福岡の宗像大社へ出発(続編)

  • 2017.08.10 Thursday
  • 14:59

前回より続く・・・

730にホテルをチェックアウトして、朝食はホテルでは無く近くの唐戸市場に行く事にしました。

朝五時から営業していると聞いて期待していたのですけど・・・

九州と本州の入り口の市場で確かにでかい市場です。

未だ8時前とあって、お客さんもまばらで少ないし、1階は未だ食事が出来ないそうで九時から

営業との事でした。

このような光景を想像していたのですけど、朝八時なら無理ないですよね〜(笑)

下関の新鮮で美味しい魚介類を楽しみにしていたのですけどね〜

2階に一件だけ開いている店がありました。

市場のスタッフと観光客らしき人と半々くらいかな待ち時間が少しありました。

その間に入り口にベタベタと張っている写真を見ていると、結構芸能人タレントや有名人や

スポーツ選手のサインと写真を見ている内に、安倍総理も来ていたのですね記念写真が数枚有りました。

新鮮で美味しいものを期待して・・・

海鮮定食と、ふぐ刺し定食を注文しました。

私の注文した海鮮定食です。

ん〜・・・・まずくは無いですけど、高知の新鮮な魚を食べ慣れているので、高知が勝ったなと思いました。

娘の注文したふぐ刺し定食は、3分の1ほど食べて味が違うと言って、注文間違ったと言っていました。

 

食べてみると、確かに高知の居酒屋の方がもっと新鮮で美味しく感じます・・・・海が違うのかな〜?

高知の市場にも下関のフグが入り、食べた事があるのですけど・・フグが違うのかな〜?

あっちこっち旅行をしては思うのですけど、やはり魚は高知が一番美味いと思いますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・

では福岡の大島フェリー乗り場で娘夫婦と待ち合わせをしているので出発します。

今日も天候に恵まれ、良い天気で神様に感謝です。

大島行きフェリー乗り場に着きました。途中で娘達と合い、ここからは娘夫婦も私の車に同乗して

5人で大島の中津宮に渡ります。

宗像大社本宮へ参る前に中津宮に渡り湍津姫神(たぎつひめのかみ)にご挨拶をしてから宗像大社

に行くのが礼儀だとか・・そう聞いたのでそのようにしました。

フェリーで大島の中津宮に着きました。

宗像三女神の次女湍津姫神(たぎつひめのかみ)がここでお祀りされています。

益々のご発展のお喜びを申し上げ、本日の良き日に高知から無事ここに来られたことを感謝し

そして自分の不甲斐なさ、未熟さを詫びて、益々の神道修行に力を与えて下さいませとお願いする。

風格と言うよりも気品の有る神社ですね。

 

すぐ側にある「天真名井の水」とても冷たく柔らかく美味しかったです。

日本神話では、天照大神が十束剣(とつかのつるぎ)を3つに割り、天真名井の水と一緒に口に含んで

かみ砕いたところ、そこから田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)

市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の3柱の女神が生まれたとあります。

 

そして車で約5〜6分位かな?沖津宮遙拜所に着きます。

 

良い天気なのですけど、もう少しはっきり見えれば沖に沖ノ島が見えるはずなんですけど・・・

ここから沖津宮に手を合わし、ここまで家族で仲良く来られたことを感謝し、沖津宮に鎮座される

田心姫神(たごりひめのかみ)世界遺産になった事のお喜びを申し上げる。

年に一度だけ、男のみの200名が抽選で選ばれた者が海中で禊ぎをした後、沖津宮に上陸することが

出来るのですけど、世界遺産になった為に、今年からそれも中止になりました。

今年は抽選漏れで、来年こそはと申し込みをしていたのですけど、それもかなわぬ夢となりました。

残念ですが、神様とはそれだけ尊いものなのでしょうね。

もう二度と見られないかも知れないこの景色を、心眼に焼き付けておきます。

 

フェリーに乗って、宗像へ帰り宗像大社を目指します。

多分もう来られないだろうなと、別れを惜しみながら遠ざかります。

宗像大社へ着きました。天気は晴れて良いのですが・・・暑い!

 

やっぱり大社らしく風格があります。

手水舎。

神社らしい神気が漂う空気の中に入ると、ホッとしますね。

そしてこの道を、進んでいくと山の方に少し上がると、高宮祭場という宗像大神「降臨の地」が

ありました。ただ一言「スゴイ」。クラクラと目まいがするほどの沢山の神気で、とてもカメラを

向ける気にもなれません。他の観光客がパチパチと写真を撮っているのですけど・・・

神様に失礼で、とてもその気になれませんでした。

 

(ネットより写真を拝借)

これがその高宮祭場です。ネットより拝借しましたが・・・

この写真からでもスゴイパワーを感じますけどね〜

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この広い宗像大社を歩いて見て回るだけで、2時間くらい掛かり暑さで疲れます。

歳を感じますね〜(笑)数年前までは、これくらいではなんとも感じなかったのですけどね。

少し早いですけど、予約しているホテルにチェックインして休憩を取ります。

ホテルの部屋から見下ろすとプールも有り、先ほどまで沢山の人が居たのですけど、六時過ぎると

人影もなくなりました。

ホテルは大和ハウス直営のホテルです。まあまあ良い感じのホテルですね。

岩の露天風呂とサウナを堪能して、腹も減ったし食事にします。

夕食も朝食もバイキングで、料理も良かったですよ。アルコール類は飲み放題で1500円だったかな。

翌朝は、宮地嶽神社へ(嵐のCMでも有名です)

年に2回だけこのような光の道が見えるそうです。

光の道です・・・

一応記念撮影のポーズ。(笑)

 

奥は意外と広い神社みたいです・・・

私の家族達です。小さい子供の頃から神社巡りの旅行が大好きで、最近は自分達で調べて

○○の神社へ行きたい連れてってとせがむくらいです。

私はそのために仕事をしているような気が・・・(^o^)

 

大きな鈴と、太鼓を祀っています。

龍の口から流れる手水舎です・・

 

宮地嶽神社 奥の宮八社の稲荷神社です。

七福神も祀られています。

一通り全てを廻りやっと一服、暑くて喉が渇いたときの自動販売機のお茶は格別に美味しいです。

私的な事なのでブログには書けませんけど、ここでも不思議な体験をさせて頂きました。

期待以上の宮地嶽神社・・記憶に残る神社になりました。最後にここを選んで良かったと思います。

娘夫婦とはここで別れて、私たちは高知へ7時間半かけて帰りますが、娘達は帰りに広島の厳島神社

へ寄るみたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天気も回復し、とても良い休日となりました。

 

ではこれにて・・・・管理人。

 

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福岡の宗像大社へ出発

  • 2017.07.30 Sunday
  • 21:39

毎年お盆休みを利用して神社巡りの小旅行に行くのですけど、いつも渋滞に悩まされルので、

今年はお盆休みをずらして、28日〜30日まで以前から念願の宗像大社へ行くようにしました。

高千穂方面も行きたかったのですけど、そこまでの時間もなく今回は見送りました。
いつもなら0時とか早朝2:00には出発するのですけど、今回は28日の朝10時出発と言う

ゆっくりした行動にしました。

 

一人で長時間の運転となるので、私もいい年ですのであまり疲れると神様とのご挨拶もおろそかに

なり、神様を感じ取る事が出来ないのではと言う不安から、万全の体調で神様にご挨拶したく、

グッスリ睡眠をとってから出発するようにしました。

メンバーは私と家内と次女の3人で、現地集合は徳島の娘夫婦といつものメンバー5人です。

家族がいつまでも記憶に残る楽しい良い思い出作りを、作る事が私の使命だと思っております。

残念ながら息子は大事な仕事が残っているので、留守番です。
その代わり私がお盆休みを返上して一人で仕事をします。・・・多分(笑)

 

予定は強行軍は疲れるので、下関で一泊の予定です。
まず、長門市の「元乃隅稲成神社」へ向かう。

稲荷神社ではなく「稲成神社」いななりじんじゃです。

稲荷は稲が生える(いねなり)が転じて(イナリ)となり稲荷神社となったのですが・・

ここは願望成就の(成る)を以て「稲成神社」としている願望成就の神社なのです。

稲荷神社は全国に四万社ほどあるのですが、「稲成」神社は全国に二社のみなのです。

 

(今回の神社巡りコースです)

心配していたのは、天気です。出発するときは曇り空で、途中パラパラと降っていたのですけど山口県

に入る頃だったかな?トンネルを抜けたときに突如バラバラバラと?何、ヒョウ?

と思われるくらいの大雨になり、(神様のお清めかな?)と一瞬思いました。

 

しかし、山口県元隅稲成神社へ着く頃には空も明るく晴れて、神様が歓迎して迎えてくれたような

気がしました。(大雨だったらどうしょうと思ったのですが、神様はありがたいです)

鳥居が下まで続く絶景です。

昭和30年に下の太皷谷稲成神社から白狐のお告げにより、分霊された神社なのです。

この景色を見たくて高知からはるばる来たのですけど、もう少し晴れてくれたらもっと感激したの

かも知れません。でも・・雨が止んだだけでも神様に感謝です。

 

こちらが元隅稲成神社の入り口になるのでしょうね。

空も明るく晴れて、とても気分の良い参拝となりました。

後ろは絶景の海です。

潮の香がする稲成神社。願い事をかなえてくれる神社なので、家内にもここを通るときは

願い事を願望しながら通ると良いよと教えたのですが、そういう私は何も考えず通りました(笑)

海に近いお稲荷さんて有ったかな〜・・とか

海の方から、この参道を沢山の狐さんが走って行き来してるのかな〜と想像しながら歩く。

 

心にしみる「おみくじ」を頂きました。

鳥居の上にある日本一投げ入れに難しい賽銭箱です。

賽銭箱に入ると、願いが叶うそうです。

この賽銭箱に入ると願いが叶うそうで、私は7〜8回でやっと入りました。(笑)

愛嬌のある狐さんですね。

雌の狐さんですね、安産の願いなのでしょうかね〜・・。

 

狐の顔になって記念写真。は止めました(笑)

もう夕方になり始め、もう一カ所福徳稲荷神社へ行く予定でしたが、遅くなりそうなので

予約しているホテルへ直行です。

ホテルに着いたのは7時過ぎ、風呂に入りホテルの前で記念撮影。

街は意外とオシャレな居酒屋や店も多く、下関がこれほど発展した街だとは思いませんでした。

今日はもう、居酒屋で軽く一杯飲んで早い目に寝るようにします。

 

続きは次回にしますね。

 

では又・・・管理人。

 

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本当の神様の計画と使命は何だろう?

  • 2017.07.21 Friday
  • 07:34

世の中には不思議な事が沢山ありますよね〜
占い(手相・人相・姓名判断・タロット占い・西洋占星術・・等)
そして、幽霊・火玉・幽体離脱・三途の川を見た人・死神を見た人・龍を見た人
未だあります。色々なまじない・付きが回る・奇問敦煌・ 風水術・方位除・潮の干満による人間の生死
神仏に失礼なことをしてバチが当たる・直感・予感・呪われる・生き霊・金縛り・死者の声や臭い等
すべて、科学では解明できない不思議な事ばかりですけど・・・

その中で一つも信じない人は居るでしょうか?私は全て、見たり、聞いたり、体験したりしていますので、

一応全て信じてますけど・・・

人は皆、不思議なものに興味があるのです。

不思議だからこそ、興味があるのであって、不思議でなくなったら何の魅力もないのです。
全て「知ったらおしまい」なのです。

何でも知りすぎると、魅力が無くなるって事ありますよね。

分からないから魅力を感じ、不思議だから面白くて夢中になるのです。

 

そして一番不思議に思ってるのはが神様の存在ですね。(私の場合だけど)
神様は何で居るの?神様は何をする人?神様には何の役目があるのかな?
神様はちっとも願い事を聴いてくれないし、困ったときも助けてくれたり、守ってもくれないし・・・
神様って本当にいるのかな〜と考えた事もありました。(今はもちろん信じてますよ)

 

人は、自分にないものを求めます。

自分と同じ性格の人は気は合うが、つまらないから長続きしないのです。

考えや、意見の違う人があってこそ、陰陽のバランスがとれているのであって、皆同じ性格で同じ考え

ばかりでは、世界中の人間関係はつまらないものになります。

陰は同じ陰に不満を持ち陽を求め、陽も又、同じ陽に不満を持ち陰を求めるのです。

 

絵を描いても同じ明るい色ばかりを使ってもつまらないし、暗い色ばかりでも同じことなのです。

暗い影があるから明るさが生き、明るさがあるから暗い影が生きるのです。

陰と陽のバランスが組み合って初めて、生きた絵になるのです。
だから常に陽は陰を求め、陰も又常に陽を求めるのです。

 

昼と夜があるように、男と女が居て、力の強い者と弱い者が、法と言う秩序に守られ

平等に共存している。

すばらしい人間社会のルールの中で私たちは生活していると思いますけど・・・

日本という国はすばらしいです。

 

法と言う秩序を守らない者や、国際ルールを守らず、他国の生活を脅かす国は国際法に則って、

懲らしめなければならない。

それに反抗するのが戦争と言うのなら、戦争もやむを得ないと、神様も思うのではないでしょうか?

 

最後に七福神の中で私の一番好きな神様を紹介します。
「布袋様」です。

(小柄で太鼓腹の布袋和尚・満面の笑みはいい顔していますね)


通称「布袋和尚」と呼ばれ親しまれていた。中国浙江省で生まれ、916年で亡くなったと実在して

いたことがはっきりしている僧侶です。
小柄で太鼓腹、予知能力があって彼の占いは必ず当たったことから、弥勒菩薩の化身として伝説の

人になったようです。
全てにおいて無欲で、愚痴や怒りもなく、年中ヨレヨレの着物を着ても、いつでもニコニコと

満面の笑みで過ごし、貧しくとも、人を助け、心がとても豊かであったとの伝説の人です。

いちばん神様に好かれる笑顔ですね〜・・・

(いい顔ですね) 世界中の人がこのような笑顔になれるのは不可能でしょうかねぇ〜・・

 

布袋様がいつも大事そうに担いでいる袋は、サンタさんのようにプレゼントの品が入っている

わけではありません。

その袋の中には、愚痴や怒り、欲望、妬み等、全てをしまい込んでいます。

その袋の名前は・・・堪忍袋といいます。
(まるで私とよく似ている・笑)


 布袋が死の間際に残した偈文が、
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)
と言われる。
やっぱり欲を全て捨てて、生きて行くのが最高の幸せなのかも知れませんね〜・・・

我が家の玄関に置いてある布袋さまです。


では又・・・・管理人
 
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死んだらどうなる?神式と仏式の違い。

  • 2017.07.15 Saturday
  • 13:34

死んだら、どうなるのだろう?

私は子供の頃から、不思議な者に対してものすごく興味を持っていたし、又不思議な体験を

沢山しましたので、死んだらどうなるのか?霊界、幽界、天国、地獄は本当にあるのだろうか?

又、肉体は死んでも魂は残るのだろうか?と・・・・
 そんな事が不思議で子供の頃から、大人に良く聞きに行った事を覚えています。
大人の中には、死んだら焼かれて灰になったらすべて終わりよ、何も残らんよ。

天国も地獄もないと言う大人もいましたが・・・・


私は、子供の時に火玉をはっきり見た事があったので、幽霊は居ると信じていました。

その頃は映画で四谷怪談とか怪談物を見ていたので、恨んで悔しい思いで死んでしまったら、

魂は浮かばれず、怨念の魂は残るのではと、信じていました。  (現在もそう思っています)

 

死んだらどうなるのだろう・・・・・・・・・・・

神道派も仏教派も人が亡くなれば葬式をしますが、祀り方が違うのです。

神道の神式お葬式と、仏教の仏式お葬式とでは、祀り方も作法も全く違うようです。

神式の代表的なお葬式です。正面に鏡・左に剣・右に勾玉を置き三種の神器とそして、

神饌と呼ばれるお供え物をします。
皇居の神式葬式を、凄く簡略化したものに感じます。刀と勾玉は祭壇脇の五色旗に吊るして飾ります。

神葬祭では故人にその家の守護神になってもらうための儀式です。

 

 玉串の榊を神主さんから頂き、御霊前に供える作法です。

神道の場合は、お香典とかご仏前でもなく御霊前と薄墨で書きます。
正式な読み方は(ごれいぜんではなく)みたまのまえと読みます。
又は(おみたままえ)と読むところも・・
神道では、香典袋とは言わず、不祝儀袋と言います。
そして神道では50日際が済むまでは、パチパチと柏手を打つのではなく、音を立てない寸止め

の(忍び手)を打つのが作法となって居ます。
普通は、50日際の時に神主も一緒に墓地へ行き、祝詞をあげ神になったお喜びを込めて、

神主がパチパチと音を立てて柏手(霊振)をした後なら、神社と同じように音を立て柏手を

たたいてもも良いと言われています。
 

私の家は、代々神道なので、身内が亡くなれば神式で、50日際、1年祭、5年祭、10年際、20年祭、

30年際、50年祭とお祭りをしで、50年で終わりです。

神道では50年祭が終わると魂は神界まで上がると言われていますが、神道でも流派があり、

100年までする所もあるようです。
 

一方仏式は下のような葬式になります。

代表的な仏式葬式です。

 

    お坊さんがお経をあげている間に、合掌礼拝する。
仏式の説明は自信が無いので詳しく出来ませんのでお許し下さい。
一周忌 満1年目
 三回忌 満2年目
 七回忌 満6年目
 十三回忌 満12年目
 十七回忌 満16年目
 二十三回忌 満22年目
 二十七回忌 満27年目 *省略する場合もあります。
 三十三回忌 満32年目
たいていの場合は、三十三回忌が終わりとされているようです
 ※仏教では七日ごとに法事・法要があり、四十九日までの法要を「追善法要」と言うそうで、

この間七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、極楽浄土に行けるかどうかの判定が下される

のが四十九日目だそうです。

 

神道では、50日目に50日霊祭をします。神道では亡くなったら仏にならずに、50日目から

子孫を守護する神となると信じられています。
その50日間は、自由に会いたい人に会い、海外旅行に行ったり、自由に好きなところへ行けます。
50日目から守護霊となり、子孫を守護する役目があるのです。そして50年で解放され明神となり神界

では又神界の修行があるとのことです。


そもそも、神道の神式と仏教の仏式では、神社とお寺のような違いで、お祭りの仕方が全く違うのです。
まさに、陰と陽の違いがあります。


神社の神様は陽です。楽しい事が好きで、暗い事が嫌い。
だから、神社のお祭りは、太鼓を叩き、笛を吹き、御神輿をワッショイ・ワッショイと担ぎ神前相撲を

取ったり、酒を飲んで、肉を食べても良い、神様は賑やかで、皆の楽しそうな笑顔がすきなのです。

 

寺院やお寺は、静かに座禅を組んで目をつぶり、鐘の音をゴーンと打っては合掌をして、肉や、魚、

酒は御法度で、線香を焚き、お経を唱え、賑やかに大きな声で話すも、笑うも御法度、静かに、

静寂にして反省をし、故人を偲びます。
この世の中は、全て陰と陽があって成り立っているので、(昼と夜・男と女・太陽と月)のように

あるのが、当たり前かも知れません。

 

神道では、厳かに葬儀が終われば、親戚とか、参列者に、食べ物を振る舞い酒も出します。

泣かれて寂しい思いをするのは辛いからでしょうか?知っている人が沢山集まって食べたり飲んだりと、

ゆっくりして居てくれる方が喜んでくれると信じているからです。(お通夜の日でもそうです)


神道のお墓参りもそうです。

お墓を洗い清め、花と榊を飾り、お菓子等のお供えをします。
一通りのお墓参りを済ませば、帰る前にお墓の前でお供え物を一口でも食べる習慣が有ります。

ここで一緒に食べているよ、と言う意味でしょうかね。

 

子供の時から家族でそのようにしていたから、何の違和感もなく当然と思って居たのですけど、

仏式ではそのような事はしないと聞いた時は、何で?とびっくりしましたね。

 

私が死んで、魂がそこのお墓にあるとしたら、お墓参りに来てくれた時は、やはりそのようにして

少しでも、ゆっくりしてくれた方が嬉しいですけどね〜・・・

・・・・・・・・・・

では又・・・・管理人。

 

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宗像・沖ノ島世界遺産登録

  • 2017.07.10 Monday
  • 10:57

宗像・沖ノ島世界遺産登録おめでとうございます。

日本にとって、とても誇らしい事ですけど、複雑な気分です。

もっと、そっとして欲しかったと言う気持ちもあります。

 

なぜ?

 

人気が集まり、行ってみたい希望者が増えるからです。

一般者は、年に一度しかチャンスがないのです。5月27日抽選で200名の男子のみしか

参加できず、私も何度か応募しましたが、抽選漏れです。

先月に、来年の上陸に申し込みをしているのですけど、申込者が増え益々競争率が上がる

のは必至です。

多くの申込者の中から、抽選で選ばれたのなら喜びもひとしおでしょうけどねぇ〜・・

一応、今月の29日、30日と行く予定でホテルの予約はしています。

先日の大雨災害で、被害が心配でホテルに電話してみました。

そちらの方は被害はないですか?

宗像大社へ車で行く予定ですけど、道中も心配ないでしょうか?

と、問い合わせをしてみました。

ホテルの返事は、こちらの方は大丈夫です。

一部渋滞になるところがあるかも知れませんけど、問題ないでしょうとの答えでした。

ホッとしました。(笑)

自然災害の前では、文明の力も役に立ちませんね〜・・・

 

しかし、今回の台風3号の福岡、朝倉の被害は凄かったですね〜・・・

被害に遭われた方、心からお悔やみ申し上げます。

亡くなられた方、怪我をされた方、家をなくした方、遺族や関係者の方を想うと

のんきに旅行気分で、神社へ参拝することなど、大変申し訳なく想います。

一日でも早く、元気に立ち直る事を期待しています。

(神様にも、お願いしてきますね)

・・・・・・・・・・・・・・・

とりあえず今日はここまでにします。

 

では又・・・・管理人。

 

いつも長すぎるから疲れる。と、女房殿に注意されるから・・・

そうでしょうか?

ご意見を聞かせていただければ、幸いです。

 

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聖徳太子の虚像と実像(後編)

  • 2017.07.07 Friday
  • 00:30

前回の続きで、「物部氏VS蘇我氏の宗教戦争」について・・
その前に何故、
戦争は起こるのでしょうか?
考え方の相違、民族の相違、宗教の相違、そして利権を求める為の暴力、その暴力に我慢でき

ないからやり返す、やられたら仕返しをする、生存するために戦う、守るために戦う・・・

そもそも男は、イヤ全ての動物のオスは戦うために、又、守るために生きるのが宿命ではと思います。
子供の喧嘩も、大人の喧嘩も、国の戦争もすべて動機は同じではないでしょうか?

すべて「あいつは気に入らんから殴る」又は「あいつは金を持っていそうだから

強奪する」又は「あの女を乱暴しよう」等からが、防ぐために、守る為に、

(やられたら、やり返す)と言う男の闘争本能が、喧嘩となり、

戦争に発展するのです。

男の本能とは、闘争本能と破壊本能を持っており、やられたらやり返す、決して泣き寝入り

はしない、復讐の為や、愛する者の為には命は惜しまない、(赤穂浪士の四十七士しかりです)

武士にとって泣き寝入りは、腰抜け侍と避けずまれ、最悪の恥ずべきことなのです。
神代の時代から、人間や動物に感情や「思い」がある限り戦いや戦争は永久に終わらないのです。

それは動物が生きていく上での、悲しい宿命ではないでしょうか?

(世界を戦争のない平和な国にしましょう)・・・

と言うのは確かに良い言葉ですが、あり得ない理想論ではないかと思います。

いつの世も意見と意見はぶつかり合い、論争となり、喧嘩となり、戦争となる。

何千年も昔の古代から現在まで戦争はいつも続き、これから未来に向かっても永遠に戦争という言葉は

なくならないと思います。(日本は平和ボケだと世界中から言われても仕方ないですよね)


赤穂浪士の四十七士は主君の恨みを晴らし、全員切腹をして本懐をとげる話は、美談として

語り継がれている。
話を古事記に戻しますけど・・・
全部説明すると、長くなるいので掻い摘まんで簡単に説明すると・・・

天照大神が豊葦原の国(日本)を我が子(オシホミミ尊)に治めよと命じたが、下界は物騒だと

途中で引き返す、タケミカヅチによって大国主から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が

下がるが、その間に生まれたニニギに行かせるようにと進言し、孫のニニギが天下り天孫降臨と

なったとありますが・・・

実際は、それ以前に天照大神とタカミムスビの命で一足先に天孫降臨した神が居ました。

それがニニギと腹違いの兄弟でニニギの兄になる。ニギハヤヒなのです。

 ニニギもニギハヤヒも日本の国を平定するために、天照大神の命で天孫降臨して来たが、国を平定する

ためには一番強くなければならない。

ニニギは宮崎付近に降臨して快進撃をしながら東へ、ニギハヤヒは大和(奈良)に降臨して快進撃を

しながら西へ、やがてお互いが強敵に出会った。
実際に戦うのはニニギを祖とするイワレヒコ(後の神武天皇)軍団VSニギハヤヒの家来であった

ナガスネヒコ軍団の戦いであった。

戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。

しかし、終盤になり、戦いの最中に急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り始め、金色のトビがあらわれます。
このトビが神武の弓の先に止まると、その光のためにナガスネヒコの軍は幻惑されます。

ナガスネヒコはここで神武に使者を送ってきます。
 「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子はふたりおられるのですか?

どうして天神の子と名のって、人の土地を奪おうとするのですか」
  それにたいして、神武は答えます。
 「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、

それを示しなさい」
  そこで、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの天の羽羽矢(ははや)などを見せると、神武はそれが偽りでない

のを認め、自分も同じものを示します。神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だというわけです。
 長髄彦(ナガスネヒコ)はそれでも戦いを止めなかった。

饒速日命(ニギハヤヒ)は天神と人は違うのだと長髄彦を諌めたが、長髄彦の性格がひねくれたため殺し、

神武天皇に帰順して忠誠を誓うのです。


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 ※ニギハヤヒはナガスネヒコの妹を妻にしているので、ナガスネヒコは義理の兄だったのですけど、

人が天神に矢を向けた事を恥じて斬り殺したのです。

そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹との間に出来た子が物部氏なのです。
ニギハヤヒが義理の兄の行動を恥じて、戦いを退いたのでイワレヒコが初代神武天皇となったのですけど、

ニギハヤヒが譲らなかったら、天神の血を引く物部一族が天皇系になっていたかも知れないのです。


ニギハヤヒの長男ウマシマジが、神武天皇に王位を譲り、神武天皇即位時に、ニギハヤヒから授けられた

王のしるしである十種神宝を渡したことを述べています。
 つまり、記紀では神武天皇が武力でニギハヤヒ一族を滅ぼした事になっていますが、事実は王位を

譲ったことが事実のようです。
物部氏は有力な軍事氏族として代々天皇に仕え、守護し大臣となったのですが、蘇我馬子も敏達天皇の時

に大臣となり、以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい蘇我氏

の全盛を時代を築いたのです。

蘇我馬子(そがのうまこ)

 

蘇我氏は大臣(おおおみ)の地位にあり、天皇の補佐として執政を行う。

物部氏は大連(おおむらじ)の地位にあり、最高執政官として国政をとる。

(朝廷を守る最高の官職で武力集団です)
日本国家の両雄の争いは、物部氏VS蘇我氏の宗教戦争が始まったのです。
そもそもの始まりが29代欽明天皇の時に(552年)百済(くだら:朝鮮)から金銅の光り輝く釈迦如来像

経典,仏具などを献上され、優れた文化である仏教を受け入れるべきと蘇我稲目が答えたのが始まりで、
蘇我氏の意見は、優れた文化の仏教を日本に取り入れるべきだ。
神道の神は物体が無い。神の存在は鏡であったり、剣であったり、勾玉であったり、石や、木、水
全ての自然物が神とされるが、仏教は拝むに値する仏像がある。全てにおいて日本の神より優れている
日本も仏教を取り入れるべきだと主張する蘇我氏一派。
対する物部一族の意見は、天神のニギハヤヒの子孫達だから当然大反対をする。
日本国は神が作り、八百万の神々が民を守ってくれている元来から神道の国である。

外国の神を日本に持ち込むのは絶対に認めない。

そんな事をすれば日本古来の「国つ神」が怒り、とんでもない事になるぞと、大反対。
曽我氏と物部氏の意見の対立は続くのですが、決定的な事件は587年の「用明天皇の後継者問題」

物部守谷一族は、欽明天皇の皇子(穴穂部皇子)を、蘇我馬子は泊瀬部皇子を推し両者の対立が激化する。
そして、蘇我馬子が穴穂部皇子を殺害した為、物部守谷と全面抗争に推移するのです。
蘇我馬子の軍勢が多くとも、物部一族の軍勢は武力の精鋭部隊、弓矢の数で蘇我一族が優位であろうとも、

何度戦っても、戦慣れした物部氏精鋭部隊には歯が立たず、結局蘇我勢は追われて逃げるようになる。
そこで、蘇我馬子の取った行動は、厩戸皇子(後の聖徳太子)の乳母だった妹を説得し、厩戸皇子を

神輿に担いだのです。
してやられたのは物部氏一族、厩戸皇子は天皇の子(神の子)天皇に向かって弓を引くのは賊軍となる

ので、戦う事が出来ない。防戦一方の物部守屋一族は追われて逃げるようになる。
その最中に、味方勢の中にいた蘇我馬子のスパイに、大将物部守屋が弓矢で打たれ死んでしまう。
そして次々と、子供達も射殺され王を失った兵士達は散り散りに逃走したので物部氏は滅亡したのです。

ですが、滅亡した物部氏の子孫達は、姓を変えて今も元気に生きています。
四国(死国)の高知(北東)に物部一族が追いやられたのかも知れません。
そこには物部川があり、

物部村が存在しています( 現在は香美市となっています)(本来は神市なのかも)秘境です。

 

ひっそりとたたずむ集落があり、この付近には神様が沢山居ます。
小松神社もそこにひっそりと鎮座されています。


 県道195号線から車で細い山道を20分くらい走ると、小松神社に着きます。

 

車を鳥居付近に止めて、急な373段の石段を降ります。下りた時には足がガクガク又、上るときも
大変です。

 下りるとひっそりと、このような神社があります。
 (我が小松氏のご先祖様の神様です)

平家の小松一族も、物部一族の末裔ではないかと思っています。
  この付近には、代々伝わる「いざなぎ流」という呪術が伝わって居ます。
  この山、この付近の山全体が神気を帯びた山なのです。
物部氏一族と言う言葉も、ニギハヤヒと言う神も忘れ去られ、歴史から消え去られそうになって居ます。
物部川を含む物部村も、物部一族と関係があるような気がするのですけれど、真実の根拠は不明です。

(高知県に物部氏性を名乗る者は居ません・・多分)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天皇の子である聖徳太子が蘇我馬子の策略に乗せられ、仏教を推進させられ、物部氏との戦争に

利用され、何も知らない皇子が、悲惨な最期を遂げられたのです。
その怨霊を、たたりを恐れ、聖徳太子という立派な名前に改名したのだと思います。
立派な寺を七つ建立したとか、「憲法十七条」や「冠位十二階」「遣隋使の派遣」などを作った

とても頭の良い皇子だった。と、歴史に英雄として名を残すようにした蘇我馬子の「謀略」のように

思います。

(蘇我馬子一族が厩戸皇子にした事の祟りを恐れて死後129年も経ってから聖徳太子と名をつけ、

立派な寺を七棟も建立して全て聖徳太子が建立したものとし、とても頭の良かった英雄だったと奉り

上げたのではないか?)


歴史から抹殺したニギハヤヒと物部一族。そして作り上げられた伝説の聖徳太子。
  日本の歴史を変えた恐るべき蘇我一族であります。
2年ほど前にこのブログで「聖徳太子はアホだった」と、書いた事がありましたが、訂正します。
蘇我馬子に操られた、断れなかった、従うしかなかった哀れな厩戸皇子(聖徳太子)というのが

事実のような気がします。

そう考えると、頭の良い沢山の働きをした聖徳太子は架空の人物だったと言えます。
 饒速日命(ニギハヤヒ)を祖とする物部氏一族の無念は如何ほどのものだったでしょうかね〜・・

私も無念です・・・(笑)

 では又・・・管理人。

 

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聖徳太子の虚像と実像(前編)

  • 2017.07.01 Saturday
  • 01:49

 聖徳太子といえば誰もが知っている日本古代最大の偉人であります。
 小学校の時に習ったのは、とても頭が良く10人の話を一度に聞いて全てを理解したとか

神様のような人だったと教えられました。
では聖徳太子は何をした人でしょうか?
たしか中学校の時に「憲法十七条」や「冠位十二階」「遣隋使の派遣」などを成し遂げたと習

った記憶があるのですけど、本当にそうでしょうか?そして、日本に仏教を広めた人ですよね。

 

 

聖徳太子と言えば誰もが昔から超偉人であり、日本の英雄であると教えられたと思います。
  (この聖徳太子肖像画は百済(朝鮮半島の一国)の王子だった人です)

私が大人になり、日本史や古事記に興味を持ち、歴史を調べているうちに疑問に思った事が

幾つかあります。
そして、私は仏教派ではなく、神道派なのです。(一言付け加えれば筋金入りの)
歴史をたどれば、必ず古事記にたどり着きます。古事記をごく簡単に説明すると高天原にいる

神様が地上に降りてきて、国作りをする話。

その神様の子が日本の国作りを行い日本全土を平定したのが初代天皇であり、神武天皇となって

います。初代神武天皇から神の血を受け継いだ現在の125代目の今上天皇まで続いており、

これからも神の血を受け継いだ天皇制度は永遠に受け継がれる事だと思います。


つまり天皇系のご先祖様は神様であるから、当然、私以上に筋金入りの神道派のはずなんです。


物心ついた頃から神様であるご先祖を崇拝し、徹底的な教育を受けているはずなんです。
その神の血を引く第31代用明天皇の第2皇子である聖徳太子が、母は欽明天皇の皇女であるから、
神の血筋を引く神道派のはずの聖徳太子が、先祖をないがしろにして本心で仏教を薦めるので

しょうか?  私には信じられません。
聖徳太子が作ったとされる憲法17条には・・・(現代語訳あらまし)

 

第1条 一に曰く、和をもって貴しと成し、忤う事なきを宗とせよ
第2条 あつく仏教を信仰せよ
第3条 天皇の命令をうけたら、必ずそれに従え
第4条 役人は礼儀を基本とせよ
第5条 私利私欲を捨てて公平な裁判を行え
第6条 善をすすめ、悪をこらせ
第7条 人は各自の任務と役目を行え
第8条 役人は朝早く出勤し、遅く退庁せよ
第9条 すべての事に信をもって当たれ
第10条 人の過失を怒ってはならない
第11条 役人の功績と罪科にかなった賞罰をせよ
第12条 地方官は人民から税をむさぼり取らぬようにせよ。国に二人の君はなく、人民に二人の主はない

第13条 役人は職務の内容を心得よ
第14条 役人は他人を恨んだり妬んではいけない
第15条 私欲を捨てて公共の立場に立つのが臣民の務め
第16条 人民を使役する時は、時節をわきまえよ
第17条 16物事は自分一人で決めず、よく論議せよ

 

問題は、2条の「あつく仏教を信仰せよ」
こんなことを、神を先祖とする皇太子が言うでしょうか??


全く別人が作ったように思うのですけどね〜・・・


聖徳太子の事を簡単に説明すると・・・
聖徳太子は西暦574年に生まれる。
 本名は厩戸豊聡耳皇子(うまやどノとよとみみノみこ)
 母が懐妊し、庭を散歩している時、厩(うまや:馬小屋)の辺りで急に産気付き生れたので、

その名がついた。

その後死ぬまで厩戸皇子(うまやどおうじ)と呼ばれていた。
厩戸皇子は西暦622年に49歳で病で亡くなったとされています。
聖徳太子という名称は死没129年後の天平勝宝3年(751年)に改名された名前なのです。
推古天皇が太子暗殺に関与したという説もあります。
 太子が合葬で陵に葬られており、死から埋葬までの殯(もがり)の期間が短く、新たな陵を

つくらずに合葬の形をとるのは、暗殺などで「異常な死」を遂げた貴人を葬る場合が多いとされ、

3人いた妃の中でも最も身分の低い膳大郎女と合葬された点でも、太子の死が尋常ではなかった

ことを示しているといわれます。
 聖徳太子は推古天皇30年(622年)の2月22日、太子の妃・膳大郎女の死を(2月21日)

看取った翌日病没したとされてますが・・・?

(心中説もありますが、謀殺されたと言う方が信憑性が高いです)

天皇系で仏式の葬儀をしたのは、後にも先にも太子だけでしょうね。
私の家系も代々神道派なので、家系で仏式の葬儀をあげた人は聞いた事がないです、もし仮に

仏式で行おうとすれば、親族一同「馬鹿か?」と大反対するでしょね。
当時の天皇(推古天皇:女性)又、その皇族も大反対したと想像しますけど、蘇我一族がそれを

押し切って仏式葬儀を行ったのではないでしょうか?それだけ力があったのでしょうね。
太子亡き後は、蘇我馬子のやりたい放題。

その後、子の蘇我蝦夷(そがのえみし)が大臣となり、その子である蘇我入鹿(そがのいるか)

が良く頭が切れ、(ずる賢く)厩戸皇子死没129年後に 厩戸皇子は非業の最期をとげたと言う

ことで、その怨霊を恐れ、「聖徳太子」という立派な諡をつけたとする説が本当のような気がします。
聖徳太子は、歴史上架空の人物で、そのモデルは蘇我入鹿ではないかと思われます。


その後、蘇我一族の権力が天皇家を上回るほど強くなり、やりたい放題の蘇我一族に対して中大兄皇子

(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが中心にクーデターを起こし蘇我入鹿を謀殺し、

蘇我蝦夷を自殺に追いやりますね。(645年の大化の改新です)
この二人の方が、聖徳太子より汚れた権力を変えた英雄のように思えますけどね。


厩戸皇子が政治に携わったのは飛鳥時代なので、実際に政治に関わったのは5年ほどになります。
聖徳太子が建立したお寺は七つあり、法隆寺・法林寺・法起寺・広隆寺・橘時・中宮寺・四天王寺
とされているが、全て歴史の嘘でしょう。

柱を自然乾燥で作るなら普通20年掛かりますよ。それを5年間で七寺も作る事はあり得ない。

聖徳太子は多分1棟も作ってないと思われます。
推測では多分蘇我馬子の一族が聖徳太子の怨霊を恐れ、太子が建てた事にしたのではないかと想像する。

 3000年という日本最古級の歴史を持つ愛媛県松山市の道後温泉。
太子は体が弱く、松山の道後温泉に病気療養のために滞在した事が伊予国風土記逸文に記されている。

 

 

 

 聖徳太子は蘇我馬子又は蘇我入鹿であったという説もある。
聖徳太子の実像は、我々の習った聡明賢者とは全く真逆の人間だったように思えてなりません。
蘇我馬子らによって天皇の子と言うだけで、政治利用された何も知らない病弱な悲しい皇子

だったのかもしれないのです。

そうです、物部氏VS蘇我氏の宗教戦争に利用された悲しい皇子だったのです。
この続きは次回にしましょう・・・・


では又・・・・管理人。

 

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突如、雷神に呼ばれた。

  • 2017.06.19 Monday
  • 20:25

前回のブログで雷神に会ってみよ、と神の声を聞いたと書きましたが・・・

近くではどこの雷神様が良いかなと探していたところ、高知県には無く、香川県の坂出市

にありました。神谷神社です主祭神は火結命(ほむすび)です。

古事記では火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と呼ばれますが、日本書紀では火産霊(ほむすび)

と表記されるそうです。

イザナミの出産時に、火の神であったために陰部が火傷しそれが元でイザナミは死んでしまう。

怒ったイザナギが十拳剣で斬り殺してしまう。

その飛び散った血から八柱の神が生まれ、その死体からも八柱の神が生まれる。

古事記では、その飛び散った血から生まれた8柱神のひとり建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)

が雷神なのです。火雷(カライ)様とも言います。

アマテラスの命で、大国主に国譲りを幾柱の神がせまりますが、大国主に説き伏せられ帰ってくる

そこで高木の神(タカミムスビ※アマテラスの義父・ニニギの母親の親)の命で建御雷之男神が

大国主に国譲りを迫る。文章より↓の方が分かりやすい。

https://www.youtube.com/watch?v=p8ay4y_7KlQ

 

なぜか私と建御雷之男神と縁があるような気がしてならないのです。

私の前世と何か関係があるのでは?と感じる事が多々あります。

資料を見ていると、突然とても会いたくなった。

よっし!と、香川県坂出市の神谷神社へ急きょ行く事にしました。

理由を説明すると長くなるので、機会があれば少しずつ説明しますね。

 

 

入った瞬間に、とても強いエネルギーを感じる。

私を呼んでいるのが感じる。家内も早く早くと呼ぶ。すごいと・・・

写真には失礼なので撮れなかったのですけど、何か強いエネルギーを感じる・・・

ネットより写真を拝借する。(自分では撮れません)

奥の方から、入ってこいと呼ばれるが・・・入るところがありません。

 

(ネットより拝借)

奥の本殿です。家内が狛犬の代わりオオカミのような犬、あれはオオカミや居る

と言う。こっちへ来いと呼んでいると言う。(石段を上がった右側に)

だが入るところが無い。柵を乗り越えて入るわけにもいかんだろうし・・・

今日は帰りますと言うと、もう一度来いという・・・又来ますね、と挨拶する。

P6190432.jpg

神谷神社の図・・・昔はもっと立派だったようですね〜

迫力のある龍の手水舎・・・・

神様に呼ばれると、居てもたっても居られなくなるんですよ。

半分病気ですね〜(笑)

 

では又・・・・管理人。

 

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市杵島姫神を訪ねて竹生島へ後編

  • 2017.06.14 Wednesday
  • 14:16

市杵島姫神を訪ねて竹生島に来たのですけど、まだ市杵島姫神にお会いしていません。 

これは市杵島姫なのでしょうか?右の立て札には・・・

日本五弁天と書かれており、

安芸国厳島大神・・・広島の厳島神社の三女神の事ですね。

大和国天川大神・・・多分奈良の天川大弁財天(天川神社)だと思います。

近江国竹生島大神・・ここの事ですね。

相模国江島大神・・・神奈川県の江島神社ですね。三女神を江島大神として弁天様と称しています。

陸前国黄金山大神・・宮城県の黄金山神社ですね。主祭神は金山毘古神・金山毘売神・天神八百万神

          地神八百万神です。明治以前は弁財天として奉られていたようです。

大変ありがたい日本の五大弁天を奉られています。(金運の上がる小判型のお守りを8枚買いました)

ここの白巳大神は弁財天の神使とされて居りますが、蛇と龍は同一とされていますけど・・・・

少し疑問です。

そして市杵島姫神と弁財天も同一神とされていますけど、それも私は疑問に思っていました。

最近は特に・・・そして今日、やはり市杵島姫と弁財天は同一ではないと確信しました。

そしてここ竹生島神社にも弁財天はいない事も確信しました。

ここで瓦投げをする。

皿に自分の名前と願いを書いて投げるのです。

ここから皿を2枚投げてあの鳥居をくぐれば願い事が叶うそうです。

狙いを定めてエィと投げるも届かない(笑)もう一枚は遠くへ飛ばす事を意識して投げると

20mくらい左に・・・私の願いは届かなかったようです(^o^)  

龍神拜所・・・弁財天と書かれていたけど・・・今日は何も感じない。体調が悪いのか

それとも市杵島姫神も弁財天も留守なのか?・・・

ここで市杵島姫神のお守りを買いスマホに付けています(可愛い身代わり守りです)

良いでしょう?可愛くて・・

ここの神札授与所で確認のために聞いてみました。伊吹山はここから見えますか?

そこの窓から見えますよ。一段高い山が伊吹山とのこと。(やはり私の思っていた通りでした)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここでは神様何も感じなかったので、娘達に何か感じた?と聞くと

ず〜と何も感じなかったけど、さっきお皿を投げるときに可愛い声で「久し振りね」と

声が聞こえたそうです。多分巫女ではないかと思うと言っていた。

市杵島姫の身代わりなのかもしれない。とても若い声だったとのこと。

市杵島姫神だけではなく、主祭神の神様は全国に何百カ所もあるのだから、たとえ瞬間移動が

出来たとしても、何百カ所も同時には相手出来ないと思いますけどね。(私たちの次元で考えれば)

留守の間、身代わりの弟子や巫女が、もしくは神使の眷属が留守番しているとも考えられるかな?

 

そして一番上の弁財天が奉られている宝厳寺の本堂です。

あまり人が多く、この付近だけで数百人。写真も撮れないので(写真はネットより拝借)

ここに上がってきた瞬間に、とても強いエネルギーを感じました。

家内と次女は階段を上がろうとして止めた。自分の行くところではないと、ここで待つと上がって来ない。

長女夫婦は、一度行ってみると階段を上がり始めた。

私もあまり気が進まなかったのですが、せっかくここまで来たのだから、見なくては後悔すると心に決め

上がってきましたが、すごい人だかりで圧倒される。

とにかく本堂の中へと入ったのですが、「これが本物の弁財天なのか」と思うほどのすごいパワーです。

沢山の参拝者に紛れ手を合わしていると、頭がクラクラするほどのパワーです。

市杵島姫神の持つパワーと全く別物のパワーです。

確信しました。市杵島姫と弁財天は違うと。

ふと気がつくと娘夫婦が居ない?外に出ると階段上がった付近で私を待っていた。

どうした?お参りしないの?と聞くと・・・

沢山の念が強くて入れない、ここは私達の来る所じゃないと入らずに帰りました。

確かに今までお参りした弁財天様とは格が違う。発するエネルギーが全然違うのです。

これが弁財天なら、やはり仏教の匂いがします。ヒンドゥー教のサラスヴァティーです。

 

ヒンドゥー教のサラスヴァティーが七福神の弁財天とされ日本の市杵島姫神と同一視されています。

が、空気の感じも、気配も、パワーも全く別物です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市杵島姫はもっと優しく、私の事をそなたは・・・と語ってくれます。

市杵島姫神に会えなかったのは残念ですけど、十分に来た甲斐はありました。

前回アップした写真ですけど、中央に狐に変身した大宜都比売(オオゲツヒメ)が感じないでしょうか?

 

黄色の丸で囲んだ付近がうっすら白い輪になっており、少し離れてみると狐が感じられるのですけど・・

多分狐に変身したオオゲツヒメであり又の名を瀬織津姫(セオリツヒメ)とも・・・

瀬織津姫も龍神を使います。 ここには黒龍が居ます。

祝詞では、「早川の瀬に坐す瀬織津比賣と言う神大海原に持出でなむ」・・と祝詞で歌います。

瀬織津姫はここに坐して罪汚れを流し清め・・根源にある魂は市杵島姫神だと私は信じています。

つまりオオゲツヒメ=セオリツヒメ=イチキシマヒメではないかと思っています。

弁財天は全く別人です。

竹生島を離れ大津港へ帰ります。滞在時間は80分。向こうに見える山は伊吹山。

伊吹戸主の益す伊吹山。曲事(まがごと)の罪汚れを祓いたまえ清めたまえと念じつつ合掌する。

大和タケルも伊吹山に益す神々と戦い破れ奈良へ帰る途中亡くなったとあります。

神話の世界を紐解き神々に触れ、ロマンを感じながら旅行するのは楽しいものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次は大津市にある日吉大社へ・・・平安京の表鬼門に鎮座される方除け・厄除けの大社として

有名な山王総本宮です。

珍しい山王鳥居です。

神社入り口に居る神猿(まさる)

日吉と言えば神猿と有名らしいのですけど、知りませんでした(^^ゞ

おとなしくしている猿に、息吹をハ〜〜ッとかけると、牙をむきだし飛びかかってきました(笑)

私の態度が気に入らなかったのでしょうかねぇ〜・・・

ここの敷地は広く神社も沢山あり、全ての神社を参拝しようと思えば2時間はゆっくりかかりそうです。

帰る時間を計算しながら回ると1時間が精一杯です。(多分15舎くらいだったと思います)

伊勢神宮に劣らないほどの広さです。

東本宮と西本宮があり見所はいっぱいありますが、パワーが強く撮るのをためらう場所が多々あります。

 

有名な包丁祭り一度見てみたかったな〜・・・

包丁祭りと包丁塚、年老いても元料理人としては、やっぱり気になります。

 

敷地全体が神気を帯びており、とても居心地が良くやはり神社は良いですね空気が凜としていて・・

心身ともに清められるような気がします。

祓いたまえ清めたまえと念じながら、各神社を回っていると・・・

長女がそばに寄ってきて、お父さん聞こえた?

いや?神様何か教えてくれた?と聞くと・・・

 

おまえの行動は間違ってない。雷神に会ってみよ、何か面白い話が聞けるぞと・・・

 

今度は雷神様かい。

神様はよくヒントはくれるのですけど、中々すんなりと教えてくれません。

自分で考え行動して答えを見つけよ。それが修行じゃと言ってるみたいです。

・・・・・・・・・・・・

今日はもうこれから家に帰り、落ち着いたら雷神様に会いに行きます。

お盆休み迄に福岡の宗像大社へ行きたいと思います。

人の少ない平日の早朝を狙って行くようにします。

宗像三女神の市杵島姫さまに会いに行く予定ですけど、すんなり行けるでしょうかねぇ〜

 

では又・・・・管理人。

 

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市杵島姫神を訪ねて竹生島へ

  • 2017.06.11 Sunday
  • 17:20

以前から琵琶湖にある島、竹生島へ行って見たく行こうと計画を立てれば用事が出来たり、邪魔が

入ったりで中々行くことが出来なかったのですけど、やっと行くことが出来ました。

念願の竹生島へ!・・神様に何度もお願いをして今度こそ竹生島へ行けますようにとお願いをする。

竹生島には、弁財天と市杵島姫が鎮座されている(弁財天と市杵島姫神は同一視されているが・・)

家族全員で行く予定だったが、息子だけを残し(用事が出来たので)午前2時に高知を出発し

徳島の娘夫婦のマンションへ着いたのは午前4:30分。

娘たちと合流して一緒に大津港のフェリー乗り場へ一番船は9:40分発です。

早朝のため車も少なく、90分ほど早く着いたので、近くにある白鬚神社へ(予定計画の内)

白鬚神社の鳥居です。「近江の厳島」とも呼ばれる琵琶湖にある大鳥居です。

全国にある白鬚神社の総本社なのです。

まだ早朝なのにたくさんの参拝者が、次から次へとやって来ます。

 

娘と結婚した婿も、娘の影響で神社巡りにハマったようです(^o^)

結婚するまでは、無宗教で全くの無神論派だったようですけど、最近は自分から率先して一人でも

神社へ行ったり、二人で出かけるときも必ず神社参りをするとか・・・

そりゃ〜目の前で色んな不思議なことが起こるから神様信じるしかないでしょうね(^^)

ここの御祭神は猿田彦命で、近江最古の大社なのです。(芸能の神様とも)

猿田彦神社は、道ひらきの神様で、自分の進むべき道を切り開いてくれる神様なのです。

瓊瓊杵尊が降り立った際に道案内をしたことからそのように成ったのでしょうかねぇ、最近は

交通安全の神様としても崇められています。

進むべき道を切り開いて成功するように願えば、御利益を頂けるでしょう・・・・

とても強いパワーを感じます、御利益が沢山あるから人が人を呼び、人気があるのでしょうね。

駐車場もここ以外にもあり、ほぼ満車です。写真では人が少ないのですけど早朝にすれば思いがけ

ないほどの参拝者でした。

 

白髪神社を上から見たところです。琵琶湖に面しての猿田彦大神何か意味ありげな位置に鎮座されて

いますね。

フェリー乗り場に着きました。  待ち時間は30分ほどです。

朝の空気が気持ちよい・・・

船を待つ間、岸壁の岩陰にひっそりと咲く野菊に話しかけました。

野菊さん、とてもキレイだよこんな所でひっそりと咲いているけど、寂しくないかい?

野菊さんは言いました・・・・あなたは「シブイ」だって(^^)

大津港から琵琶湖の竹生島まで観光船に乗り出発。

大祓の祝詞にこのような言葉があります。

( おお ) ( ) ( ) ( ) ( おお ) ( ふね )   ( ) ( ) ( はな )   ( とも ) ( ) ( はな ) ちて  ( おお ) ( うな ) ( ばら ) ( ) ( はな ) ( こと ) ( ごと )  

・・・・・・・・・・・・・・・・

今、祝詞のごとく大津港から大船を舳解き艫解き放ちて大海原に押し放つ事の如く出発しました。

 

竹生島に到達しました。長浜港からも別の観光船が次々とやってきます。

 

 

 

 

( )

竹生島の北に見える一段高い山が、伊吹戸主の益す(居られる)伊吹山です。

( ) ( ぶき ) ( ) ( ) ( ) ( ぶき ) ( ) ( ぬし ) ( ) ( かみ )   ( ねの ) ( くに )   ( そこの ) ( くに ) ( ) ( ) ( はな ) ちてん  ( )

( ) ( ) ( はな ) ちて  ( ねの ) ( くに )   ( そこの ) ( くに ) ( ) ( はや ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( かみ )   ( ) ( ) ( ) ( )

( うしな ) いてむ・・・・

 

やっと念願の竹生島に来られました。

もうすでに団体の参拝者たちが沢山来ています。朝一番の観光船で来たのにすごい人気ですね〜

ここから見る風景は以前来た事があるような見覚えがあります。(多分夢かな?)

夢では静かな海に島と鳥居が見える夢です。

きっと何かもっと感じる事があるに違いないと、ワクワクしながら団体の参拝者達と参道コースを

アンテナを張って集中して歩いて行く・・・

黒龍大神と黒龍姫大神の神社が・・・・龍が居るのかな?

何かを感じそうだけど・・・人が多くて気が散るし集中できない。

 

黒龍は市杵島姫神の神使なので、この付近に住んでいるのでしょうね。

 

ん〜・・・・・・

わかりません。何の気配も感じられない。体調がわるいのか?タイミングが悪いのか・・・?

ちょっと今日は、タイミングが悪いのかもしれない、人が多すぎる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと疲れたので今日はここまでにします。

最近忙しくて、ブログ更新も出来ずごめんなさい。

仕事もそうですけど、それよりも他の相談事やもめ事などの解決のために、奔走しています。

少々疲れ気味です。・・・年ですかね〜

次回続編を書きますね。

 

では又・・・管理人。

 

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