創った英雄になったと言う説もあります。

昔この本を読んだこともありますが、本当に同一人物なのか現在でも分かってないそうです。

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平家の落人は壇ノ浦の合戦から高知県の山伝いに逃げて、この山奥で偶然、先祖神に出会ったのでは?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平家の末裔安徳天皇は壇ノ浦合戦後も生きていた。(ユーチューブです)

https://www.youtube.com/watch?v=KJYyI1dPQuQ

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そしてこの付近を安住の地として、子孫を絶やさないようにとひっそりと生活をしていたのではと、

ロマンはふくらみます(^^)

参拝者全員に、お供えのそば餅を配られます。ソバ団子かな?

私は焼いて食べるより、汁にして食べるのが好きです。

それほど美味しい物ではないですけど、落武者がひっそりと栽培できるのは、蕎麦なんですよね。

山でも何処でも簡単に育つし、栄養価もあって・・・平家そばとか、平家饅頭とか売られているのものは

ほとんど蕎麦なんですよね〜

小松の先祖たちは、このようなものを食べながら子孫繁栄を願ったのでしょうね〜

戦時中の「すいとん」のような食べ物だったように思います。

生き延びる為に蕎麦を練って食い、子孫を絶やさぬようにと命を繋ぎ、源氏に敗れた先祖の悔しさを偲び

不味い蕎麦汁を悔しさを噛みしめて食べました。(^^)

魚のだしで蕎麦汁を作りました。今日の昼食です。

これなら売れると言うような味に仕上がりました(^^)美味い!!

高知のアジの塩焼きも脂がのって美味しかったですよ。

先祖の悔しさですか?そんなもん、ありゃ〜しない(^^)

人生死ぬまで、楽しく元気で生きて行こうじゃありませんか・・・・

では又・・・・管理人。

 


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