聖徳太子の虚像と実像(後編)

  • 2017.07.07 Friday
  • 00:30

前回の続きで、「物部氏VS蘇我氏の宗教戦争」について・・
その前に何故、
戦争は起こるのでしょうか?
考え方の相違、民族の相違、宗教の相違、そして利権を求める為の暴力、その暴力に我慢でき

ないからやり返す、やられたら仕返しをする、生存するために戦う、守るために戦う・・・

そもそも男は、イヤ全ての動物のオスは戦うために、又、守るために生きるのが宿命ではと思います。
子供の喧嘩も、大人の喧嘩も、国の戦争もすべて動機は同じではないでしょうか?

すべて「あいつは気に入らんから殴る」又は「あいつは金を持っていそうだから

強奪する」又は「あの女を乱暴しよう」等からが、防ぐために、守る為に、

(やられたら、やり返す)と言う男の闘争本能が、喧嘩となり、

戦争に発展するのです。

男の本能とは、闘争本能と破壊本能を持っており、やられたらやり返す、決して泣き寝入り

はしない、復讐の為や、愛する者の為には命は惜しまない、(赤穂浪士の四十七士しかりです)

武士にとって泣き寝入りは、腰抜け侍と避けずまれ、最悪の恥ずべきことなのです。
神代の時代から、人間や動物に感情や「思い」がある限り戦いや戦争は永久に終わらないのです。

それは動物が生きていく上での、悲しい宿命ではないでしょうか?

(世界を戦争のない平和な国にしましょう)・・・

と言うのは確かに良い言葉ですが、あり得ない理想論ではないかと思います。

いつの世も意見と意見はぶつかり合い、論争となり、喧嘩となり、戦争となる。

何千年も昔の古代から現在まで戦争はいつも続き、これから未来に向かっても永遠に戦争という言葉は

なくならないと思います。(日本は平和ボケだと世界中から言われても仕方ないですよね)


赤穂浪士の四十七士は主君の恨みを晴らし、全員切腹をして本懐をとげる話は、美談として

語り継がれている。
話を古事記に戻しますけど・・・
全部説明すると、長くなるいので掻い摘まんで簡単に説明すると・・・

天照大神が豊葦原の国(日本)を我が子(オシホミミ尊)に治めよと命じたが、下界は物騒だと

途中で引き返す、タケミカヅチによって大国主から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が

下がるが、その間に生まれたニニギに行かせるようにと進言し、孫のニニギが天下り天孫降臨と

なったとありますが・・・

実際は、それ以前に天照大神とタカミムスビの命で一足先に天孫降臨した神が居ました。

それがニニギと腹違いの兄弟でニニギの兄になる。ニギハヤヒなのです。

 ニニギもニギハヤヒも日本の国を平定するために、天照大神の命で天孫降臨して来たが、国を平定する

ためには一番強くなければならない。

ニニギは宮崎付近に降臨して快進撃をしながら東へ、ニギハヤヒは大和(奈良)に降臨して快進撃を

しながら西へ、やがてお互いが強敵に出会った。
実際に戦うのはニニギを祖とするイワレヒコ(後の神武天皇)軍団VSニギハヤヒの家来であった

ナガスネヒコ軍団の戦いであった。

戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。

しかし、終盤になり、戦いの最中に急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り始め、金色のトビがあらわれます。
このトビが神武の弓の先に止まると、その光のためにナガスネヒコの軍は幻惑されます。

ナガスネヒコはここで神武に使者を送ってきます。
 「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子はふたりおられるのですか?

どうして天神の子と名のって、人の土地を奪おうとするのですか」
  それにたいして、神武は答えます。
 「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、

それを示しなさい」
  そこで、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの天の羽羽矢(ははや)などを見せると、神武はそれが偽りでない

のを認め、自分も同じものを示します。神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だというわけです。
 長髄彦(ナガスネヒコ)はそれでも戦いを止めなかった。

饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、

神武天皇に帰順して忠誠を誓うのです。


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 ※ニギハヤヒはナガスネヒコの妹を妻にしているので、ナガスネヒコは義理の兄だったのですけど、

人が天神に矢を向けた事を恥じて斬り殺したのです。

そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹との間に出来た子が物部氏なのです。
ニギハヤヒが義理の兄の行動を恥じて、戦いを退いたのでイワレヒコが初代神武天皇となったのですけど、

ニギハヤヒが譲らなかったら、天神の血を引く物部一族が天皇系になっていたかも知れないのです。


ニギハヤヒの長男ウマシマジが、神武天皇に王位を譲り、神武天皇即位時に、ニギハヤヒから授けられた

王のしるしである十種神宝を渡したことを述べています。
 つまり、記紀では神武天皇が武力でニギハヤヒ一族を滅ぼした事になっていますが、事実は王位を

譲ったことが事実のようです。
物部氏は有力な軍事氏族として代々天皇に仕え、守護し大臣となったのですが、蘇我馬子も敏達天皇の時

に大臣となり、以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい蘇我氏

の全盛を時代を築いたのです。

蘇我馬子(そがのうまこ)

 

蘇我氏は大臣(おおおみ)の地位にあり、天皇の補佐として執政を行う。

物部氏は大連(おおむらじ)の地位にあり、最高執政官として国政をとる。

(朝廷を守る最高の官職で武力集団です)
日本国家の両雄の争いは、物部氏VS蘇我氏の宗教戦争が始まったのです。
そもそもの始まりが29代欽明天皇の時に(552年)百済(くだら:朝鮮)から金銅の光り輝く釈迦如来像

経典,仏具などを献上され、優れた文化である仏教を受け入れるべきと蘇我稲目が答えたのが始まりで、
蘇我氏の意見は、優れた文化の仏教を日本に取り入れるべきだ。
神道の神は物体が無い。神の存在は鏡であったり、剣であったり、勾玉であったり、石や、木、水
全ての自然物が神とされるが、仏教は拝むに値する仏像がある。全てにおいて日本の神より優れている
日本も仏教を取り入れるべきだと主張する蘇我氏一派。
対する物部一族の意見は、天神のニギハヤヒの子孫達だから当然大反対をする。
日本国は神が作り、八百万の神々が民を守ってくれている元来から神道の国である。

外国の神を日本に持ち込むのは絶対に認めない。

そんな事をすれば日本古来の「国つ神」が怒り、とんでもない事になるぞと、大反対。
曽我氏と物部氏の意見の対立は続くのですが、決定的な事件は587年の「用明天皇の後継者問題」

物部守谷一族は、欽明天皇の皇子(穴穂部皇子)を、蘇我馬子は泊瀬部皇子を推し両者の対立が激化する。
そして、蘇我馬子が穴穂部皇子を殺害した為、物部守谷と全面抗争に推移するのです。
蘇我馬子の軍勢が多くとも、物部一族の軍勢は武力の精鋭部隊、弓矢の数で蘇我一族が優位であろうとも、

何度戦っても、戦慣れした物部氏精鋭部隊には歯が立たず、結局蘇我勢は追われて逃げるようになる。
そこで、蘇我馬子の取った行動は、厩戸皇子(後の聖徳太子)の乳母だった妹を説得し、厩戸皇子を

神輿に担いだのです。
してやられたのは物部氏一族、厩戸皇子は天皇の子(神の子)天皇に向かって弓を引くのは賊軍となる

ので、戦う事が出来ない。防戦一方の物部守屋一族は追われて逃げるようになる。
その最中に、味方勢の中にいた蘇我馬子のスパイに、大将物部守屋が弓矢で打たれ死んでしまう。
そして次々と、子供達も射殺され王を失った兵士達は散り散りに逃走したので物部氏は滅亡したのです。

ですが、滅亡した物部氏の子孫達は、姓を変えて今も元気に生きています。
四国(死国)の高知(北東)に物部一族が追いやられたのかも知れません。
そこには物部川があり、

物部村が存在しています( 現在は香美市となっています)(本来は神市なのかも)秘境です。

 

ひっそりとたたずむ集落があり、この付近には神様が沢山居ます。
小松神社もそこにひっそりと鎮座されています。


 県道195号線から車で細い山道を20分くらい走ると、小松神社に着きます。

 

車を鳥居付近に止めて、急な373段の石段を降ります。下りた時には足がガクガク又、上るときも
大変です。

 下りるとひっそりと、このような神社があります。
 (我が小松氏のご先祖様の神様です)

平家の小松一族も、物部一族の末裔ではないかと思っています。
  この付近には、代々伝わる「いざなぎ流」という呪術が伝わって居ます。
  この山、この付近の山全体が神気を帯びた山なのです。
物部氏一族と言う言葉も、ニギハヤヒと言う神も忘れ去られ、歴史から消え去られそうになって居ます。
物部川を含む物部村も、物部一族と関係があるような気がするのですけれど、真実の根拠は不明です。

(高知県に物部氏性を名乗る者は居ません・・多分)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天皇の子である聖徳太子が蘇我馬子の策略に乗せられ、仏教を推進させられ、物部氏との戦争に

利用され、何も知らない皇子が、悲惨な最期を遂げられたのです。
その怨霊を、たたりを恐れ、聖徳太子という立派な名前に改名したのだと思います。
立派な寺を七つ建立したとか、「憲法十七条」や「冠位十二階」「遣隋使の派遣」などを作った

とても頭の良い皇子だった。と、歴史に英雄として名を残すようにした蘇我馬子の「謀略」のように

思います。

(蘇我馬子一族が厩戸皇子にした事の祟りを恐れて死後129年も経ってから聖徳太子と名をつけ、

立派な寺を七棟も建立して全て聖徳太子が建立したものとし、とても頭の良かった英雄だったと奉り

上げたのではないか?)


歴史から抹殺したニギハヤヒと物部一族。そして作り上げられた伝説の聖徳太子。
  日本の歴史を変えた恐るべき蘇我一族であります。
2年ほど前にこのブログで「聖徳太子はアホだった」と、書いた事がありましたが、訂正します。
蘇我馬子に操られた、断れなかった、従うしかなかった哀れな厩戸皇子(聖徳太子)というのが

事実のような気がします。

そう考えると、頭の良い沢山の働きをした聖徳太子は架空の人物だったと言えます。
 饒速日命(ニギハヤヒ)を祖とする物部氏一族の無念は如何ほどのものだったでしょうかね〜・・

私も無念です・・・(笑)

 では又・・・管理人。

 

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コメント
なぎそうみぃ様
コメントと、情報ありがとうございます。
岡山県の石上布都魂神社の宮司さんですね、ありがとうございます。岡山方面は時々行きますので、寄ってみますね。
出雲大社行きですか、良いですね〜・・神社は本当に良いですね。貴重な情報ありがとうございます。気をつけて行ってらっしゃいませ。ちなみに私は月末に福岡の宗像大社に行く予定でホテル予約しました。
  • 管理人より
  • 2017/07/08 9:32 AM
はじめまして。高知の南国出身の者です。物部氏といえば岡山県の石上布都魂神社の宮司さんが物部氏の末裔であるとお聞きしました。今年に入って何度か神社に行く機会があり、明日には出雲大社に行く予定です。
  • なぎそうみぃ
  • 2017/07/07 8:09 PM
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